薄明のカンテ - 私達のCross-cultural Communication./べにざくろ
黒猫が人間に化けたら、きっとこんな感じ。
それがウルリッカ・マルムフェが初対面のユウヤミ・リーシェルに抱いた印象だった。ふわふわとした黒髪は何て品種の黒猫にそっくりなのかウルリッカには分からなかったけれど、黒猫の毛並みのようだったしウルリッカと同じようで何処か不思議な光を湛えた黒い瞳は猫が獲物を探すような、そんな雰囲気があった。
更にそんな黒猫小隊長よりも目を引いたのは、ユウヤミの後ろに静かに立っていた灰色がかったような青みを帯びた紫色の髪をした機械人形だった。あの髪の色は何かの花の色に似ている。ウルリッカはそう思うものの花の名前が出てこない。
「ああ、彼を紹介していなかったね」
ユウヤミがウルリッカの視線の先にいるものに気付いて、今気付きましたとばかりに白々しく声を上げる。そんなユウヤミの演技に気付いていないウルリッカと違いユウヤミのわざとらしさに気付いている機械人形は冷たい目をユウヤミに向けたが、ウルリッカは機械人形に目を奪われていてそれにも気付かなかった。
「彼はヨダカ。私が主人の機械人形だよ」
「夜鷹」
ウルリッカに会釈する機械人形を見て思わず名前を反芻する。ウルリッカの知る夜鷹と目の前のヨダカが結びつかなすぎる。
夜鷹は顔がところどころ泥をつけたようにまだらで、嘴は平たくて耳まで裂けている醜い鳥だ。鷹と名は付くけれど鷹のような鋭い爪も鋭い嘴もない。ただ、羽が無暗に強くて風を切って翔ける時などは、まるで鷹のように見えたことと、鳴き声が鋭くて、やはりどこか鷹に似ていた為に「夜鷹」という。
しかし、目の前の機械人形は花の色のような美しい色の髪であるし、その目は人目を惹き付ける金と銀の虹彩異色だ。そして機械人形なのだから当然といえば当然なのだが、顔は整っており何処にも「夜鷹」たる醜さはそのヨダカと名付けられた機械人形には無かった。
変な名付け。
深いことを考えないウルリッカはそう思うだけに留めてヨダカに「よろしく」と言葉をかけると、ヨダカからは「宜しくお願い致します」と丁寧な礼付きで挨拶が返ってくる。ヨダカは声も綺麗で、ますます何故彼が醜い夜鷹の名を付けられたのか分からなくなった。
「今日は第六小隊は非番の日でねぇ……メンバーが揃ったら改めて紹介するという事で構わないかい?」
「うん……あ、はい」
ユウヤミの問いにいつものように頷いてから、ウルリッカの上司にあたる人物なのだから丁寧語を使わなくてはいけない事を思い出して正しく返事をした。そんなウルリッカに喉の奥でユウヤミが笑う。
「そうだ。マルムフェ君はマルフィ結社に来てまだ日が浅いようだし、結社内を案内しようか?」
「大丈夫。自分で回る……ます」
「そう。残念だけど、では明日から宜しく頼むよ」
「はい」
ユウヤミに頷くとウルリッカは踵を返して歩き出す。
そんなウルリッカの後ろ姿を面白そうに見つめるユウヤミの視線と、そんな彼を冷たく見つめるヨダカの姿には気付くこともなく。
* * *
迷った。
颯爽とユウヤミの誘いを断ったウルリッカは、早速結社内で迷子になっていた。どこかの廊下にいるのだが、ここがどこだか分からない。
進むべきか戻るべきかの己の進退すら分からなくなって、思わず廊下に立ち尽くした。マルフィ結社に来たばかりであるウルリッカに連絡がとれる知人友人の類がいる訳もなく、万事休すというやつだ。
そんなウルリッカの脇を1人の男性が通り過ぎていく。通る時に草いきれのような良い匂いがしてウルリッカの鼻をくすぐった。その良い匂いと、服装が大抵のカンテ人が着ている服と違う物珍しさから、ウルリッカはついついその見知らぬ人を目で追ってしまう。
ウルリッカの視線を受けながらも通り過ぎていった彼だったが、ふと何かを思いついたように立ち止まった。謎の行動を疑問に思ったウルリッカが思わず背中を見つめていると、彼がハーフアップにした髪を揺らして振り向く。振り向いた顔は中性的に綺麗で、男性にしては珍しく少し化粧をしているように見えた。
「……何か困ってる?」
何と彼は表情に出ていないウルリッカの悩みを察して声をかけてくれたらしい。稀有な人もいたものであると思いながらウルリッカは口を開く。
「道に迷った」
「新人さん?」
彼の問いに首を縦に振って「是」のジェスチャーをすると、男がウルリッカを安心させるように微笑んだ。
「俺はギャリー・ファン。見ての通り兎頭国出身で経理部。……俺もまだ此処に来て数日しか経ってないんだけど」
「兎頭国」
ウルリッカはギャリーの言葉に世界地図を脳内に広げて兎頭国の場所を考えようとして――止めた。別に兎頭国が何処にあろうとギャリーが外国人なのは変わらないからだ。決して兎頭国の場所が分からなかったわけではないのである。そういうことにしておいて話は進む。
「ウルリッカ・マルムフェ……り、前線駆除班?所属」
未だ自分の所属というものに慣れず一瞬戸惑ったウルリッカだったが、どうにかギャリーを真似て挨拶を返すことに成功した。今はマルフィ結社の中にいるだけなので、愛銃を背負ってもなければ武器の類は一切持っていない丸腰状態且つラフな服装のウルリッカを頭の先から足の先まで見たギャリーが「前線駆除班」と先程ウルリッカが「兎頭国」と呟いたテンションで呟いた。要するに「え? 君が前線駆除班なの?」と驚いているということだ。身体が大きくはないウルリッカを見れば大抵はそういう反応をするだろうと思いつつ言葉を補足する。
「私、マタギなの。だから銃は得意」
「へぇ、おどけたぁ」
「ん?」
ギャリーの口からあまり聞きなれない言葉が飛び出てきてウルリッカは小首を傾げる。ウルリッカの住んでいる集落も、かつてカンテ語と違う言語を使用していたために未だにカンテ語と違う単語が残っており生粋のカンテ人に首を傾げられることが多いが、どうやらギャリーも変わった言葉を使うようだ。それは兎頭国の言葉なのだろうか。
そんな首を傾げたウルリッカにギャリーが笑って「驚いたってこと」と言い直してきたので、やはり彼が元々住んでいた国の言葉なのだろうとウルリッカは納得することにした。
「迷ったって事だけど何処に行くの?」
そもそも道に迷っていたウルリッカを助けようと声をかけてくれた優しいギャリーであり、彼は本題を問いかけてきた。
「部屋に帰りたいの」
「寮? どの建物?」
マルフィ結社は周辺のウィークリーマンションやアパート、廃業ホテルなどを改装して寮に利用していた為、一概に「寮」といっても該当する建物は数棟あった。しかしウルリッカが寮の外観を説明するとギャリーに無事に伝わったようで、これで寮への道を説明してもらえるとウルリッカは一安心する。
「ところでウルリッカちゃんは今日、暇?」
てっきり寮への道程が口から出てくると思ったギャリーの口から出てきたのは意外な言葉だった。今日は部屋に帰るだけしか予定のなかったウルリッカはギャリーの言葉の裏を読むことも無く素直に「暇」と頷いてしまう。
そのあまりにも素直なウルリッカの態度に破顔したギャリーが、ウルリッカにとって大変に魅力的なお誘いを口に出す。
「じゃあ、アイスクリーム食べに行かない?」と。
* * *
バニラ、チョコレート、ストロベリー。
三段重ねになったアイスクリームコーンを手にしたウルリッカはご満悦だった。
「喜んでくれて良かった」
「ありがとう、ギャリー」
ギャリーに誘われてついて行ったアイスクリーム屋は結社から歩いて数分で辿り着き、そこは国内にチェーン展開する店だった。店の周辺はギロク博士による機械人形テロの被害を殆ど受けていないようで普通の街並みが広がっており、街としての機能を失っていない。テロの前には当たり前だった光景でありながら今では貴重な光景となった街並みを見つめ、ギャリーとウルリッカはベンチに座ってアイスクリームに舌鼓をうつ。
尚、ギャリーのアイスクリームはウルリッカとは違い一段のものであったが、支払いは全て彼が持ってくれたものである。「他人の金で食う飯は旨い」という言葉をウルリッカは知らなかったが、気分的にはそういう気分だ。
「ギャリーは良い人だね」
「本当? 嬉しいな」
アイスクリームを食べるウルリッカをギャリーはニコニコと見つめていた。しかし、それは見られて食べにくくなるような嫌な視線でもなく美味しく食べるウルリッカを楽しそうに見つめている優しい視線だったので、それを気にすることなくアイスクリームが溶けないうちにウルリッカは食べ進めていく。
一方のウルリッカもギャリーの耳に揺れるピアスが気になって仕方なかった。ウルリッカの住む集落でも耳飾りを付けている人間は男女問わずいるけれどもギャリーが耳にしている大き目の飾りが付いたものは珍しくて、狩猟を生業にしている性なのか揺れたり動いたりするものを目で追う習性が染み付いたウルリッカは彼の耳ばかり見てしまう。
そんな訳で傍目には、ウルリッカとギャリーはベンチに並んで座ってアイスクリームを食べながら見つめ合うというバカップルの様相を呈していた。通りすがりの人が微笑ましいものを見たとばかりに微笑みを深くしたり、「リア充滅びろ」と嫉妬の目線をぶつけてきたりするが、そんなことを気にするような二人ではない。
「ウルリッカちゃん」
「ウルでいいよ。皆、そう呼んでるから」
「……じゃあ、ウルちゃん」
「うん」
頷いてウルリッカはコーンを食べ始める。
「ウルちゃんはどうして結社に来たの?」
ギャリーの何気ない問いで、カリカリとコーンを食べていたウルリッカの手と口が止まった。
「お兄ちゃんが機械人形に襲われて……」
そう言ってウルリッカは悲しげに目を伏せる。その態度に「襲われて」の後に続く言葉がウルリッカの兄の死を告げるものだと思ったギャリーは質問を失敗したと思い「ごめんね」と謝って言葉を遮りつつ、今後この話題を結社の人間に聞くことは止めようと固く心に誓った。
実際のところ、ウルリッカの兄であるアルヴィは全治三ヶ月の怪我を負ったものの生きているし「襲われて」の後に続く言葉は「怪我をしたから」であった。ウルリッカが悲しい表情になったのも、アルヴィが怪我をした時の騒動で兄の銃が谷底に落ちて回収不能になったからである。己の銃に名前をつけて愛する程のウルリッカにとっては、それは銃の死に他ならない。
「仇をとりたいの」
兄ではなく、銃の、である。
しかし、今のギャリーはそれを知ることは無い。事実を知るのは約三ヶ月後のアルヴィ・マルムフェが結社に入社してギャリーと同じ経理部に配属されてからだ。
「よし、ウルちゃん。今日はお兄さんが好きなだけアイス奢っつぉするよ」
ウルリッカに辛いことを言わせてしまったと勘違いしているギャリーは、そう言って自分の胸を叩いて言い放った。その言葉にコーンを食べ終えたウルリッカの目は輝き、ポニーテールがご機嫌な犬のように揺れた。
「もひとつ食べていい?」
「良いよ。わんわん食べり」
そうしてアイスクリーム屋に再び走っていくウルリッカと、それについて行くギャリー。
ウルリッカの「もひとつ」が先程の同じ三段重ねのアイスクリームではなく「一番盛ってるやつください」との言葉から裏メニューの10段重ねアイスクリームになり、彼女の無限大の胃袋にギャリーが驚くことになるのは、この数分後のことであった。