薄明のカンテ - カンテの歴史

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前史

島としての歴史はそれなりに古い。最古の文献は前2世紀で、レイレントの洞窟に先住民の祖先は南からやってきたと読み取れる古代文字と絵がある。
大陸からは離れた島だった為、大きな国の争いに巻き込まれたことはないが、内乱は度々あったらしい。少しだけ貿易をしていたある国の古文書には「ラシアス島」と表記されている。保存食になる海産物の他に細かい細工物も取引されていたらしい。
さらに昔はクレアス島と呼ばれていた時期もあるとする文献が他国にあるが、それが現在のカンテ国なのかは憶測の域を出ない。

17世紀

17世紀に一度内戦が激化し国としての存在が危ぶまれた時期があり、その時に島古来の物がかなり焼失した。その影響で17世紀以前のカンテ史にはいまだ謎が多く、海外からも注目されている。
カンテ国内に現存する当時の唯一の文献は臣の1人の手記。
それによれば、元は1人の国王に多数の臣がおり、中央集権制だったそうだ。
だが、民のことを考えない王が2代続き、臣達の諫言にも耳を貸さず、民も重税に喘いでいるのを見た臣のうち数人がクーデターを起こす計画をした。
その計画は王の血筋を守りたい派閥に漏れ、結局その時にクーデターは起こさなかったが、王統派と国民派に分かれて臣達が血で血を洗う10年に及ぶ内乱が引き起こされた。
その中で元の王の血筋は謀略の末、消滅。各地に生き残り伝説が語り継がれている。

一番有名な伝説は「宝坊」と呼ばれるランツの童物語(わらべものがたり)。

10年の内戦後、消滅した王家の代わりに、生き残った臣のうち最も力を持っていた人物が新たな王になった。その人物の名はカルティア。カンテ国の名の起源とされる。
国王ー王家ー臣ー民ー差人、と階級を作り、臣下の中で政治・軍事・経済などで功績をあげた者は貴族に昇格できる決まりができた。
差人は差別階級の事であり、罪人の子孫が含まれる。住みにくいところに住んでいるのが特徴だった。彼らの存在は長い時を経て岸壁街へ発展していく。

18世紀

カンテ国の科学力の始まりは18世紀頃と言われている。
国王ー王家ー臣(貴族・臣)ー民ー差人
科学と魔術の境が曖昧だった頃に祖国に追われて島に漂着した学者や職人たちが自国からの追跡を逃れる為に居座った。最初は警戒していたが、彼らの技術に惚れ込んだ国王は臣の階級を与えて渡来人と呼び、保護した。
当時からカンテ国には指先の器用な人が多く、それなりの工業水準にノウハウも兼ね備えていたので、逃げ込んだ他国の学者たちの意見を聞きながら更に技術を磨いていった。
結果、火薬の開発や活版印刷などの技術も他国に先駆けて行われていたが、孤島だった為に歴史の先駆者にはなれなかった。
この時にそれぞれの文化を持ち込んでいたので、融合したり形を変えずに残ったりした不思議な文化が現在までカンテ国内に複数ある。コタツや和服やアルファベットなど。
この時のことが、後の難民受け入れに繋がる。
臣になった渡来人の中には特別な功績を挙げて貴族へ昇格する者もいた。
だが、1人認めると家族全員で昇格するので、やがて貴族の人数が増えすぎてしまった。
大家2家と力を持っている12家だけが貴族と認められて土地を与えられたが、他の元貴族と臣達は家だけが与えられ、まとめて司族と呼ばれるようになった。
国王ー王家ー臣(貴族・司族)ー民ー差人

18世紀後半、シュエリオ大陸から植民地を求めて探検隊がやってくる。
未開の土地だと思われていたが、同等かそれ以上の工業水準を見せつけられ、植民地ではなく取引を持ちかけられる。特殊な加工をした海産物を麦に交換する貿易が始まり、大陸のものも入ってくるようになった。

19世紀

19世紀には工業製品の輸出も始める。
技術の流出を恐れ工業製品の輸出を渋っていたが、大陸から材料を買って製品を売る、というサイクルを考え出した事で輸出へ踏み切った。
あっという間に知名度が上がり、小国ならば我が手中にと考える国も出現した。
カンテの技術欲しさに戦争もあったが、カンテ国はあくまで中立を維持。
大国の中間地点に位置していた事、カンテ国を火の海にすると技術も消えてしまうのではと
危惧された事で、緩衝地帯として手を引くことになった。
そして、スチームパンクな時代がやってくる。
蒸気機関の普及で工業分野の技術力・生産力が飛躍的に向上。
徐々に商工業の力がついていき、豪商達は特権階級だった臣と同等の地位になっていく。
司族の中には自ら地位を捨て、転職する者も増えていった。
ただし、公害による問題も多数発生している。悪い空気や水によって様々な公害病が起き、周囲の海でも赤潮が起きるようになってしまった。公害が原因の飢饉にも見舞われた。
存在に気付いたものの、打つ手なしで被害はそのままになり、「気づいていた」という事ももみ消された。
国王ー王家ー臣(貴族・司族・豪商)ー民ー差人

20世紀

20世紀には王制が廃止され、共和国になり、議会が誕生する。

カンテ革命

スラナ事変
20世紀初頭、ずっと続けてきた中立をやめようと国王が言い出し、周囲の制止も聞かずにある国と優先条約を結ぼうとする。それで民の反感を買い、集った有志によるクーデターが発生。2ヶ月逃げ続けた国王一家はやがて捕まり、幽閉される。見せしめで処刑されるよりは、と考えたのか、幽閉期間の間に一家は自決してしまう。
こうして、300年近く続いた直系の王統はあっけなく滅びた。
ほとんどの民は国王のやる事が嫌いなだけで、国王自身を嫌っていたわけではなかったのでクーデター派は歓迎されず、大逆罪で処刑された。
これが俗に「スラナ事変」と呼ばれる一連の出来事である。
血統派と民主派の争い
残された臣達は王家の血筋で次の国王を決めようとする血統派とこの機に王制そのものをやめるべきという民主派に分かれて対立した。
民の間でも意見が分かれ議論があり、様々な思想書が出回った。
やがて、一部の司族と民衆が結託して共和制を貴族に認めさせた。
まず、貴族たちに分配されていた土地を一度国へ返還させ、地域ごとに知事を決める事になった。議会は臣貴院と司民院に分かれていて、司民院のみ一般選挙が行われた。
当初は大統領の選挙は議員ではない貴族が出馬し、議員のみ選挙権が与えられた。
だが民の反発もあり、成人した男子全員に大統領選も司民院選も選挙権が与えられた。
スラナ事変から普通選挙法施行までを含めて「カンテ革命」と呼ばれている。

デモクラシー

それから20年後、臣貴院・司民院は上院・下院に名称が代わり、女性や元差別階級も参政権が与えられた。大統領選は議員でなければ誰でも出馬できるように法律も変わった。
差別階級を撤廃する法律も公布され、法律上の差別はなくなった。
だが、依然として大統領に当選するのは貴族ばかりで、身分の溝も埋まらなかった。
この頃、後に電子機械と呼ばれるものが開発される。当時はまだ大きくて動きがゆっくりだったが、国は将来性を見込んで電子機械の開発に支援金を投じた。
電子機械の開発はどの階級にも属さない職種だった事もあり、一部の元差別階級者も溶け込んで仕事をする事ができた。
長く苦しんだ公害病も対策方法が発見され、徐々に綺麗な空気と水が戻っていった。

電子機械の一般化

20世紀後半。
電子機械の小型化も進み、企業・一般向けに発売されるように。
18世紀末から常に様々な国に狙われてきたカンテ国にとって情報を誰よりどこよりも早く掴む必要があったのもあり、電子世界の原型を作ったのはカンテ国だった。
大陸へ渡った技術は耐久性を兼ね備え、20世紀末には全世界を繋げるものに発展する。
皮肉にも、この技術がシュエリオ大陸戦争を呼ぶ要因になってしまう。

現代

シュエリオ大陸戦争

30年前、シュエリオ大陸戦争が勃発。
塩の輸出を止められた大陸の内陸国の兎頭国が発端だったらしいが、電子世界で広まった噂で話のすれ違いが起き、交渉も決裂。大陸にある国同士が文化国と同盟国に分かれて戦った、5年に及ぶ大戦へ突入する。
カンテ国は難民受け入れをいち早く行い、優秀な人材には亡命援助もし、多国籍な国になる。この背景には18世紀に祖国を追われて流れ着いた渡来人を受け入れた事がある。
カンテ国は以前通り中立を保つ、と言いながら裏ではどちらの陣営にも軍事に転用できるものを売りつけていた。これでがっぽり儲かり、この時の利益を以前から研究を進めていた電子技術のさらなる強化へ注ぎ込んだ。
その間にカンテ国では携帯電話が爆発的に普及し、いつでもどこでも繋がるのは当たり前になる。

25年前、どちらの陣営が優勢かわかりづらい状況で大陸戦争は休戦に持ち込まれる。
最後は大陸全土の和平条約で終戦に至った。この裏には国を超えた裏切り物達の大陸同盟「夏源同盟」があったと囁かれるが、詳細は闇の中である。
カンテ国では、14家あった貴族のうち3家が身分を剥奪された。大陸戦争中、何度か中立を辞めるよう意見したり、カンテの内密情報を国外へ流していたとされた為。
夏源同盟に関わっていたかは不明。煽られた世論により、3家は売国奴の汚名を着せられて散りじりになったのは確かで、現在生存しているかも怪しい。
大統領選には貴族の優先があったが、下院から何度も貴族廃止もしくは優先権をなくすようにと大陸戦争前から要求されていた。「3家剥奪事件」の一件から特権階級そのものの信用も落ちていき、貴族達は優先権の撤廃を受け入れる事になる。
この時までに貴族身分はほぼ形骸化しており、家の名で食べていける貴族は2大家を除きもういなかった。戦後は政界入りするよりも学者になったり起業したりと、別の路線を考える貴族の子息も増えていった。
老舗工業企業だけでなく、新しいIT技術の扱える企業が増え、一等地には企業の建物が並ぶようになった。このIT系企業達はどうやら貴族と繋がりが深いらしい。
その影響か、土地を奪われた人がいままで人の住まなかった不便な場所にも住み着くようになり、先祖が差別階級だった人たちと混じり合ってスラム街が形成された。
有名なところは最北端の都市、ミクリカの岸壁街である。

現在

戦後、25年。
機械人形の実用化から一般家庭への浸透までわずか20年でやってのけた国。
そして、スマートフォンや超薄型PCの開発・一般への販売も同時進行で進んだ国。
機械人形の暴走テロは他の国より速く進み過ぎた故の結果だろうか。