薄明のカンテ - プリマヴェーラ・フェリチタ/燐花

トルタチョコラータ

「おや?ウルリッカさん、何か良い事でもありましたか?」
 ノエにそう尋ねられ、ウルリッカははたと気が付く。自分はそんなに嬉しそうな顔をしながらご飯を食べていたのかと。確かに食堂のご飯は美味しいからそんな気持ちにもなるとは思うが。
「そんなに良い事あった顔になってた?」
「ええ。口角が少し上がってらしたので僕はそう判断させていただきました」
「うーん…顔に出てたんだ」
 山で迷ってしまったシキを探しに行って、無事彼を見付けて少し寄り道した結果普段見ないヘアスタイルを見る事ができた。普段見せない少し伸びた髭とギャリーみたく上で纏めた髪の毛。ちょっとだけワイルドで格好良い。
 面倒臭がりのシキは普段は髪を弄らない。私だけが見れたのか、と思ったら少しお得な様な特別感がある様な。
「ふふ、また微笑んでますね」
「え?また顔に出てる?」
「ええ、とても嬉しそうです」
 普段なら嬉しかった事や美味しかったもの、楽しかった事は人と共有したいと思う。けれど、シキの珍しい姿に関しては誰とも共有したいと思わなかった。何と言うか、シキの珍しい姿を誰かに話そうと思った瞬間瞬時にそれを止める様に教えたくない気持ちもふと湧き上がってしまう。
「ウルちゃん、何だか随分嬉しそうですね」
 エミールに声を掛けられウルリッカは少しにやけた顔のまま彼の方を向く。そして彼の手に持つ物を見て、にやけ顔をもっとにんまりさせた。エミールもその視線と表情に気付いてにこりと笑う。そしてウルリッカの前に手に持っていたそれ──トルタチョコラータの乗ったお皿を置いた。
「エミール…これ…」
「…おっと。仕上げを忘れていました」
 わざとらしくそう言うと、後ろ手に隠していた缶を取り出しトルタチョコラータの上で振るう。中に入っていたシュガーパウダーが雪の様に降り積もった。
「わぁ……!」
「ウルちゃん、今月お誕生日だと聞いていたので私からケーキのプレゼントです」
「食べて良いの…!?」
「ええ勿論」
 やっぱり、エミールは優しい。好き。
 そんな事を思いながらフォークで一口分切ってみる。中からとろりとチョコレートが溶け出して来て美味しそうだ。温かいトルタチョコラータを口に運ぶと幸せそうにウルリッカは顔を綻ばせる。エミールはそんな彼女の顔を嬉しそうに見つめた。
「美味しいですか?」
「うん!」
「良かった。ウルちゃんに喜んでもらえたなら作った甲斐がありました」
 幸せそうに、夢中になってケーキを口に運ぶウルリッカ。エミールも食べ続けるウルリッカを眺めながら向かいの席に座る。
「ふふ…ウルちゃんは本当に美味しそうに食べてくれますね」
「うん、エミールの作ってくれるもの、全部美味しくて大好き」
 女性の扱いが分からないが故に女性を前にすると照れて挙動がおかしくなるエミールが自然に話せる程にウルリッカと仲良くなったのは、互いに結社に身を寄せて間もない頃だった。その日エミールは食堂で調理を、ウルリッカは休日で山に赴いていたのだが、夜も更けて勤務時間を過ぎ、一人夜食を作っていたエミールの元へ山帰りのウルリッカが現れて唐突にこう言った。
オンネパシクルオオガラス捕まえたから捌いて」
 当然の如くエミールは悲鳴を上げた。しかしこの時の勢いが功を奏したのか、エミールはカラスを捌くウルリッカと一緒に調理している内に彼女と普通に話せる様になっており、それは彼に「緊張せず女性と話せるのかもしれない」と言う自信を与えた。無論、次の日食堂の外でバッタリ会ったユリィに心底照れてしまい、結局ウルリッカ限定の慣れであると結論付けられたのだが。しかしそれでも、以降ウルリッカとは普通に話せる間柄になった。
「へぇ、それは美味しそうですねぇ」
 不意にウルリッカの耳に聞き慣れた声が飛び込んでくる。この上品にテ・ヴェルデ抹茶を点てる姿が似合いそうなゆったりした声音、これはセリカの声だ。誰かと楽しそうに話している様だ。
 ウルリッカは「美味しそう」と言うセリカの言葉に何だ何だと反応してしまったが、このまま聞き耳を立てるのも悪いと思い意識を外そうとする。しかし、そんなセリカに返事を返したのは意外な人物だった。
「うん、美味かった。でも兄貴がハマったのか一時おかずがきのこまみれになったよ」
「素晴らしいですぅ」
「うーん…でもさ、確かきのこってカロリー低いんでしょ?きのこ食べてもあんまり力出なくてなぁ…」
「きのこは添え物として優秀ですからねぇ。お肉やお魚のソテーと一緒に食べると美味しいんですよぅ」
「あ、それ美味そう」
「勿論セリカはきのこのみのバターソテーをお勧めしますぅ。特にぶなしめじの石づきのバター醤油ステーキは絶品ですぅ」
「良いなー。美味そう」
「きっとチェンバースさんも作れますよぉ」
「え?俺でも作れる?そうかな?」
 セリカと仲睦まじく話しているのはシキだった。しかも、どう言う訳か山の時と同じ様に髪を括って。自分だけしか見た事の無かった姿でセリカとご飯を食べに来たのか。
「ふふ、それにしても今日のチェンバースさん、いつもと少し雰囲気が違いますねぇ」
「え?そう?」
「ええ。何だか野性味があると言いますか……格好良いですぅ」
 セリカはシキの髪型で誰か思い出す人間でもいるのか、少し頬を赤らめる。シキは単純に年上のお姉様に褒められて気恥ずかしかったのか、照れた顔を見せた。そしてそれを見ていたウルリッカは、どう言う訳か少しもやっとした。
「ねぇ、君調達班の大っきい子よね?」
「今日格好良いねー!」
 食堂にやって来た女性社員から声を掛けられ、シキも満更でも無さそうににこりと笑う。
「ありがとー」
 いつものテンション低めながらも少しだけ嬉しさを交えている様なシキの姿を、ウルリッカは黒目がちな目を少し据わらせながら眺めていた。
 さっきまで甘かった筈のトルタチョコラータの焦げた部分でも食べたのか、少しだけ苦く口の中で広がった。

一食分の健康プレート

「すまねェ…苦労掛ける」
「いいえ、とんでもございません。それが私共の仕事ですから。では、その時間にどなたか遣いを向かわせますね」
 ぺこり、と軽く会釈すると揺れた赤の髪。ノエは彼女が気に掛ける少女に思いを馳せる。自分が以前居たところは食にうるさく金に糸目を付けない人間が集まっていた。しかし、マルフィ結社に来てその少女の様な真逆な人間もいるのだと気が付いた。
 その少女は、ミサキ・ケルンティアは食に興味が無い。下手をすれば食を二の次三の次にする節がある。それで居て出された時は駆け込む様に胃に仕舞い込む。少し不健康な食べ方をする少女だった。彼女の保護者であるアンが心配して食の手配をするくらいには彼女は食に無頓着だった。その時胃に仕舞い込めればそれで良い。傍目にそんな印象だった。
「ミサキは放っといたら成分だけ見て栄養食やプロテインみたいなのだけで過ごそうとしちまう」
 だから栄養バランスの整ったプレートを、彼女の普段の食事を考えて気持ち少な目に盛ったものを用意出来ないかと言う依頼だった。普段なら彼女の性格やライフスタイルを考えてそこまでとやかく言わないと言うが、最近仕事や趣味の作業が立て込んでいるのか殆ど姿を見せない事を心配してだった。完全栄養食の様なものでもプロテインでも確かに栄養は摂れる。が、噛む行為をなおざりにしていると後々顎や歯肉に影響が出ると考えてアンはノエに相談した。
「本当は…あーしが作ってやれりゃァ良いんだけどさ…」
 そう彼に言っていたアンはアンで機械班の仕事にマジュの世話に忙しい。半分自立して手を離れた様なミサキにどこまでしてやるべきか考えあぐねている様だった。
 なのでノエは、アンの要望通りワンプレートで一食分の栄養を補える食事を用意し、そして彼女の部屋に届ける事を提案した。しかし、彼女もノエも口には出さなかったもののこの提案に懸念を抱く事があるとすれば、それは『運ぶ人間を誰にするか』と言うところだった。
 正直ミサキはコミュニケーションが上手くはない。むしろそれがネックになっている部分もある。そんな彼女の部屋に誰に届けさせるかが悩みどころだった。
「あ、ノエ」
 その時作業を終えて少し汗を滲ませながら、それなりに背が高く作られたノエもまだ視線を上にしなければ目が合わない程の身長の彼が現れた。
「ノエ、ごめん。また食券忘れちゃって」
「おや?チェンバースさん、またですか?」
「ごめん…でも俺メシ抜きは嫌だな…」
「分かりました…大丈夫ですよ。ちゃんと教えてくれましたし、食堂にはチェンバースさんがまた・・食券を失くされたと伝達しておきます。今日の食券は見付け次第破棄してくださいね」
「良かった。助かった」
「……助けついでに、一つ頼まれてくださいませんか?実は、これこれしかじかで…」
 ノエはシキに事のあらましを説明した。うんうん頷きながら話を聞いていたシキは少し考えると、「じゃあ、テディは連れて行かない方が良いな」と呟いた。
「ミサキ、テディ苦手だろうし。テディは悪い子じゃ無いんだけど…悪い子じゃ無いからって毎日いつでも会いたいかって言ったら多分ミサキは『違う』って言うだろうし。多分、今は会いたく無いタイミングだろ?」
「そうかもしれませんね…愛の日にもトンプソンさんに部屋がバレない様に根回しされたと聞きましたが?」
「根回しなんて大袈裟な話じゃ無いよ。ただ、愛の日のテディみたいなテンションとノリが苦手だろうからミサキは積極的に輪に入らなかったってだけ。ミサキはミサキの愛の日を過ごしたってだけだよ。そこにテディは関わらなかっただけ」
 意地でも「仲が悪い」だとかそう言ったマイナスな事を言いたくないのだろう。シキはそう言う子だ。
「失礼いたしました。誤解がありましたね、愛の日の皆さんの行動がどの様なものだったかアップデートさせていただきます。しかし、嫌いではなく会いたく無いタイミングなだけ、それを聞いて安心しております。今日は出来たら…ケルンティアさんが抵抗の少ないであろう機械人形と一緒に行っていただきたいのです」
「機械人形なら嫌がらないの?」
「先程シンさんからそうでは無いかと助言をいただきまして」
「なるほど。じゃあオルカと行くよ」
 ノエとそんなやりとりを交わして食券を手に入れたシキは自分の食事の前にミサキへの配達を終わらせるとそう言ってオルカと共にミサキの部屋を目指す。ミサキは、女子寮の奥まったところに部屋を持っていた。
「ねぇ、シキ。ミサキの部屋ここー?」
「うん。でも、ミサキは人と関わるのが苦手だって言うから他の人に聞かれても場所答えない様にしろよ?」
「大丈夫!もし問題あるならミサキの部屋の記憶はデリート削除するから!」
 コンコン、と控えめにドアを叩く。インターホンを鳴らそうかと思ったが、大きな音を嫌うミサキへの配慮だった。
 シキは人を怖がらせていないかを人より過度に気にする傾向がある。それは、自分の体が人より大きいからだ。この体はただでさえ人に圧を与えてしまうと分かっている。
 だからシキはたまに猫背だ。そして今日も猫背だった。
「…ミサキ?俺だよ」
 ドアの向こうの部屋の主は、普段来ないはずの人物の来訪に静かに動揺している様だった。
「ノエの作ったご飯だよ。一食分の栄養を賄える…何かすげー飯。ワンプレートだから、たまには作業中断してゆっくり飯食えよ」
「……余計なお世話」
「作ったのはノエ。でもアンさんが言い出しっぺって聞いても同じ事言える?」
「………」
「俺もさ、まだまだ守られてる立場だけど…贅沢な事だって分かってるけど偶に物凄く煩わしく思うんだよな。どうしようもなくいつも守ってくれてる人と離れたいと思う時がある。どうしようもなく一人でイキってみたくなる。そのどうしようもない気持ちを制御出来ずに偶に人に当たっちまう。それが若さって言うのかよく分かんねぇけど。でも、だからミサキの構われたくない気持ち分かるよ。没頭出来るものがあるならしてたいよな」
「……」
「でもさ、資本は体だって言うよね。だから食おうぜ。俺から受け取るの嫌だったら、ここにオルカ居るから。オルカにする?」
「………オルカ」
「分かった。離れるから一分待って」
 オルカにプレートを渡し、目は届くが手の届かないところにシキが下がるときっちり一分でガチャリとドアが開き、ゆっくりと中からミサキが覗き込んだ。オルカはにこにこしながら近付くと、彼女にプレートを手渡す。
「はい!ミサキ!アンからだよ!」
「…分かった」
「アンからだよ!!」
「……分かったってば」
 渋々プレートを受け取ると、ミサキが「ありがとう」と小さくこぼす。反応して良いものか、聞こえないフリもしようかと思ったが、シキは微笑んで「アンさんとノエに伝えとくね」と呟いた。
 すると、一度引っ込んだミサキがゴソゴソと何かを部屋から探し当てたのか再度顔を出す。珍しく「シキ」と名前を呼ばれたのでゆっくり顔を覗かせると、額目掛けて何かが飛んで来た。
「いてっ」
「返さなくて良い」
「何これ…ヘアゴム?」
「汗を纏った長い前髪…不衛生」
「ははっ」
 慣れない手付きで前髪を掻き上げ、ヘアゴムで何とか後頭部の毛と一緒に纏めようとするも上手くいかない。一本しかもらって無いから前髪は絶対、そして後ろの毛も纏めて一つにしたいのだがどうしようかと考え、結局以前やった様なハーフアップになった。
『何か…ワイルドだね…』
 そう言えば、この髪型にした時ウルリッカはそう口にしてくれた。
『ちょっと格好良い』
 そう言った彼女の顔を思い出し、少しだけニヤリとする。そうか、俺この髪型似合うのかな?今日もこの髪型してるの見たらまた褒めてくれるかな?
 しかし、何故ウルリッカに言われた事がこんなに嬉しかったのか、何故また褒められる事を望んでいるのか。
 それが分からないシキは頭に疑問を浮かべながらオルカと共にミサキの部屋から離れた。

ハニー・カモミール・クッキー

 食堂でお姉様達にちやほやと褒めてもらってすっかり満足していたシキの視界にウルリッカが飛び込んでくる。彼女は黒目がちな瞳を暗く黒く、まるで深海魚の如く闇深くして此方を見つめていた。
 あ、ウルだ。
 見た瞬間そう思ったシキも一瞬声を掛けるのを躊躇うくらいには闇の深い目になっていた。
「ウル…?」
 何だか機嫌でも悪いのだろうか。やたらと暗い目をしたウルリッカと目が合い、それでも髪を褒めてもらいたかったシキは彼女に近付いて行く。褒めて欲しくて、でも少し気恥ずかしくて。首筋をぽりぽり掻きながら向かうとウルリッカは手元にあったおそらくチョコのケーキを、いつもの一口の半分くらいの大きさに切って口に入れた。
「ウル」
「シキ…」
「見て、髪」
 ウルリッカはシキを見ると少しだけ口元を緩ませ、そうしてまたチョコのケーキをいつもの半口くらいのサイズでちまちまと食べ始めた。
「うん…そうだね」
「ウル…?」
「何…?」
 何で褒めてくれないの?とは格好悪いので口に出せず、しかし煮えたか沸いたか分からないウルリッカの態度に段々とシキもモヤモヤしてくる。山で見てた時はあんなに褒めてくれたのに。もしかしてウルリッカは気付いていないのかもしれない、等と斜め上の発想になり、シキは再度自分の髪を指差した。
「見て髪、山の時と同じ風にした」
「ん…?さっき見たけど」
「え?だって…」
 褒めてくれないから。
 とは格好悪くて言い出せず。そんなシキを尻目にウルリッカはまた、いつもの一口の半分くらいを口に運ぶ。シキは何だか上手く声を掛けられなくなり、特に何か食べているわけでも無いので持て余した手でひたすら髪を弄っていた。
 何か格好悪ィ。俺。髪気にして弄ってるしか無いとか中坊かよ。
 早く食券を持って食事を取りに行けば良いのにウルリッカの傍も離れ難く、かと言って何を言うでもなくただ髪を弄るしか無いシキはそんな文句を心の内に仕舞いながらどうしようもなく動けずに居た。つい一時間程前、ミサキの前では気遣いの出来る年長者の様な顔をしていた彼だが矢張り若さ故か経験の少なさか、ウルリッカに自分の素直な気持ちを伝えるのは躊躇われた。ただ褒めて欲しいだけなのに、その一言を伝える事が出来なくてモヤモヤする。
 そんなシキを遠目に見ていたクロエがプレートを手に近付いて来た。それに真っ先に気付いたのはウルリッカだった。
「ウルリッカ氏、メニューに無いもん食ってますね」
「あ、クロエ。これね、エミールがくれたの」
「エミール氏…あぁ、エミール氏…」
 細めた鋭い目を厨房に向けるクロエ。彼女にとってエミールとは「何故か自分に対してやたら低姿勢な男」であり、それ以上でも以下でも無かった。それよりも彼女が気にしたのは妙に様子のおかしいシキだった。
「うん。エミールがね、私の誕生日知っててケーキ作ってくれたの」
「へぇ、そうですか。ウルリッカ氏誕生日だったんですね。で?そんな事より、シキはプレゼントも用意せず何をぶー垂れているんです?」
 クロエの言葉にカッと目を見開き、彼女を見つめるシキ。しかしそんなシキの睨みなど痛くも何とも無いクロエは「痒ぃ」と一言、自分の耳に指を突っ込むとぽりぽりと掻く。この上ない挑発である。
「ぶ、ぶー垂れてねーし」
「何動揺してんだ」
「俺別に、ぶー垂れてねーし」
「へぇ…ウルリッカ氏の前であからさまに何か物足りなそうな顔で髪の毛弄り倒してたんで、私はてっきり『せっかく髪結んだのにウルがそれに触れてくれない』とか拗ねてんのかと思いましたよ。そっすか。ぶー垂れてんじゃないんすね。そっすか」
 ガタタッ!と音を立ててシキは座ったまま体勢を崩す。巨体のシキがそんな行動に出たおかげでウルリッカは危うくトルタチョコラータを落としそうになって慌てたものの、頭の中でクロエの言葉を反芻させた。そして慌てに慌てて珍しく焦ったシキの顔をじーっと見つめる。シキはウルリッカも見た事が無い様な赤い顔をしていた。
「言うなよ…」
「え?やっぱ合ってたんですか?そうかなと思って見たまま思った事言っただけですが大当たりだったんですね」
「クロエ…そう言うとこ本当兄貴そっくり…」
「……あぁん?」
 ピリリと一触即発の空気が漂う中、ウルリッカは慌てて間に入ろうと焦り、とりあえずシキの服の裾を掴んだ。驚いたシキと目が合うと、ウルリッカは口を開いた。
「シキ、髪の毛の事褒めて欲しかったの?」
「……違う」
「違うの?」
「………違わない」
「めんどくせぇ」
「あ。クロエ、今そう言う事言ったらダメだよ」
 年長者らしく、歳の近い二人の仲裁に入るウルリッカ。幼い少女の様に見えてもこう言う時に年相応の冷静さを発揮する。そして彼女の懐の深さを感じて、シキは「素直に褒めてって言えば良かった」と心の中でひとりごちた。
「…この間さ、山でウルが俺の髪見て言ってくれたじゃん?格好良いって」
「うん」
「だから俺、今日も褒めて欲しいなって思っただけでさ…」
「うん…」
 シキが素直にそう口にすると、反対にウルリッカの口数がどんどん少なくなっていく。どうしたのかと彼女の顔を覗き込むと、今度はウルリッカが申し訳なさそうに口を開いた。
「私も…素直に言えなくてごめん。これ、私だけが見れたシキかな?って思って…でも今日セリカとか、色んな人に見られて褒められてるシキを見たら…何かモヤモヤしちゃった」
「そうなの…?」
「うん…ちゃんと言えば良かった」
 そう言ってお互い少しバツが悪そうに俯いていると、いつのまに席に着いたのか食べ始めていたクロエが一言「一件落着ですね」と呟いた。
「どっちもどっちって事で。まあ無事仲直り出来て良かったんじゃないですか?」
「うん。そうだね、ありがとう」
「…俺はクロエにそう言われても何か納得いかない。だってクロエが引っ掻き回した気がするし」
「ふん…それでも私が引っ掻き回さなきゃこんな風に言えてました?納得いこうがいくまいが、事実としてそうなのだから仕方ないでしょう」
 シキが唇を尖らせていると厨房からエミールが顔を出す。そして嬉しそうににこりと微笑んだ。
「御三方とも、まだお時間あります?」
「あー…俺はそろそろ戻らなきゃ。ウルは?」
「私も」
「私はまだ平気ですね。来たばかりですし」
「そうですか。では、お二人には後で持って行きますよ。出来るだけ温かい出来立ての内に。実は今、クッキーを焼いていたんです」
「え?クッキー?エミール、何の味?」
「ハニー・カモミール・クッキーですよ」
 エミールはエミールでウルリッカとシキの間に漂う緊迫した空気を感じ取り、何とかしようとしたらしく急遽クッキーを作り始めた様だ。結果としてクロエも加わり誤解が解けた様なのでほっと一息付けたのだが。
「カモミールって…ハーブでしたよね?」
「ええ。ちょうどヒギリさんが菜園から採ってきてくれていまして。何となく、ウルちゃんとシキ君の仲直りのきっかけになってくれたらと思ったのですが要らぬ世話でしたね。でもせっかく作ったので良かったら焼き立てを食べてください。勿論、クロエさんも」
 何故かエミールが遠慮がちにクロエに目をやる。どう言うわけかウルリッカはちゃん付けでクロエがさん付け。逆では無いのかと思うが二人の纏う空気がそうさせるのだから仕方のないところもあると思う事にしておく。
 一時間もしない内に焼き立てが届けられ、各々嬉しそうに味わっていたのだが、ふと医療班の近くで食べていたウルリッカはハーブだからと思いミアにお裾分けしつつ彼女にカモミールの事を聞いてみた。
「ねえミア。カモミールって、花言葉何?」
「カモミールですか?花言葉は『逆境に耐える』とかですね!あ、でも『ごめんなさい』を意味する花だったり、『仲直り』とも言われてるんですよ!」
「仲直り…」
 焼き立てをミアと二人、口に入れて味わう。今頃シキも同じ様に食べているのかなぁ?と思うと、ウルリッカはまた少しだけ顔をにんまりさせた。
「あ!ウルちゃんにんまりしてますね!」
 ミアにそう言われ、ウルリッカは一瞬顔を真顔に戻したものの、ミアが嬉しそうに「にんまりする程美味しいですもんねー!」と言ってくれたのでもう一度顔をにんまりさせた。
「美味しいね」
「美味しいですね!」
 『仲直り』のクッキーを口に運ぶ。
 今度からは素直にシキに言ってあげようとウルリッカは心の中でそう決意した。
 後日、「誕生日プレゼント」と称して地域限定販売のカップ麺を大量に持って来たシキ。元々自分も食べるつもりだったのだろう彼とウルリッカは二人で仲良くギルティな夜を過ごした。
「シキ、またあの髪型してよ」
「うん、良いよ」
 その後、シキは少しだけウルリッカに対して素直に甘えられる様になったし、ウルリッカもシキにちゃんとモヤモヤした事は伝えられる様になった様だ。
「あ」
「何?」
「シキの方が一口大きいんだから私の方が少なくなった気がする。もう一口欲しい」
「……良いよ」
 こんな事を言える様になったのも、仲が良いからなのだろう。