薄明のカンテ - 鬼さんこちら/燐花


もういいかい

世の中金だ。そう言っていた父が経営悪化から破産した上何もかも全部捨てて浮気相手と心中したのも、それを怨んで怨んで母が幼い私を連れて岸壁街に来たのも昨日の事のように覚えている。
その頃から私は弁の立つ嫌な子供で、それを武器として大人に取り入って生活していた。母がこちらに全く関心が無くなり娼婦として生活を始めたので生きていく為にそれを真似して男女問わず男娼紛いの事もした事はあったが、それ以上に与えた物をスポンジの様に吸収し、体得する私を大人は大層気に入った。自尊心を満たしたいが為に私を使う事は多い。それは「自分が無垢な子供に与えてやった」と言う満足感でもあり、「教えた通りにやれたと言う事はやり方が間違っていない」と確信出来る満足感だ。
だから私は普通の子供のフリをする。子供らしく、何も出来ず鈍臭い。本当は出来る事も出来ないフリをする。大人からの評価は上々。おそらく私が大量虐殺でも起こそうものなら彼らはインタビューでこう答えるだろう。「大人しくて特に問題のある子だと思わなかった」と。
そんな私は子供同士のコミュニティには入れなかった。早々にミクリカ支部の頭目も任される様な組織の大幹部に見初められたと言うのもあったが、岸壁街と言う狭い世界の中ですら住む世界は分かたれる物かと当時は不思議に思ったものだ。
私はあの地の子供にしてはやたらと小綺麗だった。それは年頃になっても変わらずで、私は同年代の子供とまるで交流が無かった。
彼女を見たのは、もうかれこれ十二年くらい前かもしれない。
下層の空いたバラックを居住地にでもしようと気紛れに瓦礫を漁っていた時、突如地鳴りの様な音が響き渡った。一瞬身構えたが、それが彼女だった。
ダダダっと走って来た彼女は、着いた先で私の姿を見付けると、まさかの巻き込みと言うか、私の掃除した瓦礫の山にあった隙間に躊躇なく突っ込んだ。面食らってそのまま立ち尽くしていると後ろから追ってくる男。彼はエプロン姿に包丁を持っていた。
「おいボウズ!女のガキがこっち来なかったか!?」
ああ、瓦礫に突っ込んだこの子か、とはすぐ思ったが、ここでこの子を引き渡すと言う事はこの厄介ごとに手を出すと言う事。それは御免被りたかったのでその場はやり過ごすことにした。
「さあ?私は何も見てませんよ」
「嘘つくと為にならねぇぜボウズ…あのガキ、何度も何度も俺の店で食い逃げしていきやがって…!」
何度も何度も、それを聞いて思わず噴き出す。
「何笑ってやがんだ!?ボウズ、テメェから先切り刻んでテメェの指から出汁取ってやってもいいんだぜ!?」
私は向けられた包丁に静かに手を伸ばすと瞬時に彼の腕から取り上げ横に薙ぐ。それは彼のエプロンの紐を切り落とし、彼の皮膚を少し傷付けた。
「私が何も見ていないと言ったら、それは見ていないんです。忠告はこれきりです。私を貴方の抱える厄介ごとに引き込むと言う事はどう言う事か、分からない訳では無いでしょう?貴方のプライドと食い逃げ一人の為に親切に出てやる程暇では無いんですよ「我々」はね」
語尾を強調したら男は何かを察したらしく、「そんな地上の人間様みたいな格好でうろついてんじゃねぇや!」と悪態をついて去って行った。
瓦礫の山を何とか持ち上げるとのそりと彼女は起き上がった。その手には唐揚げの入ったタッパーを持って。
「あー助かった」
「えっと、君は…?」
「…?何で地上の人がこんなとこいるの?私下に逃げてたのに上がってたの?」
本気で考え込む姿に、さっき中途半端に噴き出したのもあったのか思わず涙を流して笑ってしまった。彼女は少しじっとりした目でそんな私を見つめていた。
「そんな笑う…?」
「失礼しました…私はたまたまこう言う服が着れる人間とだけ言っておきます」
「ふーん、私ヴォイド。私の名前、ヴォイド」
「ヴォイドちゃんって言うんですか?」
「ちゃん付けないで恥ずかしいから」
少しだけ年下の様に見えたが何だか言葉遣いがたどたどしくて見た目より幼く感じる。彼女は少し何かを考えて手に持ったタッパーを取り出すと中の唐揚げを一つ私の口に放り込んだ。お世辞にも質の良い肉とは言えないが、何だか妙に美味しく感じた。
「それお礼」
「ああ、ありがとうございます。しかしヴォイド、同じ店で何度も食い逃げはいけませんね」
「何で?怒る?」
「私は怒りません。でも店主は怒ります。あの男はひょっとすると次捕まえたら貴女を娼館に売り飛ばすつもりかもしれませんよ」
「ん〜…気を付ける」
「よろしいです。では、貴女は貴女の居場所にお帰りなさい」
じゃあね、と手を振るヴォイド。彼女は相当足腰が強い様で、足場の悪い場所もぐんぐん登って行ってしまう。猿みたいな子だなぁ、と思いながらヴォイドを見送って瓦礫の山漁りを再開。元々ホテルだったのか設備が整っており水回り等軽い整備ですぐ使えそうだった。まだここに住む準備もまだなわけだからと軽くゴミをどかして全体を眺める。
「そう言えば…子供と久し振りに喋りましたね…」
齢十六にして歳の近い子と久し振りに話をした。たったそれだけで新鮮な満足感に満ちている。本当に、たったそれだけでこの時、まさか強烈に彼女が心に刻まれたとは夢にも思わず。私が初めてまともに喋った少女、ヴォイドに不思議な感情を抱いたのは、再び彼女の姿を目にした時だった。

もういいよ

「ボスは甘ぇぜ。あの小僧…ロードにガキの頃から服は与えるわ飯は与えるわ…」
「あの野郎、ボスとデキてんじゃねぇの?」
「女みてぇなツラしたガキのくせに綺麗な服着てな。ここじゃ目立つぜ」
勢いよくドアを開けて中に入る。先程まで下卑た笑みを浮かべて私の笑い話をしていた連中が一斉に口を閉じた。どこに行ってもそういう事はあるだろうが、ここでは浮いた私がかっこうの的となっている。だからと言って特別困る事は無い、むしろ利用させてもらっていた。
「どうも、こんにちは兄さん」
爽やかに挨拶すると男達はバツが悪そうな顔をする。
「兄さん、最近随分お疲れのご様子で。顔色がお悪いですよ、お酒飲み過ぎてません?」
「…それがどうした。お前には関係ねぇだろクソガキ」
「関係ありますよ。最近シノギが少ないとボスもぼやいてますからねぇ〜」
ガタタッ!と慌ただしい音を立てて男達が立ち上がる。その顔は怒りに満ちていて私を威圧せんとしている。背水の陣たる自覚はあった様だ。
「私に関する無駄口も結構ですがね。知りませんよとだけ言っておきます。貴方達曰く女顔のクソガキに気を取られてやる事もやらずに居座るなら末路は見えますね。女顔のクソガキにも劣る玉無しを好き好んで置いとく人間いないでしょう」
「ンのガキ…!!」
「と言うわけで基本として穏便に行きましょう、穏便に…。貴方達もそんな図体でウリでもしてきます?物好きはいるかもしれませんよ?まあ、それで勃つ変態が居てくれればの話ですが」
もう一つ学んだ事がある。どうも自分の周りではアンバランスな姿に魅力を感じる人間が多いと言う事だ。私は常に敬語を崩さずいる。物腰も柔らかくあろうと思う。が、言葉のチョイスがたまに物凄く下品だ。勿論わざとなのだが。私が何か下品な事を口にすると驚く者が多かった。中にはどう言う感情かニヤニヤ笑うものもいた。何故か気に入ったと褒められる事もあった。勿論長くは続かないがそれでも使っていれば慢性的に仲間でいられる。
男達が部屋を出て行くのを見て思わず溜息を吐く。全く毎度毎度疲れる事で。
「お前に直接言われちゃ終ぇよ」
後ろで誰かが笑った。
「いやいや、そんな事は…」
「相変わらず上品なフリして下品な野郎だぜお前はよ」
「うふふ…こんなところで育てばそうもなりますよ」
漠然と下層の空いたバラックを居住地にしようとしていたが、この頃パーソナルスペースが欲しいとぼんやり考えていた。何も考えなくて良い部屋が欲しい、たったそれだけ。今はボスの部屋を間借りしている。とは言えボスはほぼ出突っ張りなので一人で使ってるとも言えるが、それでも壁も装飾も自分の好みと違うところにいるよりかは粗末でも一から作った何かが欲しかった。
何日かして廃材やら瓦礫やらは以前より綺麗に片付ける事が出来た。最低限のライフラインの確保をとも思ったが、岸壁街の中を考えれば十分過ぎる出来だ。
ふと周りを見回すと、ここは本当に暗いところなんだと自覚する。ここでかくれんぼをしたら見つからないだろうな、と幼稚な考えに一人せせら笑った。
かしゃん、と音がしたので思わず身を屈める。別に何者かと対峙したとして負けるつもりは無かったが、この鬱蒼とした下層独特の空気に飲まれたのかもしれない。現れたのは、サンドベージュの髪を綺麗に結わいた少年だった。横に居る女は娼婦の様で彼の腕に絡み付いている。
「テオ、もう行っちゃうの?」
「ああ」
「最近来てくれないじゃない、つれないの…」
「今日来ただけでもう勘弁してくれ。今はあっちが本職なんだよ。二足のわらじはもう限界だからさ」
話から察するに男娼の様だった。私は彼を食い入るように見つめた。なるほど、娼婦に買われる仕事をしていたのか。長い髪とは物好きな客もいたのだろう。それとも、男を受け入れた事もあるのかな?嗜虐心がくすぐられ妄想も膨らむ。舌舐めずりをしながら彼を見つめた。するとそこに思わぬ来客があった。
「テオ」
「ヴォイド!お前、また痣作って…ちょっと見せてみろホラ」
あの時の、あの少女。
ヴォイドが少年に近付くと娼婦はあからさまに嫌そうな顔をした。
「ふんっ、つるぺたのチビがお出迎えよ」
「…つるぺたは好きじゃない。せめて猿と言え」
「おい、猿って褒め言葉か…?」
「この間仕事したら動きが猿みたいだって褒められたの」
言いながら少年に近付くヴォイド。娼婦はますます苛々し出したが、少年は御構い無しに娼婦から離れる。離れた場所で少し立ち止まって比較的綺麗な水でタオルを濡らしヴォイドの顔の痣を冷やしてやる姿、それは兄の顔にも見えた。だが、一方のヴォイドの彼を見る顔は妹や子供のそれでは無かった。
「また女の人のところにいたの…?」
「んー?何だよ彼女みたいな事言うなぁ…」
「…また女の人のとこでやらしい仕事して来たんだ」
「俺の始まりはそれだからな…でもお前は、せっかく今までそんな仕事せずここまで生きてこれたんだ。もっと自分を可愛がってやれよ、痣になる様な事するな」
「うん…」
痣になっていた頬に手を添え優しく語り掛ける少年。それは年長者の年下の者に対する慈悲に見えた。きっと彼は男娼経験から数多の娼婦を見て来たのだろう。生きるのに必死な姿を、決して綺麗ではいられない姿を見て来たのだろう。だからヴォイドに言ったのは希望だ。願望だ。そのままの君でいて欲しいという切望だ。
そしてヴォイドもそれを分かっている。分かっているが、きっとそれ以上の感情を今彼に抱いている。
岸壁街の最下層、陽の光もほぼ届かない様な所で見た小さな絆。
…欲しい。欲しい、それが。喉から手が出る程欲しい。きっと今の環境でいたらあの子はずっとあの少年に恋い焦がれその猿の様な身体捌きで仕事を続けるつもりだろう。少年はあの子の気持ちには気付くのか?気付いたとして今の距離でいたら異性として見れる時は来るのかな?今のこの距離がいいのであってその後発展するならまだしも離れてしまっては違う、この距離感、この稚拙な尊さが私は良いと思います。そんな二人を見るのは大変美味しいと思うんですけどね。
あの子がくれた唐揚げの味を思い出す。あんな風に私に分け与えてくれたあの子。それでもあの子は、私には今のままではきっと彼に向けているのと同じ目を向けてはくれない。
欲しい欲しい欲しい欲しいんです貴女の恋をする目を私に向けて欲しいんです違う男にその目を向ける貴女に一瞬でこいをしました彼に向けた目が欲しいんです、私。

みぃつけた

そうかそうかあの少年の名はテオフィルス・メドラー。なるほど数年前クラッカー集団に入ったなかなか使える子供とは彼の事か。
母は娼婦父は不明、典型的な岸壁街の子ですねぇ。最近は子供の型の機械人形の主人になったとか何とか、もしかしてそう言う趣味ですか?いやいや流石に違いましたか。
それにしてもやはり岸壁街、しかもクラッカー集団に入ったとあってなかなかにヒョロヒョロですねあのままでは襲ってもなされるがままになりそうだなぁおっと失礼、つい興奮してしまいまして。
ヴォイドはきっと私のことなぞ忘れているでしょう。だから、手を回す事にしました。
あの辺り一帯に圧力を掛けて彼女に出来る仕事を減らさせましょう。じっくりゆっくり、バレない様に、猶予は二年くらいでしょうか。
徐々に徐々に出来る事を減らさせて彼女の自尊心をきっと傷付ける事になると思います。けど一時的なものですだって私が貴女を囲いに行きますから。
私しか頼れる人間が居ない空間で私だけを見ていてくださいそんな空間で私だけを求めて下さい私だけに貴女の全てを見せてください私の名前だけを呼んで下さい私の事だけ受け入れて下さい時に私を蔑んで下さい時に私を軽蔑して下さいそれでも最終的に私しか居ないと認識して下さい私に貴女を奪わせて下さい。
うふふふ…ついつい、この昂りを止める事は難しそうです。猶予を設けましたが、長くなりそうですねぇ…それはそれで、身悶える時間が長ければ長い程成就した時の快感は計り知れないでしょう。ある意味の禁欲もまあプレイの一環と言うことで受け入れられます。
ああ、早く、早く、早く、早く、私にお礼として大切な食糧すら容易く分けてくれた貴女が。
絶対に彼以外には見せない目を彼に向けていて。
いっそ腹癒せに彼を犯してしまおうかと言う気持ちとそんな二人を見ていたい気持ちが入り混じりおかしくなりそうでしたけど貴女を奪いたい気持ちが日に日に強くなるのです。
貴女の今の幸せを、日常を、きっと私は壊します。
きっと壊しますが、代わりの悦びを、日常を、きっと貴女にあげますよ。
早く、早く、貴女の隙が最大限まで広がるその瞬間を、私に。

ヴォイドはちょうど二年くらいで身体能力を活かした傭兵の様な稼ぎが出来なくなりました。
体も大きくなり食い逃げも失敗が多くなり、お腹を空かす事が増えました。
彼に言われてあんなに忌避していた娼婦への道を歩まざるをえなくなりました。
彼女を狙っていた男に仕事を持ち掛けられていました。だから全員消えてもらいました。
上手くやったつもりだったのにボスに嗅ぎ付けられました。耄碌してると思ったのに、岸壁街の変化には敏感ですねぇ。
まだ俺しか気付いてない、見て見ぬ振りはしてやれる、と言われました。情けですか?貴方ほどの男が。まあ良いです何でも。
パーソナルスペースを作る予定だったあの場所に居を構えました。元々ホテルだったのも考えればあるべき姿に戻った感じです。
鍵を五重にし、窓は嵌め込みにしました。
ここは、私の作った私と貴女だけの場所です。
彼は、ヴォイドが居なくなって焦るでしょう、心配するでしょう。
でも、ここはそう言う場所なんで、もしかしたらと最悪な想像をしたとして、それでもすぐ乗り越えてくれるでしょう。
そんな彼を見るのも良い気がします。
そうすれば、あの目をした彼女を手に入れた感覚がより強まるので。
初恋の話でしたっけ?それとも生い立ち?
どうでも良いです、あの二人を見た瞬間から私の心は独占欲にかられ、飲み込まれてしまったのですから。

私の心が少しだけこの独占欲から解放されたのは、更に二年後。
私らしくない、少しおいたが過ぎてしまったが為にボスにとうとうアスに飛ばされ彼女から離れてしまった時。
立ち寄って覗き込んで、彼女と二人で暮らした場所がもぬけの殻になっていた時。
彼女は何をしても、これまでの私のやり方では私の横にいてくれないと悟った時。
私は、ただ独占欲に飲み込まれた結果何も残っていない現実を思い知った。

そしてもう一度、今度こそ恋をしました。




今は健全に気持ち良い事が好きです、はい。