薄明のカンテ - ボンボンショコラ・スーヴニール/燐花
「うぁー…」
 その日、仕事を終え部屋に戻ったテオフィルスは帰るなり唸り声を上げた。血流の良さそうな赤い顔、荒い呼吸。頭を働かそうにも今はふざけた事しか浮かばない。短絡的な考えにしかならない頭で椅子に座って項垂れていると、いつもの水色のシルエットが覗き込んでくる。
「帰るなり何なんだい!?あんたはもう!」
「うるせぇ…」
「全く…水飲むかい?」
「…良いから早くくれよ」
「何だいその態度!」
 メドラー家のロリババアことナンネルはぷりぷり怒りながら飲み水を取りに行く。見た目は自分より幼いのに母親の様なやかましさだ。するといつから居たのか、ナンネルの後ろからひょっこりヴォイドが顔を出した。ヴォイドはテオフィルスに顔を近付けると、きゅっと眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「…テオ、何か臭い」
「……せめて何臭いか言ってくれよ…まるで俺が臭うみたいだろ…」
「……んー、酒臭い…」
「だろうな」
「どうしたの?」
「今日最後の客の女に飲まされた」
「え…!?飲まされたの…!?」
「未成年です、飲んではいけませんって言ったってそんなの地上で余裕のある人間に当て嵌められた決まりだからな…。俺らみてぇのには関係ねぇんだろ…このくらいよくある事だ…それに俺は日頃飲んでっから慣れてるし。ただ…ちょっと飲み過ぎたな…」
「テオ、大丈夫?頭痛い…?」
「いや…頭ぼーっとするだけ…」
 そう言いながらちらりと目を遣り、こちらを前屈みに覗き込む彼女の顔から少し下を見る。少しヨレたシャツの襟首が重力によって下がり、本人は気付いて居ないのだろうが覗き込めるだけのスペースが空いたシャツからは彼女の発展途上の胸元が丸見えだ。正直この危ういシャツを何で後生大事にレベルで着込んでいるのか。このヨレた襟では少し角度を付ければ彼女のその辺りが全部見えてしまうのでテオフィルスは危機感を覚えた。
 初めて会った頃に比べて肉付きも良くなり少しだけふっくらして来た様な気がするのに、ヴォイドの奴まだブラもしてねぇ。
「…テオ?」
「え?」
「どうしたの?まだ酔ってる?」
「んー…?まあ、ちょっと」
「大丈夫?」
 酒のせいか、そこまで好みではないスレンダーな体とは言え相手がヴォイドだからか。少しだけ覗いてしまった居た堪れない気持ちから意識をずらしてどうにか誤魔化そうとしていると、ナンネルがようやく帰って来た。
「ほら、水だよ!」
「ナンネル、どこまで水取りに行ってたんだよ」
「全くご挨拶だね!酔っ払ったあんたに水質の悪い水じゃ可哀想かと思ってわざわざ瓶で売ってる良い水を屋台まで買って来てやったってのに!」
「え?マジ?悪いな」
「心がこもってないねぇ本当に!」
「本当に感謝してるって」
 ナンネルはテオフィルスに水を渡すとぶつくさ文句を言いながら洗い物をしにキッチンに向かう。本当に感謝してるんだけどな、と尚も口にしながらナンネルから受け取った水を煽る様に流し込む。なる程いつもの水に比べて澄んだ美味しさが喉を通り抜けた。
「…甘い匂いする…」
 至近距離でスンスンと鼻を動かしていたヴォイドの瞳が期待に満ちた様にきらりと輝く。テオフィルスはその匂いの正体を知っていた為耐え切れずにふっと声を上げて笑った。
「残念だな。これ、お前の望むものの匂いじゃねぇよ」
「え?だって、チョコの匂いする…」
「そう言う酒だったんだよ」
 チョコレートカクテルを飲まされ、剰え持ち帰り用に小瓶に入れて渡されたのを思い出して懐を漁る。岸壁街は何もかも地上に劣っているとは思うが、ここは屑の吹き溜まりだ。しかしよくこんなものの匂いを嗅ぎ分けるなぁと思いながらヴォイドの目の前で瓶を振ってみた。
 ヴォイドは尚もスンスン鼻を動かし、涎でも垂れそうなだらしない口元で小瓶を目で追う。多分、味を見たいんだろう。滅多に口に出来ない甘いものを使っているし。例えそれが菓子で無く酒だったとしても。
 とは言え、ヴォイドは自分よりも更に三歳も年下だ。体の大きな自分がこんなに酔ってしまったのに、彼女が口にして大丈夫とも思えない。瓶のまま丸ごとは流石にやれないので、瓶から少しグラスに注ぎ味見程度はさせてやる事にした。
「ほらよ」
「…良いの?」
「そんな物欲しそうな目で見られちゃな。その代わり、一応酒だから味見るだけだぞ?」
「……わぁい…」
「見た事ない喜び方するな」
 ヴォイドは嬉しそうに匂いを嗅ぎ、そしてグラスを傾け口に含む。そして嬉しそうに顔を綻ばせた。
「チョコの味だ…」
「まあ、チョコカクテルみたいだからな。美味いか?」
「うん。美味し──…」
 ばたん、と音を立ててひっくり返るヴォイド。テオフィルスは酒でフワフワする頭をどうにか働かせ彼女の傍に駆けた。
「お、おい!?ヴォイド!?」
「……」
「ヴォイド!?どうした!?」
 ヴォイドはすやすや眠っていた。まさか持たされた方の酒には何か入れられていたのか?と何も考えずにヴォイドが手に持っていたグラスの残りを口に含む。しかし、何も不純物の入っている様な味はしない。ただのチョコレートカクテルだ。
 慌てたテオフィルスに家事を終えたナンネルが駆け寄る。事情を説明すると、ナンネルは即座に電子世界に繋がり色々と調べ始めた。そして伸びているヴォイドをやれやれと言いたげな顔で見つめた。
「アルコールに極度に弱い体質…かも」
「かも?」
「電子世界で拾った情報だからねぇ、医者に検査してもらったわけじゃないし…ただ可能性は高いって事よ。下手したら、もっと昔にしこたま飲まされて過度に酔った思い出があってその所為で体が思い込みに反応するだけかも分からないけど、まあとにかくこの子は酒の類に物凄く敏感みたいねぇ」
 ベッドにでも運んでやったら?と言い残し、早足で充電ボードに向かうナンネル。いきなり駆け出したので何かと思ったが、どうやら今の時間元々バッテリーの容量は低い数値だったのに電子世界に繋げたのでパワーを余計に食ってしまった様だ。
「な、何だよ驚かせやがって…」
 ヴォイドが酒数口で気持ち良く寝てしまい、ナンネルは充電の為一時休止。さっきまで賑やかだった部屋が一気に静かになってしまった。
「俺も寝るか」
 心許ない電気しか点いておらず部屋は薄暗い。そろそろ部屋の電球も買いに行かないとと面倒臭そうに一瞥して、さてヴォイドをどうしようかと考えた。そう言えば部屋にはテオフィルスとご飯を食べる目的で来たのだろうが、今の酒の所為でその前に寝てしまったのだ。
 後からうるさく言われても嫌だし一度起こそう。そう思ったテオフィルスはヴォイドの体を揺する。しかし起きない。ではこれならどうだと体をくすぐってみる。起きない。じゃあ寝てるのを良い事にこんな悪戯をしてみようと彼女の目尻を指で引っ張っていつも鋭い印象のある目元を垂れさせたり、眉間を指で上に伸し上げたりして面白い顔にしてみる。結果として見ているテオフィルスが面白い気分になっただけでヴォイドは起きなかった。
「本当に寝てんのかよ…」
 ほんの少しの酒でこんなに無防備になるヴォイドにテオフィルスは妙な危機感を覚えた。今はこの部屋の中に居るのは自分だけだから良いが、今後彼女の「これ」に気付いてそれを悪用する人間は少なくないだろうと思ったからだ。少なくとも糸目になるくらい目尻を引っ張っても起きないし、眉間の辺りをいじっても起きない。多分この状態なら鼻に指を突っ込んでも起きないだろう。
「ヴォイドー…?ベッド連れてくぞー?」
 何の反応もない。仕方ないなと思いながら床に転がしておくわけにも行かないのでテオフィルスはヴォイドを抱き上げてベッドに向かう。いつもは軽い細身の女の子だと思うのに、寝ていて力の入らない人間の重みというのはなかなかのものだった。
「よいしょ…」
 ヴォイドをベッドに寝かせ、自分も潜り込む。寝ているヴォイドと言うのは生意気な事も言わずすやすや寝息だけを立てて可愛らしいものだ。
 と、いつもの妹の様な存在に掛ける目線だけで終わりたかったのだが、先程服の中が見えてしまったからか妙に意識がはっきりしてしまって興奮で寝付けない。
「うーん……」
 しかし、よく考えろ。相手はあのヴォイドだ。瓦礫の中を飛び回る猿、普段相手にしている色気たっぷりなカヌル山の持ち主ではない。
 何考えてんだと自制しつつ手持ち無沙汰な手を彼女の頬に滑らす。テオフィルスの手が頬に触れると、ヴォイドは寝ながらくすりと笑った。寝ながら見せた笑顔がとても可愛く見える。しかし妙な気を起こす前に考え直した。相手はあのヴォイドだ。瓦礫を駆ける猿。まだ子供じゃないか。
「まだまだペチャだしな…」
 そう言ってテオフィルスはヴォイドに背を向けるといつの間にか寝てしまった。翌日、普通に起きて普通に飯を奪われ、普通にいつもの関係に戻っていた。彼女に『女』を意識した自分だけが何だか恥ずかしいくらいに。

「そんな時代もあったよな、なんて…」
 休憩所でタイガに声を掛けたら彼はおやつタイム真っ只中であり、テオフィルスも一緒に摘む流れになった。しかし、直後に人事部の女性──確かヴィーラと言ったか、に呼び出しを喰らいタイガは部屋に戻ってしまった。「それ、食べちゃって良いからね!」と言われ置いていかれたボンボン・ショコラを眺めながらテオフィルスは一人昔の思い出に浸っていた。
 結社で再会した彼女の体が自分好みのグラマラスな巨乳になっていたのもあって益々色々考えてしまう。もしもあの時普通から逸れた関係になっていたら、彼女のこんな変化も取りこぼさずにいれたのだろうか。生きているのか死んでいるのかも分からない、消息を掴めずにいたあの身を裂く程の虚しさを感じずに済んでいたのだろうか。
「……ごくり…」
「……おい」
「…ん?」
「…無言で俺の横に立って無言でチョコを見つめないでくれると嬉しいんだけど?」
「うん、私それ欲しいなぁ…」
「ったく、言えばやるから最初からそう言えよなぁ…」
 物思いに耽っていたらいつのまにか隣にやって来たヴォイドが物欲しそうな顔で手元のチョコを見つめていた。そんな顔だけはあの頃と変わらない。本当に食に貪欲な当時のままだ。ただ一つ変わってしまったのは、今彼女の顔から下を容易に覗き込むとあまりにも刺激的な光景を目にするであろう状態だと言う事。そして、このマルフィ結社は堅気の人間の集まりなので変な事をしたらここには居られなくなるであろう事。

 あ、そう言えばヴォイドって今はもう普通に酒を飲めるのだろうか。

 不意にテオフィルスの頭を疑問が過った。幼かったあの頃、チョコレートの香りに負けて酒を口にしそのまま眠ってしまったヴォイド。今手元にあるこのチョコもいわゆるウイスキーボンボンだ。ん?ウイスキーってなかなか高い度数だよな?そうは思ったが時既に遅し。ヴォイドは口にチョコを放り込んでいたところだった。
 しかもテオフィルスが彼女に目線を向けた頃には、彼女は奥歯でパキッと軽快な音を立ててチョコを噛み砕いていたところだった。
「あ、ヴォイド。そう言やそれ、酒が──…」
「……」
「ヴォイド…?」
 ヴォイドは何かを考える様にじっとりと目を伏せている。そしてテオフィルスと目線を合わせるとにっこり笑った。思わずテオフィルスも微笑み返す。そして思った。この状況、何かがおかしい。
「ん…?ヴォイド、お前がそんなにっこり笑うなんて珍しいな…」
 別に失礼な意味は無く、ただただ本当に結社に来て再会してからこんなに砕けて笑った顔を見ていなかったのでそう言っただけ。そんなテオフィルスにヴォイドは腕を伸ばした。
 そして彼の首に巻き付く様に腕を絡めたのだった。
「ヴォイド…?」
「テオ…」
「ど、どうした…?何かお前、変だぞ?」
「テオ……このチョコ美味しいね…」
「ああ…タイガから貰ったんだ」
「テオが用意したんじゃないの…?」
 会話自体には何も変なところはない。ただ、首に腕を回して至近距離でする様な会話でも無いとは思う。と言うかこの状況がどう言う事なのかテオフィルスは誰かに聞きたいくらいだった。気が付けばヴォイドとの距離はほぼ無いに等しく、もう目の前の彼女の顔はぼやけてしっかり見えない。
「おーい、ヴォイド…何か近くねー…?」
 とは言え嫌な訳でもないのでヴォイドの体を押し除ける事はせずむしろ抱き締め返す様にそっと片手を背中に回してみる。そうするとヴォイドがくすぐったそうに身を捩るのでテオフィルスは雰囲気もあって少しだけにやけた。
「近い…?そう…?」
「お、おう…どうしたんだよ?今日はやけに積極的じゃん」
「チョコ…美味しい…」
「どんだけ美味しかったんだよ。って言うかもしかしてお前、まだ酒弱いの?」
 テオフィルスがそう尋ねると、目の前のぼやけたヴォイドが小首を傾げた気がした。これはつまり本人は無自覚と言うわけか。無自覚なら尚更タチが悪いな、とテオフィルスは思った。
 こんな色っぽい体で、こんな色っぽい顔で、こんな色っぽい仕草で迫って来て。本人は酔っているからなのか体勢に安定さを求めて凭れて来ているだけで尚且つ本当に求めているのはチョコのお代わりと言う大層なチグハグっぷりだが、これは勘違いする野郎が居るだろうなと思うとあの時の不安が蘇って来た。
 同時に鳩尾の辺りに程よい圧迫を感じる。ぎゅうぎゅうと体重を掛ける様に迫って来ているヴォイドの胸が当たっていた。テオフィルスは悪戯を思いついた子供の様にニヤリと笑った。
「……チョコ、まだ食べたい?」
「うん…食べたい…」
「まだ欲しい?」
「うん、欲しい…ちょうだい…」
 何だかとてつもなくいかがわしい事をしている気持ちになるが、これは誰でもそんな気になるだろう。と言うか言葉と雰囲気を引き出せるかと狙ってみたら見事にピンポイントで狙ったところをぶち抜けた感じだ。本当に、これで求められているのがチョコでなければ。
「んー…どうしよっかなー…?」
「何で…?」
「ただあげても面白くなくねぇ?」
「テオの意地悪…私、もっと欲しい…」
「……そんなに欲しい?」
「欲しい…ちょうだい…?」
 本当にこれがチョコでなければ。
 これがチョコでなければ。
 そう言えばとふと気になりヴォイドの体に目線をずらす。仕事では無かったのか、いつものスクラブではなく白衣にランジェリーと言う格好だと言う事に気が付いた。
「ヴォイド、何かエロいな」
「え…?」
「可愛くおねだりしたらお代わりやろうかな…?どうしようかな…?」
 テオフィルスの気持ちは半々に割れ、その中心で彼は揺れていた。分かっている、今の自分がセクハラオヤジの様で何か気持ち悪いなと言う事も。けれど、それよりも色っぽい格好で、色っぽい顔で、熱の籠った声色で、チョコとは言え求めてくるヴォイドなんて早々見れるものではないからそんな彼女を味わい尽くしたい気もする。
「なぁ。お前、ずっとエロい感じになってるの気付いてる?」
「ん…?」
「それとも、最初から誘ってたの?」
 抱き締め直すように背中に回した手に力を込めて密着し、彼女の体が離れられない様にする。そしてもう片方の手は下の方からするりと白衣の中に忍ばせた。太ももに走るガーターベルトをなぞり、その上にあるランジェリーの質感を手で触って感触を確かめる。触った感じ高価なもの、と言う訳ではなさそうでテオフィルスはほっと胸を撫で下ろした。
 これなら破ったとして罪悪感は無い。
「何言ってるの…?テオ…」
「ま、どっちにせよ食うけどな」
「テオも?」
「『も』?ああ、お前はチョコの事言ってんのな…」
 先程から彼女は全くブレずにチョコの話しかしていない。こんな飢えた男が目の前にいると言うのにチョコが食えるか食えないかと言う事しか頭に無いとは呑気なものだ。こんな扇情的な格好でそんな表情と仕草で、もし付き合いで酒の席に行ったらと思うと素直に彼女が心配になった。同時に、テオフィルスの頭の中ももうこの場で食べてしまおう以外浮かばなくなった。
 焦らし過ぎは可哀想なのでもう一粒取り出すとヴォイドの口の中に入れてやる。ヴォイドは美味しそうににこりと微笑むともくもく口を動かした。不意に見せたその顔が子供の頃の昔の様で可愛らしくてもう一粒口に入れる。嬉しそうに食べるヴォイドからは分かりやすく酒の匂いが広がった。タイガの趣味の割にはなかなか度数の高い酒の入ったものを選んでいた様だ。
 その間、テオフィルスは余裕なさげにギラついた瞳で周りを見る。この際ベッドなんて贅沢は言わない、ソファでも何でも良い。ここが廊下の真ん中、往来であったとしてもうそんな事は知ったことでは無い。
 テオフィルスは視線の先に求めていたソファを見付けると、しめたと言わんばかりに口元を緩ませた。
「…ヴォイド、ちょっとあっち行こうぜ」
「あっち…?」
「そ。あっち」
「あっち…?何で…?」
「まあ良いから良いから」
「んー…」
「ほら、早く」
 余裕が無いからかいつも以上にスマートに行かない様なそんな言葉しか出て来ず、「何だかヤりたくてしょうがない奴みたいだ」とふと冷静になった。そして一瞬冷静になったその時、自分の足の異変に気が付いた。
 二、三日前、義足の関節部分の調子が悪く変な噛み方をしていた事をテオフィルスは思い出した。気付いた時にすぐに行けば良かったが、どうせ座り仕事だし行く時間も無いしそもそも行くのが面倒くさいしとメンテナンスをサボって流していたのだが、今まさに螺子が外れたらしい。
「おっとっと…ま、待て!」
 そこにテオフィルスの体重のみならず凭れて来たヴォイドの重みも加わりメンテナンスを怠った義足は音を上げた。
 文字通り膝から崩れ落ち、後ろにひっくり返ったテオフィルスの上に全体重を掛けたヴォイドが容赦無く乗っかる。そしてあろう事か彼女はそのまますやすやと寝息を立て始めたのだった。
「…え?マジ…?」
「……んぅ…」
「ヴォイド…?」
 返事は無い。本当に寝ている。片足のまま寝ている彼女をソファまで運べばまだ望みはありそうだが、そもそもとして大人二人分の体重を片足に加えて起き上がれる気がしないのでこれ以上どうする事も出来ない。
「ま、まじかよ…据え膳前にしてこのオチって…」
 一体何を間違えたのか。異変に気付いた時に機械班にきちんと見てもらっていたら?ヴォイドがやたら可愛く見えたからと言って二個も三個もボンボン・ショコラを与えたから?最早全てが良い感じに噛み合って作用してしまった為にこのままでは未遂に終わってしまうとしか思えない。
「メドラーさん?何してるんすか…?」
 そしてトニィの登場によってテオフィルスは完全に未遂で終わる事を悟った。
「……助けてくれねぇ?」
「どう言う状況っすか…あれ?この人…」
「医療班のヴォイド・ホロウ。色々あって酔って寝てる」
「その『色々』が気になるんですけど」
「とにかくヴォイドが起きねぇと動けねぇんだ」
 トニィに手伝って貰いヴォイドを退ける。本当にこんな騒ぎに発展しても尚すやすや寝ているのは逆に凄いと一周回って感心するテオフィルスだった。
 そして火消し作業に勤しむ。確かに下心塗れだったとは言え結果として未遂である。無理に酒を飲ませたのではなくチョコレートに入った酒ですらこんなに酔うなんて思わなかったのだ。その誤解が解けるまでトニィの視線がやたら痛く感じるテオフィルスだった。
 結局散々心臓の痛い思いをして何一つ自分は良い気持ちになれていない。次似た様な事があったら本能の告げるまま女を見たら抱いた方が良いだろう。
 果たしてそれが良いのか悪いのか。少なくとも今回は惜しい事をしたとテオフィルスは心底悔しさを噛み締めたのだった。