薄明のカンテ - ナラ下同盟発足の我らの縁/燐花

三年前の衝撃

「あーあ…今日も疲れましたねぇ…」
 今から三年程前の事。アスにて貿易会社で働くロードは今日も今日とて残業を終え帰宅。通勤時には満員電車に揉まれ圧死しそうになり、時期にもよるが最近特に忙しく仕事も多い。趣味と言う名の風俗通いも満足に出来ず普段は好きな料理すら作り置きになったり買った弁当になったり、そんな中テレビを点ければ真っ先に流れるのは政治だ環境だ、楽しくない様な内容ばかり。
 流石に疲れて疲れて、本当に疲れ過ぎてて本能が何とか種だけ残そうと判断したのか性欲だけが異様に増している気がする昨今。風呂上がりで腰にタオルを巻いたまま、髪を拭きながらロードはテレビを点けた。とりあえず動画でも観てさっさと賢者タイムに入って寝てしまおう。そうは思いつつ何か面白い物はやっていないかと動画に移る前に先ずはチャンネルを変える。
「……おや?」
 サンドベージュの髪色をした女優が画面に映ったその時、ロードはチャンネルを変える手を止めた。表情は薄くクール系、それは演じている役の特徴だろうが、少し涼しげな目元にややセクシーな体付きは誰かを彷彿とさせる正直好みのタイプだった。
 わしわしと髪をタオルで拭きつつ画面をじっと見つめる。するとその内黒い短髪の快活そうな俳優も映り込む。ああ、この俳優は何か別の作品で観た事があるな。その時は少しシリアスなサスペンスの犯人役だった気がするが、見る感じ今回は女好きの好青年。しかもキーマンの一人っぽい。
 珍しく俳優が好みだったからと言う理由で作品名までしっかり調べる。「大きなナラの木の下で」。聞いた事がある。同名の小説があった様な。
 とは言え恋愛ドラマか。未だに片想いを見事拗らせている上仕事で多忙な身としてはフィクションとは言え他人の恋愛に興味を持てるかと言うと難しい。
「…地上波では縁が無かったと言う事で」
 まあ、この女優の存在を知れただけでも儲けものだ。グラビアでもやってくれていないだろうか。あるいは別作品で濡れ場でも演じてくれていたら尚良い、そもそも演技の上手い魅せるタイプの女優の様だし、この女優なら恋愛意外の方面で何か出てても十分面白そうだ。そんな事を考えながらロードは動画の方に切り換えようとリモコンに手を伸ばす。が、そこで運命の出会いがあった。自分好みのシンプルなスーツが目に入る。それを身に纏った俳優が映し出され、ロードはリモコンに伸ばした手を止めた。スーツ、七三分け。その彼が「マテオ」と呼ばれており一気にロードの興味がそちらに向く。
 何故なら会社で少し前にその単語を聞いたばかりだったからだ。しかも、自分に雰囲気が似ていると女性社員が話題に出した上で、だ。そしてこの俳優も他作品で観た事があった。確か学生役で子犬系爽やかイケメンなんて単語が似合いそうな役どころ。今回はまた一段と雰囲気を変えて少し気難しそうな社会人、役者とは凄い職業だ。
「なるほど…確かに特徴としては…まあ、ありきたりな気もしますけど」
 が、その例のマテオ。彼のモノローグは驚く程に下品で、これをこの時間にこの俳優に言わすのは非常に挑戦では無いか!?と言う事態に衝撃を受けた。ロードはいつのまにか冷蔵庫からビールを取り出し、冷えたそれのプルタブを開け口付ける。喉を鳴らして堪能しながらも目はテレビを観るのを止めない。
 何だろう。何かシンパシーを感じるぞ、このマテオとか言うキャラクター。
 しかし一つ文句があるとしたら、彼はそれなりにがっちりしている。スポーツマンと言えるくらいには逞しいだろうか。しかも顔付きも、どちらかと言うと精悍と言うか男前と言うか。
 ロードはコンプレックスでもある自分の細い体と母親似の少々幼い顔を鏡で見た。うん、やはり程々に細身でいないとそのレベルの猥談は生々し過ぎやしないか?いや、むしろ振り切ってこれは逆に、良いのかもしれない。
 頭の中を過るのは、「良いぞ、もっとやれ」と言うある種の背徳染みた願望だった。
 気付けばロードは髪を乾かすのも忘れ、腰にタオルを巻きビールの空き缶を持ったままドラマの今日放送分を全部観て、無事そのエンディングを迎えていた。
 今日の話だけでは内容全部は把握出来ないが、とにかくモニカ役の女優がかなり好みだった事、それからマテオと言うキャラに異様なシンパシーを感じた。
「……とりあえず毎回録画をセット、と…」
 珍しくドラマにハマってしまったロード。この日はヒロイン・モニカに触発されてかそれとも愛する彼女を妄想してか、病院モノを数本漁った。ゴミ箱に放り投げられたティッシュのゴミがいつになく満足気な眠りを表している様だった。

はじめまして、マテオな貴方

「はじめまして、この度マルフィ結社人事部に配属されましたロード・マーシュと申します」
 マテオだ。
 マテオがおるわい。
 はて、マテオによく似たお兄さんだ。とか言っている場合ではない。このままでは某石の声が聞けるじいさんになってしまう。フィオナは勢いよく頭を下げると彼の差し出した名刺を受け取った。
 ロード・マーシュ。アスにある貿易会社からマルフィ結社に派遣されて来たらしい彼の見た目はフィオナの理想のマテオだった。「大きなナラの木の下で」を読んだ時に薄ぼんやり想像したマテオ像。実際に演じた俳優さんとは違うその姿は本当に理想そのものだった。だが勘違いするな。決して恋愛の様な目で見る事はない。何故ならフィオナはヴィニズム、つまり機械人形しか愛さないし愛す気もないからだ。
 ただ、この忙しく「何でも屋」と化した総務班の人事部に仲間が増える事は嬉しい限りだ。
「よ、よろしくお願いします!フィオナ・フラナガンです!」
「うふふふ。眼鏡がよくお似合いの可愛らしい方ですね」
「ありがとうございます!あ、マ、マーシュさんお席にご案内しますね!」
 危ない。今マテオと言い掛けた。
 フィオナが席に案内するとロードはいそいそと自分の城を作り始める。とりあえず必要最低限しか置かれない、殺風景なスペースが広がった。
「あれ?その本…」
「え?あ」
 机の上に立てられたその本のタイトルは「大きなナラの木の下で」。まさか、リアルマテオがリアルにマテオを知っていると思わずもしかしたらこのリアルマテオ、リアルにマテオの事をベリベリ語れるかもしれないと思ったら興奮でマイの心拍数もドン大変な事にって言うか今日だけで何回マテオって言った!?私!?そして言葉遣いが何か変になった!!外国語得意でないのにめちゃくちゃ自信持って喋るリアクション芸人さんみたいな感じになったぞ!?
「ああ、私用の本は置かない方が良いですか?」
「い、いえ。そんな社則ありませんから!」
「そうですか」
「それよりマーシュさん、恋愛小説読まれるんですね!?」
 と言うか、「ナラ下」読まれるんですね!?
 ぐいぐい行かない様何とか堪えようとしたフィオナだが、はやる気持ちを抑えきれずキラキラした瞳でロードを見る。ロードはその目に少し苦笑しつつ「ええ、コレだけは何か好きなんですよ」と呟いた。
「ほ、本当ですか!?あの、マーシュさん。カミナリってお店知ってます?もし良かったら、一緒に…」
 そこまで言い掛けた時、ロードはフィオナを手で制す。そして少し困った様にはにかみながら口を開いた。
「すみません。フラナガンさんと…いきなり女性と結社に来て早々二人で飲みに行くのは、ね?色々と噂も立ち易くなりますし」
「あ…!」
 しまった。自分はヴィニズムだしそんな事全く考えていないが、世間一般的に見て会ったばかりの男性と二人で行こう等と飲み屋に誘えばそう言う意味だとも思われてしまうだろう。かと言って「いいえ違うんです、別に貴方の事は好きではないと言うか恋する要素がありません」なんて流石に失礼過ぎて言えない。
 故に、自分はマイノリティーなのだと言うのはこう言う時に自覚してしまう。そして少しだけ落ち込んだりもする。
「す、すみませんわたし…失礼を…」
「いいえ、こちらこそ。女性のお誘いを無下に断るのは本意ではないのですが…私は良いんですが、こんな来て早々な私なんかとフラナガンさんに噂が立ってしまったら悪いですよ」
「いいえ!わたしちょっと…感覚がズレてるところあったりして…すみません、お断りさせた上に気を遣っていただいて…」
「いいえ、そんなところもお可愛らしいですよ。まあ、とりあえず飲みに行くのはグループでを最初にしましょうか。もしもその後話が合う様でしたら、その時は同僚として是非に」
「ありがとうございます、マーシュさん!」
 気遣いと「いいえ」の応酬。
 ちなみにこの二人のこの会話。ロードはフィオナの前で紳士な優男の仮面を被り、フィオナはロードの前でオタクでヴィニズムな自分を隠し、各々上品に振る舞おうと励んだ貴重にして最後の瞬間である。そう、貴重にして最後の瞬間である。
 大事な事なので、二度言いましたよ。

 * * *

 カミナリに向かい、端末をいじるフィオナ。テロの後だが、カミナリは幸い被害を受けないところにあったし、ライフラインも復旧済み。そして何より彼女にとって一番嬉しかったのは、主にネット上の付き合いであり同時にオフ友でもあるダイヤちゃんがテロに巻き込まれず無事生きていた事である。
 ちなみにダイヤちゃんはハンドルネームでありその実態は男性であり、そしてやっぱりフィオナにとっては恋愛対象外と言う。特徴だけ挙げただけでもかなり濃いこの二人のやり取りはカミナリのテーブル一つ分のスペースで十分だった。
『ダイヤちゃん聞いて!?今日リアルマテオに会ったの!』
 そう端末からメッセージを入れると、数分と経たず返事が返ってくる。
『え?リアルマテオ?今新しい職場だっけ?』
『そう!新しく入って来た人がね、すっごいマテオ!』
『え?じゃあ俳優系の顔?』
『ううん、役者さんとは似てないよ!わたしが原作読んだ時頭に浮かんだマテオ像まんまだったの!』
『何それ裏山』
『でもね…中身はマテオじゃないかも』
『そりゃそうでしょ。なかなか居ないって、頭の中あんな感じの人。『そう言う癖のある人が居たら面白いな〜』って思うから出来上がったキャラなのであって』
 そこまでやり取りしてフィオナは溜息を吐く。相手も人間だもの。こっちの理想だけのフィルターを掛けて接したらやっぱり失礼だよなぁ。
 今日うっかりマテオと呼び間違えそうになったりしたけれど、だって名字が「マーシュ」だなんて、頭のマだけでも一致すれば意識はマテオに引っ張られてしまうし。
 すると、ダイヤちゃんから更に追加でメッセージが来る。
『でも、もし中身まで似た様な感じだったら本当最高だよね!』
『そうだよね!見た目少しベビーフェイスって言うか、だからそうだとしたらギャップがまたたまらんっ!!』
『写真無いの?』
『残念ながら!企業からの協力派遣の枠だったからまだ履歴書も無いんだよー…』
『残念過ぎない?』
『本当実際に会わせたいくらいだよ、ダイヤちゃんに。もう空気がマテオだから』
 テーブルの上に置かれたカルウアを口に運ぶ。ここは元々メインターゲットが女性なのか店内もそんな感じで、作品のモデルになってからは殊更に顕著だ。客層も女性同士やカップルでが多く男性だけと言うのは少し珍しい。こんなところに一緒に行こうと言えば、まあ、そう捉えられてしまうよな。
「恋愛感情一切無いですって言ったって…なかなか理解されないもんなぁ…」
 わたしが好きなのは機械人形。だから貴方は好きになりません、ただ本当に二人で飲みに行くだけです。男女問わず大人にそう言われたとして、誰が素直にうんと受け入れるだろう?
 とは言え、今日のロードの断りは敬意を込めた大変あたたかいもので、それだけはフィオナも少し気持ちが楽だった。自分だって噂なんか立ったら不都合もあるだろうに、敢えて自分を少し落とし目に、最大限フィオナに気を遣ってやんわり断る。大人なのか慣れているのか、そんなところもマテオの口の上手さとダブる。
 …いけない、またフィルター付けてしまった。
 会計を済ませ店の外に出る。まだ少し早いが、今日はこのまま帰ろうかどうしようか。そんな事を考えていたら視界の端に何かが見えた。
 カミナリと隣接する様に営業しているバー。ちょっとオープンな雰囲気でドアは開け放たれ中からはジャズのリズムが聴こえてくる。どちらかと言うとバーと言うよりライブハウスの様な少し特徴的なお店なのだが、その店内にロードが居た。
「え!?マーシュさんだ!」
 彼は動き的にもう店から出るところだった様なので、何となく挨拶だけでもして行こうと出て来たら声を掛けようかとフィオナは思った。ほのかに酔っていたのもあるのか、今日無下に扱わないでくれたお礼もここで言いたい気分だった。
 彼の姿を確認するとフィオナはタタタッと走り出す。
「マーシュさん!偶然ですね!」
 振り返ったロードは、今日の紳士的な振る舞いが嘘の様に眉間に変な皺を寄せ力無く笑う。あれ?何だ何だ?と思っていると、ようやくその時彼にくっ付く様に女性がいる事に気が付いた。もしかして、彼女さんと飲みにでも来ていたのだろうか。邪魔してしまったのかな?しかし、ロードの変な顔はそんな事を言いたげな顔では無い様に見えて、ふと女性の方に視線を移すと彼女は作った様な笑顔でにっこり笑った。
「ふーん。こう言うタイプの子にもしっかり手ぇ出してんのね」
 何の話だ。手?いや、制止された時に確かに手の平でどうどうと言わんばかりのジェスチャーをされたが、それって手を出すって言えるのか?
「いや…彼女は全然関係無いただの同僚ですよ…」
「でもこんな遠くから見付けて駆けて来てくれる子がいるなんて良いじゃない?アンタに気でもあるんじゃないの?」
 いや、何の話だか分からないが少なくとも『そう言う雰囲気』を自分が突入した所為で破壊したであろう事はフィオナも理解した。
「え、えっとあの、わたし…」
「あーあ、気分散っちゃった。私もう明日早いし帰ろっと」
(あ、これわたしの所為ですよね多分!!)
「じゃあね、お兄さん。ああそこの子、彼女だか何だか知らないけど、そいつと飲むなら食われる前提だと思って構えてた方が良いわよ?お嬢ちゃん」
 おそらく雰囲気から自分の方が年上な気もしたのに、メイクや服装からの判断でお嬢ちゃん呼びとは失礼な。
 女性はロードに絡めていた手をするりと解くと振り向きもせずこの場を去った。
「あの…何かすみません、マーシュさん」
 おそるおそるロードの方を見ると、昼間結社で決して見る事が無さそうなギラついた目を此方に向けたロードはぼそりと呟く。
「本当ですよ…久々にヤれると思ったのに…」
 ん?
 んん?
 んんん!?
「え!?え!?な、何を仰ってるんですか…!?」
「…良いんですけどね。ソープもピンサロも、基本的には店って本番禁止だし私は遵守してるんですよその辺…いや物足りないとかでは無いんですけど今日たまたま久々に店に行かずともヤれそうな雰囲気まで行けたのに貴女の突撃力何なんですか貴女まで私に空イキだの寸止めだの求めます?」
「ちょ、ちょ、マーシュさん落ち着いて下さい!!」
 何となく、さっきの女性が彼女でも何でも無い人で、ロードとどこに向かおうとしていたのか気付いたフィオナは顔を赤くしてぷるぷると小刻みに震え出す。だってそんなの、本当そんなのって…──

 ──地上波でアウトになったレベルの、ネット配信のおまけドラマでやっと拝めた様な本当に原作寄りって言うか原作以上に良い感じに生々しいマテオそのものじゃない!何なの!?実はマーシュさんて涼しい顔してそう言う事言えちゃう人なの!?って言うか、え!?結社で仕事してる時とギャップ凄くない!?おぃぃぃぃい!フィクションみたいなギャップ持ってんなこの人!?マテオに似てる似てると思ってちょっとだけ良いなと思ったが、あ!勿論恋愛感情まるで抜きで!!それだけは本当に、小指の甘皮どころか顕微鏡で探しても見えないくらいそもそも無い!そんな事よりこの人そのもののギャップやばくない!?この人ギャップの塊過ぎてギャップがギャップのギャップを…

「フラナガンさん、フラナガンさん」
 興奮で顔を真っ赤にするフィオナを正気に戻したのはロードだった。彼は妖しい笑みを浮かべたままフィオナの肩をトントン叩く。
「ちょうど足りないところだったんですよ…昼は色々あって貴女からの提案を流してしまいましたが…溜まってますし責任取ってくださいよ…」
「あの、その、えっと…」
 フィオナはズルズル引き摺られ、先程会計をして出たばかりのカミナリにロードと共に逆戻りになった。

『普通』じゃなきゃいけません?

「残念ながら、片想いを拗らせてる最中なんですよ、今」
 一人飲みに入った店はどちらかと言うとムーディーと言うよりは陽気なジャズが流れるところで、その解放的な店内では音楽の大きさのせいか喋るのが難しく、自然と至近距離まで近付く形になる。これは言わば罠だ。店内の解放されている雰囲気も陽気な音楽も、そこに酒が入る事によって更に雰囲気に酔った人が普段より大胆な行動を取る事をロードは知っていた。
「えー…そんなに長いなら良いじゃん、頑張らないで諦めても。他に彼女とか作らないの?」
「難しいですね。どうしても、何しててもその子がチラついてしまって。それでも困った事に、体は物足りないと言うんですよねぇ…」
 言いながら目の前に居る女性の顔から下に目線をずらす。首、鎖骨と通って大きく空いたデザインの服の胸元を注視した。大きさは言わばアポリフ山くらい、しかし形の良いタイプと見た。
「見てる」
「何をです?」
「もうっ…お兄さん分かりやすいよ?そう言うの」
「おや、失礼しました。私も男ですから、そこに谷間があればついつい見てしまいますよねぇ」
「敬語崩さないし振る舞い上品なのに変な感じ」
「いやいや、普段はこんな事無いつもりなんですが…酒の力も借りてダダ漏れてるかもしれませんね」
「んー…じゃあ私も酔った所為にしちゃおうかな…?」
 こう言う普段なら引かれる冗談を受け入れられた時、ロードはその先を想像して口元を緩める。受け入れられたなら、行く先は一つだ。
「…ここを出て、飲み直しますか?」
「…良いよ?どこ連れてこうとしてるのか、お兄さんすっごい分かりやすい」
「おやおや」
 貴女も相当慣れてますねぇ、なんて事は口が裂けても言わない。とにかく後は向かうだけ。


 ──だった筈なのだが。


「全くこんな展開になると誰が想像しましたよ」
 昼間見た顔とは打って変わって、「悪い顔選手権」なるものがもしあったら確実にノミネートしていそうな顔をしながらロードは誰に言うでも無くそう言った。
「へぇ」
 それに対しフィオナは気の抜けた「へぇ」を返す。その気の抜け過ぎた「へぇ」を聞きロードはガクッと力無く椅子にもたれた。
「…何だか力が抜けました」
「へぇ」
「フラナガンさん、その返事どうにかなりません?ムダ知識披露してメロンパン入れ貰うみたいな気分になります」
「あ、すみません。ちょっと混乱し過ぎて、主に頭が」
「…頭以外どこが混乱するんですか」
 混乱するぞ?頭以外も。現にフィオナは萌えと萌えと萌えで心臓が大混乱中である。人はそれに病名を付けたがるかもしれないが、極度に緊張した時や検査等で病院に行った時によくあるあれと似ているので心配はしなくて良い。
 本日二杯目のカルウアが運ばれてくる。どうしよう。推しが推しの様な姿で推しの様な仕草でおまけに脳内まで推しに似てると言うか推し以上にエグい推せる様なリアル推しを目の前にして酒の味など分かるものか。くそぅ、ダイヤちゃんに報告したい。
「…ここは、私の奢りです」
 頭をスパークさせていたらひとしきり愚痴を言い終えて満足したのかロードが不意に呟いた。
「それは…どう言う意味ですか?」
 言葉に意味はない。本当に頭がスパークして文字通りただただ意味が分からなかったのでそう聞いただけ。決してよくドラマで観る様な、後ろに本当の意味を隠している「どう言う意味?」ではなく本当に分からなくて聞いたのだが、ロードは無に近い表情で一つ溜息を吐くと呟いた。多分、彼はそのドラマで観る意味で捉えているのだとすぐに分かった。
「保険…みたいなものですかね…」
「え?」
「私も、普段女性にそんな姿見せません。見せない様に心掛けています。が、今日は貴女に見せてしまったので」
「あ…そう言う事か…」
 言わば口止め料。或いは、お詫び。いや、保険と例えた辺り口止めか。さっきはマテオの様だと喜んでいたが、それは自分がナラ下ファンだからそう思う訳で。そうで無かったら、彼のこう言う雰囲気を嫌う子だっているかもしれない。彼の発言を根こそぎ否定したくなる人もいるかもしれない。でも何だか、そんな彼を見ていてフィオナは切なくなってしまった。自分にもあるからだ。周りにはどうしたって理解してもらえない嗜好や思考が。
「…そんな事しなくても…わたし悪く言ったりしませんよ?」
「不思議な人ですね、貴女」
「わたし、ナラ下が好きなんですよ」
「そう言や今日やたら反応してましたよね、私の机で」
「その中でもわたし、ドラマ版しろいのが大好きで…」
「……猫ですか?」
「あ、番外編ドラマでやってたこの子です」
 フィオナは端末に保存してあるしろいの役の機械人形の画像をロードに見せる。ロードは直ぐに理解した。フィオナのその目にあまりにも見覚えがあったから。
「わたし、この子が本当に好きなんですよ。ああ、正確に言うと、しろいのを演じてる時のこの子が、かな…」
 言いながら少しずつフィオナの顔が曇る。嫌だ嫌だ、好きを否定された時の昔を思い出してしまいそう。自分を否定された悲しさを。
 人は時に理解出来ないから、受け入れたくないから、嫌いだから、様々な理由で罵詈雑言を浴びせたりはたまた一笑に付したりする。往々にしてそれは相手の目立つ性質であったり主張であったり、結局様々ではあるが要は「自分以外の生き物の理解出来ない部分」に向けられる。
 フィオナはヴィニズムだった。つまり機械人形偏愛症。機械人形を恋愛対象として見る性癖をさす。
 これも酔っているからなのだろうか、何故かロードにフィオナは言ってしまったし、何故かロードもフィオナの言いたい事を直ぐ理解してしまった。
「…その機械人形が…好きなんですね?そう言う意味で」
「はい…好きです…あの、マーシュさん、引きません…?」
「何がです?」
「いや…機械人形に本気で恋してるとかもし目の前で言われたら…」
 何故今日会ったばかりの人にこんな話してるんだろう?しかも仕事場で会ったばかりの人に。もしこれで否定されたり馬鹿にされたら明日から職場は地獄じゃないか。しかしそんなリスクよりも先に言ってしまおうと思えたのは、ロードが思ったより真面目だったからかもしれないとフィオナは感じた。ロードは笑うでも無く、気持ち悪がるでも無くフィオナの事を、目の前に置かれた酒同様あっさり受け入れた。
「何故?引く理由が分かりません」
「…え?」
「世間一般的に見たら私の様な男の言動、行動こそ引かれやすいんじゃないですかねぇ?」
「でもわたしはその…マーシュさんのそう言うところ良いと思ってしまうんです」
「それはつまり、貴女がナラ下ファンでマテオと言うキャラが好きだからと言う土台があるから受け入れられるんですよ。そうでなければ先程の彼女の様に途中で酔いが覚めて帰っているかもしれませんね」
 もうさっきの話が笑い話になっているロード。ああ、多分、ああ言う対応って慣れてるんだろうなとフィオナは思った。そしてそうだとすると、この人結構強いし懲りないタイプだ。
 何だか急に、ロードに打ち明けて後悔していた自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
「わたし、今日マーシュさん見た瞬間推し変しようかと血迷ったくらい衝撃あったんですよ。マーシュさんが本当リアルガチにマテオかってくらいマテオマテオしてて…」
「血迷ったて」
「それでついうっかり…同志に話す時のノリでカミナリにお誘いしちゃって…」
「私はてっきり気を持たれたと思いました」
「やっぱり…さっきの女の人も声掛けたわたしをそうだと思ったみたいですし…『普通は』そう思いますよね」
 ロードは腕を組んで少し考えると「煙草を吸っても?」と尋ねてくる。特に嫌いではないし勢いで了承すると、懐から箱を取り出しトントン叩き飛び出たそれを口に咥えた。ンだよ煙草も吸うのかよそんなところまでマテオだな。
「……で?」
「へ?」
「それの何が面白いんでしょう?」
 少し気遣う様に煙を吐くロードは、楽しそうな笑顔を浮かべていた。フィオナは意味がわからず思わず固まる。
「フラナガンさん、私は控え目に言っていわゆる『クズ』を自認しています。長い付き合いの知人すらそう称しますし」
「わお」
「ま、私が女性とそう言う付き合いしかして居ないから言われる事なのは承知してますし、利害の一致した女性と一晩限り…なんて事に諸々気を配りこそすれ罪悪感は特に無いんですよ、そう言う相手に愛なんて抱いた事ありませんしあるのはその場限りの欲求です。それは相手も立場的には同じです。勿論都度最低限のマナーは徹底しますが、そこに心は伴わせ無いつもりです。と言うか、伴わせようにも伴わせられません。でも、相手の気持ちはそれで終わりと言う訳にはいかない。私は体が満足すれば良いんですけど、相手にも同じ様にお願いしますといっておいても当然相手からそれ以上求められる事もザラにあります」
「それ以上?」
「……終わった後になって好意を持たれる事も多いんですよ」
「それは…やっぱほら、する事がする事だから、『普通は』…」
「そう、『普通は』そう言う流れにもなりかね無い。その『普通』を提唱する方が所謂マジョリティーであって、故にその声に押され私は『クズ』となるんです。私が今までどう言う生き方をしてどう言う価値観を育て、その土台があるからこう言う遊び方をしようと思ったとそう結論付けた事を説明しようにも、「だってやってる事普通じゃないじゃん」で終わるんですよ、『普通は』ね」
「ふ、普通がゲシュタルト崩壊しそうです…」
「うふふふ、フラナガンさんもありませんか?内容は違うにしろ『普通』を声高に宣言される事。だからと言って申し訳ないですが私は貴女にどんな性癖をここでバラされようと大して動じてあげられません。私の培って来た土台に貴女みたいな方を笑う要素が育ってないからです。普通は私の尺度で見ます。そしてその中で貴女は面白い事はあれど嫌悪の対象にはならない。貴女はそれで誰かを傷付けている訳でも何でもない。強いて言うなら、それを気に入らないと思っている人が言わなくても良い事を貴女にぶつける事があるだけ。真実、起こっているのはそれのみです。でも、だから何だって言うんです?貴女だって推しが居たら愛でたいでしょう?愛でられる推しが多い人生の方が良いじゃないですか?」
 多分、この人極度の快楽主義者で博愛主義者じゃないだろうか。フィオナはそれでも包み隠し通そうとしていた恋心を暴いた上、引きもせず面白いとまで言い切り持論を展開するロードをそんな目で見た。
「…でも、マーシュさんのそれは傷付く人もいるかもしれませんよね?」
「ですから、そうならない念押しもしてるんですけどね。ずっと好きな人がいて本当に体だけですよって」
「何でそれでモテるんですか…?さては皆ナラ下好きのマテオ推しか…?」
「うふふ、さぁ?少なくともナラ下好きのマテオ推しには会った事無いですねぇ…」
「…わたしも少なくとも!」
 酒の力もあってか、少し吹っ切れた様なフィオナがそう言えばと話を戻す。大分逸れてしまったそれの軌道修正をするのは骨だった。
「マーシュさんがそう言ってくれる様に…同じ様な理由でわたしは、貴方に口止め料みたいなの貰う必要無いんです!むしろそんなにわたしに見られて良心が痛むか何かするなら!マテオの格好してください!そして写真撮らせてください!」
 言い切り、残っていたカルウアを一気に口の中に流し込む。ロードはそれを呆気に取られながら見ていたが、フィオナの言葉を頭の中で反芻させると楽しげにニヤリと笑った。
「うふふふ…それはそれは。ええ、ならば今度叶えてあげても良いですよ?私もさっきから驚いていることがあるんで」
「何にですか?」
「貴女の傍に居ても全く勃つ気配がありません」
 流石にこのぶっちゃけには噴いてしまったフィオナだったが。
「まあ、結社の中ではあくまで仕事仲間ですし、私は節度を持って…とは思っていますが。フラナガンさんのそれは、程々になら表に出して良い趣味では無いのですか?」
「んー…でも、悲しい事に今回のテロ問題の渦中にいる子達って機械人形ですから…今の結社には反機械人形な人居ないですけど…やっぱり悲しい思い出も結びついちゃうから良い顔する人は少なそうで…」
「まあ、そう思うならば程々に…ですね…。でも貴女が思う以上に世界は貴女に優しく出来ているかもしれませんよ?」
 席を立ち、店の出入り口まで来る二人。傍から見たらどう見えているのだろうか?ありきたりな事を言うなら、恋人?そう言う見られ方が一番納得はしやすい。
 でもきっとここから始まるこの関係は、一癖も二癖もあって、幾重にも理由が重なって説明の難しい、だけどとても楽しい友人と言う関係である事は間違い無さそうだった。少なくともフィオナはそう思った。意外にもフィオナのオタクな一面がロードの想像を超えており、それに対して若干彼が頭を抱えたのはまた別のお話ではあるが。
「それでは、私はここで」
「あ、マーシュさん、寮に戻らないんですか?」
「誰かさんの邪魔が入って中途半端にムラムラしてるんでソープでも行ってきます」
「さいですか…」
 ロードはにっこり笑うとフィオナの顔をじっと見た。そして一言、「その目、良いですね」と呟くと、本当にこれから風俗店に行くのだろうかと疑いたくなる様な上品さを纏いながらゆっくりと離れていった。

 変な人。でも、この人面白いや。
 何よりマテオに似てるし。
 と言うか中身までこんな感じとかマテオより過激な気もするけどそれがまた、良いのかも…。

「……ダイヤちゃん、起きてます様に!!」
 フィオナは長文でメッセージを作成、ダイヤちゃんに送信した。

 その後、アスからやって来た探偵、ユウヤミ・リーシェルが加入した事でフィオナは運命的な出会いをする。
「彼は私お付きの機械人形なんだ。離れたくても離れられなくてねぇ」
「あ、はい!書類も頂いてますしちゃんと登録…を……」
「機体名、AGENT.005。名はヨダカと申します。主人共々よろしくお願い申し上げます」
「……は…」

 くろいのだ。くろいのがおるわい。
 はて、くろいのによく似たお兄さんじゃが。

 おまけにしろいのにそっくりな機械人形がおるわぃぃぃぃい!!ぁぁぁぁぁああああ!!!

「マーシュさんマーシュさん!!それでねそれでね!!」
「ああ、うるさい…フラナガンさん落ち着いて下さい、貴女が落ち着かないと私の鼓膜が死にますけど」
「えっとね」
「…き、急に冷静にならないでください」
 『普通』のハードルがやたら低く思えたら、世界は前より少し優しく見えるし忙しくも楽しい毎日を送れているとフィオナは笑う。