薄明のカンテ - 頑張れ、ギル王子/燐花

ギルバートとユウヤミ

「おや…?」
「ん?どうした?ユウヤミ…」
 経理部に領収書を届けに来たユウヤミは、ギルバートを後ろから覗き込むと途端に意味深な声を上げた。ギルバートは不思議そうに首を傾げ、何がどうしたんだ?と訝しげな顔を浮かべる。
 特にユウヤミが何も言わないなら放置しておこう。そう思ったのだが、ユウヤミの視線はずっとギルバートの髪の毛に注がれており、するとその内「ああ、うん」と呟いた。
「な、何だ…?僕の髪に何か付いているか?」
「いや、付いていると言うより寧ろ…いや、辞めておこう」
「…君がそう言葉に含みを持たせるとやたら怖いのだが」
「うん…そうだねぇ…」
 ユウヤミはジロジロとギルバートを見ると、一つ微笑みまるでさも世間話かの様に世間話をした。
「これはただの世間話なのだけれど…」
「ああ…」
「ベネット君、ランツ産の昆布が発毛に良いかもしれないって知っているかい?」
「…え?」
「後、テナ山の湧水とカンテ国の山々の火山灰を混ぜた泥パックも、アンチエイジングと育毛にとても効果的で…」
「待て待て待て!ユウヤミ!その話をすると言う事は…僕は……キてるのか…?」
 ギルバートの必死な顔、か細く紡ぎ出される声と言葉。それを聞くと、ユウヤミはにこりと笑った。
「──で、この領収書なのだけれどねぇ」
「何故そこだけ暈すんだぁぁあ!!」
 ギルバートの悲痛な叫びが経理部の部屋にこだまする。するとその声を聞いて昼寝をしていたギャリーが顔を覗かせ、やれやれと言った顔のヨダカが悪戯好きの主人を諌めるが如く声を上げた。
主人マキール、人が悪過ぎますよ」
「そうかな?」
「そうですよ。抜け毛に対するアプローチを進めなければならない程彼の毛根は困っている様に見えませんが」
「ヨダカ…!!」
 ギルバートは縋る様にヨダカの手を取ると、泣きそうな目で彼を見つめた。
「僕の…僕の毛髪はまだキていないのか…?」
「ええ。少なくとも、私が見ての判断ですが貴方にそう言ったものはまだまだ必要ないかと」
「ヨダカ…!」
「あのねぇ、ベネット君。私は別に抜け毛を指摘しようとした訳ではなくてねぇ。ただの美容法と健康法だよ。泥パックに関してはホロウ君にもこの間勧めたしねぇ」
「そ、そうなのか!?」
「ええ、確かに。先日ヴォイド・ホロウにも同じものを勧めていました」
「あの食欲に振り切った様な女性が美容法を説く人の話をきちんと聞くのか…?」
「君はホロウ君をどんな人だと思っているんだい?彼女は美しくなる事にきちんと興味を持っている人だよ」
「まぁ、効能云々より昆布の味に食い付いてましたけどね」
「やはりか」
「泥パックで食べれるものは無いかと言う少し常人の斜め上の発想から質問もされてましたけども」
「おいおいおい!ユウヤミ、君の目にはフィルターでも掛かっているんじゃ無いか!?」
「…っとにギルバートのツッコミはしゃらうるせぇなー…」
 顔を覗かせたきり黙っていたギャリーはやっと口を開くと一言そうぼやく。ユウヤミはそんなギャリーを見て、そしてギルバートを見ると一言。

「……十分今でも白髪は増えそうなのだよねぇ…」

 そう呟いた。
 残念ながら誰の耳にも届かなかった。

ギルバートとロード

 ギルバートが休憩所に向かって歩いているとその先に黒スーツの男性が現れる。謹慎騒ぎを起こした時、自分の所為で仕事の増えてしまった人。その事は申し訳なく思っているし、今でもまだ少しだけ居た堪れない。
 己の蒔いた種ではあるのだが、彼に会うと否が応でもその時の事を思い出してしまうからだ。
「おや、ベネットさん」
「あ、ああ…その節はどうも…」
「うふふふ…普段聞いている貴方の印象とは違い随分と大人しいんですねぇ。まあ、良いですけど」
 タバコの箱を取り出そうと手を入れた男の懐からかさりと音を立てて何かが落ちる。ギルバートが音のした方を見ると、何やら見慣れぬ小さなものが落ちていた。
「おや、失礼。昨晩の使い損ねが落ちた様で」
 男はそれを拾い上げ、ポケットに戻した。
「ん?うん。ところで、貴方は先日まで怪我で療養していたと聞いたがもう良いのか?」
「ええ、もう至って元気ですよ。ただ、どこかで貴方にも話が行くとは思いますが、その一件で上に提案した事がありまして」
「提案?何を出したんだ?」
「武器携帯の申請簡略化と、結社メンバーの武器による訓練、それから武器倉庫をより充実させられれば…」
「…また予算の掛かる話だな…」
「ええ。ですが、今回私が負わなくて良い怪我を負ったのも居合わせた機械人形に武器持ちが居たからと言うのもありまして。たまたま少し遅れた・・・・・前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊の到着で事なきを得ましたが、丸腰では少々キツいものがありましてね」
「なるほど…僕の知り合いで未成年の子が調達ナリル班にいるのだが、あの子達も武器を携帯した方が良いのか…」
「そうですね。しかし、訓練も無しにただ武器を持たせるならそれはただ人を傷付ける手数を増やすだけになってしまう。それは結社としても本意では無いでしょう?なので同時に武器の扱い手の育成にも着手しようと言うわけです。間違った使い方をしない様に。講師に関してはそれこそ前線駆除リンツ・ルノース班のメンバーや武器の扱いに明るい人間が適任かと」
「うん、確かにな…」
「その際はよろしくお願いします。私も講師として就くつもりでいるので」
 ギルバートはロードの言葉に目を丸くして彼を見た。スーツを着ている今の姿と武器の扱いにおける講師なんて肩書きがまったくもって合致しない。目がそれを語ってしまっていたのか、ロードはギルバートを見るやふふふと笑い声を上げた。
「私、こう見えて銃火器の扱いと体術には自信があるんですよ」
「確かによくよく考えれば…貴方は先日丸腰の状態で機械人形複数体相手にして怪我で済んだのだよな。回収された機械人形の中には雑に頭部を破壊されたものがあったと聞いた…貴方がやったのか?」
「ええ、まあ」
「機械班が少し怒っていたぞ?」
「おやおや、それは申し訳ない事をしました」
「…人は見掛けによらないな…貴方の様な人が銃を持つ姿は想像出来ない…」
「うふふふ、それは光栄ですね。その為のアイデンティティーなので。獲物に隠れて近付くが如く手の内はギリギリまで隠し通すのが生きるコツですよ」
「敵に回すには恐ろしい思考だな」
 ギルバートは手に持っていたペットボトルの蓋を開け、紅茶を口にする。ロードもタバコを咥えると火を点けた。
 しばらく、溜息を吐くかの様な吐息と、喉が渇いていたのかギルバートの喉を大きく鳴らす音が響いていたが、しばらくしてロードが口を開いた。
「機械班…の、誰が怒っていたのをわざわざ見に行ったんです?」
「え?」
 ロードのにやにやする顔を見て察したギルバートは顔を真っ赤にした。そうだ、あの時トラブルの内容を馬鹿正直に話してしまったから、彼は自分のアンに対する気持ちを知っている。
「い、良いだろう誰だって!」
「うふふふ、分かりやすいですねぇ…」
 そんな話をしていたら、何だか無性にアンに会いたくなってしまった。一応、機械班に個人的に質問したい事があったし、後で向かおうかとギルバートは脳内で予定を立てる。
 そして唐突に気になったギルバートは、ロードにもそんな人は居ないのか?と聞いてみる。突然の質問に逆に面食らってしまったのはロードの方だった。
「私ですか?」
「ああ。人の恋路を覗き込んでは助言や後押しをして行くが…ならば貴方にも居るんじゃないかと…」
「うふふふ、それはまあ、ね」
「結社の人か?」
「ええ。昔馴染みで以前から知っていましたがここで再会しましてね」
「凄いな。そんな事あるのか」
「偶然ですが、だからこそ運命だとも思いたいじゃないですか」
「そうだな…」
「うふふ…昔も今も彼女は私の全てです」
「そこまで思えるのは凄いな…」
「愛してる。ただただそれだけですよ」
 いざ掘ってみればギルバートの予想以上に激しい恋愛をしていたらしいロード。本当に人は見掛けによらないなと思っている彼の後ろでロードは殊更怪しい笑みを浮かべた。
「さて、では私はそろそろ行きますかね」
「すまないな、休憩時間を一人で過ごせなくて」
「いいえ。楽しかったですよ」
 これ、良ければ使います?
 そう言ってロードは先程落とした何かと同じものをギルバートの前にチラつかせる。それをギルバートが認識するのに五秒は掛かったし、認識した後彼は顔を真っ赤にした。
「なっ!?そ、それはっ!?」
「うふふふ。男のマナーとして持っておくものですよ?と言うかベネットさんもちゃんと知ってたんですねぇ。てっきりその辺の知識皆無かと思ってました」
「か、皆無という事は無いが…!!要らないからな僕は!!それは受け取らない!」
「おやぁ…?ナマの方が良いとか言っちゃいます?なってませんねぇ」
「言うか!!そんな展開にならないから要らないと言っているんだ!!」
 彼の前で借りて来た猫の様だった最初の静けさはどこへやら。ロードにもいつもの調子で声を上げるギルバートを見て、彼は嬉しそうに笑った。
「…貴方はそんな風に元気に騒いでる方が見ていて気持ち良いですね」
「騒ぐって失礼だな!!」
「元気があって宜しいって事ですよ」
 ひらひら手を振りながら去っていくロードを見送るギルバート。貴族達に囲まれて居たらなかなかお目に掛かれない人種であり、貴族にしては騒がしいと顔を顰められる自分をそう言う目で見ない人。改めてここは貴族の自分を変に貴族扱いしない人が多く、少し気が楽だと気が付いたギルバートだった。

 しかし、ダイレクトにゴムを渡してくれるな。

ギルバートとミア

 ギルバートはあまり好きではない場所があった。それは、医療班の部屋だ。人の付き添いですら行きたくないと言う嫌いっぷり。しかし、年明けによそ見をして廊下を走っていたマジュとぶつかりその考えを改める。
 もしも今後ヤンチャなマジュに目の前で怪我をされてもすぐ連れて来れる様に少しずつ医療班の空気にも慣れよう。そう思って、医療班の部屋の前をうろうろしてみた。
「ま、まあ、医療班と言えば特に忙しい班ではあるしな…」
 それがうろうろだけして中を覗かない理由である。ちなみにギルバートは極度の注射嫌いであり医療班に近寄らない理由はそれだった。とは言え、アンを好きになったのも注射絡みと思うと心境は複雑だ。
 どうしようかとうろうろしていると、休憩から戻ったのか少し離れたところでネビロスの姿を見付ける。そして医療班からはこれから休憩に入るのか、ミアが扉を開け外に出て来た。ミアはギルバートには気付かなかったが、ネビロスの姿には気付いたらしく嬉しそうに顔を綻ばせた。
「あ、ネビロスさん!休憩終わりですか?」
「ええ、ミアはこれからですね?」
「はい!」
「あ、ならこれ良かったらどうぞ。さっき私も食べて来たお菓子なのですが…休憩室にある紅茶に合いますよ」
「良いんですか?わぁ、美味しそう…!」
「メープル製菓のクッキーは定番の味ですが間違いの無い味ですからね」
 それは最近やっと経費で落とそうと画策しなくなってくれたクッキーじゃないか、ネビロスめ。
 ギルバートはネビロスと一時繰り広げていたバトルを思い出していた。ネビロス・ファウストは見た目からはあまり想像出来ないが甘味好きであり、特に洋菓子に関してのリサーチ力は女子高生並みと思うくらいには情報に強い。そしてこれは悪い大人の顔であるが、彼は極力自分の財布を痛めない様に動く節があったのでギルバートは直接赴いて彼とバトルする事も珍しく無かった。
 ああ、だから医療班が苦手でもあるのか?
「じゃあ、お言葉に甘えていただきます」
「ええ、どうぞ。ミアに食べてもらえるならクッキーも本望じゃ無いですかね」
 …何だか少し見ぬ間に随分と歯の浮く様なセリフを口走る様になったな。ギルバートは不思議な顔でネビロスを見た。意外だな。彼は真面目な男だと思っていたが。まさかあんなうら若い婦女子を前に軟派染みた事を口にするとは。
 言われたミアはまた嬉しそうに顔を赤らめる。あの顔は…本気では無いのか?だとしたら悪い大人だ、ネビロスめ。あんなまだ汚れを知らなそうな女性を捕まえて弄ぶとは、彼にはそんな趣味があったのか?
「あ、じゃあ私休憩行ってきます!ネビロスさん、頑張ってくださいね!」
 笑顔のまま立ち去ろうとするミア。ネビロスはミアの名前を呼び、彼女の腕を掴んで自分の方へ引き寄せるとほんの一瞬ではあるが唇を重ねる。
「…ええ、頑張れそうです」
 ミアは林檎の様に真っ赤な顔で、何食わぬ顔のまま部屋に戻るネビロスを見つめていた。
「(破廉恥なぁぁぁぁぁあっ!!!)」
 いやいやいや、うら若い婦女子を捕まえてあろう事かキ、キスを交わすとは何事だろうか!?そもそもミア・フローレスとネビロスはそう言う仲なのか!?十歳は離れて見えるが!?本当にそんな仲なのか!?違っていたとしたらミア・フローレスの純潔はどうなる!?僕は公衆の面前で易々とまだあどけない彼女の唇が大人の男の通り魔的接吻によって奪われる現場をただただ茫然自失で見ていただけの男に成り下がってしまう!彼女の純情が弄ばれる現場をただただ見ているしか無かったなんてベネット家長男としてあるまじき、恥ずべき行為では無いのか!?
「ギ、ギルバートさん居たんですか!?」
 ミアがギルバートの存在に気付き、真っ赤な顔を更に真っ赤にする。ギルバートはとりあえず力無く呟いた。
「……ずっと居た…」
「えええ!?じゃ、じゃあ…見てましたか…?今の…」
 モジモジと恥ずかしそうに言うミアにギルバートの中で何かが切れた。
「ミア…君、何かあるんなら言い給え…。まさかネビロスに弱みを握られては居ないよな!?」
「よ、弱み!?」
「あんな風に強引に唇を奪われる行為をされても言い返せない様な、そんな弱みを握られているんじゃ無いよな!?何かあったら僕に言え!取り返しの付かない事になる前に!頼りないだろうが力になる!」
「あ、あの…」
「何だ!?」
「私…ネビロスさんと少し前からお付き合いしてまして…」
 すまないっ!!!
 すまないネビロス…!!!僕は今完全に貴方を通り魔的変態だと決め付けて話を進めてしまっていた!!
「え?お、お付き合い…?」
「はい…ネビロスさんにその…好きだって言ってもらえまして…」
 輪を掛けてすまないっ!!!
 まさか君から告白したとは露知らず!!うら若い婦女子から想いを寄せられたのを良い事に好き放題しているのでは無いかと!!下衆の勘繰りをしてすまないっ!!
「すまない…僕はなんて勘違いを…ネビロスが君に無理矢理その…せ、接吻をしたのかと…」
「ネビロスさんはそんな人じゃないです!ちゃんと確認してくれました!」
 すまないっ!!!確認するタイプだったのか!!紳士だったのか!!!

 医療班の部屋の出入り口付近。少し変な顔をしていたスレイマンは変な顔のままネビロスに近付く。
「ちょっと良い…?」
「何ですか?」
「あの…外で何かミアが…変なのに絡まれてるっぽくて…」
「変なの?」
 自らも出入り口に近付いたネビロスは、聞こえてくるその大きな声の主が誰なのか察した。そして少し何かを考えて、何事も無かった様にスレイマンに向き直る。
「だ、大丈夫そう…?」
「ああ、彼は基本的に無害な人間です。放っておいても問題は無いかと」
「彼?」
「…外に居るの、経理部のギルバート・ホレス・ベネットですよ」
 その名前を聞いて注射で大騒ぎした様子を思い出し、何故か近くで聞いていたアキヒロは納得した様に大きく頷いた。

ギルバートとヒギリ

 給食班で食事を摂ろうとしていたギルバートは見た事のある色合いに一瞬目を奪われた。ヒギリ・モナルダは焦茶色の髪に赤メッシュを入れており瞳の色は紫だ。
 それは、彼の好きな人を思わせる色だった。
「しかし…彼女とはやはり違う」
 アンはいつも少し具合の悪そうな顔をしている。いつも何かに追われて余裕の無さそうな…。決してそんな顔が好きと言うわけではない筈なのだが。笑った顔が見れるなら見ていたいと思うのだが。
 ミサキやマジュと話している時の彼女の顔を思い出す。どうしようもなく優しくて、どうしようもなく美しくて、なのに何故だろう?自分の事を少し蔑ろにしている空気も感じる。
 それ程までに二人を大事にし、優先したいと思う気持ちを感じ取るからだろうか。
「あのー…」
 彼女は若くして保護者の立場にある。そして岸壁街の出でもある。自分には想像も付かない様な苦労も嫌な事もたくさん経験して来たのであろう。
「ちょっとー…?」
 どうにかして僕は彼女の助けになれないだろうか?彼女を前にすると声が上擦ってまともに話せない様では駄目だとも思う。でも、彼女と顔を合わせると緊張してしまって、ついつい先走った事を口にしてしまう。
 このままでは駄目だ。彼女を構えさせてしまうし、変な誤解を与えてしまう気がする。そもそも自分は彼女にどう言う人間だと認知されているのだろう?まさか、コミュニケーションが下手な、何を考えてるか分からない奴と思われているのだろうか?
「もしもーし!!」
「はっ!?」
 気付くと、目の前でヒギリが頬をぷくぅと膨らませてキッとした強い目でギルバートを見ていた。ギルバートは急に目の前にヒギリが現れた気がして驚きから目を白黒させた。
「な、何だ!?」
「何だ!?じゃないです!!さっきからお箸とスプーン、フォークどうしますか?って聞いてます!!」
「あ、すまない…!」
「で!?どうします!?」
「つ、付けてくれ…」
「もー…はいっ!!」
 ヒギリが頬を膨らませながら食器を並べる。ああ、驚いた。彼女の声はどう言うわけかやたらと通るなとギルバートは常々思っていた。そのやたら通る声で呆けていた事実を拡散されるのだからたまったものではない。
 何となく気分でスプーンもフォークも箸も付けてもらったが、正直スプーン一つで事足りた。
 彼女も分かっているならフォークと箸は除けてくれれば良いのに、と思いながら席に着きじっと見つめる。髪に走る紅い色。瞳は葡萄の様な艶々した色味で美しい。呆れた。色合いが似ていると言うだけで見ていてこんなにも胸が苦しくなるなんて。
 その内ヒギリの作業している前に前線駆除班のエリック・シードが並んだ。彼女は嬉しそうに赤い顔を綻ばせながらエリックに食事を盛って行く。
 ──何だか僕に食事を渡す時とまた随分声色が違うものだな。
 密かにギルバートがむくれていると、続いて人事部のタイガ・ヴァテール、そして汚染駆除班のテオフィルス・メドラーも並び、その都度ヒギリは嬉しそうにギルバートの時よりワントーン明るい声を上げる。
 ──エリック、タイガ、テオフィルス。随分と気の多い事だな。
 別に彼女の交友関係にも彼女の好きな人に対しても自分は関係無いし、彼女の自由にすれば良いとも思うのに、少し不機嫌になってしまうのは彼女がアンと同じ色合いの髪と目を持っているからだろうか。
 食器を戻しに席を立つと、ヒギリが返却口で受け取ってくれた。思わずびっくりして見開いた目を向けると、少し用心する様に「何ですか…?」と声を掛けられる。
「ギルバートさん…さっきから何か凄く…私と変な目の合い方しますけど…な、何か言いそびれてる事あります…?」
「い、いや…そんな事は無いんだが…失礼、そんなに僕は君を見ていたか?」
「あ、はい…割りと…」
「そうか…」
 言葉に詰まったギルバートは、少しキョロキョロするとヒギリの瞳をまた凝視する。少し色味は違うと思うが、アンに見つめられている様で少しだけ落ち着かない。
 くりっとした目でじっと見つめられ、居た堪れなくなったギルバートは口を開いた。
「君は…それは自前か?」
「はい?」
「あ、いや…綺麗な瞳だなと思って…」
「……仕事中のチェキは了承しかねますが大丈夫ですか?」
「何!?ち、違う僕はそんなつもりで言ったんじゃ…!!」
 普段話す機会が少ない彼がこの瞬間「チェキ」と言う単語に過剰反応した事に驚いたし、何なら引く程口を開けて佇んでしまったヒギリだった。
「ギルバートさん…チェキがどんなものか知ってるんだ…私適当にぼそっと呟いただけだったのになぁ…」
「いや…その…」
「ここまで来たら誤魔化しや隠し事はいかんよ」
「別に隠しているつもりはないが…」
「誰か好きなアイドルとかいるの?」
「いや、アイドルと言うか……黒天の騎士の…シモーヌがな……さ、最近はピアルルSixにも愛を注いでいる…」
「想像以上にガチだった」
「それから最近写真を撮るのが趣味で…」
「…ギルバートさんって近寄り難いかと思ったら結構面白い人なんだねぇ…」
 私、うるさいだけの人だと思ってた!
 屈託のない笑みでそんな風に言われてしまったものだから、自分の声はやはり大きいのかと少し不貞腐れた顔で思うギルバートだった。
 そして、色彩が似てると言うだけでアンを思い出してしまうくらいには彼女を追っているのだろうなと改めてこの恋の大きさを自覚するのだ。

ギルバートとアン

 つくづく貴方の考えが分からない。
 空気に酔っているだけなら、知らないフリをさせて欲しい。
 ふと気付いてしまった可能性を、ただの推測だけで終わらせて欲しい。
 じゃないと、貴方の人生が狂う程傍に居てしまったら、それこそ自分を許せなくなる気がするから。

「…今度は何の用だ?」
「え、ええっと…元気か?」
 相変わらずのギルバートの反応。愛の日にも会ったし後日会話を交わしたにも関わらず、彼は挙動不審気味にオドオドすると手を上げてぎこちなく挨拶をする。愛の日の事があったから、アンには彼のこの反応が照れている様に見える。照れている様に見えるから、どうしようもなく切なくなるし、突き放したくなる。
 叶う事のない期待をチラつかされた気がして、早くそれを退けてくれと叩きたくなるのだ。
「…まァ。テメェに心配される程塞ぎ込む様な人生送っちゃいねェよ…」
「そ、そうか!元気で何よりだ!!」
 何でコイツのこんなあからさまに分かりやすい反応に今まで着目しなかったのだろう。まだ確信こそ持てないものの、彼のこの慌てた態度が今は煩わしい。アンは苛つきを抑える様に飴を噛んだ。もしかしたら、もしかして。ふと気付いてしまった可能性が信憑性を増してしまう様な彼の態度がアンにもたらしたのは苛立ち以外の何者でもない。
 彼の挙動不審気味な話し方も、その焦りようも、もしそれが理由なら・・・・・・・・・納得が行ってしまうのだ。
「…アン?」
「何だ?」
「いや、本当に…元気なのか?僕にはあまりそうは見えなくて…」
「ンだよ…疲れた顔してるって言いたいのか?失礼な奴だな」
「そ、そんなつもりはない!そんなつもりは無いが…す、少し気になってな」
 何でそう言う時に限って目敏く見付ける?
 何でそう言う時はおどおどせず確りまっすぐ見つめてくる?
 何でそう言う時は「身を預けても良いのかも」と錯覚を覚えるくらい、どうしようもなく手を広げる様に、受け止める様にいてくれる?
 普段はただただ騒がしいだけの存在なのに。

 ──本当にそれだけ?

 びくりとアンは肩を震わせた。その様子をギルバートは心配そうに見つめる。頭の中で浮かんでは消えていく色々な思い。だけど最終的に叩き付ける様に頭を占めたのは、たった一つ。
 何故ただ地を這うだけの虫に月に届く夢を見させたの?ただ見上げているだけなら、そんな無謀な夢を見なくて良かったのに。
「あのさ…」
 アンは口を開く。ギルバートは目を見開いて次の言葉を待った。一層顔色悪くアンが口にした言葉は、ギルバートの望まない事だった。
「あーしに…変に関わらないでくれねェか…」
「え…?」
「テメェが何かする度…調子狂うんだ…」
「アン…?そ、それはどう言う…?」
「貰ったもんには、ちゃんと礼はする。だからそれでもうあいこにしてくれ」
「待っ…!!」
 ギルバートが手を伸ばすとアンの肩に触れた。が、ギルバートが触れた事に反応する前に、光の速さでアンが手を払い除ける。それは、拒否だとか拒絶だとかそんな生ぬるいものではなく、まるで襲われる前の抵抗の様だった。
「アン…」
「悪ィ…触らないでくれ…いや、触らないでくれ…」
 瞬きすらできないその目は一体過去のどんな映像を見ているのか。ギルバートが硬直していると、アンは更に口にした。
「触らないで欲しい…今は…」
「アン…!」
 伸ばし掛けた手はそのまま何も掴む事なく力無くおろされた。
 僕は彼女について本当に何も知らないのかも。
 触れる事も、話を聞いてと声を掛けることも出来ず、ギルバートはただただ悪戯に伸びただけの自分の手を見つめた。
 ただでさえ女性に慣れていない自分がこれ以上アンに何か出来たかなぞとても思えなかったのだ。

ギルバートと母

「何を言っているの!?ふざけるのも大概になさいっ!!」
 ダンッ!と音を立てて叩き付けられるテーブル。その振動に揺れたティーカップはカタカタと音を立て、背の高いグラスは自重に耐えかね床に落ちる。ガシャンと言うガラスの霧散する音に背中を押される様にギルバートは口を開いた。
「お母様…僕は至って大真面目です!この気持ちに嘘偽りはありません!」
「ええそうでしょう!お前は遊びや一時の戯れで女性にうつつを抜かす様な人間ではないでしょう!だからこそ問題なのが分かりませんか!?貴族で無いだけならまだしも…岸壁街の出ですって!?」
 ああ、と喉から声を漏らしソファに座り込む母。頭を抱えるとさっきまでの勢いはどこに行ったのか、とても小さな声を絞り出した。やはり母には躁鬱の気がある。故にギルバートはこの話題を出して良いものか迷ったのだが、自分自身を鼓舞する為にもとこの日母に思いを打ち明けた。
「……お父様も今床に伏せていらっしゃるの…あれ以来貴族達に心の病だ何だと良い的にされているのは貴方も知っているわよね…?それでも私はまだ耐えていられるわ…お父様を愛しているし、そう言う目で見られる様になったのはお父様が病気になられてからだからって…。でも貴方が好意を寄せていると言ったお嬢さんは?貴族ではないと言うのは、社交界で一目も見ていなかったからって、きっとこの広い様で狭い貴族社会ではあっけなくバレてしまうわよ…?そうしたら、貴方が迎え入れたその瞬間、ここはお嬢さんにとって居心地の悪い場所になってしまうわ」
「僕は…彼女を守り抜いていく覚悟があります」
「口で言うのは簡単です。守るって具体的にどうするの?ギルバート。人の口に戸は立てられないのよ?誰かが一つ身勝手な噂を立てたら、例え出どころを取り締まっても次の瞬間には他の人の口から耳へ…そうやって終わりの無い鼬ごっこを貴方は続ける覚悟があるかもしれないけれど、話題にされるのはそのお嬢さんかもしれないのよ?」
「…それでも…僕は…」
 決して貴方自身の幸せを願っていないと言う事では無いの、と続ける母にギルバートも押し黙る。意外だった。母の事だから、家柄に拘って頭から彼女を否定するのかと思ったのだ。だから多少の反抗心を見せても啖呵を切るつもりでいた。だけど、今反対している理由は「彼女が辛い思いをするから」だと言われ、ギルバートもこれには言い返す言葉が見付からなかった。
「僕には…具体的なものはまだ出せないかもしれません…出したとして、今の僕に実現出来るか分かりません。それでも、僕は今彼女以外の人は考えられないんです!僕は本気です!!」
 母は遠くを見つめ、家の中を眺め、少し無感情のまま口を開いた。
「…例えば、この家を…貴族の地位を手放し、貴方の事なぞ誰も知らない様な土地に移動するとしたら?貴方が縋り付いている「貴族の地位」。きっと貴方が思っている以上に貴方はそれに依存している。貴族こそが誇りであると信じて生きて来たのだからそうよね。でも、もしそれを手放さないとお嬢さんが幸せになれないと言ったら?」
 ギルバートは一瞬目を見開くと一点を見つめたまま黙ってしまった。貴族と言う単語にしがみついていると言うのは自分でも分かっていたのだが、それでも同じ様にしがみついていた母が自分にそれを聞くと言うのは物凄く意外だった。それだけ、母も自分が本気だと分かって聞いて来ている。ギルバートはそう理解した。
「…彼女の為にと言うのなら、僕は一度何もかも捨てて良いです…しかし、捨てっ放しと言うのは性に合いません。ある程度基盤が固まったら、泣き言を言う前に次のフェーズ…生活をする為にあらゆる物に手を出してみます。贅沢な生活なぞ僕は要りません。清貧な生活を送ります。ただ、彼女がそれでは嫌だと言うのなら、その時僕は彼女の為に貴族らしからぬ仕事もするでしょう。僕一人の独り善がりな思いなら何もかも捨てて…と言いたいところですが、彼女がどう言う生活を送りたいと言うか次第では僕もそれに合わせて努力をするつもりです。もう僕の中には、独り善がりな思いを勝手にぶつけて悦に入る様な気持ちはありません」
 この瞬間、口に出してこそ言わない為本人が気付いているのかどうかまで追求しなかったものの、母はギルバートが「貴族」と言う単語への依存だけではなく、同じくらいその「名も知らぬお嬢さん」が心を占めていると言う状況を悟った。
「理想論ね…それこそ、口で言うのは簡単です。でも貴方の抱えているものは大きい。病気のお父様、この家、まだ嫁に行かないお姉様達。貴族の地位すら直ぐに捨てられると言う貴方の気概は理解しました。ただ、そう言われて「はいそうですか」と承認出来る程簡単な話ではありません」
「はい…心得ております。あくまでこれは僕の理想を口にするのなら、であると思いますので」
「…それでも、貴方の中でどれくらい本気であるかと言うのはこの母の胸に留めておきます」
 全く。マルフィ結社に行くと聞いた時は不安で不安で仕方がなかった。一番の稼ぎ頭であるとは言え、今まで経験した事のない仕事に就くと言うだけではなく、初めてソナルトを出て政治家や貴族以外の人間も居る環境に行くと言うのは相当なストレスだった筈だ。余裕が無いのか怒っている様なきつい口調を使う事の多い、誤解をされやすい一面もある。だから、好きな人はおろか友人すら出来るだろうかと少し心配していたが、これを見るにどうやら杞憂だった様だ。
「まだ認める認めないとかそんな話では無いけれど…貴方が誰かを好きになった時の思い切りの良さは昔からでしたね…子供の頃も…隣に越して来たセオドア君を女の子と勘違いして…いじめっ子から庇う際に「僕と結婚してくれれば一生君を守るから!」なんて口走るものだから私あの時はどうしようかと…」
「お母様、お母様。その記憶は僕自身消したい記憶なので忘れていただけると嬉しいのですが…」
「本当、例え本当に女の子だったとしても当時五歳のセオドア君に十一歳の貴方がよ?」
「お願いします忘れてください…」
 この後、珍しく母とキッチンに立ち、彼女に頼んでチョコスコーンの作り方を教えてもらった。そして彼は来るべき愛の日、「岩の親戚」と呼ばれたそれをアンに送ったのだった。

>to be continued