薄明のカンテ - 外の世界に憧れて/燐花

外の世界に憧れて

「あ、すみません。マルフィ亭のランチセット一つ配達お願いします。はい、はいそうです。場所はいつもの…はい、塔の上でお願いします」
 ガチャリ。電話を切るとそのアクティブで動きやすそうなドレスを着た七三分けの特に長くも無い髪の男は退屈そうに煙草を咥えた。火を点け、ぷかーっと煙を吐き出すと今日は何をしようかと窓から空を見上げる。
「今日も今日とて、退屈ですねぇ…ねぇ、シキ?」
 シキと呼ばれたカメレオンは「ん?」と小首を傾げて男を見詰める。男はくすりと笑った。
「はぁ、お母様に頼んでみましょうかねぇ…ダメ元ですが…」
 彼の名前はロード・マーシュ。その名の通り(?)彼は諸々あって彼と同じマーシュと言う名前の野菜と縁が深かった。ロードの言う「お母様」とは彼の血の繋がらない義理の親であり、彼の本当の母親から彼を奪った魔法使いである。そしてその「お母様」は何故か彼の名前を「ノヂシャ」とか「コーンサラダ」とか二転三転させた末に今は彼を「ラプンツェル」と呼んでいた。本名に擦りもしない。
 最初こそ訂正していたロード。何だか都度訂正するのに疲れた彼はいつしか面倒くさくなってそれすらしなくなって居たのだが、この日は違った。何故ならそろそろ彼の十八歳の誕生日だからである。
「うふふ…そろそろ私の十八歳の誕生日なんですよ……十一回目のね」
 ロード・マーシュ永遠の十八歳。そろそろ十一回目となる十八歳の誕生日を迎える。
 …え?何故十八歳を何度も繰り返しているかって?それは、彼曰く「十八禁解禁のワクワクくらい何度も繰り返したってバチは当たらないでしょう?」と言う事。それ程までに彼には楽しみが無かった。
「ちわーっス。マルフィ亭のランチセットお届けに上がりましたー」
 塔の下から声が聞こえる。ロードは長い髪の毛──かと思えばよくよく見たらそれは超極細のロープだった、を垂らしその声の主を引き上げる。
「ありがとうございます。流石安心と信頼のバートン配達ですねぇ。時間ぴったりです」
「そりゃどうも」
 引き上げられたのは彼が利用している配達業者、バートン配達の責任者クロエ・バートン。背の高いモデルの様な、しかし無愛想な彼女はそれなりに話す仲だった。
「聞いてくださいクロエ、そろそろ私誕生日なんですよ」
「へぇー。興味は毛程も無いですが一応幾つになるのか聞いておきます」
「十八歳です」
「はっ倒すぞクソ兄さん」
「…時にクロエ、買って来て欲しいものがあるんですが」
 昼食の準備をしていたクロエは手を止め、算盤を取り出す。ロードはにこりと微笑んだ。
「新しいエロ本かAVが欲しいんですよねぇ…」
「はいはいそろそろ言い出す時期かと思ってましたよ。さて、成人向けコンテンツに関する配達手数料ですが、諸々ありまして前年度より値段が上がり…」
 パチパチ、パチっと軽快に算盤を鳴らすクロエ。ロードはそっとそれを覗き込む。
「ざっとこれくらい…」
「…高っ!!」
「成人向けコンテンツですと私共バートン配達スタッフだと運べる人間が限られるんですよね…先日も運んでる最中にR指定警察にとっ捕まりましてね、こちらも不便してるんですよ」
「うふふふ…足元見ますねぇ…」
「ふふふ…こちらも商売なので…」
 しばらく考え込むとロードは溜息を吐き、クロエの申し出を了承した。
「…分かりました、貴女には負けましたよ」
「どうも…それより兄さん、あんた服買った方が良くないですか?そのドレス姿見るに耐えないんスけど」
「いやぁ…これはこの話での私のアイデンティティですからねぇ…」
「…野郎のパンチラのどこに需要あんだよ」
「うふふ、中にステテコ履いてるのでローアングルから激写されても対策練ってるのでぬかりなく大丈夫です」
 そんな会話を交わした後、「食った後表に丼出しといて下さいよ」と一言残しクロエは帰って行った。
 しかし、何て生活だ。今日もいつもと同じ朝を迎え、とりあえずAVを観たら箒で掃除をした後モップを掛けて隅々まで床掃除をし、洗濯してAVを観て資産運用して通信講座で趣味の習い事してAVを観て…こんな生活もうまっぴらだった。いや、悠々自適な生活と言えばそうだが何と言うか、刺激が足りなかった。
「デリヘルでも良いんですけどね…この塔だと立地の関係で倍近く料金掛かりますし…」
 そんなロードの頭を雷が落ちるかの如くアイディアが駆け巡ったのは、十八歳の誕生日(十一回目)を目前に控えたその時だった。
 ロードはついに、天啓を得た。

「そうだ…!この塔を出て好きに生きれば良いんですよ…!」

 むしろ何故今まで気付かなかったのだろう?それは人類が総ツッコミを入れた日と同義でもあった。

口八丁手八丁で自由遂行之瞬間

 退屈な毎日を送りたくなければこの塔から出るのだ。しかし、どうやろう?ロードは腕を組み色々と策を巡らせた。
「んー…さて、どうしましょうか…」
 一応育ててもらった恩もある。出来るなら穏便に出て行きたいものだが、話し合いで果たして解決するのだろうか。
 その時、ロードの名を呼ぶ声が。正確にはラプンツェルを呼ぶ声ではあるが、髪の毛をおろしておくれと呼ばれているのは確かなのでロードは颯爽と配置に着いた。
「はい、少々お待ちくださいね、お母様」
 もはや髪ではなくエレベーターの原理でロープを垂らしているのだが、この「お母様」は何の躊躇いも疑問も無くそのまま上がって来た。
「流石ラプンツェル、いつも通りの働きぶりだねぇ」
「ええ、当然ですよ」
「それよりラプンツェル、飯はまだかい?」
「うふふふ…全く仕様がない方ですねぇ、お母様ったら…昨日ポン・◯・リング食べたでしょう?」
 どんな食生活だ、と言うか今日も何か食わせてやれと総ツッコミが聞こえそうになるがロードは気にしない。それどころかいそいそと彼女を椅子に座らせてその近くに台座を用意すると彼はプレゼンを始めた。
「ところで、お母様」
「あんだって?」
「お母様、お話が…」
「とんでもねぇ、あたしゃもう子供は産まれねぇよ」
「聞いてくださいて。お母様、そろそろ私の誕生日ですよ?」
 遠過ぎるので耳元で話すと、「お母様」は静かに頷いた。
「あれまぁ…もうそんな季節だったかねぇ…?そろそろ暖かくなる頃だけど…はて、お前は幾つになったんだい?」
「うふふ、十八歳ですよ」
 十回は繰り返してるけどな。
 そうだそうだ忘れていたと閃いた様に手を叩く「お母様」。アンタもアンタで忘れすぎだ。
「そろそろお前の誕生日プレゼントを買わないと。何が欲しいんだい?」

「それなんですが…私は塔の外に出たいのです」
「お前を…外に…!?」

 しん…と静まり返る塔の中。ロードのその発言に「お母様」はわなわなと震え出し何か言葉を発しようとする。
 が、ロードは否定される前にすかさずプレゼンでもってそれを遮った。
「そうなんです!今まで炊事、洗濯、エレベーター役を一挙に担って居た私が居なくなるとあればそれは一大事ですよね!?ですが、ご安心ください!本日ご紹介するのはこちら!」
 ロードは、兼ねてよりクロエに頼んで購入しておいた家電製品を綺麗に並べた。そこには最新型の炊飯器、竃で炊いた様な質感だと評判の炊き上がりが自慢の一品だ。それから全自動洗濯乾燥機、洗濯の全ての工程を一台で賄う優れもの。それから吸引力の変わらない掃除機、言わずもがな有名なあの会社製である。オーブントースター、電子レンジ、そしてそれらを乗せるのはちょっとお洒落で大容量、食器も収納出来るコンセント付きレンジボードまでセットにしての出血大サービスであった。
「今ならちょっとした細かい掃除に便利なハンディクリーナーに、お茶を沸かすのに最適な電気ケトルもお付けします」
「ほう…」
 流石の「お母様」もこれには目を奪われる。家電マニアが一度は憧れた便利な家電達が一堂に会しているのだから。主婦なら一度は憧れる最新家電が目前に羅列しているのだから。
 そしてロードは、ダメ押しと言わんばかりに更に携帯端末まで取り出した。
「もし万が一、使い方が分からない等あっても私は見捨てません。電話一つで分からないところは指示します、アフターケアも充実です。決して買わせてそのままと言う事にはしませんので安心してください」
「うーん…値段は?これに尽きるよ。これで何十万もふっかけられたらねぇ?安いとは思えなくなりそうだねぇ」

「対価は私の自由です。他は一銭もいただきません」
「よし、買った」

 密かに作っておいた簡易エレベーターの使い方も指示し、ロードは塔を出た。それは、彼の足が初めて大地を踏んだ瞬間だった。
「信じられません…とうとう外に出たんですね…!あ、お母様!入れ歯洗浄剤は棚の上の段の右奥にストックがありますからね!それから冷凍庫には食材のストックがありますから忘れて無駄に買ったりしないでくださいよ!」
 後始末もしたし、憂いも晴れた。さあ、自由になった身でこれからどこへ行こう?
 勇足で歩き出すと、ガサガサと草が揺れたのでロードは身構える。そこからひょっこり顔を出したのは、一瞬王子っぽい服に見えなくも無いが可愛いミリタリーロリータに身を包んだ青と緑の混ざった様なガラスの瞳。きっちりとした服の上からも分かるスタイルの良さがロードの目を釘付けにした。
「…いや……何でドレスなんて着てんの…?」
 上から下までロードを見ると若干引いた様な目でそう言った彼女は、馬に颯爽と跨りドドドドと音を立ててその場を立ち去った。時間にしてわずか十数秒。しかし、ロードの心を動かすのには充分だった。
「な…なんて好みのタイプでしょう…あの綺麗でいてとろんとした瞳、服の上から分かる巨乳っぷり…」
 外の世界に出て一分足らず、早速恋に落ちたロードだった。
「うふふふ…彼女はあっちに行きましたね!?流石に馬の脚力には追い付けませんが、あれだけ目立つ子なら知り合いも多いでしょう。絶対に成就させますよ…外に出たら色々やりたい事あったんですから…妻を娶らば!彼女の後を追いましょう!」
 かくしてプリンセス・ロードは外の世界の冒険に足を踏み出したのであった。

「兄貴、兄貴」
 横に居たシキが声を掛ける。ただのカメレオンかと思っていたが塔から離れた事で魔法の解けた彼は実はこんな大柄な男性だった様だ。
「おや、シキですか?貴方。何です?」
「兄貴の誕生日ってさ、いつなの?」
「ああ、八月ですよ」
「全然先じゃん…」
「ええ、でも今出たかったんで。どうせお母様も覚えてませんて」
 口先だけで塔から抜け出し晴れて自由の身になったロード。彼は誰も傷付けること無く自由を手にし、一目惚れした彼女の行方を今日も追う。

新しい街

「はいもしもし…ああ、それ新しいの買わなくて良いです、在庫はクローゼットの引き出しに入ってます。はい、そこ在庫入れに使ってたんですよ。え?説明書を見ても分からない?え?説明書が読めない?あーもう、読んであげますから写真撮って送ってくれます?」
「兄貴ー…腹減った…」
「はいはい!今作ってますからもう少し待ってなさい!…え!?写真の撮り方が分からない!?先ずはカメラを起動させて…」
「兄貴ー」
「はいはいお前は少し待ちなさい!」
 塔を出て数日。ロードは非常に忙しい日々を過ごしていた。付いてきたカメレオン、もとい実は人間だったシキ。彼が中々大食らいなので時間ごとにしっかり料理を作らねばならない。そして塔に置いて来たお母様。思いの外あっさり外に出してくれたが、想像以上に機械音痴だったらしく連日端末がヘルプの音を奏でる。ああ、そうこうしている内にあの彼女はどんどん先に進んでしまうだろう。ああ、早くあのカヌル山に埋もれたいのに…。
「あーにーきー…」
「はいはい待ちなさい。後は火が通るのを待つだけですから」
 出来上がった料理を二人で黙々と食べる。しかしそろそろ新しい街に着いて良い頃な気がするのに中々辿り着けない。食材も永遠には保たないし、そもそも予想外にシキが食べるタイプなので無くなるのも早そうだ。何とかせねばと前を向くと、看板が見えた。
「お…?この先に街があるそうですよ?やっとベッドで寝れますねぇ」
「マジか」
「…お前の体が乗るベッドがあると良いんですが」
 看板の向けられる方向へ歩みを進めていく。しかし、予想に反し街の活気は失われていく。これにはロードもシキも呆気に取られた。
「ど、どう言うことでしょう…?」
「何か皆元気が無いね…」
 街全体が何かに怯える様に静まりかえっている。何が起きているのかと辺りを見回せば、木の上に猫が居た。
「…こんなところに外部から人が来るなんて珍しい事もあるのだねぇ」
「猫が喋った…」
 猫耳を付けた男は猫の内に入りますか?
 感心した声を上げるシキにロードが思わずそう尋ねたところ、シキは何やら考え込んでしまった。猫耳を付けた男、こと猫はその口元を三日月に歪めて笑いながら二人を見下ろす。
「…何で君ドレス着てんの?」
「これが私のアイデンティティだからです」
「ドレス着るのが?まあ良いけど、君達もこの街の異様な空気は感じただろう?騒がれる前に出た方が良い」
「それより、貴方は何者です?」
「これは失礼。私は公爵夫人の飼い猫でありお抱えの探偵ユウヤミ・リーシェル。人からは探偵とか…珍しいところでチェシャ猫とか呼ばれるねぇ」
「おや奇遇ですね。私も育ての親からチシャと呼ばれていました」
「君はチシャだろ?こっちはチェシャだよ」
 偉さが違うんだよねぇ。そう言いながらチェシャ猫ことユウヤミは三日月型の口を携え、木からすとんと降りて来た。この街の様子は何なのかとロードが尋ねると、ユウヤミは活気の無い街の人を見ながらふぅと溜息を吐く。
「ハートの女王の圧政さ」
「ハートの女王…?」
「そう。この先に城が見えるだろう?」
 ユウヤミの指差した先にある大きな城。一際綺麗なその城は、白い壁に赤い塗装と薔薇園がよく映える。その城の主人がこの状況を作り出したと言うのだ。
「ハートの女王の独裁が凄くてね。これまでも反対意見を唱えた者は何人も首を刎ねられるかバンダースナッチに食われたりしたんじゃないかい?とにかく、ここで騒がれる前に君ら出て行った方が良いね」
「でも…兄貴…」
 こう言う時、素直に助けに行くのが正義側の主人公のセオリーだよね…?
 と、言いたげな目でシキはロードを見る。が、兎にも角にも一目惚れした彼女を追いたいロードはふうと溜め息を吐くと
「じゃあ出て行きます」
 と呟いた為思わずシキはロードの胸ぐらを掴んだ。
「いや、そこは女王に直談判しなきゃだよ…!?」
「いやー、そんな圧政強いる様な人が私の言葉に耳を傾けるわけないでしょう」
 ごもっともではあるが。シキは縋る様にユウヤミを見ると、ユウヤミは少し笑いながら首を振った。元々諸々に期待を抱いていないユウヤミは若干ロード側の味方らしい。
「あ、そうだ…!ユウヤミ、さん?」
「何だい?」
「俺達さ、何かこんな感じの女の人追ってるの。知ってたら情報教えてくれない?」
 シキは彼の描いた下手くそな絵をユウヤミに見せた。しかし、思いの外特徴を捉えていたらしくすぐに彼は「ああ」と声を上げる。
「その女性…ホロウ君かい?」
「彼女を知っているんですか!?」
「知ってるも何も。私は彼女の友達だからねぇ」
「と、友達…?」
「ああ、少なくとも今君が想像してる様な爛れた間柄じゃないよ」
 見透かした目で呆れながらユウヤミが呟くと、何かを思い付いた様にポンと手を叩いた。
「そうだ。そっちの大きい彼もそうして欲しいみたいだし、女王に直談判してくれたら少しは君を信用して彼女の事教えてあげても良いよ?私もね、友達は大事なんだ。何処の馬の骨か分からない男においそれと詳細を話すわけないよねぇ?」
 ちらつかされたロードはぐっと言葉を詰まらせると、やがて観念する様に口を開いた。
「分かりました…やりますよ…」
「まあ、期待はしてないけどね」
 こうしてロードはハートの女王の圧政に直談判しに行く事にしたのだった。全ては一目惚れした彼女に少しでも近付く為。
>to be continued