薄明のカンテ - 愛の日は一日にして成らず/べにざくろ


チョコの道もカカオから――Taiga&Noe

 タイガは唖然としていた。
 彼の目の前のテーブルにあるのは3cmくらいの大きさの謎の豆達。
「 何、これ……? 」
 それを準備したノエはタイガの反応を予想していたとばかりに微笑む。
「 カカオ豆ですよ 」
「 は? 」
 さすがの料理初心者のタイガも『 カカオ 』という豆がチョコレートの原材料ということは知っていた。しかし、現物を目にするのは初めてであったし何故これが此処にあるのかという話の流れは全く読めなかった。
「 タイガ、ヒギリさんにチョコレートをあげたいって言ってましたよね 」
「 うん、言った 」
「 私にチョコレートを使用した菓子を教えて欲しいと言いましたよね? 」
「 うん、言ったけど……? 」
 まさか、と思ってもう一度机の上の豆を見る。どう見てもただのカカオ豆だ。
 一粒摘み上げて匂いを嗅いでみると、少し鼻につく発酵臭がする程度で残念ながらおいしいチョコレートの香りはしなかった。
「 焙煎しないとチョコレートの香りはしませんよ 」
「 へー、そうなんだー……じゃなくて! まさかココから作るの!? 」
 最近眺めていたレシピ本に載っているチョコレート菓子のレシピ達のようにチョコレートを買ってきて溶かして作るつもりだったのに、予想外の方向からの本格派にタイガは思わず叫ぶ。まさかチョコレート菓子の作り方を習おうと思っていてカカオ豆からチョコレートを作ることになるとは誰も想像しないだろう。
「 折角なので最初から勉強した方が良いかと思いまして 」
「 そういうもの……? 」
「 そういうものです 」
 この世の中にチョコレートを作ろうと思ってカカオ豆の焙煎から始めようという人間は少数しかいないと思われるが、素直なタイガは素直にノエの言葉に「 そういうものかー 」と納得してしまった。非常に扱いやすい主人マキールにノエは微笑む。
「 では早速、焙煎しましょうか 」
「 うん!! 」

 * * *

ゴリゴリゴリゴリ……
 焙煎して良い匂いを漂わせるようになったカカオ豆の皮を剥いてから、粉々にするためにひたすらにすり潰す音がタイガの家の広いキッチンに響き渡る。
「 頑張ってください、タイガ 」
「 腕痛い…… 」
 開始から1時間、タイガはすりこぎ棒を手にすり鉢に入れたカカオ豆を粉砕し続けていた。途中でフードプロセッサーを使えば良いんじゃないかということに気付いて提案したものの「 え? 機械に頼るんですか? 」と言われてしまい、そう言われたからには機械のノエに疲れたから代わってとも言えず大人しく作業を続けるしか他ない。
( 絶対に明日、筋肉痛だ。チョコレート作りって大変なんだなぁ )
 これなら若き剣道部時代の正面200本5セット、左右面100本5セット、跳躍100本4セットの素振りの方が楽なのではないか。思わずそんなことを思うが言ったら最後、ノエに見放されそうなので大人しくすりこぎ棒を回し続ける。
「 ここで粉砕した豆が荒ければ口触りの悪いチョコレートになりますからね 」
 鬼教師ノエから注意が飛ぶ。口触りの悪いチョコレートをヒギリに渡すことは避けたいタイガは反抗せずに動かす手を更に力強くしながら、ふと思う。
「 ねぇ、今から作って14日まで置いとくの? 」
 今日は、まだ1月末だ。愛の日に渡すものを作るには随分と気が早いような気がする。そう思って口に出しただけなのだが、ノエには信じられないものを見るような目で見られた。
「 今日は練習ですよ。まさか、一回作って成功するかも分からないものをヒギリさんにあげるつもりだったのですか? 」
「 ……そ、そうだよね! ちょっと言ってみただけだよ 」
 まさかのそのつもりだったタイガは必死に笑って誤魔化した。若干、ノエは疑っている目を向けてきたが、そこは笑顔を向けることで乗り切る。
 ゴリゴリと作業を続けながらタイガは気付いた。
( え、でもノエってこの作業を何回オレにやらせる気なんだろ…… )

 * * *

 それから更に1時間後。
「 ノエ、もう良い……? 」
「 そうですね、そろそろ良いでしょう 」
 すり鉢の中の、粉と化したカカオ豆にタイガは達成感でいっぱいだった。最初こそは「 チョコレートの匂いがするー!! 楽しい!! 」とか浮かれてやっていたが今では匂いに順応してしまっているし、手は疲れたしで良いことはない。しかし、ここからどうやってチョコレートが出来るのだろう。砂糖を入れたら完成するのだろうか。疑問に思うタイガの前に湯気をたてた浅めの鍋が置かれた。覗き込むとお湯が煮立っていて、この中に粉になったカカオを入れるのだろうか。
 先に言ってしまえば、残念ながらタイガの予想は外れていた。
「 さぁ、タイガ。次は湯煎をしながら擦りますよ 」
「 湯煎……? ええっ!? まだ擦るの?」
「 ええ、もちろん。更に気合いを入れてやってくださいね 」
 微笑むノエは凄く楽しそうだった。それを見るタイガは凄く楽しくなかった。
 どれくらい楽しくないかというと、かつて掛かり稽古でロナに「 サオトメ先生!! 本気でお願いします!! 」と言ったら防具の面越しにも分かるくらい苦笑されて、最終的にはボッコボコにされた時くらい楽しくない。剣道という競技を越えた剣士の本気は一般庶民には怖かったなぁ、とタイガは思わず過去を振り返ることで現実逃避をしようとする。
 しかし、タイガが手にしているのは竹刀ではなく、すりこぎ棒。
 その重みがタイガを現実へと引き戻してくる。
「 推しの為なら頑張れますよね? 」
「 う…… 」
「 え、頑張れないのですか? 」
「 ガンバリマス 」
 推しの為。ヒギリちゃんの為ならえんやこら。
 タイガは決意新たに若干ヤケクソになりながらもカカオ豆を擦り始めた。

 * * *

 それから2時間、カカオを擦って砂糖を足して、練って練って練って。
 ようやくトローリとお馴染みの雰囲気を漂わせてきたチョコレートを型に入れて冷蔵庫で固めること2時間。
 約6時間の工程を経てタイガの目の前には何の変哲もないチョコレートが完成していた。定番の板チョコを一ブロックずつ割ったような大きさの飾り気のないチョコレートだが、長かった苦労を思えば輝いて見える。
「 良く頑張りましたね 」
 鬼教師ノエが健闘を祝うように手を叩いた。叩いているのは当然ながらノエだけなのだが、タイガの脳内ではコンサート会場を埋め尽くす聴衆の割れんばかりの拍手( 先日観たディーヴァ×クアエダムの解散ライブDVDより )が再生されていたので寂しくはない。
「 食べて良い? 」
「 ええ、どうぞ 」
 6時間の努力の結晶を一粒手に取る。半日前には3cmくらいの謎の豆だったのに、今はちゃんとチョコレートになっていて不思議な気分だ。
 感動しながら口にチョコレートを運ぶ。
 しかし、甘い甘いチョコレートの美味しさに綻ぶはずの口元が―――歪んだ。
「 え、あんまり甘くない……それに、何かシャリってしてる……」
 高カカオのチョコレートのように甘みが少ない部分はまだ許容出来るものの、口溶けが悪い。チョコレートといえば口の中で甘く広がるものだと思っていたタイガは予想外の感触に驚いた。
 まさかノエに教わっていても自分は失敗したのだろうか。縋るような目でノエを見ると、彼は年甲斐もなく悪戯が成功した子供のような顔を見せた。
「 やはり、すり鉢で作るのは難しかったようですね 」
「 え 」
「 それはそれで甘みが少なく好きだという方もいるようですが、相手はヒギリさんですしねぇ……もう少し甘い方が喜んでくれそうです 」
「 え? 」
 それではこの6時間の努力は何だったんだ。ノエの容赦ない言葉に思わず愕然とする。
「 タイガ。チョコレートを作る大変さは分かりましたね? 」
「 うん。それは凄く分かった。腕もすっごい痛いし 」
 この6時間で人生最高に腕を使った気がした。それだけは真面目に頷ける。
 タイガの言葉に満足したのかノエはキッチン備え付けの収納庫パントリーへ歩いていくと何かの袋を持って戻ってきた。そして、その袋に貼られたラベルを見せるようにタイガへと向ける。
「 クーベルチュール・チョコレート……」
「 総カカオ固形分35%以上、カカオバター31%以上、無脂カカオ固形分2.5%以上の正真正銘のクーベルチュール・チョコレートです。製菓用として良く使われますよ 」

せいかよう。生花用、成果用、聖歌用、生家用―――製菓用!!

 タイガの頭の中で導き出された『 製菓用 』という単語がぐるぐる回る。『 製菓用 』は『 お菓子を作る時に使う用 』という意味だ。いや、そもそも、これがあるならカカオ豆を何時間も人力で擦る必要がどこにあったのだろう。
「 やはり最初に食物を作る努力を知る必要があるかと思いましてね。いきなりコレを与えて食材を無駄遣いするのは私の信条に反しますし 」
「 つまり食べ物の大切さをオレに教えるためにカカオ豆から…? 」
「 ええ、そうです 」
 機械人形マス・サーキュは人間の疲労感が分からないのだろうか、というくらい平然とノエが頷くものだからタイガは脱力する。そんなタイガの内心を知ってか知らずかノエは更に口を開いた。
「 明日からは本格的にお菓子を作る練習をしましょうね 」
「 はい…… 」
 もはやタイガが出来るのは力なく返事をすることだけだった。もう今日は疲れて何もしたくない。お菓子作りを習ってもこのハードな工程があるのだ。他の料理を習ったら、ノエは何からやらせる気なのだろう。
( あれ? そうすると肉料理とか習ったらオレ、狩猟か獣の皮を剥ぐところからやらされるんじゃ…… )
 結社には、それを生業としていた人もいたなと前線駆除リンツ・ルノース班の狩猟女子、ヘレナ・マシマとウルリッカ・マルムフェのことを思い浮かべて彼女達に連れられて猟に行く自分を想像してみる。うん、無理だ。
「 ノエ、オレに獣は狩れないからね !! 」
「 ……さすがにチョコレートにお肉は入れませんよ? 」

チョコは友を呼ぶ――Taiga&Theophilus

「 へー、それでコレがお前の努力の結晶のチョコな訳 」
「 もう腕が痛くてオレ、もう今日は仕事が出来ない気がする 」
 その日、昼時の食堂の一角でテオフィルスとタイガは時間を合わせて昼食をとっていた。
 とはいえ昼食自体は既にとり終えて、2人が食べているのは何の変哲もないプラスチックス製食料保存容器の中に入っているこれまた何の変哲もないタイガの努力の結晶のチョコレートだ。
「 別に不味くねぇし、これ、あの子にあげれば良くね? 」
 チョコレートを食べながらあの子、の部分で食堂の配膳カウンターへ目線を送るテオフィルス。視線の先にいるのは見なくても分かる。ヒギリ・モナルダだ。しかも、どうやらヒギリと目が合ったらしく、女たらしなテオフィルスはにこやかに手を振っている。タイガとしては凄く腹立たしいが、ここで自分も振り返ってヒギリを見たらテオフィルスの真似をしているようで悔しいので我慢しておく。
「 テオ君、ずるい 」
「 別にあの子はお前のモンじゃないし俺が何しようが勝手だろ 」
「 そうだけどさぁ… 」
 凹むものは凹む。溜息をついてテーブルに突っ伏しそうになってタイガは何かを思い出したような顔をすると背筋を伸ばす。謎の動きにテオフィルスが怪訝そうに眉を顰めた。
「 どうした? 」
「 オレ、もっと大人な性格になろうと思って。こんなことで凹んでたら大人じゃないよね 」
 そう言っている時点で十分過ぎる程に子供なのだが、タイガが至って大真面目な顔をしているのでテオフィルスは笑うことも出来ず「 そうだな 」と無難な答えを返すことしかできない。
「 大人な性格ってどんな性格だよ 」
「 ロードさんみたいな仕事をスマートにこなす男かな! 」
「 アレは……お前には無理だろ 」
 先日、タイガとロードと3人で飲んだ時のことを思い出す。タイガは気付いていなかったのか酔っ払って聞いてないのかは分からないが、ロードは口を開けば涼しい顔でテオフィルスでも驚く程の下ネタオンパレードだった。そういえば正月後に(何故か行われた)ヴォイドに着て欲しいデート服を選ぶ三色ショッピングでもテオフィルスもテディ曰く『 オタクっぽーい 』服を選んで酷評だったが、ロードのチョイスに至っては下着だった。ついでに未成年には見せられないアレやコレのオプションまでついていたことは記憶に新しい。
 アレを大人な性格と呼んでいいのだろうか。いや、駄目だろう。
「 えー。オレだって頑張ればああいう大人になれるよー 」
「 ああいうオトナにはなるな 」
 タイガとテオフィルス、それぞれがロードの違う面を見ながら言い合うので結局、話は平行線で結論は出ない。諦めた2人は会話の内容を変えることにした。
「 それより、テオ君! テオ君は誰に愛の日にプレゼントあげるの? 」
「 プレゼントか……外の愛の日は面倒だな…… 」
 テオフィルス的には岸壁街の『 愛の日 』はお姉様方相手に肉体的に頑張れば良かったのに外の世界は物をあげなくてはならないらしい。面倒だな、と思いつつもその分色んな人に渡せるから良いのかもしれないとも思う。
「 とりあえず汚染駆除ズギサ・ルノース班には渡すだろー。ミサキちゃんにー(以下、汚染駆除ズギサ・ルノース班女子の名前が続く)、それから脚で世話になってるロザリーさんと、ヒルダちゃんにアンちゃんだろ……( 以下、機械マス班女子の名前が続く) 」
「 わあー、予想通りすぎるくらい女の子ばっかり 」
「 野郎に物くれて楽しい訳ねぇし。ああ、ヒギリちゃんにもあげるか 」
「 え!? 」
 わざとらしくヒギリ・モナルダの名前を出せば予想以上にタイガが驚いた声を上げるのが面白い。苦味が癖になるチョコレートを再び口に放り込んでテオフィルスはニヤニヤと笑う。
「 あの子に物をやる奴、多いに決まってんだろ。何たって食堂のアイドルなんだからな 」
「 やっぱり、そう思う? 」
「 思う。ノエさんだって言ってただろ? 」
「 うん。『 一緒に仕事してる人は絶対あげるからタイガは頑張らないと駄目ですよ』って言われた 」
 給食部には当然ながら元料理人や料理が得意な人が多く在籍している。そんな彼等、彼女等が腕を振るったものを愛の日にヒギリは貰う訳だ。タイガがアピールする為には、それを越えるまではいかなくてもそれなりのレベルのものをあげなくてはならない。
「 14日までにできるのかな、オレに 」
「 できるのかな、じゃなくて、やるんだろ? 」
「 そうだよね。やるしかないよね! 」
 再びタイガがやる気を出したところで2人のお昼休みの時間がまもなく終わりを告げようとしていた。食堂前で別れて、それぞれの職場へと歩き出す。
( 愛の日か。そういや今まで長く一緒にいたのにアイツにはあげてなかったな )
 廊下を歩きながらテオフィルスは医療ドレイル班の某彼女の顔を思い浮かべる。せっかくだから今年は彼女にあげるのもいいかもしれない。
 そう考えると愛の日が楽しみになってきて。
 浮かれていたらお昼休みの時間を過ぎて戻ることになり、テオフィルスは汚染駆除班のお姫様ミサキ・ケルンティアから絶対零度の視線をいただくことになったのであった。

花心あればチョコ心――Mia

 華やかに美しく咲き誇る薔薇が大好きだった。
「 私もいつか薔薇が似合う女の人になれるかな? 」
「 それには、もう少し落ち着いた女性になることが必要ですね 」
 桃色の髪の、薔薇の似合う姉が微笑う。
「 落ち着いた女性かぁ……難しいよ 」
「 良いのよ、ミアちゃん。無理に変わろうとしないで、ゆっくり変わっていけばいいの 」
 母が沢山の薔薇を剪定しながらミアに言い聞かせる。その奥では父が穏やかな顔で母の言葉に頷いていた。
 2月14日はカンテ国では愛の日。最近では製菓会社のマーケティングが上手いのかチョコレート菓子を贈る人が多いけれど、まだまだ花業界だって負けていない。特に人気のある花は一輪でも見栄えのする薔薇の花だ。
 だから、2月になるとお店には特に薔薇を多く並べる。その薔薇を手にとる客の思いは千差万別だ。片想い相手に告白しようとする客は緊張した面持ちだし、長らく連れ添った相手へ贈る人は照れ臭そうに笑う。友達にあげる人は楽しそうに華やかな色を選び、職場で飾る人は控えめな色を選ぶ。このお客さんは誰にあげるんだろう、と想像しながら薔薇を売る仕事はとても楽しくて心が弾む。
 だから2月はとっても忙しくて楽しい月。家族皆で頑張る月。

 * * *

ピピピ……
 軽快な電子音で目が覚める。ぬくぬくと温まった布団は手放すのが惜しいけれど、二度寝なんてしたら昼まで起きられないことは分かっているので勇気を振り絞ってえいやと布団を投げて起きた。
 部屋にいるのは自分一人。二度寝をしたミアを呆れた顔で起こしてくれる家族はいない。だから何でも一人でやらなくちゃいけない。
( ダメだ。元気出さなきゃ )
 久しぶりに見た家族の夢は嬉しいけれど、目覚めた時の現実との落差が大きい。両親は死んでしまって姉は行方不明で、ミアは独りぼっちなのだと静かな部屋が告げてくるから。
 静けさから逃げたくて観たい番組がある訳でもないけどベッドを降りると急いでテレビをつける。独身の人が住むために結社が用意してくれたワンルームはこういう時は便利だとつくづく思う。
「 諦めたい理由ならいくらでもあるー……♪ 」
 テレビから流れてきたのは先月、新人賞をとったことにより更に人気に火がついた曲で、それを聞いたミアは強ばっていた身体から力を抜く。最初に聞くのが機械人形マス・サーキュの暴走の被害状況のニュースでは全く心が安らがないからだ。
「 前を向くって決めたその日から……目を逸らさずに立ち向かうんだー♪ 」
 テレビから流れる『 アタラクシア 』を口ずさみながら冷蔵庫から豆乳を取り出してマグカップに注ぐ。そのままだと冷たいからレンジで温めて、それを朝ご飯代わりにチビチビと飲む。豆乳を飲むのは 愛用雑誌『 月刊 ロリポップ 』の特集『 冬の間にこっそり育乳トレーニング 』の影響だ。残念なことに未だに効果の程は感じられていないが。
( いつになったらヴォイドさんとかエル先生みたいになれるんだろ )
 ミアの名誉の為に言っておくと決して彼女の胸部は小さくはない。しかし、哀しいかな。医療ドレイル班には、とっても胸が豊かな女性達がいるので、つい上を目指したくなってしまうのだ。
 流行りの歌を鼻歌交じりに歌いながら身支度をして、時間が余った分だけ他の家事をしていれば直ぐに出勤の時間だ。
( 大丈夫。笑える )
 鏡に向かって笑う練習をしてからミアは寮を出る。凹みそうな心に蓋をして携帯型端末の待受画面―――お正月に着物姿のネビロスと撮ったツーショットだ―――を見てテンションを上げた。
 ミアはネビロスが好きだ。単純に顔が好きというのもあるし、性格がとても優しい穏やかな人だから。仕事を頑張りすぎちゃう姿は心配だけど仕事をする姿は真面目で素敵だし、大人なのにお菓子が大好きなところは可愛いと思う。ギロク博士という人が起こしたテロより前のネビロスの姿も知ってみたいが、彼は過去を語りたがらないからミアは聞くことが出来ないでいた。
( ジークおじさまに聞いてみようかな。でもこういうプライベートなことは本人に聞くのが1番だよね )
 ネビロスと行動を共にしていることの多い強面の機械人形マス・サーキュのことを思い浮かべるが、彼からネビロスの過去を聞き出すのは狡い気がして思うだけにしておく。
( さてと。今日も頑張るぞ!! )
 気合いを入れて医療ドレイル班の部屋の扉を開ける。大きすぎる声は病人や怪我人がいたら迷惑になるので、程々の声で元気良く。
「 おはようございます!! 」

 * * *

「 えー、ヴォイドさんも愛の日に誰かにあげましょうよー 」
 在庫整理をしていてヴォイドと世間話を始めたミアは、そう言って口を尖らせる。
「 誰に? 」
「 え? うーん……第六小隊の小隊長のお兄さんとか! 」
 先月に行われた『 ミクリカ食い倒れ祭 』にヴォイドは誰と行くのか教えてくれなかったが、後日、ミアはウルリッカからヴォイドが「 隊長とデートしてた 」と情報を仕入れていた。残念ながらミアは2人が並んで話している姿を見たことはないが第六小隊の小隊長、ユウヤミ・リーシェルと、ヴォイドが並んでいる姿はなかなかお似合いなのではないだろうか。何となくだが、そんな気がする。
「 ユウヤミに? 」
「 チョコでもお花でも! ヴォイドさんがあげたら喜びますよ 」
「 ……考えとく 」
 ヴォイド自身は、そんなに愛の日に興味を持った訳ではないだろうが、ミアの勢いに押されたのか気を遣ったのか一応は頷いてくれる。
 何だかんだと相手をしてくれるヴォイドが嬉しくて更にミアは続けた。
「 お花だと薔薇が人気です。本数や色で花言葉の意味が違って面白いんですよ! 私もお店で…… 」

―――お客さんに教えるために覚えたんです。

 その何て事無い言葉が出て来なかった。
 代わりに出て来たのは目から零れる涙だ。
「 ミア? 」
 ミアの異常に気付いたヴォイドに「 大丈夫です 」と笑おうとするけれども涙が止まらなくて顔がぐしゃぐしゃになる。
「 あれ? おかしいですよね……何で泣いてるんだろ、私 」
 ヴォイドと楽しい話をしていたはずなのに泣き出してしまったことに1番驚いているのはミアだった。

―――愛の日。花。家族。死。喪失。孤独。

 感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って整理が出来ない。
「 大丈夫? 」
「 どぉ、して…… 」
 ヴォイドの問いには答えず誰に言うでもなく呟く。
「 パパは? ママは? お姉ちゃんは、どこにいるの……? 」
 昨年の愛の日はラシアスの家で家族で一所懸命に働いて幸せだったのに、どうして今は独りなんだろう。今まで考えないように目を背けていた事実が心に突き刺さって痛く、苦しい。
 遂には顔を手で覆って泣き出すミアにヴォイドは困っていた。こういう時にどうすれば人として正しい行動なのか、彼女の人生でそれを理解する時が無かったからだ。
 しかし、ヴォイドは先日読んだ医学書にあったことを思い出す。その中にリラックス効果やストレス軽減効果があるβエンドルフィンや、幸福感と安心感を与えるオキシトシンを分泌させる行動があったことを。
「 よしよし 」
 ヴォイドはミアを抱き寄せて自分の胸に抱き込む。とある人物が見れば羨ましさにハンカチを噛み締めそうな行動だが、彼は人事部の部屋で仕事をしているし医療ドレイル班の部屋には近寄らない( 近寄れない )ので何ら問題は無い。
「 ヴォイ、さぁん 」
「 よしよし 」
 思いきりヴォイドに抱き着いてその柔らかい胸で一頻り泣いてから、少しだけ落ち着いたミアは顔を上げる。
「 ごめ、なさい 」
 ぐすぐすと鼻を啜りながらヴォイドに頭を下げた。そんなミアの様子を見て横からハンカチを渡すのはアペルピシアだ。
 職場で私事で泣き出すことは本来なら許されることではないが、精神的に不安定な人間を叱っては余計に追い込むことになってしまう。だから、アペルピシアはあくまでも微笑んで告げる。
「 ほら、目が腫れてるから冷やして来なさい。そんな顔じゃ仕事にならないでしょ? 」
「 エルしぇんしぇ…… 」
 アペルピシアからハンカチを受け取って立ち上がると、今度は2人に頭を下げてミアは医療ドレイル班の部屋を足早に出ていく。
 その茶色の頭が見えなくなるとアペルピシアは呟いた。
「 どうして今日に限って彼は休みなの。今まではいなくていい休みでも何でも医療ドレイル班の部屋にいたのに 」
 ヴォイドも頷く。
「 同感 」

 * * *

 トイレの鏡で見た自分の泣き顔は目が腫れて最高に不細工だった。
( 愛の日、かぁ…… )
 再び潤みそうになった目をアペルピシアのハンカチで拭う。
 ほんの数日前までは楽しみで心が弾んでいて、休憩の時にたまたま会ったロードにも楽しみだという話をしたばかりだと言うのに、このテンションの落ちっぷりはどうしたらいいのだろう。
 ハンカチを濡らして目にあてる。ひんやりとした感触が気持ちいいが、後でエル先生には新しいハンカチを買って返さないとなと妙に現実的なことを考えてしまう自分に思わず笑ってしまう。
( 大丈夫、大丈夫…… )
 家族はいなくなってしまったけれどマルフィ結社ここには優しい人が沢山いるじゃないか。だから寂しくない。大丈夫。
 自分へ言い聞かせて心を落ち着かせる。そうして、彼女はいつも通りの笑みを顔に浮かべた。
( 私はまだ頑張れる )
 鏡の中のミアはまだ少し目が腫れぼったくて本調子の顔とは言えなかったけども気合いを入れるために両頬を一叩きする。
( うう……ちょっと叩き過ぎた…… )
 力を込めすぎてしまい先程までとは違う涙がほんのり浮かぶが、一瞬でそれは消えた。頬を労わって撫でながら医療ドレイル班の部屋へ戻る道程を歩いていく。
「 ミア……? 」
「 え!? ネビロスさん!? 」
 途中でネビロスに会ったミアは足を止めて慌てて下を向く。下を向くのは元に戻りつつあるとはいえ目の腫れた不細工な顔をネビロスに見られたくなかったからだ。
( 一瞬しか見てないけど私服のネビロスさん、貴重!! )
 今日のネビロスは休暇の為、医療ドレイル班の制服である瑠璃色のスクラブを着ていない。貴重な私服のネビロスの姿を見られたのは嬉しいが、そういえば何故、彼は此処にいるのだろう。
「 お休みの日に働いたらダメですよ? 」
 毎日ネビロスさんに会えて嬉しいなと思っていたら、それは彼が無茶な勤務をしていただけなのだと後々スレイマンから世間話的に聞かされていたミアは、やんわりとネビロスに言ってみる。
 ネビロスから返答はない。代わりに下を向き続けるミアの目にネビロスの靴先が見える。
( あれ? 近い? )
 ミアが疑問に思っているうちに視界にネビロスのシャツの袖が見えたと思えば顎に手を添えられる。その行動に戸惑っているうちに顎を指で軽くクイッと持ち上げられ、ネビロスと強制的に視線を合わせさせられた。
( 近い近い近い!! )
 真っ赤になってふらついたミアをネビロスはそのまま廊下の壁に押し付ける。顎クイからの壁ドン状態にミアの脳は処理が追いついてこない。
「 ……ミアが泣いていると報告を受けまして 」
「 貴重なお休みにごめんなさい 」
「 それは構いませんが、何があったのですか? 」
 ミアがネビロスのことを好きというのは医療ドレイル班の公然の秘密で、そのせいで休暇を奪ってしまったことに罪悪感を抱く。それでもネビロスが来てくれたことが嬉しいと思う自分がいることは確かだ。
昨年きょねんは、 」
 言いかけて止まる。昨年は家族がいて愛の日を楽しんだのはネビロスも同じだ。
( そうだ。ネビロスさんは、奥さんと )
 胸が痛んで、辛いのは自分だけではないのだと現実に気付く。昨年までの愛の日と違う愛の日を過ごす人は国中に沢山いるというのに、何で自分は悲劇のヒロイン面をしているのだろう。
「 昨年は、何ですか? 」
「 昨年は家族と一緒だったのに何で今年は一人なんだろうって思ったら悲しくなっちゃったんです。でも良く考えたら皆そうですもんね、ネビロスさんだって……ご迷惑おかけしてごめんなさい。仕事戻りますのでネビロスさんも休暇満喫してください 」
 ほぼ一息で言い切る。はたして自分は上手く笑えているだろうか。
「 ミア。他者と哀しみの軽重を比較する必要はありません 」
 ネビロスはミアの偽りの笑顔の仮面を剥がすように淡々と告げる。
「 誰が最も辛い喪失か、という問いは決して答えなんて出ません。 私の経験とミアの経験が違うように誰も比較出来ないものなんですよ 」
 顎に添えられていたネビロスの手が頬をなぞる。
「 比較できない…… 」
「 だから皆そうだからと言って無理に泣くのを我慢する必要は無いんです 」
 泣き止んだはずのミアの目から一粒、また一粒と涙が零れ落ちた。
「 ネビロスさん 」
「 はい 」
「 少しだけぎゅっとしてても良いですか? 」
「 はい 」
 勇気を持ってネビロスの背に手を回して抱き着く。先程、散々抱き着いて泣かせて貰った柔らかなヴォイドの身体と違って、ネビロスの身体は細身なのに筋肉質で想像もしなかった硬さに驚かされた。

 * * *

「 ネビロスさん 」
 やがて泣き止んだミアが顔を上げる。また泣いたことで目が腫れぼったくて不細工になっているだろうけど、もうそんなことはどうでも良かった。
「 私、愛の日に絶対にネビロスさんに葉の付いた赤い薔薇を贈ります 」

 赤い薔薇の花言葉は『 あなたを愛してます 』。

 赤い薔薇の葉の意味は『 あなたの幸福を祈ります 』。

「 はい。お待ちしておりますね 」
 ネビロスが花言葉を知っているのかミアは知らない。
 だけどネビロスが頷いてくれたことが嬉しくて、ミアはようやくいつも通りの笑顔を見せて仕事に戻ることが出来たのだった。

犬も歩けばカカオに当たる――Ulricca

 ウルリッカ・マルムフェは世間知らずのアホのである。
 というのも山神を信奉する小さな集落コタンに一応あった小さな小学校と中学校で最低限の勉強をしてからは、ずっと山でマタギをしたり家の家畜の世話をしたり畑を耕したりすることばかりだったからだ。知っている世界は狭くて、でもそれが全てだと思っていた。
 それ故にマルフィ結社に来てからは色々と刺激的なことがあって( 表情には出ないけど )驚くことばかり。
 そして、最近驚いたことといえば。
機械人形マス・サーキュ主人マキールになるには機械人形マス・サーキュにプロポーズしなくちゃいけないのか )
 もう一度言おう。
 ウルリッカ・マルムフェは世間知らずのアホのである。
 昨年、兄のアルヴィがマルフィ結社に入ってきた。そしてウルリッカと同じ前線駆除リンツ・ルノース班第六小隊に所属する機械人形マス・サーキュ、シリルの主人マキールになるためにプロポーズをする流れになった。プロポーズというのは当然の事ながらシリルの悪ふざけだ。しかし、アルヴィもそれに乗った。それを見てウルリッカは勘違いしたのだ。

 全ての主人マキール機械人形マス・サーキュにプロポーズしていると。

 そうなると気になるのはプロポーズの言葉だ。
 もしかしたら聞いてはいけないのかもしれない、と思って数週間は我慢してきたが、そろそろ我慢の限界を迎えようとしていた。
 そんなウルリッカがいるのは、とある支部の前線駆除リンツ・ルノース班の待機部屋。待機時間であり各々が好きに部屋を出入りしているので今、部屋にいるのはウルリッカと機械人形マス・サーキュのガートだけだ。
( 聞くなら今だ )
 ウルリッカの目が獲物を狙う狩人ハンターのものに変わる。
「 ねぇ、ガート 」
「 何や? 」
 身体がなまって仕方ないわーと人間のようなことを言いながらストレッチのようなことをしているガートにウルリッカは声をかけた。猫のようなガートの目がウルリッカに向いたので更に言葉を続ける。
「 ガートはエドゥにどんなプロポーズして貰ったの? 」
「 は!? 何言うとん!? アホか!? 」
 予想外に大きな声が返ってきた。もしかして照れて叫んでいるのかなと思ってガートを見てみるが、彼女の感じを見ていると照れているというよりは本当に阿呆なことを聞いてきたウルリッカに呆れているといった感じが強い。何だか予想と違う反応だ。
( 隊長に頼まれて主人マキールになってるから、エドゥはプロポーズをしてないのかな )
 そもそもプロポーズというのが勘違いだということに気付かないウルリッカはガートの態度をそういうことだと結論づけて狩人ハンターの目を止める。
「 冗談 」
「 笑えない冗談はあかん 」
「 ごめん 」
「 エドゥちゃんには言うたらあかんよ 」
 エドゥアルトに「 もしガートにプロポーズしてたら何て言った? 」と聞こうとしていたウルリッカはガートの言葉に釘を刺されることになった。いたたまれなくなってガートから目を逸らす。
「 言わない 」
「 自分、言おうとしてたな? 」
 ガートが距離を詰めてくる。可愛い顔立ちなのに圧が強いと感じるのは、やはりガートが戦闘特化の機械人形マス・サーキュだからだろうか。
「 言おうとしてない 」
「 その顔は、嘘をついてる顔やで!! 」
 ビシッと指を突き付けられて思わず言葉に詰まる。さて、どうやって切り抜けようか。ウルリッカが悩んだ時だった。
「 何やってんの……? 」
 諸々の用事を終えて部屋に帰ってきたエドゥアルトがライトブラウンの目に呆れた色を乗せて一人と一体を見つめていた。エドゥアルトの姿を見たガートの顔が一瞬にして輝く。そう見ると恋する乙女が愛しい人に出会ったようにも見えるが、そんな第三者の意見をぶち壊すのがガートという機械人形マス・サーキュだ。
「 エドゥちゃん!! 」
 猫耳のついているガートが、まるで猫のように軽やかな動きで部屋に入ってこようとしていたエドゥアルトに迫っていく。そして腕に絡みつくと恋人のように―――ではなく、戦士の顔でにっこりと笑った。
「 うちに待機は性に合わんし、よっしゃ運動しよか! 」
「 え、ちょ、オレの意思はぁぁぁぁああ!?」
 思いきり叫んで拒否しているであろうエドゥアルトを引き摺るようにしてガートは楽しそうに浮かれて部屋を出ていく。何やかんやといってもエドゥアルトは優しいのでガートに付き合ってあげるんだろうな、とウルリッカは彼等の後ろ姿を見送った。
 しかしガートとエドゥアルトが部屋を出ていってしまったので部屋にはウルリッカ1人になってしまった。少しだけ寂しいので、部屋に備え付けられたソファに思いきって転がって不貞寝する。とはいえ本当の睡眠はとらない。本当に寝てしまっては任務に支障が出てしまうからだ。
( 私も射撃練習にでも行こうかな )
 ゴロゴロとしながらそんなことを思う。でも昼間からゴロゴロするのも、なかなかに優雅な気分で楽しくて止められない。このままじゃ猟犬じゃなくて駄犬になってしまいそう。でも、それも良いかも。
「 何をやっているのですか……? 」
 声が上から降ってきてウルリッカが見上げると、先程のエドゥアルトと同じように呆れた色を金と銀の虹彩異色症オッドアイに乗せているヨダカがそこにいた。
「 ヨダカ! 」
 こちらも先程のガートのように顔を輝かせてウルリッカはヨダカの名を呼んで飛び起きる。勢いが良いものだからヨダカにぶつかりそうになるが、そこは優秀な機械人形マス・サーキュのヨダカが身を引いて避けた。そんなヨダカの動きに気付くことなくソファに座り直したウルリッカは部屋の中を見回して首を傾げる。
「 隊長は? 」
 常に仲良く一緒に行動( ヨダカは監視者としての仕事を全うしているだけだが他者から見たらこう見える )しているユウヤミの姿が見えずヨダカに問い掛けると「 今は自由時間です 」と答えになっていない答えが返ってきた。変な答えだなと思いつつもユウヤミがいないのは好都合だ。ウルリッカは早速、あの質問をヨダカにぶつける事にする。
「 ヨダカは隊長にどんなプロポーズをしてもらったの? 」
「 ……はい? 」
 それは優秀な機械人形マス・サーキュのヨダカも質問の意図が読めない難問だった。ウルリッカの言う『 隊長 』が『 ユウヤミ・リーシェル 』であることは理解出来る。しかし、それと『 プロポーズ 』という単語が結び付かない。
「 だから、プロポーズ 」
「 ええ、その言葉の意味は分かります 」
 マルフィ結社に来て未だ数ヶ月の付き合いであるが、ウルリッカが言葉の足りない女子であることをヨダカは良く理解していた。彼女が何を言いたいのかを導き出す為、根気よく様々な質問を駆使して事情を推察していく。正直、ミクリカ食い倒れ祭りに行ったユウヤミの手紙を読ませる時より時間がかかり、ヨダカは非常に苦労する羽目になった。
 そうして導き出された結論としては同じ第六小隊に所属する機械人形マス・サーキュのシリルが悪いという事に至った。自分と同じ色合いの髪を持つ機械人形マス・サーキュの言葉的な意味での暴走にヨダカの痛むはずの無い頭が痛い気がする。そもそもヨダカの正式な主人マキールはユウヤミでは無いのだが、それはここで言うことではない。
「 何て言葉? 」
「 良いですか、ウル 」
 勘違いを解こうとヨダカが口を開いた時だった。
「 『 私の機械人形マス・サーキュになってくれ 』だよ 」
 第三者の声にウルリッカとヨダカは声の主を見る。いつの間にか部屋の中にはヨダカの主人マキールであるユウヤミがいた。ユウヤミの言葉にヨダカは今度こそ頭痛がした気がした。プロポーズなんて当然されていないし、これはユウヤミの悪ふざけだ。
「 108本の薔薇の花束を跪いて渡したのだよね 」
「 108本…… 」
「 この数にも意味があってねぇ、ずばり『 結婚してください 』という意味なのさ 」
 ヨダカが気付くと、ウルリッカは真剣な顔でポケットから取り出したメモに一所懸命にユウヤミの嘘を書いていた。微塵もユウヤミの言葉を疑っていないようで見ていて憐れみすら感じてしまう。
主人マキール
「 分かっているよ、ヨダカ 」
 諌めようとユウヤミを呼んだヨダカの声すら利用してユウヤミは嘘を塗り重ねる。
「 いいかい、マルムフェ君 」
「 はい 」
 呼ばれたウルリッカは良い子のお返事をして背筋を伸ばした。
「 本来ならば機械人形マス・サーキュとのプロポーズは他の人には言ってはいけないものなんだ。だけど私は今回、特別に教えてあげたんだよ 」
「 特別…… 」
「 そう、“特別”だ。だからこの事は他言無用だよ? 」
 ユウヤミの言葉に再び良い子のお返事をしそうだったウルリッカは口を噤んでいた。
「 どうしたんだい? 返事は? 」
「 ねぇ、隊長 」
「 ん? 」
 ウルリッカは珍しいことに返事ではないことを口に出す。
「 お兄ちゃんにも言っちゃダメ、ですか? 」
 それはユウヤミの優秀な頭脳の中では想定通りの質問だったが、あえて難問をぶつけられた人間のフリをして「 うーん 」と唸ってみせた。尚、ウルリッカは大人しくユウヤミの答えを些か緊張した面持ちで待っているが、ヨダカの目は冷たい。
「 私とヨダカの話だということを伏せれば許可しよう 」
「 本当! ありがとう、隊長! 」
 書き上げたメモを持ってウルリッカはソファから立ち上がる。本部のアルヴィへファクシミリを送るのだろうと判断したユウヤミはその後ろ姿を見送って、先程までウルリッカが座っていたソファに今度はユウヤミが身を沈める。
主人マキール、どういうおつもりですか 」
「 シリル君と上から主人マキール変更の話が来ててねぇ。部下の門出を祝うのも上司の役目だろう? 私は部下思いの上司だからシリル君が気持ち良く彼を受け入れられるようにしてあげただけさ 」
 それっぽいことを言ってユウヤミはソファの背に身体を預けて「 15分は休憩出来そうだからねぇ 」と呟いて目を閉じた。


―――それからきっかり、15分後。出動を告げる支部の電話が鳴ることになり、ヨダカは舌を巻くことになったのだった。

チョコは口に苦し――Liam

 リアム・シュミットは愛の日が嫌いだった。
 愛の日に含まれる愛の形は色々あれども、自分が欲しかった女性からの愛が別の男に向けられるのを見せつけられる日だったからだ。
 カリナ・ミカナギは、ノエル・シュミットが好き。
 本人達は見せつけているつもりは微塵も無かっただろうが、リアムにとっては互いの目に籠る熱の強さは痛い程で。それから逃げるように遠方の大学へ行き、社宅のある会社に就職してラシアスの実家には滅多に帰らなくなった。
 愛の日が少しだけマシに感じられるようになったのは大学時代にナタリア・イヴァニェスと付き合うようになってからだ。既製品でも自分の為に貰えるチョコレートは特別で嬉しかった。――今になって思えばナタリアは別の男に渡していたとしても何らおかしくはない性格の女であるが、その時のリアムはナタリアの「 貴方だけの特別だから 」を素直に信じていたのである。
 更に愛の日が少しだけ好きになれたのは2173年の愛の日を迎えた時である。
「 あのね、パパ。これ、あげる 」
 緊張した面持ちのリリアナが差し出してきたのは茶色い紙をハート型に切り抜いたと思しきものだった。4歳の子供がハサミを使って切ったものなので歪であるが、確かにその時リアムにはハート型に見えたのだから不思議なものだ。
「 リリアナ、これは……? 」
「 今日はね、愛の日なの。だからパパにあげるの 」
 つまりは、それはリリアナなりに考えたリリアナからのチョコレートだったのだ。紙の裏には子供らしいたどたどしい字で「 パパ、ありがとう 」と書いてあってリアムは目頭が熱くなった。今でも思い出せば直ぐに泣けそうなくらいには嬉しい出来事だ。
 そのことによって少しだけ好きになったとはいえ、まだまだ愛の日への好感度はマイナスなリアムである。今年はマルフィ結社という新しい場で迎える愛の日だ。一体どちらに振れ幅が行くことになるのだろうか。

「 待て。何だこのシフト表は 」
 愛の日数日前。
 総務班の部屋で訂正版として渡されたシフト表に目を通したリアムは、それを渡してきたユリア・ベルを思わず呼び止めた。ローズブラウンの髪をふわりと揺らしながら振り向いたユリアは、大抵の男性ならば堕ちてしまいそうな可愛らしい顔をして小首を傾げる。しかし、残念ながら相手はリアムなので彼女の魅了の術は効かない。
「 訂正版ですけどぉ? 」
「 14日、貴様の出勤予定が欠勤になっているようだが? 」
「 だってぇ、が会ってくれるって言うんですもん 」
 どこの誰がユリアの彼だか知らないが、急な予定変更は迷惑極まりなかった。愛の日というイベント日のため元々欠勤の予定を出している人間は多く、更に急に一人減るのは大問題だ。マルフィ結社で迎える初めての愛の日、何が起きるか分かったものではない。
「 シュミットさん、仕方ないですよ 」
「 ユリアちゃんにだって予定があるんですよ 」
 日頃からユリアの可愛さに魅了されている男性陣が次々とユリアの肩を持った発言をする。そのユリアが他の男と会うために休むと言っているのはお前ら的には良いのかと思うが、今の問題はそこではないのだ。
「 この日、ベルが不在の穴は誰が埋めるんだ? 」
 ユリアは花が咲くような笑みで答えた。
「 やだぁ、もう。シュミットさんに決まってるじゃないですかぁ 」

 * * *

 やだぁ、は此方が言いたい。
 それを寸でのところで飲み込んだリアムは休憩所で缶コーヒーを手に溜息をついた。
 リアムは昔から何故かああいう図々しい女に弱く、面倒事や厄介事を押し付けられる性分だ。だからこそ大人しくて声を荒らげたりしない優しい女性( 当然の事ながらカリナ・ミカナギのことである )に惹かれるのかもしれない。
「 あ、やっと見つけましたぁ 」
 語尾の伸びる声にユリアがやってきたのかと一瞬怯えるが声が違う。声に媚びるような甘さが一切ない。入口に目を向ければリアムが予想した通りの女が立っていた。
「 .......セリカさん。何の用だ? 」
「 お姉様からセリカに連絡があったんですぅ。愛の日に向けてお菓子を贈ったから受け取って欲しいって 」
 言いながら楚々とした態度でセリカが近付いてきてリアムの隣に座る。背筋を伸ばして美しく座るセリカに対してリアムは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「 だからどうした。俺に対する自慢か? 」
「 違いますぅ。お姉様がリリアナちゃんとリアムさんの分も一緒に贈ったって言ってました。いらないならセリカが食べますけどぉ 」
「 いらない訳ないだろう! 」
 大声で言ってしまってからセリカのニヤニヤした顔を見て、慌てて咳払いを一つ。
「 り、リリが喜ぶからな 」
「 そうですよねぇ。リリアナちゃんが喜びますもんねぇ 」
 リリアナちゃんが。
 何だかその辺を強調されて言われたような気がするが、そこに対して何か言えば数倍になって帰ってくることは容易に予想されるのでリアムは口を噤んでコーヒーを飲んで誤魔化した。そんなリアムの内心なぞお見通しであるがセリカはそれを見逃して本来の用件を告げることにする。
「 ただ、セリカは14日は支部勤務なんです。だから代わりに受け取って貰えませんかぁ? 」
「 .......仕方ないな 」
「 ええ。仕方なぁく受け取って貰って大変に恐縮なんですが、宜しくお願い致しますぅ 」
 セリカはそう言って休憩所を出ていく。
 その後ろ姿に向かってリアムは内心で呟いた。

――この、エセヤマトナデシコめ!

触らぬチョコに祟りなし――Celica

 今年も愛の日が近付いている。今年は何を作ろうか。
 カレンダーを見つめながらセリカはそんな事を考える。
 去年は焙煎したカカオ豆を砕いたカカオニブと木の実とドライフルーツを寄せ固めたものだった。甘い物を好まないベンジャミンのために、それでもチョコレートをあげたかったから山椒を入れる工夫をして作ったものだ。
 これであの人の心を取り戻せたならば。
 そんな事を考えていた昨年の自分が馬鹿馬鹿しい。
 ピンカートン家の家事を担うために購入した機械人形マス・サーキュのケートをベンジャミンが愛してしまう前までは、セリカにとって愛の日は楽しくて待ち遠しい日だった。
 普段は「 愛している 」とか「 好きだ 」と言葉にすると「 はしたないから止めなさい 」と険しい顔をするベンジャミンが、この日だけはセリカの好きにさせてくれる日だったからだ。
「 お慕いしておりますよ、ベンジー。セリカをずっとお側に置いて下さいませ 」
「 当然だろう。そうでなければお前を娶るものか 」
 懐かしい記憶だ。懐かしい記憶であるが、この優しさを一度向けられてしまったからこそセリカはベンジャミンの愛を失っても彼に添い続けてしまった。
 いつかきっと昔のあの人に戻るから。
 その様に何の根拠も無く思い続けてしまった。
「 ふぅ、駄目ですねぇ…… 」
 今は亡き夫に想いを馳せている場合ではなく、愛の日に向けて何を作ろうか考えるべきだ。軽く己の頬を叩いて感情を整えると、セリカは本来考えようとしていたことを考え始めた。
 まず、誰に渡すかである。愛の日は残念ながら支部勤務の日なので当日に会えるのは第三小隊のメンバーくらいだ。まずは第三小隊のメンバーには当日にあげるとして、翌日に結社のメンバーに渡すとしよう。セリカはそう考えた。
 そこで結社メンバーの誰に渡そうか悩む。愛の日当日に漂うであろうお祭りムードの中ならば気軽に渡せるが、翌日となると「 『 態々わざわざ 』あなたにあげます 」といった感じになって気軽に渡し辛い事が想定される為、メンバーは厳選するべきだろう。
 厳選してもあげたい人。
 自分で考えておきながら特別感が凄すぎてセリカは一人でクスリと笑った。自分にそんな特別な人なんていないのに、と。
「 あら? 」
 その瞬間、脳裏に浮かんだ人物がいてセリカは片頬に手をあてて目を瞬く。
 浮かんだ人物の名はギャリー・ファン。
 良くセリカの元にサボりに来る経理部所属の兎頭国人の青年だ。色々な女の子に食物をあげてはそれを食べる様をニコニコとしている姿を見かける事が多く、セリカも御相伴に預かった事が度々ある。
 きっと普段色々と戴いているから気になったんでしょうねぇ。
 セリカは彼に対して他の感情があるような気がしつつも、それからは目を背けて結論づける。
 さて、そんなギャリーには何をあげたら喜んでくれるだろうか。
 ギャリーはきっと何でもあげたら喜んだ顔はしてくれそうなタイプであるが、出来ることなら心から喜んで貰いたい。
「 あら? 」
 再びセリカは頬に手をあてる。ただし、今度は赤く染まった両頬に両手をあてる状態だ。
 手で触れている頬が熱い。何故、先程からギャリーのことを此処まで自分は真剣に考えてしまっているのだろうか。
 何故、なんて白々しい。脳内で別のセリカが嘲笑している。
 わかっている。わかっている。
 そんな自分に対してセリカは己の感情は正しく理解しているのだと訴えるように頷く。
 それでも、この感情には最終的に蓋をしなければならない。愛なんて、恋なんて最初は燃え上がったとしても、やがて灰すら遺さずに消えてしまうものなのだから誰にもその感情は抱かない方が良い。
「 そうでしょう? ベンジー 」
 虚空に向かって問い掛けたところで当然返ってくる声は無く。
 一度落ち着くように目を閉じて深呼吸をしたセリカが再び目を開いた時、頬の赤みは微塵も感じられない程消えていた。
 冷静に考えよう。セリカは先日たまたまテレビから流れてきて学んだお菓子言葉というものを思い出す。
 ギャリーに渡すのはあくまでも「 日頃、お世話になっているから 」だ。深い意味は無い。あったとしても何も無い顔をしなければならない。
 そもそもギャリーがお菓子言葉を知らない可能性もあるが、逆に女の子好きなギャリーのことだから知っている可能性も低くはないだろう。
 それならば本命相手への意味のあるお菓子は止めるべきだ。だからチョコレート、マロングラッセ、キャンディ、マカロンは無し。それと「 あなたのことが嫌い 」の意味を持つマシュマロは絶対に無しだ。
 それならば特に意味のついていないお菓子にしよう。フィナンシェならば意味が無いし日持ちもするので丁度良いのではないか。
 その日、そのように結論づけて愛の日前にフィナンシェを焼き上げたセリカであったが。
「 あら? 」
 フィナンシェを焼き上げてからたまたま見た電子世界ユレイル・イリュの記事ではフィナンシェはマドレーヌに含まれるとあって小首を傾げる。テレビで言っていたことと違うが、こういうこともあるのか。
 マドレーヌのお菓子言葉は「仲良くなりたい」。
 何だかこれではギャリーと親しくなりたいみたいではないか。
( ファンさんが知っているお菓子言葉はマドレーヌとフィナンシェが別だと良いですねぇ )
 万一、気付かれてもこれくらいなら大丈夫だろう。自分なら上手く誤魔化せると自信を持って、セリカはフィナンシェ達のラッピングを始めたのだった。