薄明のカンテ - マルフィで朝食を/べにざくろ
 皺ひとつない白い布の張られたソレを前にしたヴォイドは此処へ来たことを幾分か後悔していた。ソレの上には彼女が見慣れたモノが載っていて、そのモノたちに身体を慣らされたヴォイドの身体はこれから与えられる快楽を期待して震える。
「 うふふ、そんなに緊張しないでください 」
 揶揄う響きを含んだロードの声が部屋に響く。
「 お前…… 」
「 相変わらず名前で呼んでくれないのですね 」
 残念です、と呟く声は愉しそうで本音では無いことは確かだった。
 後ろからロードに肩を押され、ヴォイドはソコに座るしか道が無くなる。
「 貴女の舌は私の味を知っている。私を何度となく味わって……他で満足出来ていましたか? 」
 その魅力に抗う術をヴォイドは持ち合わせていなかった。
 ロードに操られるようにソレを口にして数年振りのロードの味を味わう。
 半熟の黄身のようなねっとりとしたロードの視線がヴォイドの艶々の唇を捉え、彼の唇をクロワッサンのように歪ませた。
「 美味しいでしょう? 」
 ヴォイドはロードの問いに何も答えない。こくり、と喉が動いた。
「 さあ、たっぷりと私を味わい尽くしてください 」
 カロリー過多になるのが分かっていてもパンペルデュに蜂蜜と生クリームをのせるのを止められないように、ロードの言葉がヴォイドの心を絡めとろうとしてくる。
 止めないと。
 そう思っているはずのヴォイドの手は彼女の意思に反して止まらない。
 いや、既に彼女の心の奥底はロードの誘惑に抗えないでいた。
 何年もの間、幾度となく味わったものを再び口にすれば砂漠のオアシスの水のように止められない。
 貪るような勢いを見せるヴォイドは可愛らしく、ロードは恍惚の表情を見せた。
「 従順な貴女は本当に可愛らしい。ああ、勘違いしないでください。もちろん、反抗的な貴女の瞳も魅力的です 」
 ロードの言葉が聞こえているのか、はたまた聞こえていないのかすら判断出来ない程に青と緑の入り混じったヴォイドの瞳はもはやソレしか映していなかった。
「 ソレが貴女の血肉になると思うと嫉妬してしまいそうです 」
 ロードの視線がヴォイドの身体の線をなぞるように動いて下へと向けられる。
 その目は―――2人の間を隔てるテーブルの上、ロード自らがヴォイドのために作った朝食を映していた。

 焼き立てふわふわサクサクのクロワッサン。( ヴォイドの唇を油で光らせていた )

 ナイフを入れればトロトロと黄身のこぼれ落ちるポーチドエッグ。(ヴォイドを無言にしていた )

 たっぷりの蜂蜜と生クリームで飾られたパンペルデュ。

 およそ2年のヴォイド監禁生活。ロードは自らの優秀な頭脳を使って岸壁街の下層では有り得ないほどの豪華な食事をヴォイドに振る舞い続けていた。その味は簡単に素人の作ったものと切り捨てられるレベルのものではなく、それまでまともな食事で育ってこなかったヴォイドにとっては美食以外の何物でもない。その美味しさを身体が覚えていた。
 故に彼女は食べてしまう。だって、食べ物には罪がないから。
「 これだけ胃袋を掴んでいるのに、どうして貴女の心は掴めないのでしょうね…… 」
 ロードの呟きは変わらず食事に集中するヴォイドに無視され、熱々のトーストの上のバターのように美味な香りに溶けて消えていった。


 * * *


 部屋の扉を少しだけ開けて、ロードとヴォイドのある意味では盛り上がっている朝食を見つめる異なる緑の2対の目があった。
「 ロードさん……本当にホロウさんのことが好きなんだね 」
 若草色の目を輝かせてもう1人の覗き見仲間に問いかけるのは、部屋の持ち主のタイガだった。キッチンの広いタイガの部屋を貸して欲しいとロードに頼まれ、一時的に部屋を貸出中なのだ( ロード本人の部屋ではヴォイドを招いたところで入らないという悲しい事実があるのだが、タイガが知る由もない )。そんなタイガに問い掛けられた苔色の瞳のノエは至って真面目な顔で「 そうかもしれませんね 」とだけ答える。
「 何かさ、ロードさんの言い方って大人っぽくてかっこいいね 」
( いいえ、タイガ。あれは大人っぽいではなくて猥褻とか鄙陋ひろうというのですよ…… )
 心の中だけでノエは主人マキールへツッコミを入れる。ついでに自分の主人がロード・マーシュではなく純粋なタイガで良かったとも思う。
「 オレもああいう風に…… 」
「 タイガ 」
 阿呆なことを言いそうな主人を止めるのも機械人形マス・サーキュの役目だとノエはタイガの言葉を遮った。
「 人真似をしてはいけません。貴方は貴方のやり方を見付けるべきです 」
「 ……そうだよね。オレにはあんな雰囲気出せそうも無いしね 」
 ノエの目には一方的に話し掛けて無視をされ続けているロードと、ひたすらに食べ続けるヴォイドしか見えず、真似したくなるような良い雰囲気とかそんなものは微塵も感じられない。もしかして人間であるタイガには何か違うものでも見えているのだろうか。それとも。
医療ドレイル班に眼科の資格がある方はいませんでしたかね…… )
 いなくても街の医者に連れて行った方が良いかもしれない。いや、眼には異常がなくて脳に何らかの異常が発生した可能性もある。必ず受診させる必要がありますね、とノエは固く誓う。
「 でも料理出来る男って、いい男っぽくてかっこいいね 」
 そのタイガの言葉にはノエはとても賛同した。
 常々、タイガがあまり料理ができる男ではないことをノエは密かに気にしていた。かつて一人暮らしをしていた時はコンビニ弁当暮らしだったらしく、それを聞いたノエは呆れ返ったものだ。
 料理は出来た方がいい。特に主人が気にしている女の子は食べることがとても好きな子だ。彼女の心を掴むためには胃袋を掴むことが最善の道に思えて、彼に料理を教えた方がいいのではないかと常々思っていたからだ。
( うちの主人のやる気を出させたことは感謝しますよ、ロード・マーシュ )
 ノエの思いが届いたのか、端に盗み見に気付いたのかロードの黒い目と目が合う。
( もう少しだけ楽しませてあげますか )
 ロードに感謝してノエは静かに扉を閉めた。


―――扉を蹴破る勢いで我に返ったヴォイドが出てくるのは、それから30分後の事である。


 * * *


【登場人物】
・ヴォイド → 特に付き合いのないタイガに頼み込まれて仕方なく部屋に来た。ごはんおいしい。
・ロード → 私は彼女が食べる姿が見たかっただけです、とヴォイド逃亡後、爽やかに部屋を去った。
・タイガ → 同じ部署の仲間の為に部屋を貸したりヴォイドを誘ったりした。復縁に協力して欲しいと言われて素直に協力。
・ノエ → 主人の頭が心配。でも料理を教えることになってワクワクしている。
・主人が気にしている女の子 → 食堂のアイドル。


【いらない解説】
・皺ひとつない白い布の張られたソレ → 白いクロスのひいてあるテーブル
・彼女が見慣れたモノ → 食事
・ソコに座る → 椅子に座る
・私の味 → 私の食事の味
・パンペルデュ → フレンチトーストのフランス語名。フレンチって単語がカンテ国に合わないため、こちらを使用。
・マルフィで朝食を → ティiファiニーで朝食を、をパロった題名。内容は関係ない。