薄明のカンテ - 生まれ落ちた喜びを知る/燐花
「はい」
「うん?ミサキちゃん、俺に?」
「それしか無かった」
 テオフィルスは不思議な顔でミサキから差し出された物を受け取る。彼女が無遠慮に突き出した手の平の中にはミサキが普段好んで食べるバランス栄養食として名高いクッキー菓子があった。これはおそらく、「くれる」と言う事なのだろうが貰う理由が分からなかった。
「…でもこれ、ミサキちゃんの食う分じゃ──」
 顔を上げるも、ミサキはもう遥か彼方自分の居場所に着席し、一人黙々作業を始める。何が何だか分からずテオフィルスは頭に疑問符を浮かべながらも「まあ貰えるものは貰っとこう」と自分も席に着いた。まさかここに来てミサキから物を貰えるなんて、生きてりゃ良い事もあるもんだ。このクッキー菓子は大事に食べよう。
 そう思いながらデスクトップに向かうと、続いてニコリネが近寄って来た。ニコリネは超が付く人見知りだ。誰かと話すと言うのもなかなか一苦労な様で、テオフィルスはそれを分かっているので彼女と話す時は務めて会話をリードしようと気遣っている。しかし、この日ニコリネは積極的だった。
「メ、メメメメメドラーさん!!」
「惜しいな。ニコリネちゃん、メは一個で大丈夫だぜ?」
「メ、ドラー、さん…あの、これあげます…!」
 その手にはいつだったか前にも貰ったブラックコーヒーがあった。テオフィルスが「さてはまた自販機壊れた?」と優しく聞くと、ニコリネはぶんぶんと横に首を振り、それを否定した。
「ち、違うんです…そ、それはまごう事なき私が今し方買って来たコーヒーなんですが……そ、そもそも私なんかに物もらうとか怪し過ぎますよね!?ものもらいだって私から貰ったくらいじゃ治りませんよね!?すみません!!」
「落ち着けって、俺にものもらいは出来てねぇし。それよりこれ、ニコリネちゃん今買って来てくれたの?」
「は、はい…!」
 少し前、たまたま自販機が壊れたからと言うのでお裾分けを彼女から貰ったがこれは完全に今わざわざ買って来てくれた物らしい。テオフィルスがその事に御礼を言うと、ニコリネはやり遂げたと言う安堵の顔で微笑んだ。
「…ニコリネちゃん、そんな顔で笑うと可愛いよな」
「はい!?」
「ありがとな。コーヒー、嬉しいよ」
「す、すみません私なんかが出しゃばって…!!で、でも喜んでもらえたなら…嬉しい、です、ふひっ」
 結局いつもの笑いで締めてしまったが、最近のたまに見る自然な笑いは可愛らしいなとテオフィルスは思っていた。その後、エフゲーニとトニィの二人までテオフィルスに声を掛け、「汚染駆除班からです」と菓子の詰められた小さなバスケットをくれた。
 何だ?今日は何かあるのか?とりあえず有り難く頂いておくが、愛の日でもないのに何か似た様なイベントでもあったか?スケジュールを確認するが、普通に平日で今日はカルティアやタエフィアの誕生日でもない。愛の日でも無ければ冬ごもりの日でも何かしらの祝日でもない。
 不思議に思いながら午前中は仕事に費やし、ちょうど良く腹が空いた頃には昼だ。テオフィルスは断りを入れて部屋を出ると、食堂に向かって歩みを進める。すると今度は廊下の先でギャリーと目が合った。
「よぉ!今日の主役!色男!」
「な、何だよいきなりおべっか使いやがって…」
「憎いね大統領!この千人斬り!」
「あらゆる方面から誤解受けそうな呼び方やめろ」
 どう言うわけかたまにギャリーはよく分からない事をする。今日は輪を掛けて分からないなと思いながら呼び止めた理由を聞くと、ギャリーはたった今蒸したばかりかの様な温かそうな湯気を上げる桃包を取り出した。
「…ん?」
「ふふふ、俺が野郎の為にアツアツの包子用意するなんて滅多にないんだぜ?喜んでくれよ?」
「え?ああ、サンキュ…って、どこで何してたんだ?お前」
「今の今まで包子あっためるのに費やしてたけど?」
「仕事は?」
「……ほら、それ美味いよ」
「…ギルバートが怒るだろ…何かそう思うと素直に喜べねえなあ…」
 とは言え、どうしてそれをしたのか分からないがせっかく蒸してくれたと言うので有り難く頂く。流石にこの桃包も食べて昼食も食べて…は食べ過ぎか?いやしかしせっかく蒸してくれたならアツアツでいただきたい。そんな事を考えていたら、続いて珍しくロードと行き合った。
「あ、ロード?珍しいな、こんなところに居るなんて」
「うふふ、少し早めに昼食を摂ったんですよ。これから加入志願の方をコクシネルまで迎えに行くので」
 ところで、今日はめでたいですねぇ。
 そう言いながらゴソゴソ懐を漁ったロードは、周りを見回すと用心深げに体をテオフィルスに近付け、そっとディスクの入った真っ白いパッケージの何かを差し出した。何だか、岸壁街で見たヤクの密売を思い出す。そしてこれ、パッケージは白く感じたがおそらく既存の物を裏返して入れているのだろう。ちらりと中を覗くと、良い感じに肌蹴た格好の女が見えた。
「……おい、これ」
「うふふ…安心してください…周りを気にしてパッケージは裏返しましたが物自体は新品です。私のお古をあげるわけじゃないので」
「お古だったら突き返してるわ。っつーかこれ…アダルトビデオか?」
「うふふ…同じAVでもアニマルビデオの方が良かったですか?」
「冗談。犬猫見て誰が喜ぶんだよ。俺は断然こっちだね。でも何でそれを俺に?」
「今日はほら、特別な日ですから。親愛なる貴方にプレゼントです」
 そう言ってヒラヒラ手を振り去って行くロード。パッケージを改めて見ると、尚更コイツが午前中このディスク忍ばせて仕事をしていたのかと何だか間抜けな物を見た気持ちになった。
「サバゲ中にひたすら絶頂…巨乳ミリロリ…」
 確かにロードはあまり選ばなそうな格好とシチュエーションのモノだなと思いつつ、テオフィルスはそれを懐に入れて食堂に向かって歩みを進める。その途中、曲がり角で勢いよく飛び出た誰かとぶつかりそうになった。
「おっと、悪い!」
 さっとハンズアップし、敵意がない事をアピールする。相手が女の子で変に触りでもしたら自分の身が危うくなりやすいのが地上だ。テオフィルスが相手の安否を確認しようと焦点を合わせると、たった今ぶつかりそうになった相手がヴォイドだと気が付いた。
「テオ…?」
「あ、よお、ヴォイド…」
 何故だろう。先程ロードから貰ったビデオのパッケージ文字がチラついて仕方ないのは。ヴォイドはスクラブ姿だと言うのに。あれだろうか、ミリロリ似合いそうだなとか思っているからだろうか。
「俺今から昼食なんだけど、ヴォイドは?」
「私、今終わったところ」
「そっか…じゃあ俺これで…」
「待って、テオ」
 引き止められ、何かと思って彼女を見ていると、何かを探しているのかゴソゴソと懐を漁り始めた。何でか今日は会う人会う人何かをくれるが、本当に愛の日でもないし今日は何の日だ?と不思議に思っていると、遠くからぶぅぅぅぅんと音が聞こえる。
 ん?待て待て、この音は…?
「あ、危ねぇヴォイド!」
「え…」
 テオフィルスはヴォイドの頭を抱える様にしてなだれ込む様に床に沈んだ。その瞬間、二人の頭上をドローンが猛スピードで駆け抜けて行く。何が何やら分からず居ると、コントローラーを持ったテディが青い顔で抜けて行った。
「止まってぇぇぇぇえ!!」
「だから言ったのに!!慣れない事しないでって!!」
 その後を青い顔のユーシンが追う。どうやら調達班の配達諸々に使うのか弄っていたドローンが慣れないテディの手によって暴走したらしい。
「テディ、ドローン一つ、二万イリ」
 後から来たシキがどう考えても焦らせる要因にしかならない情報を告げる。いや、シキよ。それは悪手だ、とテオフィルスは思った。
「嫌ぁぁぁぁあ!!ボクそんな高額出せなぁぁぁあい!」
「ならとりあえず手を離してよテディ!」
「だって離したらどっちにしろドローン落ちちゃうもん!」
 きゃーきゃー言いながら駆け抜けていく若者達を見届け、テオフィルスは自分の下敷きになってしまったヴォイドが心配になった。
「あ、ヴォイド!悪い、大丈夫か?」
 ふと下を見ると、キョトン顔を少し赤くしたヴォイドが眼前にどアップで広がり思わず釣られて赤くなってしまう。少し前、彼女を襲おうと思った時はそんな風にならなかったのに何も意識せずやった事でそんな顔をされたら逆に自分が照れてしまうものだ。
「えっと…怪我、無ぇ?」
「う、うん…」
 その時またしてもあのモーター音を耳が拾った。
「わぁっ!」
瞬時に下げた頭の上を先程のドローンが掠めながら飛んで行く。どんな低空飛行をさせてるんだと文句を言いたくなったが、きゃあきゃあ騒ぐテディの声を背に結果としてヴォイドの豊満なカヌル山に顔面から突っ込んだテオフィルスは何とも言えない気持ちになっていた。
「ヴォイド…悪ィな、二度も…」
「だ、大丈夫だけど…」
 いっそ全力で嫌がったり拒否してくれたらまだ勢いのままに色々動けるが、なまじ身を委ねてくれている彼女を見て気まずさが増してしまう。
 と言うか、身を委ねていると言う事は?ヴォイドも嫌じゃ無いのか?まさか満更でも無かったりするのか?
「ヴォイド…」
「ん…?」
「良いよな…?」
「…!良くない!」
 阿吽の呼吸、と前向きに考えておこう。
 少ない言葉の中から何が「良い」のかすぐに察知したヴォイドから拳骨を頂戴したので、仕方がないがモヤモヤした気持ちを抱えたまま食堂に向かった。部屋に入った瞬間、こちらを見たヒギリが嬉しそうにパァッと顔を赤らめたのは気のせいだろうか。
「テオさん!?」
「お、おう。ヒギリちゃん、これ食券…パンと赤スープの…」
「席でちょっと待っててね!あのね!今日のは自信作なんよ!」
 有無を言わさぬ笑顔でぐいぐいと押され席に着かされ最早何が何やら分からない。いつもはカウンターまで食券を置きに行くのだが、今日はすぐ座らされてしまったし現れたエミールに食券を持って行かれてしまった。
「お、おいエミール」
「テオさん、今日は座ってお待ち下さい」
 エミールも心なしか嬉しそうにそう言って厨房に戻って行く。一体何が起きているんだ?と状況把握に勤しんでいると、しばらくしてエミールが食券で頼んでおいた赤スープとパンを、ヒギリが小さなケーキを手に机までやって来た。
「テオさん!どうぞ!この日の為に作ったタルトだよ!」
「爽やかなレモンチーズタルトです。タイガさんのアドバイス通り甘さ控えめにしてますからね」
「えへへ!喜んでくれると良いなー!」
 テオフィルスはキョトンとしたまま二人の顔を見つめる。ヒギリとエミールも同じ様にテオフィルスを見つめる。三人の間に不思議な沈黙が走った時、離れた席からこちらを見つめていたアンとヒルダがこそこそ話し合い、その内食器を片付けるついでにヒルダが遠慮がちに近寄って来た。
「もしかして…気付いて無いのか?」
「え?」
 続いてやって来たアンがもっと分かりやすく説明した。
「…メドラーが今日誕生日だって。嬉しそうに触れ回ってる奴が居たから本人も把握済みと思ってたが違うのか?」
「ほら、あの子だよ!人事部のタイガ・ヴァテール!色んな人に嬉しそうに言ってたなー。『今日テオ君誕生日なんです!』って!まあ、何だ。良い友達持ったよな!」
「ま、まじ…?」
 そう言えば、思い起こせばここに来る前にも不思議な事があった。
 理由は分からないがミサキがいきなりいつも食べているクッキーをくれた事。ニコリネがわざわざコーヒーを買って持って来てくれた事。そしてトニィやエフが汚染駆除班一同として菓子を詰めた物をくれたこと。ギャリーはわざわざ桃包を温めてスタンバイしていてくれたし、ロードは趣味のもの・・・・・のディスクをくれた。そしてヒギリとエミールはケーキを用意してくれていた。
「…アンちゃん。悪ィ、気付かなくて。ミサキちゃん、今日凄い事してくれたんだな…」
「ミサキが…?まぁ、たまたま聞いた時にたまたま手に持ってたからッつぅ気紛れの可能性高ェけどな」
「それでも、嬉しいよ」
 そんな事を話していると、先程大騒ぎしていたテディ、ユーシン、シキ、そしてタイガとヴォイドまで食堂にやって来たのでテオフィルスは急な賑やかさに目を丸くした。
「やっと捕まえた!はい!テオ!これボクが捕まえたんだよ!ボクが操縦したんだよ!」
 息巻くテディの手にあったのは先程自分の頭を何度も掠めたドローンだ。
「そもそもテディが変にいじらなきゃあんな追っかけっ子しなくて良かったでしょ!?」
「同感…テディ、何でもかんでも触るから…」
 心底疲れた顔でユーシンが口にする。それに頷いたシキ。二人は良い汗をかいた様だ。
「テディの所為で渡そうと思ってた物渡せなかった」
「えー?ヴォイドひどーい、ボクのせい?」
「どう考えてもテディの所為。まあ、別に良いけど」
 そう言ってヴォイドが渡してくれたのはサファイアのブローチだった。石も価値はピンキリなので輝き的におそらくそんなに高く無いタイプのサファイアだと思われる。しかもブローチなんて女が付けるもんだろ。とは思いつつ、貰ったそれが自分の目の様な深い色をしていたので見ていて胸が熱くなった。
「テオ君、お誕生日おめでとう!調達班の子達にお願いしてカメラ付きのドローン用意してもらったんだよ!個人的なプレゼントと言うよりは、汚染駆除班におけるテオ君用の備品かな?足の悪いテオ君が、簡単に外と繋がれてどこまでも行ける為の」
「タイガ…」
「モナちゃんとシュニーブリーさんにお願いしてケーキ用意して貰ったんだ!テオ君が甘さ控えめの方が良いかもってお願いしたんだよ?」
 二人の方を見ると、得意げに胸を張るポーズを取るヒギリと微笑むエミールが見えた。

 ──アンタの目はお貴族様の目よ。私とお揃いだけど全然違う。私が世界で一番大好きな、アンタだけの綺麗な目──

 思い出したのは、自分の中の最後の愛された記憶。反抗して反抗して、それでも反抗している間もずっと無償の愛を注いでくれた人から貰った愛の記憶。
 母さんが居なくなってしまったらもうそれ以降は無いと思っていたのに、生きる世界が違うと思っていたこの地上でこんなにも人の気持ちに触れている。
「ちょ、待てって…」
「テオ君?」
「こっち見んなってタイガ…やべぇ。俺、格好悪ィ…」
「…へへっ」
 俺は何度も女の子の前で泣くなんて、格好付かなすぎだろ。そう思いつつ、抑えられなくなった熱いものは込み上げて込み上げて涙となって外へ出て行った。
 容量を超えて溢れる幸せを嬉し涙と呼ぶのなら、それは悪く無いかもしれない。
「…あの、テディ君もユーシン君も、シキ君も食べます?ケーキは一人前以上ありますよ?」
「良いの!?ボクも食べたーい!!」
「あ、じゃあぼくも…」
「俺も良いの…?」
 こうしてテオフィルスを囲み、皆でケーキを食べた。ケーキはタイガの言う通り甘さ控えめで美味しかったし、その後に食べた桃包はテオフィルスには少し甘かったがそれでも嬉しさの方が勝った。そしてロードのプレゼントは恐ろしいくらい自分のツボを突いて来た。
 そして普段なら滅多に関心を持たない、岸壁街で客から貰っていたらおそらく即座に質に入れて居たであろう、ヴォイドから貰ったサファイアのブローチ。テオフィルスはそれを見る度に母と見つめあっているかの様な気持ちになった。
 テオフィルスが地上で迎えた誕生日は、母とは違う新たな「愛された記憶」として彼の記憶にしっかり刻まれたのだった。