薄明のカンテ - 私の中のハルモニアは死んだ/燐花
「先に行っててくれる?私は機械班で義肢の最終チェックだけしてもらったら行くわ」
「はい、では一足御先に桜を堪能して参りますねぇ」
 ウルリッカに中庭の桜の話をされ、支部に行く前に見に行こうと思っていたセリカは純粋なウルリッカから発せられた言葉を思い出して呆けた。
 まさか彼女の口からギャリー・ファンの事を聞かれると思わなかったのだ。彼女に返した言葉通り、別に一緒に居たくていつも居るわけでは無いので彼の動向は本当に知らない。それでも周りからは「よく一緒に居る」そんな間柄に見えるのだろうか。
 一足先に中庭に向かうと、今がちょうど見頃だろうか大輪の花を咲かせた桜が出迎えてくれる。これは確かに、本当に綺麗だ。
 どちらかと言うと雪の様に花弁を散らすそれは年月を重ねた大樹であり、とても堂々としていてウルリッカの言った通りまさに女王の名に相応しい。それでいて品の良い色合いで変に目立つ事もなく、堂々としているのに出しゃばらない雰囲気があった。
 セリカは不意に、亡き夫の為にと築き上げて来たヤマトナデシコな自分の姿と重ねてしまった。この目の前の彼女程きっと自分は堂々として居られなかっただろうが、何だか不思議な親近感があった。同時に感じるこのモヤモヤしたものは何なのだろうか。
 物思いに耽って居てすぐ背後まで人が来ていた事に気付かなかったセリカは、彼の接近を許してしまった。ポンっと肩に手を置かれ思わず声を上げてしまう。不意打ちの如く人に接近されると言うのは怖しい事で、セリカの口から飛び出した声はまるで襲われた時に出るそれだった。
「え!?ちょ、おどけたぁ…その叫び方は誤解されるって…え?俺別に、肩触っただけだよね?何か変なとこ触ったつもりも無いしそんな感触も無かったけどいや、誤解だからね!?」
「あ…ファンさん…」
「ごめんごめん、もしかして俺が来てたの気付かなかった?驚かせちゃったかな?セリカちゃん、涙目になってるけど…」
 何処から現れたのか、いつのまにか近付いて来て居たギャリーはセリカの肩に置いた手はそのままにじっと彼女の顔を覗き込んだ。
「今日和…でも相変わらず近いですよぅ…」
「ん?駄目?」
「…そうやって色仕掛けで落とそうとするのやめてくださぁい…悪い癖ですよぉ…」
「…どきってする?」
「しません」
 笑顔で彼の手をトントン叩き離すよう促すとギャリーは「そんなつもり無いのに…」だの「セリカちゃんの塩対応…」だの言いながら肩から手を離し目線を桜に移した。
「いやぁ、良いね桜。セリカちゃんも見に来ただ?」
「ええ、お姉様と見ようと思って一足先に来たんですぅ」
「お!エレオノーラちゃんも来るの?」
「ええ、機械班に寄ってから来ると仰ってましたぁ」
 ギャリーは嬉しそうにそうかそうかと笑うとふと真顔で桜を見る。セリカは彼のその目にヤマトナデシコに焦がれる亡き夫の目を重ねた。男なんて皆同じ。どうせ淑やかで三歩引いて歩いて常に男を立ててやるような女が好きなんだ。何処か諦めにも似た感覚で聞こえない様にふぅと溜息を吐く。真顔で桜を見て居たと思ったらぐっと上に手を伸ばしたギャリーはその手をセリカの頭に近付ける。彼の手には桜の花弁が握られており、摘み取ったそれをセリカの髪の毛に添えた。
「やっぱり、セリカちゃんは桜が似合うね」
「それは…私が着ている服の所為でしょうかねぇ?」
 ギャリーは大真面目な顔で考え込むとセリカの頭の先から爪先まで目線を移しにこりと笑う。
「ああ、セリカちゃんの全部が合ってんだ、桜に」
「ぜ、全部ですかぁ?」
「そうそう、着てる服の雰囲気も、セリカちゃんの真っ黒な髪も、金色の瞳も、白い肌も、全部」
「はぁ…」
 全部が、桜をより引き立てる。
 そう言いたいのだろうか。
「全部を、桜がより引き立ててくれる」
 セリカは予想して居た物と使い方の違う助詞に一瞬目を丸くした。
「…桜が、ですかぁ?」
「うん。あ、いや!そんなオプション無くてもセリカちゃんは可愛いよ!?でも何て言うのかなぁ…?桜があると相乗効果でより綺麗…?レア度が増す…?」
「相乗効果にレア度?」
「お得感?みたいな?何にせよ、俺はただ桜を見に来ただけだったけどここにセリカちゃんが居て、その上桜の花でより一層綺麗に見えて、大分良いお花見だったよ。ん?そう言う意味じゃ俺花を楽しむってよりかは花を見てる美女を眺めて楽しんでた訳だねぇ」
 そんなギャリーの言葉にセリカは人知れず心臓の音を早くさせた。自分に関心を持って居ないだろう、と思って居たのに関心を持たれて居た。と言うのは、どうにも人をドキドキさせる物だ。どうにも人を照れさせるものだ。
 臆面もなくそんな言葉を口にするギャリーにせめてこの動揺を気付かれない様にとセリカは微笑んだ。
「せっかくの桜なんですから、お花見楽しまないとですよぅ?」
「俺は花は好き。でも花以上に美女が好きだしそんな美女と花が一緒の空間にあったら花に引き立てられた美女を愛でず何を愛でよう?」
「ふふ、上手い事言ったみたいなドヤ感がいつも以上に凄いですぅ」
「そこは嘘でも照れて欲しいんだけど…ここに居たのがセリカちゃんだったから桜が二の次になってんだけどね」
「ええ、実は大分照れてますよぅ」
「え!?本当!?」
「さぁて、今のは社交辞令でしょうか本心でしょうか?」
「うわぁ…ここでそれ言うかいね?ちっとばか期待しちゃったよ俺」
 その時、二人の間を通り抜ける様に風が花弁を伴って走り抜ける。それはたった一瞬、ほんの少しの衝撃だっただけなのに、二人の被っていた社交用の仮面を取り払った気がした。
 風に煽られる互いの髪の毛。髪に隠れた顔が瞬時に熱っぽくなったのは風の一吹きによって文字通り「空気が変わった」からだ。
「…セリカちゃん」
「はい…」
「…どうだろう?今夜、ご予定は?」
「えっと…」
 風の所為だ。
 ギャリーはいつになく真面目な顔で真面目な声色で誘ってくるし、だからセリカも男の対応に慣れた女のような顔を上手く取り繕う事が出来なかった。ギャリーは更にセリカの元へ一歩踏み出し、彼女の頬に手を添える。
「…駄目?空いてない…?」
「あの…」
「駄目よ」
 二人を元の調子に戻したのは、これまた突風の様に現れたバーティゴだった。
「残念ねー本当残念。これから私達第三小隊は支部勤務なのよ」
「お姉様…」
「ごめんなさいねセリカ。さっきから声掛けようかどうしようか迷ってたけど、結局掛けちゃったわ」
「え?エレオノーラちゃん、見えてたの?」
「見えないわよ?ンなもの勘よ、勘」
「女の子の勘ってすげぇな」
 そして改めてこれから支部勤務だと聞かされると、今度こそギャリーはあからさまにショックを受けわざとらしくメソメソし出した。
「何このタイミングの悪さ…あーあ、そして俺は今日もフられるのでした…」
「あっはっは、本当タイミングが悪かったわねぇ。ナンパは今日も失敗ね」
「…へぇただのナンパのつもりじゃ無かっただけどな…この後ギルバートの仏頂面見続けるの嫌だし俺サボろ…」
「こらこら、私をサボりの口実にするんじゃ無いわよ」
 去り際にセリカの頭にポンと手を置き、一撫でして行くギャリー。じゃあ俺行くでな、とヒラヒラ手を振る彼を見ても尚口を開かない彼女にバーティゴは少しだけ困った様に微笑んだ。
「…どうしちゃったの?あの男の軽口に飲まれちゃうなんて」
「ただの軽口…だったのでしょうか…?」
「んー…いいえ、違うわね。あの男も変だったわね。二人揃って変だったわ。二人して桜の魔力にやられたのかしら?」
「お姉様…そんな非現実的な事仰るんですねぇ…」
「ええ、そう言うシックスセンスの働く人曰く、桜って一般的に陰気でメソメソした喋り方するそうよ?」
「桜って喋るんですかぁ?」
「私は聞いてないから本当か嘘か分からないけどね。でも、そう言うの超越してメソメソしなくなるくらい強くなれた桜なら、人の心を揺り動かす魔力くらい持ってるんじゃない?」
 さ、行くわよとセリカの肩を叩くバーティゴ。セリカは何だかあの瞬間、色々な思いから解放されて一人の人間として目の前の事に対峙して居た気がした。心のままに、何も気にせず動いていられたとすれば、むしろ彼の言葉を冗談として受け流せないのかも。いつもなら少しどきりとしつつも慣れた調子で受け流せるのに、まともにしっかり受け止めてしまった。そう言いたげに桜を睨むが、相変わらず雪の様に花弁を散らすその大樹はただ堂々とそこに在るだけだった。
 全く、品のある見た目してただ堂々と居られるなんて、にくいなぁ。
 後日、少しドキドキしながらギャリーはセリカに声を掛けるが、予想に反しセリカがいつも通りの調子に戻ってしまったので彼はまたメソメソした。
「ちょっとドキドキしながら何日も過ごしてたの俺だけ!?嫌だぁ…こんなんじゃ仕事に身が入らねぇ…サボりてぇ…」
「いつだって身が入ってないしいつだってサボる事しか考えて居ないだろ!?」
 そして連れ戻しに来たギルバートに引き摺られて行ったのだった。