「何を言っているの!?ふざけるのも大概になさいっ!!」
ダンッ!と音を立てて叩き付けられるテーブル。その振動に揺れたティーカップはカタカタと音を立て、背の高いグラスは自重に耐えかね床に落ちる。ガシャンと言うガラスの霧散する音に背中を押される様にギルバートは口を開いた。
「お母様…僕は至って大真面目です!この気持ちに嘘偽りはありません!」
「ええそうでしょう!お前は遊びや一時の戯れで女性にうつつを抜かす様な人間ではないでしょう!だからこそ問題なのが分かりませんか!?貴族で無いだけならまだしも…岸壁街の出ですって!?」
ああ、と喉から声を漏らしソファに座り込む母。頭を抱えるとさっきまでの勢いはどこに行ったのか、とても小さな声を絞り出した。やはり母には躁鬱の気がある。故にギルバートはこの話題を出して良いものか迷ったのだが、自分自身を鼓舞する為にもとこの日母に思いを打ち明けた。
「……お父様も今床に伏せていらっしゃるの…あれ以来貴族達に心の病だ何だと良い的にされているのは貴方も知っているわよね…?それでも私はまだ耐えていられるわ…お父様を愛しているし、そう言う目で見られる様になったのはお父様が病気になられてからだからって…。でも貴方が好意を寄せていると言ったお嬢さんは?貴族ではないと言うのは、社交界で一目も見ていなかったからって、きっとこの広い様で狭い貴族社会ではあっけなくバレてしまうわよ…?そうしたら、貴方が迎え入れたその瞬間、ここはお嬢さんにとって居心地の悪い場所になってしまうわ」
「僕は…彼女を守り抜いていく覚悟があります」
「口で言うのは簡単です。守るって具体的にどうするの?ギルバート。人の口に戸は立てられないのよ?誰かが一つ身勝手な噂を立てたら、例え出どころを取り締まっても次の瞬間には他の人の口から耳へ…そうやって終わりの無い鼬ごっこを貴方は続ける覚悟があるかもしれないけれど、話題にされるのはそのお嬢さんかもしれないのよ?」
「…それでも…僕は…」
決して貴方自身の幸せを願っていないと言う事では無いの、と続ける母にギルバートも押し黙る。意外だった。母の事だから、家柄に拘って頭から彼女を否定するのかと思ったのだ。だから多少の反抗心を見せても啖呵を切るつもりでいた。だけど、今反対している理由は「彼女が辛い思いをするから」だと言われ、ギルバートもこれには言い返す言葉が見付からなかった。
「僕には…具体的なものはまだ出せないかもしれません…出したとして、今の僕に実現出来るか分かりません。それでも、僕は今彼女以外の人は考えられないんです!僕は本気です!!」
母は遠くを見つめ、家の中を眺め、少し無感情のまま口を開いた。
「…例えば、この家を…貴族の地位を手放し、貴方の事なぞ誰も知らない様な土地に移動するとしたら?貴方が縋り付いている「貴族の地位」。きっと貴方が思っている以上に貴方はそれに依存している。貴族こそが誇りであると信じて生きて来たのだからそうよね。でも、もしそれを手放さないとお嬢さんが幸せになれないと言ったら?」
ギルバートは一瞬目を見開くと一点を見つめたまま黙ってしまった。貴族と言う単語にしがみついていると言うのは自分でも分かっていたのだが、それでも同じ様にしがみついていた母が自分にそれを聞くと言うのは物凄く意外だった。それだけ、母も自分が本気だと分かって聞いて来ている。ギルバートはそう理解した。
「…彼女の為にと言うのなら、僕は一度何もかも捨てて良いです…しかし、捨てっ放しと言うのは性に合いません。ある程度基盤が固まったら、泣き言を言う前に次のフェーズ…生活をする為にあらゆる物に手を出してみます。贅沢な生活なぞ僕は要りません。清貧な生活を送ります。ただ、彼女がそれでは嫌だと言うのなら、その時僕は彼女の為に貴族らしからぬ仕事もするでしょう。僕一人の独り善がりな思いなら何もかも捨てて…と言いたいところですが、彼女がどう言う生活を送りたいと言うか次第では僕もそれに合わせて努力をするつもりです。もう僕の中には、独り善がりな思いを勝手にぶつけて悦に入る様な気持ちはありません」
この瞬間、口に出してこそ言わない為本人が気付いているのかどうかまで追求しなかったものの、母はギルバートが「貴族」と言う単語への依存だけではなく、同じくらいその「名も知らぬお嬢さん」が心を占めていると言う状況を悟った。
「理想論ね…それこそ、口で言うのは簡単です。でも貴方の抱えているものは大きい。病気のお父様、この家、まだ嫁に行かないお姉様達。貴族の地位すら直ぐに捨てられると言う貴方の気概は理解しました。ただ、そう言われて「はいそうですか」と承認出来る程簡単な話ではありません」
「はい…心得ております。あくまでこれは僕の理想を口にするのなら、であると思いますので」
「…それでも、貴方の中でどれくらい本気であるかと言うのはこの母の胸に留めておきます」
全く。マルフィ結社に行くと聞いた時は不安で不安で仕方がなかった。一番の稼ぎ頭であるとは言え、今まで経験した事のない仕事に就くと言うだけではなく、初めてソナルトを出て政治家や貴族以外の人間も居る環境に行くと言うのは相当なストレスだった筈だ。余裕が無いのか怒っている様なきつい口調を使う事の多い、誤解をされやすい一面もある。だから、好きな人はおろか友人すら出来るだろうかと少し心配していたが、これを見るにどうやら杞憂だった様だ。
「まだ認める認めないとかそんな話では無いけれど…貴方が誰かを好きになった時の思い切りの良さは昔からでしたね…子供の頃も…隣に越して来たセオドア君を女の子と勘違いして…いじめっ子から庇う際に「僕と結婚してくれれば一生君を守るから!」なんて口走るものだから私あの時はどうしようかと…」
「お母様、お母様。その記憶は僕自身消したい記憶なので忘れていただけると嬉しいのですが…」
「本当、例え本当に女の子だったとしても当時五歳のセオドア君に十一歳の貴方がよ?」
「お願いします忘れてください…」
この後、珍しく母とキッチンに立ち、彼女に頼んでチョコスコーンの作り方を教えてもらった。そして彼は来るべき愛の日、「岩の親戚」と呼ばれたそれをアンに送ったのだった。
>to be continued