薄明のカンテ - 血化粧に顔染めた崖下にて/燐花


岸壁街からアスに行ったのは事実上の縁切りだった。兄貴分の様に踏ん反り返っていた幹部、お嬢さんやらボスのお気に入りやら下品な呼び方をして以前からロードと犬猿の仲だったロレンツォとの関係が悪化しただけでなく、娼館を大事にしていたボスからは岸壁街の最下層にいて十四年も誰の慰みものにならず故に娼婦としての商品価値が非常に高かった女性を己の感情だけで傷モノにした件は厳しく追及された。さらに怒りを買ったのは、裏から操作し彼女を追い詰めると言う目的の為だけに岸壁街の仕事人の動きを弄っていた事。組織の名前を出してそれをやると言う事は岸壁街のパワーバランス、血の巡りを崩壊させる事に繋がる。組織はあくまで日常に癒着し影で覆う闇であり無秩序な秩序でもある。影響力の強い自分達は、大きな波を立てる介入はあってはならない。
「俺が金になると踏んだ女に手を出した事は水に流す…その女を手に入れる為に他の奴らに圧力掛けた件もだ、あくまで俺自身はな。だがお前を面白く思わん人間の方が多い。寿命が延びて良かったな。いつか審判は下ると思え」
力無く、しかし殺されずに済んで有難いと思えと怒気を含んで言ったボスを見てロードは面倒になった事を自覚した。
結局、ボスが商品として期待していた金の卵を横取りし無遠慮に味見したからと言うのが表向き一番の理由で何もかもを捨てさせられアスに向かった。それもこれもロレンツォとの仲や上に考慮しての措置だったがどうもロード自身納得行かなかった。それよりも彼女を置いていく事だけが心残りで、何度も何度も見付からない様に岸壁街に足を運んではロードはこっそりと彼女を覗き見ていた。一日目、二日目と割と平然と過ごしていた彼女。自分が帰らないので少し焦りの色を見せ始めたのは一週間経って。それでも二週間目には慣れた手付きで調理をしていたが三週間目のある日彼女は泣いていた。
そしてその姿を見た数日後、あの部屋はもぬけの殻になった。
「ヴォイド…」
伸ばし掛けた手は何も掴まず空を切る。今更行って何になる。自分の愚かさと本当の気持ちに気付いたところでどう弁明すると言うのだ。
傷付けた事を詫びる?愛していると伝える?ちゃんと君を見ていると証明する?どれもこれも今の自分には無理だ。
今行ったら彼女を巻き込んでしまうから。飛び出せない自分にもっともらしい理由を付けた事に苛立ちながらアスに落ち着く。それから暫くは岸壁街出身だと言う事を忘れる様な生活だった。
人より少しだけ頑張って仕事をし、人より少しだけ成果を出す。たまに大きく成果を出し、そして人に囲まれて生活をする。ここの人達はあの掃き溜めみたいな場所と違い下品で無い。恋愛こそしなかったが、好きだと言ってくる女性もいてロードは初めて好意に包まれる暖かさを知った。同時に、岸壁街の彼女を同じだけの気持ちで包んでやれなかった事をいつも後悔していた。
それでも再び彼女を見たら今噛み締めた思いは奥へやられ、きっと最初の内は醜いくらい独占欲が湧き上がってしまうのだと思う。頭ではもっともらしい事を考えて居ても自分の欲望は自分が一番分かっているから。人はそう簡単に変わらない。変われない。
納得が行かなかった十年前。時折連絡を取りながらももはや岸壁街に未練など無く、むしろ早く完全に手を切りたいと思ってすら居た。ボスから直に連絡があったのはそれから暫く経っての事だった。

「ロード、元気そうだな。イイ男になったじゃねぇか」
「貴方もお元気そうで何よりです」
見た目だけなら優しそうな七十歳程の男。故に異様に見える。錆びて穴が空いたトタン屋根から差し込む光はここが岸壁街だといやでも教えてくれた。見た目に不釣り合いなサブマシンガンを携え、しかし優しく目を細めながらボスは車椅子に座っていた。
直に連絡があり、急遽アスからミクリカへ向かえば直々のお出迎え。ロードは度々連絡こそ取っていたものの、久々に顔を見る恩人の姿にゾッと総毛立った。
「元気?ふふ…元気に見えるか?俺が」
「おや?違うので?」
「元気なものか、もう使いもんにならんよ」
そう言って自分の足をパシンと叩く。するとその瞬間、足は崩れる様に倒れ、カラカラと音を立てて転がった。
「義足…?」
「右足は撃たれたなぁ、左は潰れたよ。事故に見せかけたかったかは知らないが、過程はどうあれ今頃両足ともネズミのエサだろうよ」
「どうしてそんな…」
「何、お前以上のバカな飼い犬に手を食い千切られただけの話よ。ロレンツォの野郎、昔っから威勢の良いうるせぇ野郎だったがこんな噛み付き方しやがるとはな」
そう言われロードは頭にロレンツォを浮かべた。ロレンツォは度々小さな問題を起こす奴ではあったが、自分と折り合いが悪いのはあれどボスに反旗を翻す様な真似はしていなかった筈だ。
「何故そんな…あんな勢いだけの馬鹿にやられる様な貴方でしたか?」
「吹くなロード。飼い主と犬なんて規模の話でもねぇ。神と力が争って力が優勢になっちまった。結論はそれだけさ」
「つまり…金ですか」
「つくづく金は力よな、ロード。あの野郎、バカなフリしてパグラ国のクソどもと組んでやがった。娼館の売り上げは足が付くからな、運び屋や売人と手ぇ組んでな。ミクリカだけじゃねぇ。スラナ、キキト、果てはラシアスまで手を伸ばして強盗や詐欺も繰り返してよぉ。奴らのカンテ国進出をお膳立てしてポストを得た上、莫大な金まで用意してとうとう俺を殺しに来やがった。ここに来て娼館に手ぇ出したから発覚したわけさ。まんまとしてやられたぜ。せっかく守って来た岸壁街の秩序がなぁ…たかだか金一つにぶっ壊されちまう。パグラの野郎どもが来たら終わりだ」
「うふふ…されど金一つ、岸壁街下層は泥沼ですねぇ…発覚したのはいつです?」
「足をやられた時だ。俺も耄碌したもんだ」
「だから私を呼んだのですか?」
「ああ、良い機会だしお前を俺達と完全に縁切りさせてやろうと思ってなぁ」
回りくどい言い方だ。少しだけ苛立ちながらロードは聞いていた。今このタイミングでロレンツォのした事を話され、ボス直々に話にやって来て、それでいて素直に額面通りの縁切りな訳がない。何か交換条件を出した上で「これさえ終われば縁切りさせてやる」と言うのだろう。ロードは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「つまり、何を求めてらっしゃるんです?」
「随分と結論を急ぐな」
「私は早く話を終えてアスに帰りたいのです」
「身も心も真人間のつもりか」
ボスは手に持ったサブマシンガンをロードに投げ付ける。ガシャガシャと音を立て床に転がる鉄の塊。
「真人間になりたきゃ、アイツを地獄に送ってこい」
続けてばら撒かれた彼女の写真。白衣を着ているのは最近の写真だろうが、つまり居場所から現状から彼女は把握されている。そしてロードの彼女に対する想いも。
このばら撒かれた写真がロードに拒否権等ない事をひしひしと伝えていた。

「なるほど…ではロレンツォ含む二十人は五日後カンテ国を発つ予定なんですね。それまではミクリカ湾にある倉庫に潜んでいる、と。そしてそのままパグラ国の迎えを待ち、来た人間と入れ替わりで海を渡る…そう上手く行きますかねぇ?」
赤く腫れた手の甲を少し気にする。言いながらロードは椅子に座り銃の手入れをしていた。倉庫の一室でいつものカッチリしたスーツ姿でなく、少し胸元を開け着崩しているのは戦闘服だ。
制服と言うものには着られるだけの理由がある。今回は普段のスーツよりこちらの方が理に適っていた。
「あーあ。せっかくここ二、三年目立って大きな事をしなくて済んでいたのに…あんな風に脅す様に彼女の写真をチラつかせるだなんて趣味が悪いですよ。せめてもっとこう…視覚的に美味しいものご褒美にしてくれれば…」
まあ、それでも喜んではやりませんけどね。
ロードは立ち上がると腰に手を伸ばし、カチャカチャと念入りにベルトを締める。それは一見普通のベルトに見えた。
「ああ、これ。バックルの様に見えるでしょう?ピストルなんですよ、四発しか無いですけど。オリジナルではなくソレを元に作ったパチモンですけどね。こんな小さくて二メートルの範囲なら殺傷能力はありますよ。使う機会があるかは分かりませんがねぇ」
ゴトンと重そうに弾薬箱を用意し中身を確認すると電話を取り出す。今の今まで話し掛けていた人間は、椅子に強固に縛られており、何発も殴り付けた為顔の原型が分からないくらい腫れ上がっている。もはやロードの目の前で息も絶え絶えだった。それは平たく言えば尋問とも拷問とも言える。
「もしもし?申し訳ないですが拾いに来て頂けます?ここに一人虫の息がおりますので。ボスに送る際はバラでもミンチでもどちらでも。それから、ミクリカ湾にある倉庫まで出張をお願いします。三百万でどうでしょう?え?良いですけど値段交渉は岸壁街に居る内にお願いしますよ」
どこかに連絡をしたロードはいそいそと荷物を纏める。その姿を、腫れ上がった瞼の下から男の目が見つめていた。
「総重量何キロだか…全く重ったいですねぇ、腰に来る…万が一腰使えなくなった時に求められたらどうするんですか大事件ですよ」
まだ軽口を叩く余裕がある様だ。そしてそのままの調子でロードは男に向かった。
「それでは。諸々の都合によりあなた方をこれから地獄にお連れしなければなりません。貴方の事はこれから来る掃除屋が運んでくれると思います。生きた状態でかは分かりませんが。ではでは情報提供ありがとうございます。もう少し素直に話してくれれば良かったんですが…まあ、反抗的なのも嫌いじゃないですけどね」
いつもよりラフに服を着て、銃を何丁も携え武装したロードは扉を開け外に出る。岸壁街の下層とは言え倉庫内に篭っていればそれなりに空は明るく感じた。その後、男が空の青さを知ることは無かった。

「旦那。カッシオの野郎が連絡取れねぇよ…」
男は倉庫から少し離れた停泊場で電話片手にタバコをふかしていた。もうかれこれ五、六本は吸っただろうか。本来ならここにもう一人来る筈なのだがいつまで経っても姿を見せない。
『何だと?お前とカッシオがそれぞれ岸壁街で爺さん側の動き見て来るべきだって言うから外に出したんだ。二人纏めて来ねぇんならここは開けねえぜ。パグラから迎えが来るまで俺達ぁ満足に動けねぇ。分かってて向かったんだろ?』
「勿論だ。けどよ、怖しい噂を聞いたから流石に確かめて手を打たねぇとと思ったんだよ」
『噂?』
「ああ、アンタも聞いたら震え上がるだろう噂だ。なぁ旦那。俺達ゃ雇われたただの賞金稼ぎだ。アンタみたく後が無ぇわけじゃねぇ」
その瞬間、電話の向こうで男──ロレンツォの怒りを感じた。しかし、今この場にいる訳ではないので怖くないとばかりに男は続ける。
「あのロードがアスから帰って来てるって言うじゃねえか」
『ロード?あのお嬢さんか』
「そうだ、あのロードだ。アイツはただのお嬢さんじゃねえんだろ?昔は女みたくヒョロヒョロした餓鬼だったかもしれねぇが、今はどうだ?娼婦に手ぇ出して爺さんの怒り買ってアスに飛んだって言うが、もしもそうじゃなくこうなるのが分かってて泳がせてたんだとしたら?」
電話の向こうのロレンツォは一瞬の沈黙の後盛大に吹き出した。
『抜かせ。あの野郎が追い出されたのは十年も前だぜ?偶々だ』
「じゃあ偶然タイミング良く帰って来ただけだって言うのか?」
『帰って来たも何も。そうだとしてあのお嬢さんに何が出来るって言うんだよ。十年もぬるま湯の中に浸されたただのガキだ。昔からいけすかねぇが俺ァもうあのガキなんざ眼中にねぇ』
あくまでロレンツォは楽観的だった。しかし、男はロードの帰郷の噂、ボス襲撃失敗のタイミングの噛み合いを思い出して青くなる。消化しきれない不気味な符合に身震いする程、この偶然は都合が悪かった。タバコをもう一本吸い直す。もう何本足下に落ちているか分からない。
「とにかく、余計な事になったと思ったら俺は手を引くからな」
ロレンツォの返事を待たずに男は電話を切った。待ち人来ずではあるが、言いたい事を言い切った男の顔は少しだけ安堵していた。これでいつでも逃げられる。
昔、何でも吸収する容量の良い子供がボスのお気に入りになっていたと聞いた。その子供は銃の扱いも爆弾の扱いも一流の兵士の様にやってしまう、しかも遊ぶ様に。それがロードだったとして、このタイミングでの彼の話はやはり何かあるのかもしれない。
「そうだ…俺はロレンツォみたく後が無ぇわけじゃねぇ…顔も割れてねぇし岸壁街で知らん顔してやり直すだけだ…あのお嬢さんに関わるなんざ死んでもごめんだ、あの薄っ気味悪いガキめ…」
刹那。男の後頭部にゴリッと音を立てて何かが突き付けられた。男の手からタバコが落ちる。心臓は早鐘を打ち毛穴という毛穴から汗が噴き出す感覚がした。何かを考えようにも、最早脳内での処理が追い付かない。カチャリと言う撃鉄を起こす音がやけに大きく響いた気がした。
「おやおや、線が細かったからお嬢さんとは随分安直な言い方ですねぇ。おまけに女性に対しても悪意がある、品のない悪言です。細いって何ですか、ちゃぁんと太くて立派なモノ付いてますよ、確かめてみます?」
「…げ…」
下品はお前だろ。
そう振り返った瞬間、男の体は血溜まりに沈んだ。

一瞬の出来事だった。入り口で爆発が起こりドアが破壊される。煙が充満している中、用心してドアに向かって構えているとガスマスクを着けた細身の男が背後のダクトから現れ二丁のマシンピストルを両手で連射。倉庫の一階入り口はこうして簡単に制圧された。この場にいたのはロレンツォに着いた構成員四人。足や肩を撃ち抜かれたものの全員息はあり、しかし動く事は出来なかった。
「な、何だ…何がどうなってやがる?」
「おや?そんなに喋れる程元気ですか?」
「ガスマスク…!?誰だテメェ!?」
「あ、やっぱり目元だけじゃ分かりません?」
ロードは片手にマシンピストル、片手に次に使うのかグレネードを手に一階奥の部屋への準備をしている。男は瞬時にこの騒ぎを起こした犯人を理解した。
「テメェ…ロードか…!?」
「ああ、そのマシンピストル。弾丸を撃ち尽くすまで給弾出来ないんですよ。給弾も単にマガジン交換で良いかと言うとそうではないのでなかなか不自由なんですよねぇ」
と言うわけで撃ち尽くした一丁置いていきます。ロードは世間話をする様ににっこりと男にそう言った。
「ふざけんじゃねぇ!テメェ、ボスの差金だろ!?そうなんだろ!?」
「だったらどうします?」
「殺してやる…!」
しかし、照準を合わせるにも体をうつ伏せに伏せた状態で且つ煙の充満もありとても狙う事が出来ない。出血と煙に燻され目が霞む。男はどう足掻いてもロードを沈黙させられないと悟り力無く項垂れた。
「この煙は毒性が強いんです。まあ、掃除屋が来るまで眠って下さい」
ロードはガスマスクを外しながら奥の部屋へと移動する。しかしこの建物、見た目は老朽した倉庫の様だが内部は大分改装されている。おそらくここで一時生活する事を想定していたのだろう。倉庫にあるまじき部屋の区切り方をされていた。
「まあ、一部屋が狭くされていたからグレネードも考えやすかったんですけどね」
手に持ったスモークグレネードを弄びながら奥へ進む。足のホルスターに付けたハンドガン、反対の手に持ったマシンピストル、諸々確認しつつ扉の前に来た。この扉の奥におそらくいる。待ち構えている。
ロードがノブに手を掛けた瞬間、激しく連射する轟音と共にドアは穴だらけになり変形して行く。咄嗟に真横に身を翻したロードはすぐ様懐からゴーグルとスタングレネードを取り出した。
「ミニガン…!?何つーもの持ってるんですかねぇ、蜂の巣になるところですよ…!」
変形したドアの空いた隙間を狙ってスタングレネードを放り込む。一瞬にして閃光と爆音に包まれ、銃撃が止まったその隙に地を蹴ったロードは部屋へ飛び込んだ。マシンピストルを連射しながら応戦して行く。この部屋にいたのは六人。ミニガンを持っていた男は運良く銃を盾にロードの弾丸をやり過ごし、瞬時にハンドガンに持ち替えロード目掛けて撃った。弾はロードの腹に刺さるも、ロードも男の腕に数発撃ち込む。
「痛っ…あぁっ…!!」
思わず声を上げながら弾の軌道に合わせ捻れた様な服をナイフで裂き、腹を見る。防弾チョッキを着ていたおかげで大事には至らなかったが流石にぶつかった衝撃は大きかった。
「ハァ、ハァ…危ない、ですねぇ…」
これは打撲くらいにはなっていそうだ。だが、まだそんな事で止まるわけには行かない。
痛みもあり汗が止めどなく溢れてくる。目的の事もあり既にロードの精神はこれでもかと擦り減らされていた。
誰も自分の手では殺さない。殺さずにやり切る。それがロードの目的だった。武器準備中に尋問していた男も、倉庫の外で立っていた男も、ロード自身はトドメを刺していなかった。
ボスは「縁切りをさせてやる」と言ったが、おそらく違う。彼女を脅しとしてチラつかせ、ロレンツォ一派を片付けさせ、そしてその功績をもとにアスから組織に引き戻すつもりだ。二十人手に掛けて普通の生活に戻れるわけがないからだ。だがそれでもロードは抗いたかった。組織に身を置いているといずれそれが枷になる時が来る。幸い成人してすぐにアスに送られたしそれ以前に目立った事もしなかった為、軍警にも顔は割れていない。
岸壁街のボスなんて所詮は雇われ店長の様なもの。彼らが死んだらそれは店仕舞い。まだ更に上にいる連中が新たな店長を送る手間が増えるだけ。今だってボスはあれだけ深刻そうな顔をして居たが、もっと上にいる殿上人からしたら所詮は些事だ。
しかしそれでも面倒な枷の多い組織。フットワークの軽い今の状態を手放す理由などある筈が無い。例えそれに恩人の目論みが絡んでも。だから金を積んで掃除屋にトドメと見せしめをボスに送るのを依頼した。とにかくロードは少しでも抗いたかったのだ。
一階部分を制圧し、階段で上に上がる途中で待ち構えられて居たのでそれも鎮圧。合計三人。
これで計十五人行動不能にしたロードの顔に流石に疲労の色が浮かぶ。足取りも少し重くなり、銃も何丁か捨て置いた。
「ハァ…待って…いて下さい…貴女を…必ず迎えに…行きますから…」
発した言葉は誰に聞かれるでも無く溶けて行く。
ロードは一度足を止め、汗を拭った。薬を飲もうとして袋を取り出し、躊躇う。いや、今のこの興奮状態を維持したまま向かった方が良いのではないか。下手に向精神薬を飲んだらバランスが悪い。念の為頓服の薬を携帯していたロードだが、口にするのは躊躇われた。
二階まで階段を登り切ると、大量の弾薬箱と段ボールが転がっており、向こうも本気なのだと言うのがよく分かった。
「とうとう、売り物予定の得物に手をつけ始めましたかね…」
それだけ向こうも追い込まれていると言う事だ。
己を奮い立たせ、ロードは手にしたハンドガンのグリップをしっかりと握り、マガジンを入れ替えた。

迎え撃つより向かう側の方がどうしたって不利なのは、地の利も無いし何が用意されているか分からないからとはよく言われる事だ。先程ミニガンを取り出された事を思い出しロードは思考を巡らせる。もう相手はなりふり構わず来る筈だ。パグラマフィアに売る、或いは献上予定だった物の中にどんな銃があるかは分からないが、相当エゲツない大物では無いかとロードは踏んだ。
階段で迎え撃たれた事も考え、これだけ厳重に守られている辺りおそらく二階は一階の騒ぎを聞いて罠を張っている可能性が高い。歪んだ扉の隙間からスコープを使って中を覗き見る。ここはワンフロアぶち抜きなのか一階に比べて広い。ロレンツォが居る可能性が高く泣いても笑ってもこのフロアで何かが決まる。
ロードは扉に手を掛け大きく開く前に、近くに落ちていたハンガーを使って即席のパチンコを作った。拾った大き目の石を手に持ちギリギリと引っ張る。隙間から打ち込むと、すぐ様銃声が響き渡った。タレットでも置かれているのか?
扉を使うのを危険視したロードは見付けた天窓経由で部屋に侵入した。案の定マシンガンタレットを数台見付け、何とか擦り抜けながらそれを壊したが、ロレンツォ含む残りの人間がどこに居るのかが分からない。
「おや…?」
奥にまだ部屋がある事に気が付いたロードは、勢いよく扉を開けて銃を構えた。
「え…?」
しかし、一番目についたのは派手な格好をした女だった。
「た、助け…助けてっ…!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で震えるその女は天井からロープで縛られ動けない様に固定されている。その足下には爆弾が括り付けられていた。命すら、全てを人に支配されたかの様なその姿は自分がかつて間違った縛り方をしてしまった彼女を彷彿とさせる。ロードはその女に目を奪われ一瞬動きを止めてしまった。
「死ねぇ!!クソガキ!!」
この距離で女の足に付けた爆弾を作動させるのは巻き込まれて死を意味する。つまりこれはハッタリだ。女もまとめて機関銃で撃ち抜こうと構えるロレンツォ。ロードは咄嗟に銃を構えた。ロレンツォの周りにいる銃を構えた残りの四人も順番に撃ち抜いて行く。
全てがスローモーションに見えた。
男の一人が撃った弾がロードの腕を抉る。ロードは痛みに顔を歪め、銃を持つ手に一瞬予想外の力を込めてしまった。予想外の力で握った銃は想定と違う方に弾を撃ち込む。ロードの放った弾丸は、爆弾を括り付けた女の胸元に吸い込まれる様に彼女の体を貫いた。
「…しまった……!!」
女は、一瞬何かに驚いた顔を見せ、そのまま力無くガクンと崩れる。まるで人形の様に。胸からバッと血が噴き出すその姿に、ロードは何故か愛した彼女を重ねて見てしまった。
私のせいだ。私のせいで奪ってしまった、殺してしまった。彼女を、私が。
「死ねやぁ!!」
容赦無く弾丸を叩き込むロレンツォ。ロードは反射的に身を屈め回避しようとして意識が追い付かず、倒れる様に足から崩れ落ちる。しかしその体制の崩れを見逃さず、ロレンツォも銃から手を放すとすかさず前に出て馬乗りになりロードの首を掴んだ。
「お前を殺してやる…お前だけは生かして帰さねぇ…一緒にパグラに来い…クソ変態野郎共に売り飛ばしてヤク漬けにしてやる…!」
濁った目のまま一点を見つめるロード。無言のままベルトに手を掛け、バックルピストルを発砲する。四発発射されたそれはロレンツォの腹に命中した。

トントン、と肩を叩かれてロードは目を覚ます。血みどろの部屋、瀕死の構成員達、痛みを訴えるロレンツォ。何が何だか分からないまま顔を上げると、目の前に防護服を来た掃除屋が二人居た。一人は自分の目の前に、一人は虫の息な構成員達をトランクに詰めている。
『気が付いた?』
掃除屋は平等だ。金さえ積まれれば組織に関係なく仕事をする。そのスタンスが彼らには必要だからだ。故に掃除屋は素性は知られない。掃除屋の仕事をする人間は所属に関係無く、普段は掃除屋と違う仕事に就いている。推薦等で掃除屋のコミュニティに入り、仕事時には防護服を着て全身を覆う。そして変声機も付けており、男性か女性かすらも分からない。
秘密裏に何かを処理する様な場合も掃除屋はそうして仕事をする。依頼者は依頼者で、依頼した掃除屋に対して探し出して口封じ等行ってはならない。プライバシーに守られ、自らもプライバシーを一番守る。それが掃除屋だった。
「掃除屋…?聞いてた通りまるで宇宙服みたいな見た目なんですね…ガイガーカウンターが暴れる様なところでもやっていけそうだ…」
『それより、怪我はしてるの?』
そう言われ、ロードは腕を負傷した事を告げる。吊られていた女に動揺して、隙が出来たところを撃ち込まれた腕。
「…!!あ、あの、ここに居た女性は…!?」
彼女を撃ったところまでしか記憶がない。慌てて掃除屋に聞くと、掃除屋は手を振った。
『死んでた』
「え…?」
ロードの顔からサッと血の気が引くが、掃除屋は続けた。
『見ない方が良い。酷いから』
「酷い…とは?」
『ロレンツォが放った機関銃、殆ど彼女に撃ち込まれてた。多分、扱い切れなくて上手く向きを変えられなかったのかも。まだ死因らしい死因は調べなきゃ分からないけど、どっちにしろあんな撃ち込まれ方したら生きてる方がおかしい』
既に隠す様に布を被せられた女がそんな死に方をしたと聞いてロードの心を何とも言えない感情が覆う。それでも、最初に彼女の命を奪ったのは結局自分ではないのか?
「私は…」
『ん?』
「私は…彼女の命を奪ったのだと思います…彼女の胸から血が噴き出て…それ以降の記憶がありません…」
『私達が駆け付けた時、ロレンツォ含む全員撃たれて瀕死状態だった。女は死んでたけど、後は皆生きてる。その女の遺体も酷い状態だったし、そうは言い切れない』
「………」
『何故生捕りに固執したの?』
今日の掃除屋は何だかグイグイ聞くなと思いつつ、ロードは目を伏せた。
「…誰かの思惑通りになりたくなくて、精神擦り減らしてでも足掻きました…。ボスの下に戻りたくなかったんです。でも、彼女を撃った時限界が来たんですかね…。体を動かした記憶はあるのに、何をしようとしたのか覚えていません」
『ふーん』
「…二年程一緒に暮らしていた女性が居まして…何故か彼女と重なって見えてしまったんです、撃ってしまった女性が。私のせいで奪ってしまったのかと思ったら…申し訳なさからなのかそれが何だかダブって見えまして」
掃除屋はそれを聞き、特に気に留めた様子も無く掃除を再開した。
『…そんな事口に出してくれたことない癖に』
「え…?」
『とりあえず、腕は応急で処置してある。あ、追加料金取るから。それからここ出たら一応医者行って』
投げ付ける様に言われ、少し戸惑いながらロードは立ち上がった。全てが終わったのに、何故か心は晴れない。
『ちょっと良いか?』
先程まで彼らをトランクに詰めていた方の掃除屋が声を掛けて来た。
「何か?」
『いつもの下品な減らず口が少ないね』
「放っておいてください、疲れてるんです」
『確認。コイツらこれから作業所連れてってそこでバラす。オーケー?』
「良いですよ。人数分、分かる様にボスに証拠として送ってさえくれれば何をしても」
『内臓抜いても?』
「…臓器売買するって事です…?」
『そう。生きたまま抜いた方が高く値が付く。後、見せしめ目的なら頭じゃなくても手首とかでも良いね?コイツらダルマにして好事家の変態に売り飛ばすも良し、用途は色々。まさか二十人近くいると思わなかったから三百じゃ足りない』
ロードは若干気分が悪くなりながら「好きにして下さい。そこまで干渉しません」と呟くのが精一杯だった。
結局掃除屋の言い値に任せる事にし、長い一日は幕を閉じた。
案の定、ボスは激怒した。
やはりロードの思った通り、今回の件で彼を戻そうとしていたらしく、ロードの示したノーの姿勢に酷く立腹した。しかし、娼婦の女は別にしてもロレンツォ一派は本当に生きたまま捕らえてしまったと言う事実に感服し、約束は約束だからとそれを受け入れたが代わりに「二度と自分の前に顔を出すな」と言い放った。
怒涛のまま過ぎた数日はあっという間でロードはアスに戻る事になった。これでもうボスからの呼び出しで岸壁街に顔を出す事はない。長らく親代わりで居てくれた人。少しの寂しさはあるけれど、彼との間には普通の親子には無い壁があるのだからこの結末は致し方ないと思った。
裏のコネクションも把握した上で真人間の皮を被る。そんな風にも見えるかもしれないが、それでも今は堂々と青い空の下に出れる喜びを噛み締めたかった。でも、アスに帰る前にどうしてもこの薄暗い岸壁街で寄りたい場所がロードにはあった。
「この角度でこの建物が写っているから…多分、下層のあの辺りか…」
脅しに使われた彼女の写真。それを見てどうしても今の彼女に会いたくなった。写真に写り込んだ僅かなヒントを頼りにアタリを付けて練り歩く。
辿り着いた小さなバラックの一角。昔の様に厳重な鍵が付いていない、むしろ不用心過ぎるそこに行き着いたロードは静かにドアを開けた。
覗き込むと、その中でヴォイドが寝ている。自分と過ごしていた時の様な、あの際どい格好で彼女はすやすや眠っていた。
「…不用心な……」
襲われたらどうするんだ、と思わず声を掛けそうになりながらも静かに彼女に近付く。よく眠っていてヴォイドは目を覚さない。
「キスでもしたら…目ぇ覚ましますかねぇ…?」
なんて柄にもない事を呟く。それでも彼女の寝顔を見てちょっかいを出すのはやめておこうと思った。やっぱり、彼女を見て真っ先に湧き上がるのは独占欲ではあったが昔と違って今はほんの少し遠慮が出来ると言う事にも気が付いた。
十年と言う月日は勝手だった自分の愛を少しだけ大人な目線まで引き上げてくれた様だ。
「それにしても…相変わらず良い体してますねぇ…」
とは言え、見ているとついつい手がわきわきと動いてしまう。
いやいや、寝ているんだし。いや、しかし返り討ちに遭うだろうから。いやいや、寝込みは流石に。
やっぱり襲うか襲うまいかで十分程悩んでから結局何もせずアスに帰ったロードだった。

アスに帰ってから一週間。
それはロードの減らず口が元に戻るまでに要した期間。
そして、ギロク博士によるテロが起こるまでの期間だった。