薄明のカンテ - 愛の日にプレゼントを/べにざくろ


07:00 Mia

 目覚まし時計が軽快な電子音を出す前に目が覚めたミアはアラームを切る。
 いよいよ今日は愛の日当日。この日を迎えるまで何回も家族の夢を見て目が覚めて辛くて泣いた時もあった。それでも今日のミアは元気だ。
 ワンルームの部屋に置かれたピンクのガーベラ達と医療ドレイル班へ渡す為に焼いたクッキーを詰めた缶、それから小分けに袋に入れたクッキーを袋に纏めると中々の量になったが気合いで運ぼうと誓う。
 今年焼いたクッキーはスパイスクッキーにした。甘いものを貰うことが多くなる愛の日に敢えてシナモン、ナツメグ、カルダモン等のスパイスの効いた甘くないクッキーを作ることで他の人のお菓子が美味しく食べられるようにとのミアなりの配慮だ。
 部屋にはガーベラ達とは別に大事に別に水揚げしてある一輪の紅薔薇があった。以前からの知り合いで可愛がって貰っていたカンテ花卉かき生産協会ラシアス支部の会長へ電話でお願いをして、花屋の娘だったコネを最大限利用して購入させてもらった特別な品種の紅薔薇だ。
 もちろん、紅薔薇をあげる相手は決まっている。

『 私、愛の日に絶対にネビロスさんに葉の付いた赤い薔薇を贈ります 』

 先日、あげる相手であるネビロスには宣言した。
 しかし彼が花言葉を知っているのかどうか、結局ミアは確認していない。用意した薔薇も特別な品種を選んだことは自己満足だ。花に余程詳しい人間でもなければ、それが特別な品種であることは気付きもしないだろう。
「 うう、緊張するなぁ…… 」
 甘いものが好きなネビロスのためにテリーヌショコラも焼いてあるが、仕事終わりに取りに来ようと思っているので冷蔵庫で眠らせてある。
 というのも医療ドレイル班は就業中は瑠璃色のスクラブを着なければならない規則がある。普段ならば気にしないが、愛の日という大事な日くらい可愛い洋服でネビロスにプレゼントを渡したい。ネビロスの予定を聞いて帰ってきたら着替えて渡しに行く。そのための洋服( シリルとテディにしっかりと相談済だ )も選んで壁に掛けてある。完璧な予定だ。
「 よしっ! 」
 朝ご飯もしっかり食べて身支度をして荷物を両肩にかけて出勤する。
 荷物は重いけど心は軽かった。愛の日の始まりだ。

07:20 Taiga & Noe

 何の変哲もないチョコレートマフィンを前にタイガは唸っていた。
「 タイガ、いい加減にしないと遅刻しますよ 」
「 分かってる 」
「 理解してるなら早く決めなさい 」
 朝食も食べずに唸るタイガにノエはご立腹だった。そして朝食の食堂シフトから外して貰っておいて良かったと己の予測機能の正しさを認識する。この主人マキールのことだから、一人にしていたら当日の朝でも延々と出勤時間も忘れて悩み続けると思ったのだ。そして、それは的中している。
 この半月、タイガは頑張った。もうカカオ豆からチョコレートは作らせなかったけれど美味しいチョコレート菓子を作るために頑張った。
 一番渡したい相手はタイガの“推し”とかいう概念にいるヒギリ・モナルダ。恋愛と何が違うのか人間の考えることはノエには理解出来ないが、恋愛感情としての一線を超えられる自信がないから“推し”という自分が傷つかない立場に彼女を据えているだけのように見えていた。
「 やっぱりヒギリちゃんなら赤いリボン……いや、紫…… 」
 ブラウンの髪に入ったメッシュの赤と瞳の色、どちらを使うかタイガは悩んでいた。ヒギリのかつて在籍していたアイドルグループ「 ディーヴァ×クアエダム 」での芸名「 ローズ・マリー 」に因むなら断然、紫。でも、今渡したいのは「 ローズちゃん 」では無く「 ヒギリちゃん 」。それなら赤? いや、でも赤はメッシュに入った差し色だし……いっそブラウンという手も。いやいや、ただでさえ色合いのないチョコレートマフィンが余計に地味になってしまう。渡すなら明るくて綺麗なラッピングで渡したい。
「 悩むくらいなら両方使えばいいでしょう 」
 ノエの言葉にタイガはアホみたいにポカンとした顔をして、納得したように膝を打つ。そしてラッピング用の半透明のビニール袋にマフィンを入れると赤と紫、二色のリボンで上を留めた。その手際は良い。
「 えへへ、完成。ノエ、ありがとう 」
「 はいはい、良かったですね。では、さっさと食べて下さい 」
 冷めた料理を出すのはノエの料理人の矜持が許さなかった。それを分かっているのか分かっていないのかタイガはヘラヘラと笑って揚麦ユィ・バツを口にする。温かな牛乳にドライフルーツは甘くて美味しい。
「 あ 」
「 どうしました? 」
「 今日甘いものいっぱい食べるのに朝から甘いもの食べちゃった 」
「 完食しないと……分かってますね? 」
 ノエが笑う。いつもの春の陽だまりのような温かな笑顔のはずなのに、何だかミクリカの冬の風のような冷たさがある。
 暖かな部屋で温かなものを食べているはずなのに震え上がりながら、タイガは揚麦ユィ・バツを完食した。

09:00 Theophilus

「 は!? ミサキちゃん、今日在宅なのかよ!? 」
 汚染駆除ズギサ・ルノース班の部屋に不機嫌なテオフィルスの声が上がる。女の子には激甘だが興味のない男には冷たいことで定評のあるテオフィルスに睨まれた哀れな汚染駆除ズギサ・ルノース班のメンバーは己の不運を嘆きながら頷くしか他ない。
「 何たってこんな日に在宅なんだか…… 」
 まさかミサキがその「 こんな日 」こと「 愛の日 」を避けて在宅勤務を選んでいると思わないテオフィルスは思わず呟く。テオフィルスの周りにいた女といえばイベント事と甘いものが好きな女が多く、まさかそれを嫌う女がいることを彼は理解出来ていなかった。
( 仕方ねぇ。ミサキちゃんの分はアンちゃんに頼むか )
 義足のことで何かと世話になっている機械マス班にも菓子を配るつもりでいたテオフィルスは、ミサキと仲の良い女性の顔を思い浮かべて納得することにする。それに汚染駆除ズギサ・ルノース班に女性がミサキしかいない訳ではないので、気分を切り替えて笑顔で彼女達へ菓子を渡した。清々しい程の女性優遇である。
( さてと、さっさと仕事やっちまうか )
 菓子を配り終えたテオフィルスは自分の椅子に座ると大人しく個人用電子端末を起動して、昨日からつまらないエラーを起こしているコードの修正に入り出した。これさえ終えてしまえば納期の差し迫るものは無いし他のメンバーの進捗待ちになるのだから、今日は自由に行動したって誰も文句は言わないだろう。
 そう考えてコードに集中して思考してしまえば愛の日ということは忘却の彼方へと去り、周囲の雑音なんて一切耳に入らなくなる。実装すべきアルゴリズムは思い付いているはずなのに何がおかしいのか、どのコードがエラーを引き起こしているのかと思考の海へ潜っていく。
「 面倒くせぇ、皆殺しにしちまうか…… 」
 プログラマーあるあるな物騒な呟きをしながらテオフィルスはコードのエラーを探し続け、それが一文字のスペルミスが紛れていることが原因で起こっていたことに気付いて画面の前で文字通り崩れ落ちる。それを修正して動作チェックをして……気付けば、昼食時間を過ぎていることになるのもまたプログラマーあるあるなのだ。

09:05 Nicoline

 出勤したニコリネは、その事実に気付いて愕然とした。
「ん? ニコリネちゃん、どうした?」
 つい数分前、『は!? ミサキちゃん、今日在宅なのかよ!? 』と不機嫌に声を上げていたのが嘘のような笑みを浮かべたテオフィルスが問い掛けてくる。そんな彼の手には個包装の菓子があった。同じようなものを何個も持っているらしく紙袋から出して来たソレは、ニコリネに差し出されている。
「あ、あああ、ありがとうございます……」
 いつまでもテオフィルスに菓子を差し出されたまま立っていてもらうのも失礼なので、ニコリネは礼を言うとテオフィルスから個包装の菓子を受け取った。ニコリネが固まっていたせいで長らく待たされていたテオフィルスだったが特に気を悪くした様子も見せず、他の女の子の所に行って菓子を配っている。ニコリネの次にテオフィルスから菓子を受け取った女の子は「私からもお返しですー」と言いながら同じような個包装の菓子を渡していた。何て滑らかなコミュニケーションだろうか。
 今日は2月14日。今の今まで忘れていたが、今日は「愛の日」だ。
 愛の日とは、様々な形の愛を伝え合う日。寒さの厳しい2月に冬を乗り切る為に隣近所で食料を分け合った事が起源とされ、元々は麦袋を渡していたとされる。今では製菓会社や生花協会の商魂の逞しさか、はたまた麦袋を貰っても困るという文化の変化か菓子や花が多いが、とにかく人に物を贈る日として定着していた。
 それをニコリネはすっかり忘れていた。
 長らく続いた学生のぼっち時代と引きこもりは、ニコリネからイベントへの関心を奪っていたのだ。
「エークルンドさん、どうぞ!」
「はい、これエークルンドさんの分ね」
 テオフィルス以外にも汚染駆除ズギサ・ルノース班のメンバーが笑顔でニコリネにお菓子を渡してくれる。
 ごめんなさい、ごめんなさい。私は何も用意していないんです。
 貰える喜びと、申し訳なさの重圧に潰されながらニコリネはペコペコと頭を下げ続ける。
「一つどうぞ」
 エフゲーニが差し出してくれたものを受け取りながら「ありがとうございます……」と告げるとエフゲーニのマスクに隠れて半分しか見えない表情が曇ったように見えた。やはり、お返しも何も無く受け取るような女は駄目な人間だ。返品しようか。いやいや自分のような人間が触ったものは他人には渡せないだろうから、お金を払おう。1000イリで良いだろうか……?
「エークルンドさん」
「は、ははは、はいっ!?」
 焦ったので大きな声で返事をしてしまった。そんなニコリネに嫌な顔を見せることもなく、エフゲーニは微笑む。
「さっきイオさんにも言ったのですが、企画は乗って楽しんだ者勝ちだと思いますよ。だから、そんな申し訳ないみたいな顔をしないでください」
 どうやらエフゲーニの表情が曇ったのはニコリネの存在が不快だった訳ではなく、ニコリネがイベントを満喫していないことを憂いたものであったらしい。その事に気付いて安堵しつつ、ニコリネはエフゲーニの言葉を反芻する。
「乗って楽しんだ者勝ち……」
「折角の企画なんですから楽しみましょう?」
「は、はいっ」
 ニコリネが頷くと、エフゲーニは満足したのか他の人の所へ向かっていく。その後ろ姿を見送って、デスクに沢山のお菓子が並んだのを見たニコリネは「へへっ」と満足そうに至って普通の女の子のように微笑んだ。
 その瞬間だった。
「よっ!邪魔するぞ!」
 ドアが壊れそうな音と共に、その音に負けない大音声が汚染駆除班の部屋に響き渡り、既に仕事に取り掛かろうとしていた人間達から殺気の籠った視線が入口へと向けられる。
 入ってきたのはニコリネは面識がないが前線駆除リンツ・ルノース班第四小隊のビクター・トルーマンとエリック・シードだ。声を上げたのは視線をものともせず堂々と歩く長身のビクターで、その後ろから付いてくる小柄なエリックは申し訳なさそうな顔で歩いている。何とも凸凹なコンビがいたものである。
 思わずニコリネはそんな二人を目で追う。
 すると、二人はイオの席の前で立ち止まった。イオとエリックなら仲が良くても違和感のない組み合わせだが、そこにビクターが加わると違和感の塊になっていた。
 はたして、二人の用件は討ち入りか? カツアゲか?
 ニコリネはハラハラドキドキ次の展開を待った。例えるならばコンサートのオープニングを待っているような気分だった。
 さぁ、どんな展開なんだ――?

 * * *

 結論として、美しい男性の友情を見せつけられたたけだった。
 ビクターがどういうチョイスでそれに至ったのか聞きたくなるようなビニール袋に入った味違いタラ干しを、エリックが無難で普通のチョコ菓子をイオに渡しに来ただけだったのだ。
 ニコリネはイオを一方的に壁の埃仲間だと思っていたのだが、彼には愛の日にプレゼントをくれる友達なんていう存在がちゃんといたらしい。
 驚いたことにイオは自分で作ったクッキーを持っていて、それをビクターとエリックに渡していた。先程まで居たビクターが大きな声で感想を言っていたのだが、なかなか美味しかったようだ。ああいう性格の男は嘘が付けない人種だろうから社交辞令の可能性は低く、イオは少なくとも製菓スキルは高いのだろう。
「羨ましいな……」
 誰にも聞こえないくらいの声にならないような小さな声で思わずポツリと呟く。
 イオのクッキーが貰えて羨ましいのではない。
 そんなお菓子のやり取りが出来る友達が羨ましい。
 イオはニコリネとは違うのだ。ちゃんと友達がいて独りじゃない。
 苦い気持ちを抱えて、ニコリネは個人用電子端末に向かう。
 ぼっちなんて慣れたものだったけれど、今だけは何だか無性に寂しかった。

10:30 Taiga & Rona & Asagi

 仕事を休憩といって抜け出したタイガはこっそり練習場へ向かっていた。練習場というのは前線駆除リンツ・ルノース班等の身体が資本のメンバーが訓練を行う所である。たまには竹刀が振りたくて借りることのあるタイガだが今日の目的は違う。
( あ、良かった。居なかったらどうしようかと思った )
 練習場の外まで漏れ出ている声でタイガは目的の人物が居ることを確認し、内心で安堵する。
「 失礼します 」
 小さな声で呟いてそっと覗き込むとロナが木刀で素振りをしている姿が見えた。見える横顔は真剣そのもので、同性のタイガが見たって格好良い。
「 何か用? 」
 ロナに横顔に見惚れていると斜め下から声がかかった。見ればそこにはロナが主人マキールとなった機械人形マス・サーキュのアサギが大人しく座っていた。一応、何回か会ったことがあるので自分のことは認識しているだろうと判断して持ってきたソレをアサギに差し出す。
「 愛の日だから先生に渡したくて……これ、サオトメ先生に渡しておいてくれる? 」
 タイガがロナに渡すのは毎年同じ店のクッキーだ。首都のソナルトにしか店舗を構えておらず、実家に帰ってはお土産に道場の皆にも配っていた自分にとっては定番の品。オレンジピールが練り込んであるタイプが一番ロナが喜んでくれたので今日もそれを選んできた。
( 前はいっぱい買わなきゃ駄目だったけど )
 昨年の7月17日に起こった「 ミクリカの惨劇 」では多くの人が亡くなった。昨年は道場仲間でお菓子を持ち寄って食べて、そんな中でロナの機械人形マス・サーキュだったミオリの作ったケーキがおいしくて全員が機械人形マス・サーキュを買おうかと真面目に考えた日々が懐かしい。
「 自分で渡せば良いんじゃねぇの? 」
「 でも、まだ終わらないと思うからよろしくね。あ、アサギ君は飲食機能ついてるんだったよね。良かったら一緒に食べて 」
 そう言うと鳩が豆鉄砲を食らったような顔をアサギがした。そんなに変なことを言ってしまっただろうかとタイガが小首を傾げると、アサギが誰に言うでもなく「 本当に俺が貰うこともあるんだな…… 」と呟いていた。そういえば彼の経歴的に愛の日に何か貰うというのは初めてなのかもしれない、とタイガは気付く。それと同時にアサギも愛の日を楽しんでくれることを願った。
「 それじゃ、オレは仕事に戻るから 」
 そう言って踵を返そうとするとアサギの声が「 待て 」とかかる。彼の隣に置いてあった鞄とも袋ともいえるものから出てきたのは明らかにロナが愛の日用に準備したと思われるもので。
「 これ、お前の分 」
「 え? 」
「 ロナがお前の名前、メモに書いてたから 」
 アサギの言葉にタイガの顔が輝く。受け取ってアサギにお礼を言って、素振りを続けるロナの姿にも小さくお礼を言ってタイガは浮かれて歩き出した。
 以上が、浮かれすぎて曲がり角で小指をぶつけて悶絶する90秒前の出来事の全てである。

昼頃 Lewin & Margarethe & John

 自分でやっておいてなんだが、トラックに機械人形マス・サーキュを積み上げると死体の山のようで何だか気分が悪い。いつもならそんなことは思わないのに、ルーウィンは今日はそう思って渋面でそれを見ていた。
「どうされました?」
 ルーウィンに問い掛けてきたのはマルガレーテ――通称、キッカだった。自分より30センチメートル以上小さな女性であるキッカを見下ろして、彼女の濃い金色の髪を視界に入れながらルーウィンは口を開く。
「何か今日は胸糞悪いなって思っただけっす」
 ルーウィンの言葉にキッカは荷台に積み上がった機械人形達へ視線を向けた。前線駆除リンツ・ルノース班として幾度となく機械人形を倒している訳であるが、何故今日に限って彼は「胸糞悪い」と負の感情を抱くのか。興味深く考察しようとしたキッカだったが、直ぐに原因であろうことに思い当たる。
「子供型が多いからでは?」
「あっ、確かに……そーかもしれないっすね……」
 今日の戦闘は子供の形をした機械人形が多かった。外傷がなく目を閉じた機械人形は人に有り得ない髪色をしていることを除けば人間と大差が無く、そうなれば人間の子供の死体と何ら変わりなく見える。それが自身の「胸糞悪い」に繋がっているのだろう。
 子供のいないルーウィンですら訳もなく気分が悪くなるのだから、ノーマンという可愛がっている息子のいるキッカは尚更気分が良いものではないかもしれない。その事実に思い当たったルーウィンはキッカとトラックの間に立った。彼女にあまり見せると申し訳ないというルーウィンとしては気遣いのつもりだったのだが、露骨なルーウィンの行動の意図は直ぐにキッカに気付かれてしまいキッカから微笑ましいようなものを見るような目で見られてしまう。そうなると自分の行動が恥ずかしい。
「おー、終わったか」
「副長! サボってどこいってたんすか?」
 良いタイミングでジョンが現れて、ルーウィンは彼が来たことで空気が変えられる事に安堵しつつも機械人形をトラックに運び上げる時にはしれっといなくなっていたジョンへと文句の声を上げる。
「童には分からねぇ仕事があんだよ。それにしても、よりによって今日に出動があるなんてなぁ」
 ジョンの言葉にルーウィンは眉を顰めた。「よりによって今日」と言うジョンの言い方が気になったからだ。
 今日は2月14日。ジョンの誕生日は先月で缶コーヒーを奢ったのだから誕生日では無い。特に今日は祝日でもないし、誰かジョンの気になる人の誕生日だったりするのだろうか。
 愛の日ということを忘れていたルーウィンは怪訝な顔をしたままだが、まさか若い男子であるルーウィンがこんな面白おかしい青春味の溢れるイベントを忘れていると夢にも思わないジョンはニヤニヤと口元を緩ませる。
「安心しろ。少なくともキッカさんとセリカさんはくれるだろうよ……小隊長は怪しいけどなぁ」
 ジョンの言葉に頭に「?」を浮かべるルーウィンは「何かをくれるだろう」キッカを見た。その困惑する表情と、ここまでの会話でルーウィンが今日が愛の日であることを忘れていると悟っているキッカだが、別にわざわざ指摘してやらなくても良いかと思いつつ口を開く。
「そうですね。昼食時にと思い、用意はあります」
 一体、何があるんだ。
 そう思っていたのに、昼食時に女性陣から菓子を貰っても「あざまーす」とイベントに気付かない鈍感なルーウィンがいたのであった。

14:30 Theophilus & Orvo

 機械マス班に菓子を届けに行った帰り道、綿毛を思わせるふわりとした栗色の髪をした男の後ろ姿を見付けたテオフィルスは彼に声をかけた。
「 オルヴォ! 」
「 丁度良かった。今、テオに会いに行こうと思ってたんだよね 」
 そう言って笑うオルヴォの顔はまさしくイケメンで、彼が三次元の女に興味があったらさぞやモテたことだろう。しかしながら、残念ながら彼は「 恋愛は面倒、守備範囲は6歳以下 」と爽やかに言い放つレンジャー系特撮と大型ロボットの出るアニメをこよなく愛するお兄さんである。端的に言ってテオのオタ友とも言う。
「 俺に? 」
 何かオルヴォがテオフィルスに直接伝えたくなるようなアニメ情報があっただろうかと怪訝な顔になるが、オルヴォが「 はい 」と笑顔で手にしていた紙袋を渡してきたことで悟る。そして中に入っていた紙箱に何処の店のロゴも入っていないことを見て、オルヴォを見た。
「 手作り……? 」
「 中身、何だと思う? 」
 オルヴォの言い方からして単純なチョコレート菓子ではないことは確かだ。そうなると自分達の関係から察するにアニメの何かを再現したものではないか、ということになる。そして彼のことだからテオフィルスが好きなアニメから選んでくるだろう。
( 十中八九『 海上の青い星 』ネタだよな )
 そうなるとテオフィルスだって愛するセーラちゃんの為にも外す訳にはいかない。
 セーラは作中でもちもちのパンの食べて喜んでいるシーンが多い。単純に考えればそれが答えだが箱の大きさ的に正解では無い。そして悩むテオフィルスを何処となく試す様な目で見ているオルヴォ。つまり、これは―――。
「 ……アルファフォーレス 」
 第二話で大国に行ったセーラが初めて食べる菓子の名で、完全ガイドを読み込んでいないと気付くことのない情報だ。放送直後や実写版放映中は便乗商法のようにコラボスイーツと銘打って何件かのパティスリーと販売されていたこともあるが『 何の関係もない菓子とコラボとか無い 』とか言い出す薄い知識のオタクの炙り出しに大変一役買っていた。どことなく戦隊物の必殺技とかでありそうな名称だよな、と思いながらテオフィルスはオルヴォを見る。
「 正解だよ! 」
 笑うオルヴォにテオフィルスは自然と身体に入っていた力を抜いた。セーラちゃんを愛する身として外さなくて本当に良かった。
「 しかも後で見て貰えれば分かるけど、ただのアルファフォーレスじゃなくて『 セーラちゃんが食べたアルファフォーレス 』完全再現だから 」
「 なっ……ケルンティア作画の全作通して一番可愛いと言われるセーラちゃんが食べたアルファフォーレス? 」
 アニメは作画監督といわれるものの好みや腕の関係で絶妙に顔が違うことがある。その中でセーラちゃんが一番可愛いと絶大な人気を誇るのがケルンティア作画のセーラちゃんである。尚、ケルンティアはありふれた苗字であり汚染駆除ズギサ・ルノース班のミサキ・ケルンティアとは何の関係もない。
「 そう。第二話にて説明回をぶち込んでくるという一見すると暴挙とも思えるストーリーを全て許す気分にさせるケルンティア作画回でセーラちゃんがぬるぬる動きながら美味しく頬張っていたアルファフォーレスだよ 」
 もし、この二人の会話を通りすがりの人が聞いていたら頭に疑問符を浮かべたことだろうが丁度通行人は誰もおらず、幸いにもオタク同士の会話は誰にも聞かれることもなかった。
「 すげぇな…… 」
 以前、オルヴォがSNSでバズったといって見せてくれた『 黒天の騎士 』の再現パンナコッタの画像がテオフィルスの脳裏をよぎる。その再現度の半端なさに驚いたオルヴォが作った『 セーラちゃんのアルファフォーレス 』……完璧な再現に違いない。
「 大したモン返せなくて悪いけど、せめてコレを受け取ってくれ 」
 それだけのアニメ愛が詰まったものを貰ってもテオフィルスが返せるのは女子に絶大な人気を誇るパティスリーの菓子くらいだった。しかし、オルヴォは嫌な顔一つせず「 ありがとう 」と受け取ってくれる。
「 今度、一緒にアニメ飯やろうね。それじゃ、ぼくは仕事に戻るから 」
「 悪かったな 」
 オルヴォはヒラヒラと手を振って去っていく。
 その後ろ姿を見て、テオフィルスはやっぱり思うのだ。
 三次元に興味あったら女食い放題で勿体無いのにな、と。

14:40 Theophilus & Teddy & Shiki

 廊下を歩いていたテオフィルスは奇妙な二人組に出会ってしまった。
 思わず唖然として足を止めていると、二人組の片割れがテオフィルスに気付く。
「 あ、大都会の砂漠頭 」
「 その呼び方は止めろ、セオドアちゃん 」
 確かに砂色と称される髪色であるが砂漠頭といわれると髪色というよりは不毛の大地―――所謂、禿げ頭と言われているようで気分が良くない。だから、テオフィルスも相手が嫌がる呼び方で呼んでやる。大人気おとなげないのは分かっているが、こういう性格なのだから仕方ない。
 案の定、本名の「 セオドア 」で呼ばれた彼は眉間に皺を寄せる。普通の15歳男子がやっていたら何も可愛くはないが、彼がやるとその顔も可愛く見えるのだから何とも不思議なことだ。
「 ごめんな、テディ 」
 笑いながら謝るとテディは機嫌を直して「 見て見て 」と、その場で一回転した。スカートがふんわりと揺れて広がる。その格好は以前テオフィルスがヴォイドに着せたくて選んだ時にテディに「 オタクっぽーい 」と言われた服装に酷似していた。何でコイツが着ているんだ、と思いつつも服装は非常にテオフィルス好みだ。
「 ねぇねぇ、可愛いよね? 」
「 そうだな 」
 テディの問いに素直に頷きながらも、テオフィルスは更に言葉を続けた。
「 服が可愛いな 」
「 えー、ひどーい!! 」
「 嘘だよ。全身可愛い。テディが可愛い 」
 言いながらも何で男に向かって「 可愛い 」と言わなきゃならないんだろうと内心思う。しかし、テディが嬉しそうに笑うので良いかと思い直した。
 それよりも先程から気になっていたのは可愛らしいテディではなく、その後ろ。そっと彼の様子を窺うように視線をやる。
 テディの後ろに立っているのは2メートル近い大きな男。無表情でリアカーを引いているところまでは調達ナリル班なんだろうな、で納得出来るのだが、問題はその服装だ。大道芸人と呼ばれる人間が着ていそうな派手な謎の服装が表情と全く合っていない。そのチグハグさが怖い。
「 テディ、そいつは? 」
「 シキのこと? 」
「 シキ……ロードの所の奴か! 」
 名前を聞いた瞬間、酒を飲み交わした時にロードの口に上る弟分とはコイツのことだったのかとテオフィルスは合点がいった。話に聞いているだけでも、なかなか変わった奴だと思っていたので相手がそのシキだと思えば謎の格好をしていても違和感がない。
「 兄貴の知り合いか? 」
「 少し酒を飲んでる程度の顔見知りだけどな、お前の話は良く聞いてる 」
「 兄貴が俺のことを…… 」
「 ねー! ちょっと、二人で盛り上がらないでよー!! 」
 シキとテオフィルスの間に放っておかれそうな空気を察知したテディが割って入る。
「 悪いな。それでお前達は何やってるんだ? 調達ナリル班の仕事か? 」
「 『「結社全員チョコ配り計画、誰もぼっちと言わせない」作戦』決行中だよ! 」
「 は? 」
 キラキラの笑顔で可愛らしくポーズを決めるテディに、後ろで無表情で立ち尽くすシキ。もうツッコミを入れようにもどこからツッコミを入れたらいいのかテオフィルスには分からなかった。
「 ボク達、調達ナリル班でチョコレートを配ってるの!! 」
 貰ってなさそうだし可哀想だからあげるねー、と余計すぎる言葉と一緒にテディがシキが引いていたリアカーからチョコレートの入った小袋を取り出してテオフィルスに渡してくる。
 その一言さえなければテディの正体を知らなければ美少女がチョコレートを手渡してくれるイベントに見えなくはない気がするのだが、生憎正体を知っているテオフィルスは苦笑いしながら「 ありがとな 」と言いつつ受け取るしかない。
「 それじゃ、ボク達は先を急ぐから!! 」
「 頑張れよ 」
 そう言って嵐のように去っていくテディとシキ。
 去り際にテオフィルスは、もう一度シキを見る。
( あの色彩いろ…… )
 初対面のはずのシキに既視感デジャヴがあってテオフィルスは首を傾げる。しかし、答えは出るはずもなく。
「 ……仕事するか 」
 そう呟いて汚染駆除ズギサ・ルノース班の部屋へ帰っていくしかなかった。

15:00 Alvi & Teddy & Shiki

 廊下を歩いていたアルヴィは奇妙な二人組に出会ってしまった。
 まず、結社の中をリヤカーを引いているとはどういう事なんだ。
 次に可愛い女の子が仕事をするには随分とフリル過多な服装であることは良いとして、もう一人のやたらと背が大きいリヤカーを引く男の子の格好が問題だ。
( 何であんな愉快な大道芸人みたいな格好をしているんだろう )
 結社内をこれだけ堂々と歩けるということは結社の人間か、その家族に限られる。それにしても大道芸人がいるという話は聞いたことがない。彼は一体何者なのか。
 唖然とした顔で二人組を眺めていると女の子がアルヴィの視線に気付いた。若い子相手に不躾な視線をぶつけてしまったアルヴィは、もしかしたらセクシャルハラスメントで訴えられるのではないかと言うことに気付き顔を青くして慌てて目を逸らす。
「 あのー」
「 申し訳ないっ!! 出来れば示談でお願い出来たらと思いますので何卒ご考慮いただければ幸いです!! 」
 女の子に声をかけられてアルヴィは慌てて頭を下げる。もし若い女の子相手にセクシャルハラスメントで逮捕なんてなったら家族に合わせる顔がない。
「 えー。ボク、そんな事しないけどなぁ 」
 アイボリー色の髪の女の子はそう言って笑った。どうやら人生の危機は脱したらしい。それにしても女の子が可憐である。年齢が離れすぎていて恋愛感情は湧いてこないが、アルヴィは素直に女の子が可愛いと思った。
 当然のことながらアルヴィが女の子だと思っているのはセオドア・トンプソン( 通称テディ )であり、謎の大道芸人がシキ・チェンバースであることは言うまでもない。
( ボクっ娘というのは実在するんだな )
 現実世界に友人のいないアルヴィは電子世界ユレイル・イリュ俗語スラングには詳しかった。人生の危機を脱したので心に余裕が生まれ、画面の中にしかいないと思っていたボクっ娘を前に妙な感動を覚えてしまう。
「 オジさんが不躾に眺めてしまって申し訳なかったね。まさか結社内でリヤカーを引いている人間がいると思わなくって気になってしまって 」
「 ボク達、調達ナリル班なんだよー 」
調達ナリル班 」
 思わず言葉をそっくりそのまま返してしまったアルヴィにリヤカーを引いていた大道芸人が頷く。
「 これ、あげるね 」
 女の子がリヤカーに大量に積んである小袋を一つ取り出してアルヴィに差し出してきた。大量に用意してあることからして一目で義理と分かるチョコレートだが、美少女が差し出してくれるというのは滅多に出来る経験ではなく女性免疫の無いアルヴィは顔を真っ赤にしてソレを受け取った。
「 あ、ありがとうございます 」
「 それじゃ、ボク達は先を急ぐから!! 」
 そう言って嵐のように去っていく美少女と大道芸人。
 それをチョコレートを手に見送るアルヴィ。
 こうしてアルヴィは、調達ナリル班の「結社全員チョコ配り計画、誰もぼっちと言わせない」作戦のおかげで、愛の日に家族と集落コタンの人間以外からチョコレートを貰うという貴重な初体験を終えたのであった。

16:00 Taiga & Lord

 人の顔を覚えることは得意だ。何年前に会った人でも通行人でも覚えられるくらいに。
( ヤバい……あれは、ヤバい )
 しかし今、自分の机に戻って頭を抱えるタイガの脳裡に浮かぶのはたった一人の笑顔だけだった。
 ヒギリ・モナルダ。ディーヴァ×クアエダムのローズ・マリー。
 アイドルとファン。オレにとって彼女はただの推しだから、アイドルだからと壁を作って見ていたはずなのに、その壁を軽く飛び越えてヒギリは自分に微笑んでくれた。その破壊力たるや、カヌル火山が噴火するくらいの凄まじさだ。
 タイガは自分の机の二番目の引き出しへと目線をやる。その中には席に戻った瞬間に誰にも見られないよう早業で閉まったヒギリから貰った小箱が入っていた。

『 作ったって今言ったのに…ベリーのガトーショコラ渡し忘れてた… 』

 そう言って渡された小箱。渡された時の台詞付きで脳内再生されるのは、もう何回目のことか。可愛かった。最高に可愛かった。
( ヒギリちゃんの手作りお菓子…… )
 防腐処理とかして額に入れて部屋に飾った方が良いんじゃないか、と何処かの貴族の彼のようなことを思う。しかし、やはり作ってもらったからには味わっておきたいからそんな勿体ないことは止めようと思い直した。それに、食べて後で感想を伝えるという話題にもなるのだから食べなければ損だということにも気付く。尤も食べても食べなくても味が美味しいことは彼女が給食部にいることで保証されているようなものだけど。
( 調子に乗っちゃダメだよ、タイガ。テオ君だって貰ってるって言ってたし、きっとシードさんも貰ってる )
 携帯端末で友達のテオフィルスに『 ヒギリちゃんから何か貰った? 』と聞いて『 当然 』と返信があったのは、つい先程のことだ。日頃、ヒギリを眺めているタイガは、当然のことのようにヒギリが目で追って眺めている人物が二人いることを知っていた。それに、ノエからも裏付けはとれている。
 その二人とは前線駆除リンツ・ルノース班のエリック・シードと汚染駆除ズキサ・ルノース班のテオフィルス・メドラーだ。テオフィルスはタイガがヒギリのファンであることを知っているから問題はない。問題は前者の方。
 エリック・シードはタイガが敬愛するロナ・サオトメ率いる前線駆除リンツ・ルノース班第四小隊の副隊長で参謀役。タイガが身長だけは勝っているけれど、彼は頭脳明晰なナイフ使いで汚染人形ズキサ・サーキュを数々屠って来た。今のところ彼の内向的な性格のおかげで彼がヒギリへ恋愛的な好意を向けていることは無いように見えるけれど、今後どうなるかは分からない。あんなに可愛いヒギリから好意を向けられて無下にする男はいないだろう。
( オレはただのファン。推しの恋を応援するのがファンの鑑だよね )
 綺麗事を考えるが、エリックとヒギリが結ばれて笑顔で並んでいる姿を想像すると胸が痛い。想像だけでこんなに辛いというのに現実になったら生きていけるのだろうか。そう考えて、先程まで真っ赤に染まっていた顔が瞬時に青くなった。
「 おや、随分と悩まれているようですね 」
 その時、悶々と頭を抱えていたタイガの上から声がかかった。
「 ロードさん!! 」
 タイガが頭を上げるとそこにいたのは間違いなくロード・マーシュだった。実家に帰るサリアヌを優秀な執事の如く優雅に出入口までエスコートし、医療ドレイル班の部屋でアレな理由で貧血を起こして倒れてベッドの上でヴォイドとプロレス沙汰を起こしてきた人物は何事も無かったかのような顔でニコリと微笑む。
「 そのように悩まれる程の難問でも? 」
「 あー、いえ、仕事のことではなくて。そもそも業務中にこんな態度じゃダメですね、オレ 」
 愛の日、ということもあって全体的に浮かれた雰囲気があって多少のことは咎められないといっても仕事を全くしないのでは出勤の意味が無い。
 そう言って机の横に避けっ放しになっていた作りかけのシフト表を広げてみるものの上手く頭は働かない訳で大して仕事が進むことはなかった。
「 タイガさん 」
 トン、と軽く指で肩を叩いてロードがタイガの名前を呼ぶ。
「 ちょっと外に出て違う空気を吸うと気分転換になりますから一緒に出ませんか? 」
 ロードと一緒に。
 それは魅力的なお誘いで、タイガは一瞬悩みを忘れて目を輝かせると頷いた。

 * * *

 休憩所はタイミング良く丁度誰もいなかった。自動販売機で二種類の缶の紅茶をそれぞれ購入すると、ロードは加糖ミルク入りをタイガへ渡した。ロード自身が飲むものは無糖のものだ。
「 ありがとうございます 」
 その気遣いに感謝しつつロビーベンチに座ったタイガは紅茶を一口飲んだ。隣に座ったロードも静かに一口飲む。
 静寂ではあるが、決して重苦しくない空気が流れた。
 それを先に破ったのは相談事のあるタイガだった。
「 ……“ 推し ”って何なんでしょう? 」
「 はい? 」
「 あ、ごめんなさい。オレってば変なこと言ってますよね……すみません、忘れてください 」
「 忘れませんよ。それがタイガさんが誰かに聞きたい程の悩みなのでしょう? 」
 目元と唇に薄い笑みを湛えたロードが優しく言うものだからタイガは思わず首を一回縦に振る。そんなタイガにロードは年長者として一言。
「 この世で一番欲情する存在です 」
「 ん? 」
 “よくじょう”の四文字が脳内で正しく変換されないタイガは、ロードの言葉が理解出来なくて小首を傾げる。そんな照れるでもなく慌てるでもないタイガの様子に、お子様の彼には理解できなかったかとロードが理解するまでさして時間はかからなかった。
「 うふふふふ、冗談です 」
「 オレが頭悪くて理解出来なくて、すみません 」
 いつもならば圧倒的な受け流し力でロードの少々どころか直球ともいえる冒涜的な間投詞を聞き流してきたタイガが珍しく謝るものだから、これは重症だとロードは気持ちを改める。真面目に回答してやるべきだろうと。
「 いえいえ、タイガさんはそのままでいてください 」
 凹むタイガを励ましてロードは「 そうですねぇ… 」と続けた。
「 上手い事は言えませんが……少なくとも私は愛してる、より深い言葉だと思って使ってますよ 」
「 愛してる…… 」
 思わず模倣して言葉を繰り返してから意味を反芻してタイガは顔を真っ赤にする。そんな単語、今まで口に出したことなんてない。
「 でも、恋愛と推しは別じゃないんですか? 」
 推し、とは推せるもの、他人に推薦できるもの。
 だから人は推しに恋なんてしない。タイガはヒギリに恋はしない。
 そう思っていたのにロードはそれを覆すことを平然と言う。
「 別だなんて誰が決めたんですか? 好きだから推せる、推せるから好き。それでいいじゃないですか 」
 少しだけ寂しそうにロードが笑う。その顔があまりにも切なく見えたから、機会があったらロードの推しと思われる医療ドレイル班の彼女にロードの良いところを語りに行こうかとヴォイドにとっては迷惑極まりないことをタイガは思った。そして、きっとヴォイド・ホロウはロードの良いところを知らないだけなんだ、と多大なる勘違いをする。
「 頭を固くしてはいけませんよ 」
 そう言って今度はいつも通りに笑うロードが一瞬、目線をタイガの下半身にずらした。
「 硬くなるのはそちらだけで十分です 」
( また猥褻な話してるー!!! )
 思わず内心で叫んだのは毎度の如く休憩でたまたま通り掛かったアルヴィだ。言われている張本人のタイガは何も気付かないで暢気に晴れ晴れとした顔で笑っている。
「 推してたって……す、好き……で良いんですね 」
 好き、という単語すら言うのが恥ずかしいタイガはそこだけを小さな声で言う。その態度は大変にロードの嗜虐心を煽った。
「 その口で恥じらわせながら言わせるプレイも楽しそうですね…… 」
( 此処に昼間から駄目な大人がいる!! )
 そうっと入って部屋の隅っこで二人の会話にいちいち脳内でツッコミを入れながらチラチラと二人を窺っていると、ロードとアルヴィの目が合った。ロードの目が三日月のようになって笑っている。
( あ、僕の脳内ツッコミが気付かれてる!! )
 むしろタイガが全く気付かず反応してこないので、ロードは意味に気付いて赤くなったり青くなったりしているアルヴィを楽しんでいる節すら感じられた。そんなアルヴィとロードに全く気付いていない純粋なタイガは輝く顔でロードを見る。
「 オレ、すっごい推してる子がいて、でもその子にもし恋人出来たらファンらしく応援しなきゃいけないのに出来ない自分もいて悩んでたんですけど、そっか、そうですよね。れ、恋愛と推しは一緒だって良いんですよね!! 」
「 ええ、その通りです 」
 ロードに頷かれてタイガはニコニコと笑って冷めつつある缶の紅茶を一気に飲み干した。
 推しと恋愛感情は一緒でも大丈夫。そう思うと何だか心が軽くなってきた。
( エリック・シードには負けない )
 とりあえず明日からはしっかり剣道の素振り以上の稽古もするようにして、もっと強くなろうと明後日の方向に誓う。
「 ありがとうございます!! ロードさん!! 」
 ロードに頭を下げて「 オレ、仕事に戻りますね!! 」と明るくタイガは仕事へ戻っていった。その後ろ姿を見てアルヴィは思わず呟く。
「 圧倒的光属性怖い…… 」

20:00 Taiga & Noe

 タイガはテーブルの上に置いたそれをじっと眺めていた。
「 食べないんですか? 」
 それの横に湯気をたてる赤ワインのグロッグの入ったマグカップを置いたノエが呆れきった声音を隠そうともせずに主人マキールへと問い掛ける。
「 食べる。食べるけど、やっぱり何だか勿体なくて 」
「 散々写真も撮ったのですし、食べてヒギリさんに感想を言うのが一番だと思いますけどね 」
「 分かってるけどさぁ…… 」
 長らく見つめていたヒギリから貰ったベリーのガトーショコラを見つめ、タイガは溜息をつく。
「 オレ、語彙力皆無だから食べても『 おいしかった 』くらいしか言えなくてヒギリちゃんをガッカリさせちゃわないかな? 」
 冷蔵庫にヒギリが入れていたガトーショコラの数が3個であったことはノエに確認済みで、他に夜に渡しに行く人がいないと仮定すれば貰ったのはタイガの他にはエリックとテオフィルスである。折角なら2人よりも良い食リポ並みの感想を言ってヒギリにアピールしたい所存だが、如何せんタイガに語彙力は無かった。いつもノエのご飯を食べても「 今日もおいしいよー、ありがとう 」くらいしか言えていないツケが此処で来てしまった。
「 タイガ。そんな難しく考えないで『 おいしかった 』だけで十分ですよ。ロクに料理を味わう事もせずに一口二口で理解した気になって無駄に捏ねくり回した講釈を垂れる人間なんて不愉快なだけです 」
「 ……何だか凄く実体験ぽいね 」
「 過去にどうやら私が経験したらしく知識に蓄積されていました 」
 ノエの過去の主人マキールに関する記憶は売却された段階で削除されており無い。しかし経験は記憶に残されたようで、たまに過去の経験に基づいた意見が出てくることがあった。今回もそういう類のものらしい。
「 そうだよね。うん、やっぱり思ったことを言うだけにする 」
「 それが一番です 」
 深く頷くノエを、改めてタイガは見つめる。
「 ノエ。今日はヒギリちゃんを人事部に連れてきてくれてありがとう 」
「 おや、急にどうしました? 」
「 だってノエがヒギリちゃんにお使い頼んでくれなかったら、オレはきっとコレを貰えなかったし、ヒギリちゃんにお菓子を渡すことも出来なかった―――だから、ありがとうございました 」
 そう言ってタイガはノエに頭を下げた。機械人形マス・サーキュに対して横柄な態度をとる人間もいる中で人間に接するように機械人形マス・サーキュに接することのできる、その素直さが彼の長所だとノエは眦を下げる。
主人マキールの幸せが機械人形マス・サーキュの喜びですから 」
「 ノエには世話になりっぱなしだし本当に助かってるよ。愛の日だからじゃないけど感謝している 」
 タイガがそう言って微笑む姿をノエはしっかり記憶メモリに保存した。そして、この主人マキールの笑顔が曇ることが無いことを祈る。
「 それじゃ、オレ、食べてみるよ 」
 そんなに緊張しなくても良いのではないか、と言いたくなるくらい震える手でフォークをヒギリの作ったガトーショコラへ突き刺して、小さな子供の一口にしても小さい位に切る。
 そして、それを口に入れると必要以上に咀嚼して口の中で甘みと酸味を楽しんでから、ようやく飲み込んだ。
「 おいしい…… 」
 タイガの口から出てきたのは、やはり月並みな感想だったが頬が緩んでいて彼の幸せ感は見ている者には十分伝わってきた。
「 タイガ。そんなに楽しまれていると私がヒギリさんに嫉妬してしまいそうです 」
「 だって、幸せなんだよ。幸せがおいしいんだよ 」
 そう言ってタイガはノエが用意してくれたベリーのガトーショコラに合わせたグロッグを啜る。

―――恋愛と推しは一緒だって良い。

 今日の夕方、ロードと休憩所で話したことが甦る。
「 ノエ、オレ頑張るから 」
「 ええ。応援していますよ、主人マキール
 何を、とはノエは聞かなかった。だけどタイガは自分が言いたいことが彼に伝わっているとその表情で気付いていたから満足だった。
 再び、ガトーショコラを口に運ぶ。
 それは、やっぱり幸せの味がした。