17世紀に一度内戦が激化し国としての存在が危ぶまれた時期があり、その時に島古来の物がかなり焼失した。その影響で17世紀以前のカンテ史にはいまだ謎が多く、海外からも注目されている。
カンテ国内に現存する当時の唯一の文献は臣の1人の手記。
それによれば、元は1人の国王に多数の臣がおり、中央集権制だったそうだ。
だが、民のことを考えない王が2代続き、臣達の諫言にも耳を貸さず、民も重税に喘いでいるのを見た臣のうち数人がクーデターを起こす計画をした。
その計画は王の血筋を守りたい派閥に漏れ、結局その時にクーデターは起こさなかったが、王統派と国民派に分かれて臣達が血で血を洗う10年に及ぶ内乱が引き起こされた。
その中で元の王の血筋は謀略の末、消滅。各地に生き残り伝説が語り継がれている。
一番有名な伝説は
「宝坊」と呼ばれるランツの童物語(わらべものがたり)。
10年の内戦後、消滅した王家の代わりに、生き残った臣のうち最も力を持っていた人物が新たな王になった。その人物の名はカルティア。カンテ国の名の起源とされる。
国王ー王家ー臣ー民ー差人、と階級を作り、臣下の中で政治・軍事・経済などで功績をあげた者は貴族に昇格できる決まりができた。
差人は差別階級の事であり、罪人の子孫が含まれる。住みにくいところに住んでいるのが特徴だった。彼らの存在は長い時を経て岸壁街へ発展していく。