薄明のカンテ - 教育に悪いマルフィ結社/べにざくろ


教育に悪いマルフィ結社(前編)

 会社を諸事情で退職し実兄と義姉の心の平穏の為に義妹の様子を見守るべくマルフィ結社へとやってきたリアムであったが、早々に娘を連れて此処へ来たのは間違いであったかと沈思黙考していた。
 機械人形マス・サーキュと戦うという荒事を行う組織である故に多少は腕に覚えのある荒くれ者がいてもおかしくはないとは思っていた。しかし、それにしても恐ろしい容貌の者がいる。リリアナが見たら、きっと泣いてしまうくらいに。
「 あら、赤茶色の……かしら? 」
 リアムが廊下を歩いていると荒くれ者其ノ壱だとリアムが思っている女が現れた。
 彼女は焦点の少し合わない目を向けて怪訝な顔をしながらリアムを見ている。
 彼女の名前はエレオノーラ・ブリノヴァ。リアムの義妹であるセリカが所属する前線駆除リンツ・ルノース班第三小隊の小隊長である。
「 赤茶色……? いや、私は総務班の…… 」
「 総務班のリアム・シュミットさんです。バル小隊長の言うギャリー・ファンさんではありませんよ 」
 エレオノーラに視線を奪われて気付いていなかったが、エレオノーラの隣には小さな影があった。その小さな影こと菊の花のような黄色い髪をバレッタで留めた女性は『 ノーマン君ママ 』のマルガレーテ・カナリスだ。
「 そうなの。随分と似た色だから間違えたわ 」
 ごめんなさいねぇとカラカラ笑うエレオノーラだが、その顔には痛々しい程の傷があった。それは最近出来たものではないように見え、彼女がマルフィ結社に来る前に負った傷なのだろうと推測するのは容易だった。
 つまり、エレオノーラ・ブリノヴァはそのような傷を負うような危険な仕事をしていた荒くれ者ということだ。セリカは「 小隊長を務めてらっしゃるお姉様はとても素敵な人なんですよぅ 」と家族には言っていたようであるが、騙されているのか脅されているのか。兎にも角にもリリアナに見せてはいけない危険な女に違いない。
「 あ、副長。姐さんとキッカさん、見つけたっす 」
「 知らねぇよ。良いから部屋に帰って寝させろ 」
 そんな声を上げながら荒くれ者其ノ二と其ノ三が現れた。
 荒くれ者其ノ二はルーウィン・ジャヴァリー。エレオノーラとは違う形だが顔に傷のある長身の若い男である。たまに食堂等で見かけることがあるが口調が荒く、リリアナの教育に悪そうな男だ。
 ルーウィンが連れて来ていたのは第三小隊の副官だというジョン・スミス。荒くれ者其ノ三だ。何度聞いても怪しすぎる偽名のような名前だ。それに容姿も銀髪を目が隠れるような長さにしており、何か疚しいことがあって顔を隠しているとしか思えないし何も無かったとしても取り敢えず胡散臭い。
 以上のことから、ノーマン君ママは別として前線駆除リンツ・ルノース班第三小隊はリアムにとっては荒くれ者の揃った危険な小隊に他ならなかった。
 何故、そんな所にいてセリカは平気なのか。
 やはり似非ヤマトナデシコの女だからか。
 そんな事を思っていると、キッカがリアムに会釈してくるので会釈を返す。本当に彼女だけは普通の人だ。他の人間と大違いだ。
 そうしてドヤドヤと騒がしさを持って第三小隊は立ち去っていった。本当に見れば見る程、可愛い娘のリリアナの教育に悪そうな面子であるから絶対に会わせないように気をつけなければならないとリアムは固く誓う。
 そうして娘の教育方針を考えながら目的地である機械マス班に辿り着いたリアムは緊張の面持ちで機械マス班の扉を開いた。
「 失礼する 」
 入ってリアムが探すのは『 フランソワ君パパ 』のベルナール・エルナーだ。穏やかな性格の彼と話すのが一番ストレスにならない。『 フランソワ君ママ 』のロザリー・エルナーは普段はとても良い人だが機械人形マス・サーキュを触っている時は少し怖いので、リアムは仕事中は彼女に近寄らないようにしていた。
「 男性のエルナーさんはいらっしゃいますか? 」
「 あァ? 」
 近くにいた赤毛をツインテールにした女性に声をかけると、振り返った女性にガンを飛ばされた。彼女の名前はアン・ファ・シン。見た目は怖いが『 マジュちゃんの保護者さん 』だ。おそらくマジュの保護者ということがなければ、彼女の事もリアムは危険人物だと認識していたことだろう。
「 エルナーさんは奥だ 」
 手にしていたトルクレンチで奥を指されたのでアンに礼を言って部屋の奥に向かった。機械マス班の部屋の中は機械人形マス・サーキュのパーツが無造作に転がっていて、さながら人間解体工場の様相を呈していた。プログラミング等の担当であったとはいえ機械人形マス・サーキュ製造の会社に勤務していたリアムにとっては眉を顰めるものではないが、この様なバラバラ殺人の現場のようなもの( といってもリアムは実際に殺人事件現場を見たことは無いが )もリリアナには見せていけないと内心でリアムは固く誓う。
 ベルナールへの用件を済ませたリアムは人間解体工場こと機械マス班の部屋を後にしていた。後は総務班に戻って、と今後の仕事の流れを考えていると注意力が散漫になり角を曲がったところで人とぶつかってしまう。
「 痛っ! 」
 ぶつかった相手は声を上げて二、三歩後ずさった。そこですぐにリアムは謝るべく口を開いたが、思わずそれ・・に目を奪われる。
 リアムが目を奪われたそれ・・は、後に前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊所属……というより乳ソムリエであるウルリッカ・マルムフェに『 ふにふにふにふにしたらもにもにもにもにする 』と称されることになる巨大な胸だった。リアムにリリアナの実母であるナタリアのそれ・・を彷彿とさせ、懐かしさも相俟って思わず眺めてしまう。
「 ……はっ。す、すまない。怪我は無いか? 」
 カヌル山級の胸の魔力に囚われてしまっていたリアムだったが、我に返り彼女へ謝罪を述べる。しかし必要以上に胸を眺めていたことは彼女に伝わってしまったようで据わった目で睨まれた後、馬鹿にするように笑われた。
「 怪我はないけど……ふーん…… 」
 目は口ほどに物を言うというが、青と緑が混じった様な不思議な色の女の目は完全にリアムを馬鹿にしていた。思いきり彼女の胸を眺めてしまった自覚のあるリアムは何も言い返すことが出来ない。
 しかしリアムだって女に主張したかった。
 下着に白衣を羽織った格好で結社の廊下を歩くな、と。
「 本当にすまなかった 」
 ぶつかったことと胸を眺めたことを併せて謝罪すると、女は――リアムは後に知るが医療ドレイル班のヴォイド・ホロウという――もう一度リアムを馬鹿にするように見つめた後、一転して興味をなくしたかのように感情を無くして硝子玉を嵌め込んだかのような冷めた目で通り過ぎていく。
 あんな卑猥な格好の女はリリアナには見せてはいけない。
 散々、胸を見つめた自分の事は棚に上げてヴォイドをリリアナの教育に悪い女だと認定するリアムなのであった。

子供に危険なマルフィ結社

 ウキウキとした様子を隠そうともせず廊下を歩くリリアナのかわいい後ろ姿に目を細めつつ、リアムは食堂へと向かっていた。
 今日のリアムは休暇だったのでリリアナと楽しく過ごしていた。前日に食券を買うことができたので今日はリリアナと食堂で昼食だ。部屋で二人で食べる食事も良いが、食堂の食事もレストランの外食のようで楽しいらしくリリアナはとても楽しそうだ。
「 リリ、あまりはしゃぐと危ないぞ 」
「 は、はしゃいでなんていないわ! だってレレイだもの! 」
 振り返ったリリアナは「 レディ 」が上手く言えないくらいには、はしゃいでいた。ツーサイドアップにした髪が喜びを示すようにぴょこぴょこ揺れているように見えるくらいだ。
 それを微笑ましく見つめていたリアムだったが、角を曲がって前から人が来ることに気付いて顔色を変える。
「 リリ! 」
 リリアナはリアムを見るために振り返っていて前を見ていなかった為、リアムの声もむなしく前方から来た長身の人物にぶつかってしまった。ぶつかった勢いでリリアナは尻餅をついてしまうが、きゅっと唇を噛んで泣くのは我慢していた。
 リアムはそんなリリアナを抱き起こして泣かなかったことに対して頭を撫でてやる。本来ならばぶつかってしまった被害者を先に心配するべきであることは分かっているが、子供の機嫌をとっておかないと面倒臭いことになることを短い育児経験の中でリアムは悟っていた。
「 ……娘が申し訳ない。其方は怪我は無いですか 」
 言いながらも怪我は無いだろうとリアムは失礼なことを思う。リリアナがぶつかった相手はマルフィ結社内の中でも一二を争う長身の持ち主であるシキ・チェンバースだったからだ。現に彼は平然と立っており、むしろリリアナを心配するような様子を見せていた。
「 俺は大丈夫だけど、そっちは大丈夫? 」
「 大丈夫よ。こんなことで泣く程こどもじゃないわ 」
 シキに張り合うかのように胸を張っているリリアナの様子を見て、シキの青と緑が混じった様な不思議な色をしている目が細まり「 偉いな 」と呟くとリリアナの頭を大きな手で優しく撫でた。
「 わたしはこどもじゃないのよ!? 」
「 そうか 」
「 もー! シキおにーちゃんってば、すぐ頭撫でるんだからー! 」
 シキは体躯は立派なものの、まだ十代の若者であるということを知っていたからリアムも「 娘に汚らわしい手で触れるな! 」と思うこともなく、シキとリリアナが話をしているその様子を微笑ましく見守っていた。
 そんなシキを見つめていると、ふと既視感デジャブがあった。行動に、ではない。彼の髪色と目の色に物凄い既視感デジャブがあったのだ。

――たゆんっ。

 リアムの脳内でカヌル山の如き双丘が揺れる。
 これは、ナタリアのものだろうか。否、もっと最近見たものだ。
 どこで見た?
 結社の廊下で今日と同じように人にぶつかった時、見たのではなかったか。

『 ふーん…… 』

 記憶の中で青と緑が混じった様な女の目が蔑むように嘲笑するようにリアムを見つめていた。
 ヴォイド・ホロウ。確かそんな名前の女だった。
 そう思い出した瞬間に記憶の中にヴォイドがしっかりと浮かび上がる。
 あの時も彼女の事を不思議な色の目だと思ったが、目の前のシキも同じような色をしている。もしかしたらリアムが今まで会ったことがないだけで、地域によっては珍しくない色彩いろなのかもしれない。
「 あー! シキ、こんな所にいたんだ 」
 リアムがヴォイドのカヌル山と不思議な色の目に思いを馳せていると、少女とも少年とも断言しがたい声がシキの後ろから上がった。シキの体格に隠れてすぐには見えなかったが、やがてその声の人物がアイボリー色の長い髪とスカートの裾を揺らして近付いてきた。
「 あ、テディちゃん! 」
 どうやらリリアナは顔見知りのようだった。しかし、いつもならば「 おねーちゃん 」か「 おにーちゃん 」が呼び方につくのに今日の謎の人物に対しては「 テディちゃん 」。これではリアムは性別が理解できない。
「 リリアナだー。ってことは、パパ? 」
 長い睫毛に彩られた「 テディちゃん 」の赤い目がリアムを見るので、リアムは肯定するために頷いた。何も言わないのは「 テディちゃん 」の性別が分からず、どんな風に話し掛けたらいいのか分からないからだ。
 喉を見れば男性か女性か分かるのではないかと考えたが「 テディちゃん 」は肌寒くなりつつある季節を意識しているのか薄手のストールを巻いており、そこから性別を読みとることは出来なかった。逆に考えれば隠しているのだから喉仏が出ていて男性なのかもしれない。どちらにせよ怪しい人物である。
「 なるほど、リリアナが『 うちのパパは世界一格好良い 』って言ってただけはあるねー 」
 前言撤回。「 テディちゃん 」は良い人だ。
 リアムは掌を返すように「 テディちゃん 」への評価を変えた。
「 テディちゃんってば、それはパパに言っちゃだめなのよ! 」
「 あれー? そうだっけ? ごめんねー? 」
 プンスカとばかりに怒るリリアナに笑って謝る「 テディちゃん 」。
 その様だけ見ていると女の子のようにも見えるような気がするが、何処とは言えないがどこか少年ぽさも感じられるような気がする。
 本当に「 テディちゃん 」の性別は、どっちなんだ?
 リアムは悩んだ。顔には出さずに凄く悩んだ。
「 シキ 」
 悩んでいると「 テディちゃん 」がシキに何かをおねだりするように両手を伸ばした。それを見たシキは「 テディちゃん 」に背を向けて屈み込む。
 そのポーズはリアムも良くリリアナに向かってしてあげているから何が起きるのか予想するのは容易だった。容易だったが何だか信じたくなかった。
 「 テディちゃん 」は未成年らしき年頃とはいえ未就学児童ではない。
 そんな「 テディちゃん 」がシキにおんぶされるなんて。
 唖然とするリアムを前にシキは「 テディちゃん 」を軽々とおんぶしていた。「 テディちゃん 」はスカートを履いているが下着は見えたりしないのだろうかと娘を持つ親目線で心配するものの、覗き込む変態行為に走る訳にもいかないのでリアムは心配することしかできない。
 そんな父親の内心なぞ露知らず、おんぶしたシキと、おんぶされた「 テディちゃん 」を見たリリアナは目を輝かせていた。
「 楽しそうね 」
「 今度リリアナにもやってあげる 」
「 ありがとう! 楽しみにしてるわ……ま、まあ、シキおにーちゃんがどうしてもやりたいって言うならだけど! 」
「 うん、俺がやりたい 」
 そう言って微笑むシキ。リリアナの大人ぶりたい性格を分かっていて彼はわざとこのように言っているのは明らかで、彼は出来る男だとリアムは判断した。
 しかし“ 出来る男 ”は危険だ。リリアナが惚れたらどうしてくれる。
 「 テディちゃん 」をおぶって去っていくシキを見つめながら、そういう意味でシキをリリアナに近付けたらいけないと考えるリアムであった。
 なお「 テディちゃん 」のスカートの長さは絶妙でパンツは見えなかったことを付け加えておく。

 * * *

「 ……なあ、リリ 」
「 なぁに? 」
 食堂でミルクプリンを食べる愛娘に食事中に考えても分からなかったことを遂にリアムは問いかけることにした。
「 『 テディちゃん 』は男か女か、パパに教えてくれないか? 」
 リアムの問いにリリアナはスプーンを咥えたまま首を傾げる。
「 見ての通りよ? 」
 その「 見ての通り 」がリアムには分からないから聞いているのだが、残念ながら幼児のリリアナにそれを察する力は無い。それ以上はパパの自尊心プライドにかけて深く聞く訳にもいかず、リアムは「 ……そうだな 」とだけ答えることにしてリリアナがミルクプリンを食べる愛らしい姿を珈琲を飲みながら眺めていた。


――後日、職権乱用をして「 テディちゃん 」の履歴書を見たリアムは性別と本名を知って驚くことになる。そして、女装男子である彼もまたリリアナに近付けてはいけないと固く違うのであった。
 しかしさらに数日後、リリアナのためにとセオドア( テディの本名である。念の為。 )が安くて可愛い服の売っているお店をリアムに教えてくれたことで評価は一転し、セオドアを娘が呼ぶように「 テディちゃん 」と呼ぶようになったリアムなのであった。

教育に悪いマルフィ結社(後編)

「 リリ、リリー? 」
 調達ナリル班の購買で目を離した隙にリリアナがいなくなってしまった。しかし、ここはマルフィ結社の中。いくらリリアナが目の中に入れても痛くない位に可愛いとはいえ、結社内に誘拐犯がいるとは考えられず、リリアナが勝手にどこかへ行ってしまったのだろう。
 そう思いながらリリアナを探してリアムは歩いているのだが、なかなかリリアナの姿が見付からない。簡単に見つかると思ったものが見つからないと徐々に心配が蓄積されていく。これは、やはり誘拐犯が結社に居たのではないかとリアムが思い出したその時だった。
「 あ、パパ! 」
 リリアナの声に振り向くと、見知らぬスーツ姿の男性と手を繋いでリアムの元へと向かってくるリリアナの姿があった。見知らぬ男が一緒にいることで思わず身構えて表情を固くするリアムであったがリリアナが笑っていることから変なことはされていないようであるし、結果としてスーツ姿の男は悪い人間ではないのだろう。
 男から手を離してリリアナがリアムの元へと駆け寄ってきた。そんなリリアナにリアムは注意をする。
「 勝手に何処かへ行っては駄目だろう? 」
「 ごめんなさい、パパ 」
 しゅんと萎れた花のように謝るリリアナに彼女が無事で本当に良かったと思う。しかしリリアナは普段ならば勝手にどこかへ行ってしまうような子供ではない。彼女に何かあったのだろうか。
 そう思いつつ、リアムはリリアナを連れてきてくれた男を見た。
 男は端正な顔に笑みを浮かべてこちらを見ているが、やはりその顔に見覚えは無い。男の正体を探ろうとリアムは男の顔をじっくりと眺める。
 そんなリアムの視線を受けても尚、男は目をそらすことなく静かに微笑むばかりであった。
「 うふふ……少々、お耳を拝借させていただいても? 」
「 はぁ。どうぞ? 」
 スーツの男はリアムに許可をとると音も無くリアムに近づいた。空気が動いて香ってきたものは彼の煙草香だろうか。
 リリアナに聞こえないように配慮するかのような態度で男はリアムに囁く。
「 どうやら、お嬢さんは御手洗に行って道に迷われていたようですよ 」
 囁く声で言うのは、大きな声で「 トイレに行って迷子になっていた 」と大人の男性に言われたらリリアナの幼いなりにもちゃんとある自尊心プライドを傷付けかねない為だろう。そんな男の気遣いにリアムは素直に感動した。
「 娘を連れてきていただき、ありがとうございました 」
「 ありがとう、ロードおにーさん 」
 父親に続いてお礼を言ったリリアナに、リアムは男の名前がロードということに気付く。
 そういえばこちらも名乗っていないし、まだ男の名前を聞いていない。
「 私は総務班のリアム・シュミットと申します。失礼ですが貴方は…… 」
「 これは失礼。人事部のロード・マーシュと申します 」
 ロードの言葉にリアムは疑問を抱く。
 マルフィ結社の全体を取り仕切る総務班と名前の通り人事を司る人事部は連携をとることも多く、マルフィ結社に来て日の浅いリアムでも何度か人事部の部屋は訪れていた。人事部の部屋にこのロード・マーシュと名乗る目の前の彼がいたら必ず目を引くはずだが、出会った覚えがない。
「 うふふ、私は新規勧誘課なので外回りが多くて今までお会いしたことがなかったですね 」
 リアムの内心が筒抜けのようにロードは答えて微笑む。
 心を読むことは現実問題として出来ないのだから、話の流れからリアムの疑問を察したようだ。どうやらロードは眉目秀麗なだけでなく、機知縦横、頭脳明晰な人間のようだとリアムは感心した。随分と優秀な人間がマルフィ結社にもいるものだ。
「 では、お父様も見つかったようですし私はこれで失礼致します 」
「 ロードおにーさん、さようなら 」
「 はい、さようならです 」
 リリアナが手を振ると、彼女に視線を合わせるように屈んで小さく手を振るロード。子供の扱いまで完璧な男である。
「 ありがとうございました 」
 リアムが今一度礼を言うとロードは会釈して去っていく。去って行く歩き方すら颯爽としており、サイズが見事に合ったスーツも高級既製品プレタポルテ高級一点物オートクチュールと思わせる作りをしていた。
 本当に素晴らしい人間がマルフィ結社には居るものだ。
 リアムは改めてロード・マーシュという人間の素晴らしさを評価する。
「 素敵なお兄さんね 」
「 ロナお兄さんよりも? 」
 リリアナの呟きに、わざと意地悪に問いかけるとリリアナは首を横に振った。
「 ロナおにーさんはリリの特別なのよ。でもね 」
 言葉を区切ってリリアナはにっこりと笑う。
「 一番はパパなのよ 」
 嗚呼、うちの娘は今日も可愛い。

 * * *

 その日、リアムは上席から決済が出た書類を起案者ごとに分けていた。
「 これは……第六小隊か 」
「 シュミットさん 」
 いきなり真横から女性の声で苗字を呼ばれてリアムは思わず肩を跳ねさせた。気配も足音も感じさせないスピードでリアムの横に立っていたのはフィオナ・フラナガンだ。虹彩異色症オッドアイのように見えるカフェオレとコーヒーのような色をした目には何やら怪しい光が湛えられている。
「 ふ、フラナガンか。いきなり寄るのは止めてくれないか 」
「 それ、第六小隊の書類ですか!? 」
「 そうだが? 」
 人の話を聞けよ、と思ってもリアムはそれを口に出すことはしなかった。見た目は無害な草食動物のようなフィオナだが、とにかく口が達者だ。彼女の外見に騙されて舐めてかかり撃沈していった他部署の人間は多い。
 そんな草食動物の皮を被った肉食動物のフィオナがピシッと音がしそうなくらい綺麗に手を上げた。学校の授業中に自信のある問題を答えたがっている生徒くらいの見事な挙手に、リアムは若干引きつつ問いかける。
「 どうした? 」
「 わたしが行きます! いえ、行かなければいけないのです 」
 わざわざ言い換えてまで行きたいと主張するフィオナを、リアムは止める理由は無かった。そういえば清掃班の女性と立ち話をした時に、第六小隊の小隊長は格好良くて女性陣に人気があるとか聞かされた気がする。しかも人気があるのだが、どういう訳だが女性を躱すのも上手くなかなか会話に漕ぎ着けないため『 雲隠の魔術師マジシャン 』と呼ばれているとか呼ばれていないとか。きっとフィオナもその噂の小隊長に会いたいのだろう。
 当然のことながらフィオナが会いたいのは小隊長のユウヤミ・リーシェルではなく、彼に静かに付き従う機械人形マス・サーキュのヨダカである。しかし、付き合いの浅いリアムはそんなことは知らない。
「 そうか。では、宜しく頼む 」
「 はい! 必ずしろいの、いえ、ヨダカさんではなく、くろいのではなかった、小隊長さんに必ず渡します 」
 リアムには何やらよく分からない返答をしながらフィオナは書類を受け取った。フィオナの言う『 しろいの 』『 くろいの 』は「 大きなナラの木の下で 」という作品に出てくる登場人物というか登場にゃん物だ。
 しかしドラマ放送当時には社会人で、更に元々テレビをあまり見る習慣の無かったリアムはフィオナの言葉を理解することはなかった。とはいえ別にフィオナも理解してもらおうという気は無いので何ら問題は無い。
「 それでは行ってきます 」
 浮かれた様子で去って行くフィオナの後ろ姿を見て、リアムは彼女が無事にユウヤミ・リーシェルに会えることを祈るしか無かった。そんなことを思いながら作業を黙々と再開する。
 他の決済書類を分け終わり、それらを効率よく渡しに行く為に脳内で結社の地図を描いていると肩を軽く叩かれる。振り向くと、そこにいたのはセーラー服を纏った少女だった。しかし少女だからと侮ってはいけない。彼女――クロエ・バートンは、とにかく口が達者だ。彼女の外見に騙されて舐めてかかり撃沈していった他部署の人間は多い。
 そこまで考えてリアムは先程のフィオナ・フラナガンでも同じことを思ったことを思い出して、総務班総務部の女はそんな女ばかりかと思わず脳内ツッコミを入れた。特にクロエなんてまだまだ成人とはいえ大人の庇護が必要な年頃だというのに強すぎやしないか。
 大人しくて声を荒らげたりしない優しい女性はマルフィ結社に、いや、この世にいないのだろうか。
医療ドレイル班宛の書類があれば持っていきますが 」
 そう言ってクロエは手を差し出す。確かに医療ドレイル班の人間に渡す書類も持っているが、何故医療ドレイル班限定なのか。
医療ドレイル班に何かあるのか? 」
「 ええ。ミアに……友人に用がありますので、ついでに 」
 『 ついで 』が仕事の用件なのは如何なことかと思うが、リアムは大人しく書類を渡した。クロエの言う『 医療ドレイル班のミア 』はリアムにとってマルフィ結社に来る前から一方的に知っている存在で、彼にとっては『 花屋のお嬢ちゃん 』だ。かつて愛しの女性に花を贈る為に足繁く通った、ある意味では苦い思い出の花屋の娘であるのでリアムとしては彼女が自分に気付いていないことを強く強く願う。
 それにリアムも十月朔日に入社したばかりだがクロエの入社は更に後だ。まだ慣れないことも多いだろうクロエに、もう同世代の友人が出来ているのなら大人として微笑ましく見守ってやりたい。
「 うふふ、お預かりします 」
 プリーツスカートを翻してクロエが去って行く。その笑い方に既視感デジャブがあったが、はたして何処で聞いたのだったであろうか。
 理由はともあれフィオナとクロエのおかげで手持ちの書類は減った。あとは自分で渡しに行こうとリアムは近くにいたユリアにその旨を告げて総務部の部屋を出たのであった。

 * * *

「 こないだロードにお勧め貰った店、最高だったよ 」
「 うふふ。楽しんでいただけたなら何よりです 」
 休憩所を通りすがったリアムの耳に飛び込んできたのは男性二人組の会話だった。会話に何らおかしいところはないが、その笑い方と『 ロード 』という名前に聞き覚えがあったからだ。先程のクロエに既視感デジャブがあった理由は、先日迷子になっていたリリアナを助けてくれたロードの笑い方に酷似していたからなのだ。
 もしかしたら二人は知り合いなのだろうか、今度聞いてみようか。
 ある意味では死亡フラグのようなことを思いながらリアムはそっと休憩所を覗き込む。そこにいたのは黒髪に黒いスーツの男性と、自分に似た焦茶色の髪をした兎頭国の衣装らしきものを着た男性だった。二人ともリアムに背を向ける形になっているので、リアムには気付いていないようだ。
 黒スーツの男性は座っていても美しい姿からして間違いなくロード・マーシュだ。兎頭国人の方は初めて見る男性だ。
 いくら素敵な男性であるロードがいるからといって聞き耳をたてるのはいけないと思うリアムであったが兎頭国人の言った『 ロードにお勧め貰った店 』が気になった。彼のような人が他人にお勧めする店とは、どのような店なのだろうか。
「 女の子の胸がさぁ、おっきくて本物で最高だった 」
 リアムの言語理解能力が兎頭国人の言葉を違う言葉に拾ってしまったようだ。確かに女性の胸は大きいものが良い。いや、違う。今はそういう話ではない。
「 こないだフラッと入った店の女の子、立っていても寝ていても『 お椀型 』で萎えたよね 」
「 それは旧来のシリコンバッグですね……今は立っている時は『 しずく型 』になる医療用コヒーシブシリコンジェルを使用していることが多いですから 」
「 偽物だよねとも指摘できないし、まぁず困った 」
「 シリコンバッグは触れば直ぐに分かりますし、ヒアルロン酸か脂肪の注入が良いですね。そうは言っても一番は天然物ですが 」
「 だよね 」
 何故、そんな知識があるんだ。ロード・マーシュ。
 しかしながら自分の聞いたものが聞き違いでは無かったと理解したリアムは頭痛がした。
 先日に出会った時は紳士的な素敵な人であると思ったのに、こんな昼間から誰が聞いているか分からない休憩所で女性の胸について語り合う人間だったとは。しかも、そのような店を人に紹介を出来るほど遊び歩いているなんて人は見かけによらないものだ。
 唖然としているリアムの耳に何とか班の誰々の胸が大きいだの誰々の胸も偽乳だの何だのと言った本人達が聞いたら憤慨しそうな会話が飛び込んでくるが、己の知識に入れると今後の円滑な人間関係に支障が出そうだったのでリアムは右から左へ受け流す。
「 チチといえば 」
 いや、まだ続くんかい。
 そう思いつつも「 チチ 」の話題に聞き耳をたててしまう。
「 チチバナナってエロくない? 」
「 ほぅ……それはどこで? 」
「 偽乳の後に行ったガールズバーのカクテル名 」
「 それはそれは……うふふ 」
 含み笑うロード。「 チチ 」に「 バナナ 」は男性的にはナニかを彷彿とさせるものだ。とんでもない名称のカクテルもあったものである。
「 しかもさ 」
 兎頭国人がニヤリと笑った。尤もリアムからは背中しか見えないので雰囲気で察しただけである。
「 ノンアルもあったんだ、その店 」
「 ノンアルコールということは…… 」
 ロードもニヤリと笑った。尚、こちらもリアムが雰囲気で感じ取っただけである。
「 ヴァージンチチバナナ 」
 酒が入って酔っ払った状態でそれを見たならば大変に爆笑することになる名称だ。男にエロさを感じさせる単語がこれだけ並ぶカクテル名は店側も狙っているとしか思えない。
「 今度、私も連れてって下さい 」
「 そのいとに行くかい 」
 その後、二人の話題が他に移っていったのでリアムはそっとその場を離れた。色々と衝撃的な話を聞いてしまったような気がする。ヴァージンチチバナナの話ではない。ロード・マーシュが清廉そうな顔をして遊び人であったことである。
 とりあえずリリアナをロードに近付けさせるのは止めよう。
 そして、あのお兄さんは危険だから近付いてはいけないと上手い理由をつけて教えておかなければならない。
 一度でも彼を素晴らしい人間と評価してしまった自身の見る目の無さを呪いながら、固く固く誓うリアムなのであった。





【 どうでもいい補足 】
※ チチ → ウォッカ、パイナップルジュース、ココナッツミルクのカクテル。
※ ヴァージン → カクテルのレシピからアルコールを抜くこと。