薄明のカンテ - 君の悩みを聞かせて/燐花
『先輩!一体仕留めました!怪我人も無く、問題無しです!!』
「了解。ウーデット君、引き続きガート君と彼等を追ってくれ給え」
『はい!!』
 無線からエドゥアルトの元気な声が聞こえる。彼の声はなかなかに大きいので彼と無線を繋げる際、ユウヤミは無線機を耳から少しだけ離していた。続いて、ウルリッカの無線にも繋げるとユウヤミはいつもの通り指示を出す。
「マルムフェ君、シリル君と中間地点へ。そこで先程の指示通り、ウーデット組と挟み撃ちで迎撃」
『はい……』
「……ん?マルムフェ君?」
 珍しく消え入りそうなウルリッカの声。不思議に思い声を掛けるも、返事は無く連絡は途絶える。ユウヤミは一瞬目を丸くするも、任務に支障は無さそうだと判断して成果を待った。結果としてエドゥアルトが誘導するように闘い、引き付けた先でスナイパー、ウルリッカが仕留めていくと言う戦法は見事成功し、怪我人も出さず射撃の腕も確かなウルリッカによって汚染された機械人形にも大きな損害は無く、いつも通りと言えばいつも通りの完璧な任務を終えた。
「流石先輩!いつもながら完璧な読みです!」
「エドゥちゃん興奮し過ぎや、うるさい」
 しかしこの日、ユウヤミは帰還したメンバーに違和感を覚えた。やはり気の所為では無かったのだ。ウルリッカの元気が無いと言う事が。
「…ご苦労様、マルムフェ君。今日も今日とて君の射撃の正確さは頼もしいね」
「……ありがとうございます」
 普段ならこう言う時、尻尾を振る子犬の様に天真爛漫な喜びを見せるウルリッカ。しかし、今日の彼女はとても静かでユウヤミは違和感を感じながらも第六小隊の面々に声を掛ける。この日、定期的なメンテナンスがあり一足先に調達班と一緒にシリルが結社に戻った為彼女の事を詳しく聞く事が出来なかった。
「ところで、これから焼肉でもしようかなんて思ってるんだけど」
「焼肉!?先輩とですか!?」
「嫌かい?嫌ならここで解散と──」
「やったぁぁぁあ!!嫌だなんてとんでもない!!行きます!一緒します!!」
「それなら良かった。マルムフェ君も行けるかい?」
 しかし、振り返った先に居たウルリッカはただひたすらに溜息を吐く。話も聞いているのか居ないのか、心此処に在らずで普段なら焼肉などと聞いたら飛んで喜ぶのに、ただただ溜息を吐くばかりだ。
「マルムフェ君…」
「私…先に帰ります…」
「あ、マルムフェ君…」
「先輩!!帰ったら何の肉焼きます!?」
 ウルリッカに悩み事だろうか。あまりにも元気無く「先に帰ります」と呟いた彼女。エドゥアルトは肉の事で頭がいっぱいでガートはそんな彼へのツッコミに勤しむ。そこにウルリッカが加わらない事にユウヤミは大きな違和感を感じた。
「小隊長として、職場の環境改善にも努めてください」
「やっぱり?」
 ヨダカに呼び止められ、ユウヤミは改めてウルリッカの背中を見つめる。やはり何かを考える様な思い詰めた様な、彼女が振り返った時そんな曇った顔を浮かべて居た。
「彼女にも不満や不安、あるのだと思います」
「そりゃあ、あるだろうよ。彼女も人間なのだから」
「しかし、その理由が分かりません。そして理由が分からないが故に放置されていると言うのも小隊を纏める小隊長としてあるまじき行為です」
「うーん、放置している訳では無いのだけれどねぇ?彼女くらいの年頃であの様子…多分、恋愛面ではないかな?と思ってねぇ。そうで無くても何かしら迷う事の多い年頃だ。そうなると異性の私が迂闊に声を掛けて良いものか…」
「最もらしい事を言って面倒から見て見ぬフリしていると言うのも知っています。もしも恋愛以外の悩みをウルが抱えて居たらどうするのです?もしも貴方の指示に疑問や限界を感じて居たら?まあ、そう見て取れないから「触らずとも問題無し」と見做しているのでしょうけど、だとしたらそれはそれで主人マキールの無駄に人の感情を読める能力は飾りですか?と言う話です」
「いつも以上に刺刺するなぁ。まぁ、分かったよ。彼女が何かを悩んでいたとして、部下のモチベーションを上げる事も小隊長の勤めだからね」
 とは言え。注意深くウルリッカを観察するもいまいち答えが見つからないユウヤミ。彼女が抱えるものの候補として色々挙げたは良いが、いまいちこれだと言う確信が持てない。悩みつつウルリッカを眺めて居たら、いつのまにか彼女に声を掛ける男がちらほら。
「こんにちは、ウルリッカさん」
「狐さん」
「最近アルヴィさんのところにちゃんと顔を出してます?」
「…もう、狐さん顔合わせるとそれしか聞かないんだから…」
 容疑者一、人事部のロード・マーシュ。
 彼はウルリッカの兄であるアルヴィ・マルムフェの結社加入時に色々と働きかけた人間であるらしいが、その縁あってかマルムフェ兄妹とはそれなりに距離が近い。
「私もシキとクロエと言う手の掛かる二人がいるんで余計そう思うんですがねぇ…心配してくれる人のところにはちゃんと顔を出しに行ってもバチは当たりませんよ?」
「分かってるよ…お兄ちゃんに『顔見せに来る様言ってくれ』って言われたの?」
「いいえ、これは私の個人的なお節介です」
「もう…」
 流石に彼に恋焦がれて…は話が飛躍し過ぎだろうか。そう思いつつ、彼の機械人形との交戦騒ぎからウルリッカが少しばかりロードに憧れに近い目を向けていた事も思い出した。となるともしかして、ロードの様に戦闘をしたいがスタイルの違う自分への葛藤…?いやいやしかし、とは言えそれで彼とウルリッカの元気の無さを無理矢理絡めるのは暴論か。
「それじゃあ、私はこれで。たまにはアルヴィさんに顔見せてあげたら喜びますよ」
「分かってるよ…」
 そう言って去って行くロードに別段名残惜しむ感じもなく。と言う事は、やはり彼はウルリッカの元気の無さに関して特に問題無いのか?
 そう思いつつ視線を向けて居たら、いきなりロードがこちらを向いてくすりと微笑んだのでユウヤミは少しだけ驚いて目をパチクリさせた。
「うふふ、おやおや…貴方からそんな物欲しそうな目を向けられるなんて嬉しいですねぇ」
「物欲しそう?気の所為だよ」
「またまた。照れ屋さん…」
 ひらりと躱す事ができたものの、結局ウルリッカの悩み事の件は何一つ解決して居ないし振り出しに戻ってしまった。様子を見て居てもむしろ自分に声を掛けた時の方がよほど思わせぶりな事を言っているなと思うと、ロードの様に冗談を言う相手を見極めている人間がその気も無い相手に迂闊な事を言って人間関係を進んで拗らせる事は矢張り考えづい。
 次に彼女に声を掛けたのはギャリーだった。
「ウルちゃーん!包子パオズあるよー!」
「うん……」
 容疑者二、経理部のギャリー・ファン。
 常日頃から食べ物をちらつかせて居たおかげかウルリッカに光の速さで懐かれた男。しかし、やはりと言うか何と言うのか、様子のおかしいウルリッカは彼からの施しを良しとしなかった。
「ありがとう…でも要らない」
「……ウルちゃん?何かあった?」
「何でもないの…何でも……」
 その時、二人の後ろから第三小隊のセリカもやって来て会話に参加する。ユウヤミはセリカの表情の変化から彼女がギャリーに抱いている感情を把握した。
 とは言え、ウルリッカの件解決には何も掠っていない。しかし一つ分かったのは、ウルリッカが後からやって来たセリカに嫌な顔をして居ないので、ギャリーとセリカの二人が仮に懇ろな仲だとしておそらく彼女には関係の無い話なのだろう。言い方が悪いが、食べ物さえくれれば半永久的にギャリーに懐くもの、が彼とウルリッカの関係なのかもしれない。
「マルムフェさん…何かあったんですかぁ?」
「ううん、何でもない…」
「本当?本当に何も無いかや?どっか具合悪いとか…」
「何でも無いの!」
 とうとう、ウルリッカの様子のおかしさは表立って見える程になってしまった。ユウヤミが少し危機感を覚えつついつ彼女に声を掛けようかと後を追うと、先にやって来た男がまたウルリッカに声を掛ける。
 容疑者三、給食部のエミール・シュニーブリー。
「こんにちはウルちゃん、そろそろお昼じゃ無いですか?魚も肉も昨日入りたての新鮮な物を使ってるので今日はいつにも増してご飯が美味しいと思いますよ」
 どうでも良いが、ギャリーと言いエミールと言い、彼女が喜ぶものを心得ているのか食の話しかせず何とも色気の無い事だ。そう言えばエミールは早起きと早朝ランニングが生活サイクルになっているウルリッカにとって毎朝顔を合わせる人間だ。ならば彼女が憎からず思って居ても不思議では無い。
「うん…」
「ウルちゃん?」
「え?うん…何でも無い…」
「……ウルちゃん、昨日も食堂に来ませんでしたよね。ちゃんと食べていますか?」
「………」
「…ウルちゃん、もし何か抱え込んでいるものがあるならば吐き出せる人にちゃんと吐き出せた方が良いですよ?そうして心が晴れる様、少し人に甘えて良いのです。今ここで、私でも良いんですよ。私にあらゆる物をぶつける事で気持ちが晴れるなら私は喜んでサンドバッグになります。いえ、むしろ私をサンドバッグにしてくれて良いんですよ?」
「……何か怖いから良い」
 エミールが何だかよろしく無い事を宣った気がするが、もしも今の会話から出た「ちゃんと食べて居ない」が事実だとしたら大変な事だ。原因が分からないだなんて悠長な事を言う前に小隊長として隊のパフォーマンスを落とさない為にもちゃんと彼女から話を聞かなければならない。
「…仕方ないな…」
 コンサルタントをして居た事を忘れたわけでは無い。人っぽい感性を理解し、人が望む解決策を提示するのも得意だ。ただ、どう言う訳かウルリッカは常に元気でご飯を食べれれば幸せなのでは無いかと言う先入観があった。そしてその先入観が彼女の元気の無さを「いや、そんな大事は滅多に無いだろう」と目を逸らさせる現状に繋げたのだとしたら、探偵の名折れだ。
「マルムフェ君」
 名前を呼ばれエミールと、くりんと振り返った彼女の黒目がちな瞳がユウヤミを捉える。先程別れたばかりの彼がここに居る事が理解出来ずウルリッカはキョトンとして居た。
「隊長…?エドゥ達と、焼肉は…?」
「ああ…先に中庭で焼いて食べていてくれって頼んでおいたのだよ」
「何で、ですか」
「……上司として君の事が心配でね」
 その一言で「ユウヤミに任せて良い」と察したエミールは優しく微笑み彼に目配せする。ユウヤミも挨拶がてら軽く微笑むと、ウルリッカに向き直った。
「どうしたの?君らしく無い、元気の無さが目立ってね。流石の私も心配になるよ。ヨダカだって心配している」
「ヨダカにもバレてる…?」
「…うん、バレバレだねぇ」
 すると、ウルリッカは小さい体をフラフラさせながらユウヤミに凭れる様に彼の胸にコツンと頭を乗せた。どちらかと言うと幼い子供がする行動の様で、ユウヤミもそんな子供にする様に頭を撫でてやる。ぽんぽんリズム良くしてやると、ウルリッカはユウヤミの服をキュッと握った。
「本当どうしたの…マルムフェ君」
「隊長、あのね……」
「うん、何だい?」
「私……」
「あ、ウル。歯はもう大丈夫なの?ちゃんと医療班で先生に見せた?」
 しかし、すっと現れたヴォイドが呆気なくネタバラシをして行くのだった。
「歯…?」
 マルムフェ君、はいあーん。
 ユウヤミのその声に釣られてウルリッカは口を開く。ユウヤミは歯の治療の知識は然程無いが、そんな彼の目が彼女の歯の表面に小さな黒い点を、そして歯の表面の形に沿って汚れる様になっている黒っぽい模様を捉えた。
「もしかして…この点とかかい?ホロウ君…」
「そう、放っておいたら中で酷くなるかもって。検診に行ってねって言ったよね?ウル」
 じっとりした目で少し怒る様にヴォイドが呟く。そしてそんな風に言われているウルリッカを何故か少し羨ましそうにエミールが見つめる。
「…ホロウ君、いつから彼女にそんな話を…?」
「先月。もうその時点で食べる時に少し歯に違和感あるって言ってたの。だからてっきりもう行ってると思ってたのに…サボったんでしょ。ウルってば」
「だ、だって…怖い…」
「マルムフェ君、まずは医療班に行こうね…」
 半ば強制的にウルリッカを引き連れ医療班に向かう。何故か彼女が逃げない様にとエミールも脇を固め、ヴォイドとユウヤミとエミールの三人でウルリッカを抱えて医療班に向かった。そしてたまたま居合わせたスレイマンに引き渡した。嫌だ嫌だと駄々をこねていたウルリッカだったが、上手く治療してもらえたのか痛み止めも貰えたのか、二週間もすればいつもの彼女に戻っていた。
 一体どんな悩み事が彼女の心を蝕んでいたのだろう?そう思っていたのに、蓋を開けたら正体は虫歯だった事にユウヤミは笑うしかなかった。
「人と言うのはなかなか面白いものだねぇ」
 単純明快。そう思っていたウルリッカの思考を容易に読み取れなかった事がよほど面白かったのか、ユウヤミは満足気に微笑んだ。
 治療から更に数日後、痛みが目立たなくなったウルリッカも交えて改めて焼肉をする。匂いが付いたら嫌なのか、必死に煙を避けながらそれでも美味しそうに頬張るいつもの彼女を見てユウヤミはまた面白そうに笑った。
「マルムフェ君、風上に居れば煙向かって来ないのに」
「隊長!流石頭良い…!」