薄明のカンテ - 資料室事変/燐花

夜の帳

「んっ…あっ…」
 少し身を捩りながらヴォイドが漏らした声に思わず獲物を前にした肉食獣の様に口元が悦びでニヤけてしまう。
 その絞り出す声の悩まし気な様子は毒だ。ロードは反応しまくっている体を鎮めようと心頭滅却する。と言うか、腕の痛みを思い出せばそれどころじゃないと思うのだが。
「そんな声…せめて自由の効くベッドの上でにして下さいよ…ここじゃまともに襲えないじゃないですか…!」
「だって…苦しい…」
「え?大丈夫ですか…?ちょっと待って下さいね…今から私、もう一踏ん張りしますから…」
 息を大きく吸って、大きく吐く。そして腕に力を入れて体を支え直した。落ち着かないのかヴォイドも足をもぞもぞ動かす。
 午後八時。結社のメンバーも殆ど帰宅している時間帯の、メンバーも殆ど寄り付かない資料室でヴォイドとロードは棚の下敷きになっていた。
 仰向けに寝る様に倒れているのはヴォイド。頭をぶつけたのか後頭部が痛む様でそれを気にしている。そんな彼女に覆い被さる様にしているのはロード。ただし、なるべく彼女の体に触れない様に先程から筋トレのプランクの様な体勢になっている。
「くっ…こんな状況じゃ無かったら…!!合法的にヴォイドを押し倒せる状況って美味し過ぎませんか…!?こんな密着してさっきから若干合法的に胸当たってるんですが本当コイツさえ無けりゃすぐにでも襲ってたのに…!ずっと合法的に勃ちっぱなしなんですが胸触ることも出来ないなんて生殺しが過ぎますよ本当…!」
「合法的付ければ何でも許されると思うな、あと心の声は閉まっといて」
 とは言え、どうにも出来ないのはお互い様で。ロードもヴォイドも、その顔は途方に暮れている。あまりの至近距離で互いの顔の確認すら上手く出来ないが、疲労と不安に満ちているのはお互い分かっていた。
「もし見付けて貰えなかったら…明日の朝までこのままなの…?」
「ですね…その前に私の腕が死ぬか理性が死ぬか」
「理性は生かしといて」
「じゃあ腕が死んだらすみませんが貴女のその胸にダイブさせて下さい。多分その瞬間理性も死にますが」
「腕も生かしといて」
「うふふふ…この隙間でも貴女の服は十分剥げますし挿れる事も動く事も可能です。抜かりなくゴムだって着けれますよ。ただ、今は出来るだけこのまま何とか脱出方法を考えましょう、ね?」
 つとめて優しく呟くロードにヴォイドはこくりと頷く。彼女から香る薬品の匂いが彼女らしい良い匂いで、まずいなこのまま習慣化したら薬品の匂いを嗅いだだけで興奮しそうだ。ん?それこそ所謂パブロフの犬…?あるいは、昔本当にあったと言われているヒールとヌード写真同時に置いてヒールだけで興奮するのか実験したアレか…?
「うぅっ…ロード、苦しいっ…!」
「おっと…ごめんなさいヴォイド」
 考え事をすると体を支える腕への配慮がなおざりになる。そうすると必然的に彼女の胸に体が沈んでいき、圧迫から息苦しさを訴えられるのだ。普段は有難い彼女のカヌル山が今最大のネックになっている。
 とは言え、ロードはロードでもうかれこれ一時間は彼女の為に腕も腹筋も酷使させ続けている。いくら日々鍛えているとは言え、約六十キロを支え続けた腕の限界は既に突破しているし筋肉痛は必至だ。
「ねえ、何でプランクみたいな格好してんの…?お腹から下だったら乗っかって良いよ…?」
 そんなロードに向けたヴォイドの優しさ。よっぽど苦しそうな顔をしていたらしい。ロードはそれに気付くと何とかその場で笑顔を取り繕った。
「うふふ…今重なったら大分硬いモノ押し付けますけど良いです?」
「え?鍵でも入れてるの…?」
「いいえ?本当、鈍感さんですねぇ…愛してる人とこんな状況で興奮しない男がいるとお思いですか?」
 探せば居る様な気もするのであくまでロードの主観な気もするが、あまりにも真面目にキメた顔で言うものだから。ヴォイドはそれを見て顔を真っ赤にすると目を潤ませて「こんな時に何言ってるの」と少しやり場の無い恥ずかしさをロードに向けた。勿論、ぼんやり見えたそれは見事ロードの嗜虐心と興奮を煽りに煽ったわけで逆に言った事を後悔したのはロードだった。
「くっ…ただのお預けは長期化するとキツいですね…!」
 ぐぐっと体に力を込めて下にいるヴォイドに圧を掛けない様に配慮するロード。ヴォイドはヴォイドで、苦しいのは覚悟の上でそれでもロードをそろそろ休ませようかと思い始める。そして二人は、二時間と少し前の事を思い出していた。

幽霊の正体見たり

「ヴィーラ、貴方の方が少しファイルの量少なくない?」
「私だって重いわよ!それよりシーリアこそ少ないんじゃ無いの?」
「エーデルが一番軽い気がするわ。だってファイルそんなに分厚く無いもの」
 人事部の部屋の前。ロード親衛隊(非公式)の三人は少し揉めていた。就業直前に資料室への荷物運びを任されたのだが、ファイルは三等分出来たのに一つ、段ボールと言う大物があったのだ。ファイルは三等分出来たので、問題は誰がこの段ボールも一緒に運ぶか。
 ああでも無いこうでも無いと姦しく騒いでいると、「どうしましたか?」と声を掛けられる。声を掛けたのは、彼女達が愛してやまないロードだった。
「ええっ!?マーシュ様!?」
「様…?それよりその大荷物は…?」
「そ、その…三人で資料室へ運ぶ様に言われたんですが…」
 ロードは瞬時に状況を把握する。三等分出来ず残った段ボールの行方が決まらない限り彼女達はここから永遠に動かないだろうなと。彼女達が社内人事課である事は分かっていたので、そうなるとまだ残っているであろう同じ部署のタイガとサリアヌに支障が出る。
 ロードは何も言わず段ボールを持ち上げた。確かに重いそれは女性一人では少し難しそうに思った。途端に黄色い悲鳴が飛び交う。
「私が段ボール運びますよ。なので…三等分したファイルはそのまま持って来て下さいますか?」
「え!?そ、そんなマーシュ様のお手を煩わせるなんて…!!」
「これは女性の細腕には少々重そうですから、是非私に。あ、もしあの話が怖いならファイルも私一人で持って行けそうではあるんですが…」
 このまま上に重ねてくれ、と言い掛けたのだが、ヴィーラ、シーリア、エーデルの三人は元気良く手を上げた。
「私、一緒に行きます!!」
 綺麗に揃って声を上げると互いに牽制し合う。今絶対抜け駆けしようとしただろうと言わんばかりに。
「うふふ…仲が良いんですねぇ…」
 しかしロードはそれだけ言うと資料室へ歩みを進める。ロード親衛隊の三人は夢見心地で後に続いた。
 資料室は、怪談話の舞台になりそうなくらい暗く人通りの少ない場所にある。ここでテロよりも遥か前に従事していた医師が居て、その霊が夜な夜な彷徨っていると言うのは専ら囁かれる噂だ。結婚を前に死んでしまって婚約者を探しているだとか、はたまた恨まれていて此処で殺されただとか、そこに付く背景は統一性が無くおそらく作り話ではあるが、最近になって
「視 た」
 と、訴える声が多発しているのだ。
おまけに、獣の唸り声まで聞こえると言うから、とうとう医師だけでなく動物霊まで現れたとあまり良くない形で結社内に浸透し始めていた。
 つまり、それによって怖がり、此処に近付けないメンバーが増えて来たのだ。仕事にダイレクトに支障が出るので、そろそろどうにかせねばと言っていたところだった。
「こ、怖いですね…」
 誰に聞かせるでもなくヴィーラが呟く。その声にすぐ反応したのはシーリアとエーデル。
 ──怖がるフリしてマーシュ様に抱き付きでもしたら承知しないわよ?
 互いに互いをそんな目で見つめる三人。ロードは気にせず、少々お行儀が悪いけどと前置きしながら軽くノブを回したドアを足で押し開ける。
 ちょっとワイルドなマーシュ様も推せる。尊い。しんどい。
 そう言わんばかりの彼女達と資料室に入るロード。本当に薄暗く、ここに来るまでにも誰にも会わなかったなと思い、噂はどうあれ電球は明るいものに変えなければなぁと漠然と思っていた。
「ここまでで大丈夫ですよ」
 段ボールを床に置き、ロードは三人に向かって言った。三人とももう離れるのか、どうしようかとキョロキョロするが、ロードは続ける。
「もう本当は就業時間も過ぎてますしね。貴女方が戻らないとナシェリさんとヴァテールさんも帰れません。お二人共きっとまだ退勤してないでしょう?」
「そ、そうでした…」
「私は仕事が終わっているのでついでに片付けもしておきますよ」
「す、すみません、よろしくお願いします…」
 名残惜しそうにファイルを置き、離れようとする三人に「ああ、それから」とロードは呟いた。
「ここ、薄暗いですから。電球替えるまで間違っても男と二人で入っちゃ駄目ですよ?」
 優しく、しかし妖しくにっこり笑うロード。もう親衛隊三人の記憶はそこで途切れていると言っても過言ではない。キャーキャー言いながらパタパタと駆け出し部屋へ帰って行く三人。やれやれと段ボールとファイルの整理をしていると、突如部屋の中を獣の咆哮の様な音が響き渡った。
「……幽霊の正体見たり、枯れ尾花ですねぇ…」
 その言葉に首を傾げながら現れたのはヴォイドだった。部屋の奥からファイルを手に持ちながら彼女は現れた。
「何それ」
「大陸にある諺です。ヴォイド、もしかして最近資料室に出入りしてます?」
「うん。ちょっと知りたい事あって、何日も探してるんだけど」
「…もしかしてお腹空いてます?」
「うん、この時間お腹空く」
「あー……」
 今日は白く少し透けたネグリジェ。そして上に白衣を羽織っている。それらと白衣は彼女にとっては退勤後の割りとスタンダードな姿だ。色の薄いネグリジェやベビードールに白衣を羽織った姿なら、パッと見た時にそのヒラヒラした感じが幽霊に見えなくもない。おまけに獣の咆哮、つまり彼女の腹の虫が動物霊の正体だ。
 さて、正体が分かったところでどう言う風に噂を消そうか。先ずはヴォイドの探し物が終わるのが一番だろう。
「ヴォイド、私も手伝いますよ。何を探しているのか教えてくれますか?」
「えっと…幻肢痛の治療記録…」
「え?ピンポイントで?」
 それは、正直この膨大な資料の、しかも電子化もされておらず検索も出来ない、表向き本当にただの古いファイルの中から探すのは針の穴に糸を通す作業の様な気がした。
「そ、それは…あるかどうかも分からないじゃないですか…」
「だからずっと探してる」
「…メドラーさんですか?」
「うん…たまに痛そうにしてるし気分悪そうだから…気持ち良くは出来なくても、せめて和らげてあげたい」
 途端にロードの眉間にこれでもかと皺が寄る。今口を開くとおそらく最低な言葉しか出て来なさそうなので我慢我慢。いや?全て忘れさせるならいっそ快楽の渦に落としてしまえだとか、そんな事は思わない、そんな事は。妙な方向に目覚めさせてしまえだとか何なら貴女の代わりに私がやりましょうかだとかそんな事も考え付かない。だってきっと、彼女が言った言葉はそう言う意味ではないのだから。
 真剣にファイルを眺めているヴォイドに水を差す事は言えず、釈然としないままロードも一緒になって探す事にした。
「…妬けますねぇ……」
 おそらくリハビリする際の、担当者と患者以上の何者でもないと思いたいのに。二人の昔を知っていると重く嫉妬する。最近はあの黒い猫みたいな男も油断ならないから尚更。
「そう言えば」
 不意にヴォイドが口を開いた。
「このタラシ」
「い、いきなり何ですか…?」
「さっき、女の子三人もはべらして変な事言ってた」
「変な事…?言ってました…?」
「言ってたし何かデレデレしてた」
「……もしかして、嫉妬してます…?」
 少し嬉しそうな声色でロードは尋ねる。
「……してない」
 ファイルに隠れたヴォイドの顔は見えない。
 しかしそれにしてもとロードは辺りを見回す。噂もさる事ながら結構乱雑にファイルや道具が置かれたこの場所、少し危ない気もする。よくヴォイドは一人でこんなところに居たものだ。棚は従来のスマートなデザインではなく大柄で、だからなのか年季も入っていて棚一つで大分重そうだ。全部入れ替えるとなるとまた会議が必要だろうが、歩く度に少しミシミシ言う棚を見ればこれは怪我人が出る前に総務部に相談せねばとロードは結社に入った時から何だかんだ因縁めいた仲の良さである眼鏡の彼女を頭に浮かべた。
『あ、マテ…マーシュさん!今日はネクタイ青いんですね!?え!?リアルマテオとか朝から最高かよ尊い無理ぃ…!とりあえず一枚写真撮って良いですか?え?一枚で終わりじゃないですよ?今とりあえず一枚欲しいんです』
 で、光の速さで頭から消した。面白い友人で女性でありながら自分の時折発する言葉にも平気で着いてくるし何より絶対に男女の仲にならない自信がある不思議な人。彼女は何と言うか、性別を妙な形で超えてきている友人だった。
 とりあえずこの状況、何とか話を付けなければと思いながらファイルに目を通す。これにもない、これにもない。
 一時間程探してヴォイドは目をしょぼしょぼさせた。仕事後に膨大な資料の中から虱潰しに探すのだ。疲れが出ても無理はない。
「そろそろここまでにしようかな…」
 ふう、と一つ息を吐くと彼女はロードに向いた。
「ありがとう」
「うふふふふ…こちらこそ、その一言で大分報われた気がします。何なら寧ろ元気になりそうですね」
「そうなの?」
 人通りの少ない暗い資料室。電球の心許なさも相俟って、ロードの頭を先程自分が人事部の彼女達に発した言葉が過ぎる。
 ──間違っても男と二人で入っちゃ駄目ですよ?──
 ヴォイド、貴女も。いつまでも私がお預け食らって待てを続けられると思わないでください。
 じっと妖しい目でロードはヴォイドを見つめる。
「ええ…元気になりますよ…?何なら確かめてみます…?」
 少し警戒した様な目で見てくるヴォイド。そうか、愛の日を境に警戒なんて覚えてしまったか。残念な様な、寧ろそんな目をされたらもっと興奮してしまう様な。とは言え無理矢理は好かないけれど。
 ふと、耳の良いロードは微かに変な音が聞こえるのをキャッチして我に返った。何だこの音。出所は?どこの何だ?
 それがヴォイドの背後にある棚からで、その棚が大きくミシッと音を立てた瞬間、ロードは反射的に彼女を守ろうと手を伸ばした。
「危ないっ!!」
 一際無理な荷物の置き方をしていた棚が悲鳴を上げるのと同時に、私も私もと言わんばかりに他の棚にも悲鳴を上げたものがいた。それらは音を上げて次々倒れる。やっと落ち着いた頃、頭の痛みと共にヴォイドは目を開けた。目の前には自分に覆い被さるロード。重なった彼と自分の周りには隙間なく資料や荷物が落ちていて、それが降って来たものだと言うのはすぐに気が付いた。
「ロード…!?」
「………」
 彼からは返事がない。慌てて背中に手を回し拳でどんどん叩いてみる。
「ロード、ロードっ!!」
「痛ててて…生きてますよ…ちょっと意識飛びかけただけです…」
 ぐっと体を起こそうとするロード。しかし倒れた棚はびくともせずかと言って前にも後ろにもびくともしない。偶然にも悲鳴を上げた棚達は互いが互いにつっかえ棒の様に重なってしまい、中からは外の状況も見えずかと言ってそもそも重いそれをどうする事もできそうになかった。
「嘘でしょう…?」
 青い顔でロードは呟く。とりあえず自分とヴォイドの間に少し隙間を作る事くらいは出来たので、これ以上間違って倒れて来られてもヴォイドの事だけはすぐ守れる様にと体を浮かした。
 しかしそれは本当に微々たる隙間で、必然的にプランクの様な形になる。
「うふふふ…もうちょっと上から見れれば良い眺めなんですけどねぇ…」
「ロード、どうなってるの…?」
「うーん…何と言いますか…閉じ込められたと言いますか…」
 大丈夫ですよ、と口癖の様に返すそれが来なかった事でヴォイドはこれが危機的状況であると察した。

少し前の人事部

「うーん…疲れたぁ…」
 人事部の部屋でタイガはぐーっと伸びをする。早く帰りたいのになぁ、とチラリと時計を見る。午後六時半過ぎ。資料室への整理を頼んだお姉様方が帰って来ないと終われないんだけど、と文句を言いたげに唇を尖らせた。
 今日は時間があったら少しヒギリの顔を見に行きたかった。昼に顔を出した時に、前線駆除班のユリィ・セントラルと、その次に会ったウルリッカ・マルムフェとも、就業後に新しく考案したスイーツを作りたいから食べてくれないかとそんな話題に花を咲かせていた。
 もしも顔を出しに行けたら自分も御相伴に与れたりしないかな?なんてちょっとだけ思ったりもした。でも、何だか無理そうだなぁ。
「あーあ…三人いるからと思ったけど、頼むんじゃなかったなぁ…」
 どうしても資料室でやって欲しい仕事があって、けれど最近どうにも不穏な噂が流れているものだからそこにいたエーデル・カルンティ、ヴィーラ・シリッシュ、シーリア・レイレントの三人、通称ロード親衛隊(非公式)のお姉様方にお願いした。
 しかし、結果はこの有様。少なくとも六時過ぎてもまだ誰が一番重そうな段ボールを持っていくか揉めていたのを見た人が居るのだから、きっとまだ資料室で騒ぎながら片付けをしているんだろうなー…。
 タイガはまだ後一時間は帰れなそうだとため息を吐いた。しかし、次の瞬間大騒ぎしながら三人が帰って来たのでタイガは面食らう。
 大興奮の様子で報告をしようと三人は肩で荒く息をしていた為、見るに耐えなくなったのかとうとうサリアヌが口を挟んだ。
「カルンティさん、シリッシュさん、レイレントさん。もう少しお静かに」
「す、すみませんナシェリさん…!」
「…何かあったの?」
 おずおずと若干警戒しながらタイガが尋ねると、三人は揃って目をキラキラさせた。
「マーシュ様が来てくださったの…!!」
「え?ロードさん?…って、確かほぼ定刻で上がってるんじゃ…」
「それがね!声掛けてきてくれたの!」
「私達が段ボールを譲り合っていたら!」
 押し付けあっていた、の間違いじゃないだろうか。と、言い掛けてタイガはそれを飲み込む。咳払いを一つすると、「うん、それで?」と極めて穏やかに相槌した。
「段ボール軽くひょいって持ち上げて!これは女性の細腕には少々重そうですから、是非私に…なんてっ!!」
 思い出したのか三人揃って頬を赤く染める。へー流石ロードさんだなぁー…と感心していたら、サリアヌが一言「あの方らしいですわねぇ」と呟いた。
「それにねっ、それにねっ!手が塞がってるからって、内緒ですよ?なんて言って足でドア開けたりもして…!」
 ああ少しはしたない姿も素敵…!と花の咲いてそうなエーデルの言葉を聞き、ぴくりとサリアヌの眉が動いた。「足でドアを開けた」がどうも引っ掛かったようだ。
「仕事が終わってるからって片付けまで買って出て下さって…!!」
「え!?ロードさん片付けしてくれたの!?」
「あ、そうなの。私達が戻れないとヴァテールさんとナシェリさんが帰れないでしょうからって…」
 ロードさん…!!お気遣い感謝します!!
 タイガは心の中でガッツポーズをした。明日彼によくよくお礼を言わなければ。
「でねっ!!聞いて!タイガ!!」
「え?あ、何を?」
「何って…マーシュ様の格好良さよ!!」
 ふふっ。サリアヌが吹き出す様に笑う。先程からタイガが帰りたそうに時計をちらちら見ていたのを知っていたので、長くなりそうな予感に思わず吹き出してしまったのだ。ちらちらサリアヌに目線を送り、助けを求めるタイガ。
「貴女方、程々になさってさしあげて?」
 一言それだけ言ってくれたサリアヌ。「私は先に失礼しますわ」と言って帰り支度を始めたのを見たタイガは「じゃあ俺も…」と言ったのだが、その手はロード親衛隊三人に捕まれる。
「マーシュ様の格好良さ、聞いて!!」
「い、今ぁぁぁぁあ?」
 結局この後、彼女達に捕まったタイガはそのお喋りを右から左へ受け流す時間を一時間は設ける羽目になった。

戻って資料室

「腕ぇー……」
 特に何と言うでもなくロードは呟いた。閉じ込められて一時間。そろそろロードの腕は限界だ。ヴォイドはそんなロードを見て少し身を捩ると、「良いよ」と呟いた。
「え…?良いとは…?」
「乗っかって、良いよ」
「でもそうしたら…貴女が苦しいでしょう…?」
「でも今、腕辛いでしょ?」
「………」
 正直魅力的な申し出だ。諸々の意味で。その柔らかそうなカヌル山に顔を埋めたい欲望はさっきからずっとあるし、もう腕は完全に限界でイメージだけでも筋線維がズタズタに傷付いている気がする。
 ずっとやるまいやるまいと思っていたが、疲労も相俟って流石のロードも今回は折れてしまった。
「じゃあ…失礼して良いですか…」
「うん…」
 何でかぐっと目を瞑るヴォイド。ロードは腕の力を抜くとゆっくりヴォイドの体に体重を掛ける。ようやく、腕と腹から力を抜く事が出来た。
「…はぁ、駄目ですね情けない…もうしばらくは腕も腹筋も使えそうに無いです…」
「う…ん…」
「…やっぱり苦しいです?」
「ううん、平気…大丈夫…」
「すみません…出来るだけ頑張りますから、何かあったらすぐ言ってください…」
「うん…大丈夫。もっと来て、良いよ…」
「……わざと言ってます?」
 本当煽り上手ですねぇ、と呟いてヴォイドの胸に顔を埋め息を荒げるロード。腕は本当に限界らしく落ち着いて呼吸をしようとすればする程筋肉の影響か心臓がバクバクする。押し付ける様に胸が重なっているからか、静かにしていると互いの心臓の音が聞こえる。
 どくん…どくん…どくん…。
 息を整えようとするが、今度は別の意味で息が荒くなってしまう。
 どくん…どくん…どくん…。
 尚も聞こえてくる心音。ロードはふっと笑った。
「ねぇヴォイド」
「ん…?」
「…女々しいって、笑わないで聞いてくれますか?」
「何…?」
「私は…」
 どくん…どくん。規則正しく聞こえる心音がとても心地良い。
「今凄く幸せです。こんな風に貴女と…事故とは言え抱き合っていられて。いっそこのまま、ずっといられたら良いのに…なんて思ったりしています…」
 ヴォイドの目にはロードの耳くらいしか確認出来なかったが、それでもそこまで分かる程に真っ赤になっていた。
「そう…なの…?」
「…照れるもんですね…」
 まあこのままは嫌なので、早く出られれば良いんですけど。照れ隠しなのかそう呟くロードの言葉を聞いて、ヴォイドは静かに彼のシャツの裾を握った。
「……ん?」
 気付いたのかロードは声を上げる。ヴォイドは反射的に掴んでいた裾を離した。しかし、どうもそうでは無かったらしく、ロードはまだ訝しげな顔をする。
「ロード…?」
「しーっ…」
 ヴォイドにはあまり良く聞こえないが、ロードの耳には何か聞こえているのか彼はずっと静かに耳を澄ませていた。
「どうしたの…?」
「静かにしてください、ヴォイド」
「何か聞こえるの?」
「……静かにしないとこの身動き取れない場で心ゆくまで胸揉みしだきますよ?」
 ヴォイドは若干引いた。ロードなら本当にやりかね無い。冗談はそこそこにとは言うものの、やりかねない。ロードの耳には確かに届いていた。互いの心臓の音だけでは無い、遠くでカツ、カツ、カツと靴で歩く音が。誰かがこの部屋の前を通ろうとしている。
「ヴォイド、大声を出しましょう。念の為耳を塞いで下さい」
「一緒に?」
「一緒に。五つカウントしたら大声あげますよ?五…四…」
 ヴォイドはサッと手で耳を覆う。しっかり耳を覆ってロードの口からカウントを読み取ると、タイミングを見て大声を上げた。
 何を言ったら良いのか分からず、とりあえず「わーー!」とか「きゃーー!」とか、思いつくまま慣れない大声を上げる。しばらくしてトントン、とロードに突かれ彼を見た。
「ロード?」
 希望を持った目で彼の方を見る。
 しかし、彼は残念そうに眉間に皺を寄せ、ふるふると首を横に振るだけだった。

過去を覗き見る

 とうとう互いから会話が消えた。
 ロードの息は未だ整わず、腕は使い過ぎだろうか細かく痙攣を繰り返している。ヴォイドも何も言わず、自分の胸元でずっと荒く呼吸をしているロードの背中をトントン撫でた。
「うふふ…幸せ、ですねぇ…」
「何…こんな事で…」
「こんな事だからですよ…愛する人の胸に抱かれて触れてもらって…これ以上の幸せってありますかね…?」
 これ以上も出来たら嬉しいんですけど、と口走るロードの背中を少し強めに叩く。まだまだ軽口を叩く余裕はありそうだが、もう彼は疲労困憊と言う感じで今度はヴォイドの肩に埋めるとそこから顔を上げる事は出来なかった。
 明日の朝には誰かしら来るのだろうが、このまま本当に朝まで過ごさなければならないのだろうか。朝だって確実じゃ無い。誰か来れば良いが、もし来なかったら?
 自身もお腹が空いていた事を思い出し、ヴォイドも少し元気が無くなる。未だに顔を埋めたまま動けないロードと二人でいると、不意に昔の事を思い出した。
「何だか…一緒に居た時みたいですね。二人っきりで、他には何も無くて…」
 ロードが口を開く。同じ事を考えていた様だ。
「あの時と違うのは、ちょっと狭すぎる事と貴女に手が出しづらい事でしょうか…」
 出せない事はないですけどね、と呟くロードにヴォイドは一言悪態をつくと、すぐに切なそうな顔をした。
「…何で何も言わないで居なくなったの…」
「え…?」
「どうして…?」
 顔が見えなくても、ヴォイドがどんな顔をしているかは声で分かってしまった。ロードはぐっと唇を噛み締めると観念した様に口を開く。
「言えません…」
「え…」
「過ぎた事です…」
 突き放す様な言い方に、ヴォイドは静かに肩を震わせた。傍に居るのに、急に距離が遠くなってしまった様な感じがする。力を抜いたら泣いてしまいそうだ。
 ── 相手にも相手の人生、物語、感情がある。だから言った側の思う様に受け止めてくれるなんて都合の良い話はない──
 ユウヤミの言った、「言った後の後悔」の話を少しだけ思い出した。
「すみません…ヴォイド、勘違いしないでください…」
 震えながら伸びて来た手はヴォイドの頭を包む。顔は見えないが、随分と優しい声でロードは呟いた。
「ごめんなさい…昔を思い出して腹を立ててしまって…うーん…どこから話したら良いか…」
 ヴォイドの肩に尚顔を埋め、手で頭を包みながらロードは子供をあやす様に続ける。
「私は、本当に子供でした。良くない事をしたんですよ。貴女にとっても、だったでしょうし、私のかつていた居場所にとっても。だから制裁を受けました。一、二ヶ月は満足に動けない体にされたんですよ。それはもう見事にボッコボコに」
 呆れる様な声色で諦めた様にロードは話す。まさかそんな事になっていたなんて初めて聞いたヴォイドは、それが昔の話であるにも関わらず瞬時に今彼の体を心配した。格好悪いから言いたく無かったんですよ、なんて拗ねた言い方で口走ったものだから、諸々怒りを抱えたヴォイドの拳を後頭部に食らう事になった。
「…痛ぁ……っ!ちょっとヴォイド、今のは痛いですよ…!?」
「わ、私が…どれだけ悩んで、泣いたと思っ…」
 嗚咽混じりに言い始めるヴォイド。状況を把握するとロードは急にオロオロし出した。
「いや…はい、すみませんそれは本当に…でも信じて下さい。あの日、もう戻れないかもしれないと思ったから全部解放していったので、貴女に急に飽きたとか、そう言う理由では絶対無いです…今上手く説明する自信が無いので詳しく言えませんが…私はあの時貴女との生活を諦めざるを得なかったんですよ…それだけは、分かって下さい…」
「本当…?嘘じゃない…?」
「嘘じゃないです…決して貴女を手放したかったわけでも、嫌いになったわけでも飽きたわけでもありません。じゃなきゃ十年間ずっと貴女を想い続けてませんて…」
 ずずっと鼻を啜る音を立ててヴォイドは一呼吸置くと、少し震えた声でロードに尋ねた。
「十年間も…恋人とか居なかったの…?」
「うふふふ…一番の恋人は右手でしたね」
「女連れ込んでたのに?」
「…そ、それはそれ、これはこれです…たまには右手以外を堪能したくなる時もあると言いますか人肌恋しくなると言いますか…」
「控えめに言ってクズ」
「それは否めませんから否定もしません…と言うか、もしも本当に貴女とどうにかなれるなら他所の女性とそんな事する必要ないんですよ。貴女と出来ないからやたら悶々とするんです!」
 そこまで言い切ってロードの様子が変わる。何となく、都合が悪くなったからだろうかと言う疑いの目を向けたヴォイドは目前で動くロードを睨むように見つめた。
「ロード?」
「しっ…」
 何かデジャヴだ。そう思って今度こそ静かにしていると、ロードは少し嬉しそうな声を上げた。正直先程の事を思い出せばそこまで喜べない気がしたが、ロードには何か確信があるようだ。
「やっぱり…さっきと同じ人がまたここの前を通ります…!しかも誰だか分かりました…!出られるかもしれませんよ、ヴォイド!」

ヒント「マテモニ」

 絶対にしっかり耳を塞いでいて下さい。
 そう言われたのでヴォイドは耳を塞ぐ。今度は声をあげなくて良いと言うのでとりあえずじっとしていた。何の確信があるのかロードは力を振り絞って腕を立て少し体を起こし、声が通りやすい様に顔を上げる。そしてヴォイドが耳を塞いでいるのを確認すると、自分はもう一度耳を澄ませた。
 カツ、カツ、カツ…。
 確かに靴で歩く音が聞こえる。そしてそれは徐々に大きくなり、此方に近づいて来ている。この場所を今通る人間がいるとしたら、ロードは一人だけ心当たりがあった。
 頼む、何とか届いて、そして見付けてくれ。そう思いを込めて、痛む腹筋を全力で酷使し力の限りロードは声を張り上げた。

「ここでリアルマテモニが展開されてますよー!!!!ここで今リアルマテモニが展開されてますー!!!!まさに!!今!!イチャつこうとしていたところでして!!それはもう正に!!もう致してしまおうかと言う勢いで!!!」
「待って待って待って」
 耳を塞いでいても聞こえるそれにヴォイドは突っ込まざるをえなかった。
「え?待って待って。え?」
「はい?」
 ゼエゼエと息を荒げやり切った感を出すロード。待って待って意味が分からないと困惑しか浮かべられないヴォイド。
「え?リアル?マテ…何て?」
「三年前に流行ったドラマ、ナラ下でジョアモニと人気を分けたカップリングですよ」
「うん、話がまるで分からない」
「とにかく、この魔法の言葉で助かるかもしれないんです。おそらく今通ったのは私のお友達の女性なので」
「お友達って…またそう言う?」
「私は貴女以外結社内で手は出しませんよ。と言うか、彼女はそう言う人じゃないです。何と言うか、そもそも性別も何もかも超えて色々次元の違う女性です」
 正直何の話をしているか分からなかった。しかし、その靴音はヴォイドにも聞こえるくらいの音と勢いでこちらに迫ってきていることに気付く。
 カツ、カツ、だった音はダダダダダッに変わっており、そしてその音はそのままこちらに向かって来ると、バターンっと資料室のドアの開く音が聞こえた。
「すみませんカメラに手間取ってしまって!!リアルマテモニが展開されているのはここですか!?え!?それってつまりマーシュさんとホロウさんでしょ!?それともマーシュさんまたモニカ似の女性でも引っ掛けました?で、マーシュさんどこで……うわぁ!?何なのこの資料室の有様!?」
 何この核弾頭みたいな女。
 ヴォイドはロードの勝ち誇った様な顔にも、顔は見えないが喋りまくっているこの女性にも何か言いようのないやるせなさを感じた。
「フラナガンさん!ここです!崩れた棚の下に私とヴォイドと二人います!助けて下さい!」
「こ、これはナラ下第六話でマテオとジョアンが珍しく喧嘩してしまった後駆け寄ったモニカとジョアンが巻き込まれてしまった通称床ドン事件のマテモニ!?しかもリアルな方!?それが今棚の下で!?棚下!?うわぁぁあ!尊い!無理!しんどい!どけよ棚ぁぁぁぁあ!!」
 そこまで喋ると急にスイッチが切り替わる様に仕事モードに入ったフィオナ。
「って、何ですかその危ない状況!?資料室の棚ってこんなに年季入ってたんですか!?最近幽霊話も出るし資料室どうにかしなきゃとは思ってたんですが…!」
「フラナガンさん、読み当たりです。やっぱり棚傷んでましたよ。で、結果はこの通りです」
「了解です!もう少し待ってて下さいねマーシュさん、ホロウさん。今もうちょっと人手増やして戻って来ます!あ!でも後でそんなお二人の写真をこっそり撮るかもしれません!!」
 最後にまたスイッチが戻りかけフィオナは出て行く。数分後には総務班から同じく残業をしていた男性を何人か連れて来てくれ、総出で棚の持ち上げ作業が行われた。それは本当につっかえ棒の様に互いに互いをガッチリ重ねていた棚をどうする事も出来ず、一部道具を持ち出して破壊せねばならない程だった。
 約二時間ぶりに外に出られたヴォイドとロードは、やっと終わったと言わんばかりに揃って盛大に溜息を吐いた。一部が破損した棚。もう寿命だったとは言え物悲しいものがある。結局資料も見付からないし。
 ヴォイドがそう思い俯くと目線の先からすーっと滑る様に何かが飛び出して来た。
「ん…?」
 開くと、そこに収められていたのは幻肢痛の治療記録だった。
「…!ロード!ロード!」
「はい?」
「あった!ファイル!」
「……はぁ!?あれだけ探して見付からなかったのに!?ど、どこにあったんですか?」
「あっちから、すーって」
 あっち。指差された方をロードが見ると、窓を開け放たれている為風にそよいでいるレースのカーテンが目に入った。それは今日のヴォイドのネグリジェの様なひらひらとして淡い色をした物で、なるほど確かに見方によってはこれもまた幽霊に見える。
「でも…すーってファイルが現れるって…まるで誰かが此方に滑らした様な…」
 ロードは再度その方向を見たが、手伝いに来てくれた総務班はおろかそこには人がいた形跡はない。だから、棚の作業中に誰かが故意に散らかしたものではないし、かと言って風に煽られて、にしてもそんな力は風にはない。
 カーテンは、まるで風に煽られてスカートを押さえる乙女の様なシルエットを浮き出した。
「幽霊の正体…枯れ尾花じゃないかもしれませんねぇ…」
 不思議なものを見た様な顔でロードは呟くと、隣に座りファイルを満足気に抱えるヴォイドの肩に手を回す。ヴォイドはびくりともせず、彼の腕を受け入れた。ロードはそれを見て嬉しそうに微笑む。こんな何気ない瞬間が本当に幸せだ。
 三秒後、魔が差して胸の方に手を伸ばしたが為にファイルの角を頭に食らったが、これは誰が見ても自業自得だ。誰が見ても。
 カーテンは風に煽られ、それを面白がる様にひらひら揺れていた。

 数日後。資料室は大幅な改装工事に伴い閉鎖となった。中にあった荷物は外に出され、いずれこれらはデータ化する予定らしい。
 ロードは膨大な荷物を眺めた。多分総務班、汚染駆除班当たりが駆り出されるだろうから、彼はまたカリカリするだろうなとテオフィルスの顔を思い出す。
 彼は今頃まともに通っているとしたらリハビリの時間か?あんな嬉しそうなヴォイドに手取り足取りナニ取り宜しい事で。
「マーシュさん!」
「フラナガンさん」
「無事だったから良かったけど純粋なマテモニじゃなかったじゃないですか!ほぼ事故じゃないですか!酷いですよ乙女の萌え心弄ぶなんて!!」
「だって貴女、最初二人で叫んだのに全然気付いてくれなかったじゃないですか」
「全く気付きませんでした!二回目通ったら「マテモニ」の単語が聞こえた気がして慌てて向かいましたけど。でも、何で通ったのがわたしって分かったんですか?」
「…資料室の先に総務班の部屋がありますよね?そして資料室を挟んでその先にトイレだったり自販機があったり、どうしたって総務班はあの部屋の前を通るでしょう?最近貴女は残業が多いと漏らしていましたし、それでいて女性らしい細い靴音がしてたので賭けに出ただけですよ」
「なるほど…」
 とにかく無事で良かったですね!と元気よく言うフィオナ。全くこの子は本当に萌えにはよく反応するなと思う。そこがまた面白いのだが。
「ま、気付いてもらえない時間があったからですかねアレは…」
「ん!?何々!?何か進展ありました!?」
「うふふ…オカズにするのに充分な程のラッキースケベがありましたけど」
「kwsk」
「はい?」
「あ、是非是非詳しくお願いします…!!しかしホロウさん本当モニカ2Pカラーって感じですよね!」
「ヴォイド2P…足して3P…良いですね…」
「マーシュさん、ここはカミナリに飲みに行って萌えを語るべきだとわたし思うんですよ、うん。思い出独り占めなんて狡いですから…!!」
「えー…だってフラナガンさん語り出すと止まらないじゃないですか」
「良いじゃないですか!これ持ってあげますから!」
 フィオナは過度なまでに筋肉痛になったロードの腕を気遣い、彼の荷物を奪う。流れる様な彼女の気遣いにロードはふっと笑みを零した。
 これにて。幽霊話は無事幕を閉じる。しかし、人がそれを求める限りその手の話が無くなることはなく、今度は廊下での目撃談が出始めた(目撃情報の大半は多分、ネグリジェに白衣を着たヴォイドだろうが)。
 自分と彼女の距離は少し縮んだ気がするが、いかんせん彼女から一度奪う形になってしまった安らぎへの清算にはまだまだ時間が掛かるようだ。先日の様な矢継ぎ早な説明では彼女は納得しないだろう。
 いずれ自分が何をして、どうして彼女を置いていく事になったのかまで誠意を持って話さねばならないなとロードは思う。
 幽霊話はひと段落ついても、自分はまだひと段落すらつきやしない。そう独りごちたロードの後ろで誰かがふふふと微笑んだ。
 それは悪戯をした後の子供の様な声にも聞こえた。

 余談ではあるが、ロード親衛隊に捕らわれたタイガ。その日彼は失意の内に部屋に戻ったが、実はヒギリがお菓子作りを次の日に延期した為彼は無事御相伴に与れる結果になったと言う。