薄明のカンテ - エレオノーラの殴り書き
 エレオノーラ・ブリノヴァ
 2136年二月二十八日生まれ。
 出生、シュエリオ大陸スニェーク国。

※後日加筆修正予定


天才少女と期待された過去

 スニェークの地にてエレオノーラ・ブリノヴァは産声を上げた。肌の色はほんの少し黒め、色白ではないその肌に金髪と緑の目を携えて生まれた。
 長らく内戦状態にもあるスニェークから父の判断で逃げる様に出国しカンテ国に向かったのはエレオノーラ六歳の頃。シュエリオ大陸戦争が始まる直前であった。
 エレオノーラの学業は「優秀」の一言に尽きる。彼女は理解が早く、解の存在する分野に関しては誰より早く答えを見付けた。
 小学校、中学校と優秀な成績で卒業し、高校に入学するとカンテ国内で普及している機械や将来的に実用も近いと言われている機械人形に対する論文を発表する。所謂ロボット工学への今後の貢献を期待され十七歳で高校を卒業、飛び級でカンテ大学に合格した。
 しかし、長くは続かなかった。好きこそ物の上手なれとはよく言ったもの。エレオノーラは、そもそもとして機械への理解は人一倍早く応用力もあったが機械への熱意は無かった。好きでは無かったのだ。
 同じ様に大学に通っている生徒の中で人一倍無気力なエレオノーラ。彼らと同じだけの熱意で授業には取り組めなかった。この頃、彼女は日夜「つまらない」と漏らしていた。
 結局エレオノーラは大学を中退、祖父が軍人だった事もあり縁を感じて軍隊学校に入学する。

出会い

 軍隊学校に入学したものの、やはり熱意を持って取り組めず、歳の近い生徒とも打ち解けられず惰性で生活していたエレオノーラ。それでも戦場に近い実技訓練が彼女は一番好きだった。しかし、入学時に教官に心配されたコミュニケーション能力の伸び悩みは彼女の足を引っ張る。
 誰とも馴染む事なく黙々と、しかし訓練を受ければ鬼の様な身体能力の高さを発揮するエレオノーラ。長身もあって彼女はどんどん畏怖の対象となりますます他者とのコミュニケーションから遠ざかる。
 打開策を考えなければ。誰もがそう思った時、彼女に人懐こく声を掛ける人間が居た。
「やあ!君がエレオノーラかい?」
 鮮やかな金髪をサラサラと靡かせ、金色のキラキラした目で彼女を見ていた線の細いその男。エレオノーラよりほんの少し背が低いその男は何故か彼女も見覚えがあった。
「…アンタ、馬が凄かった人…」
 彼は騎馬の訓練で異様に良い成績を取っていた生徒だった。馬の扱いも上手で、頭の良い馬達が揃って彼に一目置いている。そんな雰囲気さえあった。
 馬と言うのは非常に頭が良く上下関係に厳しい生き物だ。自分より強い者を認め懐く性質があり、常日頃甲斐甲斐しく厩舎で世話をする人間よりも一年に一回会うか否かと言う競馬騎手の方に懐いていると嘆くスタッフが多いくらい自分の上に立てる能力を持った人間を見極める力が顕著だ。彼らにとったら身の回りの世話をしてくれるかどうかより走る自分を導いてくれるかどうかの方がより重要らしい。
 そんな馬達から慕われる男が自分に何の用だ?エレオノーラが不審そうな目を向けると、男はホールドアップしにこにこ笑って近付いた。
「いやいや、僕は落ちこぼれの部類さ。それより君!君だ!君はあのカンテ大学を飛び級合格した天才高校生エレオノーラ・ブリノヴァだね!?」
「もう高校生じゃ無いし大学だって中退したただの人の子だけどね」
「ここでも実技で無類の強さを発揮するなど才能に溢れているのに何を謙遜する必要があるんだい?僕は君に会えて光栄だよ!何気無く論文を読んで君のファンになったんだ!機械人形と言う物がより身近に感じる様な、僕の様な機械に疎い人間でも分かりやすく読み易い内容だった!機械に無限の可能性すら抱ける程だ!それを書いたのがこんな美しいお嬢さんだなんて思わなかったから二度驚きだね!」
 興奮しているのかエレオノーラの手に自分の手を重ねながら彼女の凄さを力説する男に不覚にもどきりとする。こんな勢いだけの変質者みたいな男に何胸を高鳴らせているんだろう。しかしそれでも褒められるのは嬉しい。そう思い直したエレオノーラは胸の音を悟られぬ様出来るだけクールに振る舞った。
「ありがとう、嬉しいわ。でもそんな突っ込んだ話の前に自己紹介が先じゃ無いかしら?貴方、誰なの?」
「おっとすまない、つい興奮して…僕の名前はアルバート・ウィル・ベネット。君より二回生上の馬しか能がない頼りない先輩と覚えてくれたまえ!ちなみに試験に落ちて二浪しているから多分君より年上だと思うよ!」
「……四つも年上じゃない…貴方軍向いてるの?」
 アルバートとの出会いは、ある意味彼からの熱烈なアタックによるものだった。髪の色や目の色、線の細さからどこか物語に出て来る妖精の様な儚げな美しさが見える彼だが、喋っている時のゴリラを彷彿とさせる少し強引な勢いの良さが彼の本性なのだろうと思う。コミュニケーション能力にいまひとつ欠けるエレオノーラは、アルバートを通じて友人を増やしていった。
 全てにおいて大変優秀な成績を収めるものの、コミュニケーション能力が教官達の求めるレベルに今ひとつ届かず、彼らの望む優等生になりきれていなかったエレオノーラ。
 全てにおいて凡庸。むしろ人より劣っているくらい。しかしながら馬に対する知識、騎馬の技術、コミュニケーション能力は抜きん出ていたアルバート。
 それは必然だったのかもしれない。
 二人が互いに互いの苦手を補おうと傍に居た事も、それ故に二人の仲が誰よりも深まった事も。
「アルバート、また訓練で怪我をしたの?今日は銃火器や手榴弾もあったじゃない…危ないわよ」
「ははは…面目ない…でも、今日怪我したところは次はヘマをしない。僕だってそのくらいやってみせるさ!」
 笑ってそう言うアルバートに手を伸ばし、怪我をした辺りに触れるエレオノーラ。アルバートは伸びて来た彼女の手を愛おしそうに受け入れるとにこりと笑った。
「ふふっ…我慢しようと思ったけどやっぱりくすぐったいよエレオノーラ」
「教官達が言ってたのを聞いたわ…貴方は爆発物の処理にも長けてるけど…訓練だったから良かったけど、あれが実戦だったらと思う事は多々あるって」
「そりゃあ爆発物だからね、訓練だったから良かったなんて事だらけだよ」
「騎馬も、騎馬そのものの技術は凄いけど…貴方は優しすぎるって…信用して人に背を預け過ぎるから裏切られないか…」
「…信用のし過ぎか…確かにその通りかもしれない。僕の社交性にはあまり『人を疑う』と言う言葉はないのだよ。これは我が一族の特徴かもしれないな、要は愚直なんだ」
「…単に貴方が世間知らずなだけじゃない?」
「手厳しいな」
 彼の名前を聞いたエレオノーラは驚いた。ベネット家。その名をどこかで聞いた事があると思っていたら、それはカンテ国の貴族の名前だった。アルバートは自分を『そんな大層なものではない』と言うが、それでも貴族は貴族だ。アルバートとこのままの距離感で居て良いのか疑問を持ち始めた。しかし居心地が良いのは彼の隣。結局エレオノーラはアルバートの傍から離れる事が出来なかった。

アルバート

 アルバート・ウィル・ベネット。貴族ベネット家の血筋であるが、彼にその感覚はあまり無かった。
 何故ならアルバートの父は若い頃貴族としてのベネット家の在り方に疑問を持ちアルバートの祖父と大喧嘩をする。血気盛んな二人の喧嘩は単なる親子喧嘩に留まらず、度重なるぶつかり合いにとうとう当時存命だった曽祖父までもが喧嘩に参入。揉めに揉めた末彼の父は勘当されベネット家と縁を切ったと言う。
「曽祖父は父が家を出たすぐ後に亡くなった。けど、父は葬儀に出なかった。後に生まれた僕はそんな我が家のゴタゴタなんて露程も知らない子供だったから、少し前まで貴族のベネット家とたまたま苗字が同じな家に生まれただけと思っていたよ」
「それで?いつ貴族って気が付いたの?」
「調べ物をしていたらベネット家に行き着いたんだ。僕と同じ苗字の貴族ってどんなものかと思ってね。それで、端末での調べ物から郷土資料館や図書館に移行して…」
「移行して?」
「最終的に祖父の家の住所に辿り着いたので勝手に向かって敷地内に侵入したんだ」
「なんて子供よ」
「そうしたらそこに年寄りながら精悍な顔付きの立派な方が居て。こんな無遠慮に敷地に入り込んだ子供に良くしてくれたんだ。まあ、それが祖父だったんだけどね」
 祖父は、何も知らず突然やって来た孫を無下には扱わなかった。ベネット家は馬を駆る事から細身の人間が多い。なかなか太りにくい体質でもあるのだが、それにしても少女の様に細い少年が入って来てアルバートの祖父は大層驚いたそうだ。何せ彼の息子の少年時代の生き写しの様だったから。
 勘当した、とは言えそこは親子だ。譲れないものがあってその結論を出しただけで、憎くて離れたわけでは無い。アルバートの祖父は、息子によく似た彼を受け入れる事でわだかまりも何も無い時代へ現実逃避していた様だった。そんな事実を知ったのは、祖父の体が病魔に侵されているらしいと聞いた四年前だそうだ。アルバートが家に何回か侵入した事で、祖父と母はそれなりに連絡を取る様になったのだと言う。いきなり疎遠になっていた筈の旦那の父親から連絡があり「北の垣根には蔦に棘のある植物を植えてあるからそこから入らない様にアルバートに言いなさい」とそう言われ、母は大層驚いた。
「僕は父さんとは残念ながら違ったんだ。ベネット家の貴族としての在り方が不当であり、みっともないからこんな立ち位置にしがみつくなと言うのが父の主張だ。彼は貴族であるベネット家を真っ向から否定したかった。けれど祖父は貴族と言う、大陸から来た元々外部の人間に過ぎなかったカスバート・リー・ベネットが賜ったこの地位を、一族が守って来たその立場を大事にしていた。僕は父の考えも理解出来るが、昔から大事にされて来たものを重要視する祖父の考えも大事だと思うんだ」
 だからこそ、自分は自分の実力を認められた上でせめてもう少し円満な形で一族と歩み寄りたい、軍隊に所属し功績を挙げれば誰も文句を言えないのでは無いかと言う至極単純な理由でここに来たのだとアルバートは言う。
 しかし、自分が騎馬以外からきしで何の才能もないのでは無いかと思い悩んだ最近、ベネット家の貴族としての肩身の狭さに気付くのが遅れ「人々は馬ではなく黒い空を選んだのか」と嘆いたと言う十九世紀の当主と名前が一文字しか違わない事を呪いだともアルバートは思った。
「偶然でしょ?アルバートの飲み込みが遅いのと、風向きが変わったと気付いた時のご当主の名前なんて…」
「まぁそうだな。諸々の飲み込みが遅いのは僕に問題があるとして。でもその呪いが本当だとしたら?僕は生まれた時こそ貴族ベネット家と疎遠になっていたとは言え、かつてのアルバートと同じ様な苦悩を抱えていると思ったら、僕はどうしようもなくベネットの血筋なんだと理解した。ならば僕がこの名で生を受けたのも運命だと思わないか?」
 いつか軍で功績を挙げて一族に少しでも希望をもたらす事が出来たら。そして病床に伏している祖父に父が会いに行きやすい環境を早く作れたら。
 そう夢を語るアルバートを見るとエレオノーラは口を噤んでしまう。
 言えない。
 とても言えない。
「貴方の子がお腹にいる」なんて。
「もう堕ろせない」なんて。
 今明かしたら、間違いなく自分はアルバートの枷になる気がする。エレオノーラはその日を最後にアルバートと距離を置いた。
 そしてお腹が目立つ様になった頃、大人達に酷く叱咤されながらやっと医療機関を受診する。
 いつから体の異変に気付いていた、誰との子だと聞かれてもエレオノーラは無言を貫いた。
 アルバートの枷にはなりたくない。
 アルバートに告げる勇気もない。
 けれど折角授かった彼との子供を手放したくも無い。
 だって、手放したらもう二度と無いかもしれない。
 両親に言ったら絶対反対される、アルバートの事も追求される、彼の耳に入る、だから言いたくない。
 だけど、自分は誰かの妻になる器だとも思えない。
 そしてエレオノーラが思い付いた最善策は、「どうにもならない時期まで知らぬ存ぜぬを通す事」だった。
 当たり前の様に両親を巻き込んだ。罪悪感は勿論あった。感情が言葉に追い付かない父に初めて殴られたのがせめてもの救いだった。本当に学内で暴行事件は無かったのかと学校までも事情を聞きに来て彼女の周りは少しだけ騒がしくなった。その時も何度か廊下ですれ違ったアルバートに声を掛けられたのだが、エレオノーラはそれら全てを無いものとし彼を完全に拒否した。
 そしてエレオノーラは娘を出産する。家族で話し合いをし、両親は彼女が母として、社会人としてまだ未熟であると看做した。それでも母としてあって欲しいと願った。しかし、エレオノーラは軍人を続けたい旨を説明する。何度も何度も頭を下げ、軍人としてあり続けたいとそう言った。三人は話し合いに話し合いを重ね娘は両親の養子にした。戸籍上妹になった娘の名はアナスタシア。エレオノーラ二十歳の時だった。

特殊部隊

 妊娠、出産における数ヶ月のブランクを感じさせずむしろ我武者羅に日々奮闘するエレオノーラ。彼女を含む生徒数人と現役の軍人が多数招集されたのは、彼女が白兵訓練で無敗の記録を上書きした時だった。
 ト・ツトース侵攻作戦を計画していた国が設立した特殊部隊のメンバーとして学生ながら推薦された。「アロスティア部隊」と名付けられた特殊部隊に所属したエレオノーラは、バーティゴめまいのコードネームをこの日以降名乗る様になる。
 最初こそ実戦に慣れなかったエレオノーラも回数をこなす内中心となってその手腕を発揮する様になり、敵地に潜入した際敵国の兵士を教育し味方に付けると言う様なコミュニケーション能力の高さを求められる任務もこなせる様になっていた。かつて教官から求められた「優等生の条件」を彼女は実践でクリアしたのだった。
 特殊部隊での功績、経験は彼女の学内でのありとあらゆる免除に一役買った。実践をこなしているからと授業も全課程修了扱いとなり、卒業資格を得た。
 しかし、何年も任務をこなす内にエレオノーラは気付いてしまう。
 この特殊部隊が請け負う任務は非公式で「国が関与しない」前提となっていた上、構成員が移民ばかりだった。つまり、トカゲが尻尾を切る様に都合が悪くなれば躊躇いなく切れる存在が自分達。
 実際に何人も殉職して行くところを見た。その度に恐ろしくもなるが、それ以上にエレオノーラはバーティゴとして闘う事に喜びを感じてしまっていた。
 力で相手を捩じ伏せる瞬間。
 同じ国の、同胞だと思っている肌の色、顔立ちをした人間が自分達敵国の息のかかった、教育の施された『敵』だと理解した時の絶望し切った顔。
 そんな物に快楽を見出す自分の異常さ。
 エレオノーラはいつだってこの選択が正しかったのかと迷う。
 自分がして来た選択に間違いがあったら。間違いの延長線上にある今は間違った結果では無いかと。解の見えない問題は好きじゃない。何が解か分からない問題も自分と深く関係が無ければ痛くも痒くもないのに、自分の歩む先に待ち受けている解が間違った過程を経た間違った解だと思うと不安で仕方がない。
 私は臆病なんだ。エレオノーラはやっと自分自身の気持ちに気が付く。正しい事をしたいと思うから正しく答えに導きたいと思う。自分の下した決断が間違いであると嫌だから怖くて歩んで来た道を振り返れなかった。
 それに気付いたその日、任務を終えて家に帰ったエレオノーラは迎えに出てくれたアナスタシアを抱き締めた。
「ただいま、ナーシャ」
「ママ!お帰りー!」
「久しぶりね、また大きくなったんじゃない?」
「うん!学校でもまた背が伸びたって言われたの!…ママ、ナーシャの事まだ抱っこ出来る?」
「勿論よ可愛いナーシャ。貴女の事だったらきっと大人になっても抱っこ出来るわ」
 アナスタシアは分かっているのか居ないのか、エレオノーラをママと呼び、自らの祖父母をお母さんお父さんと呼んでいた。彼女と接している時、エレオノーラは母の顔を見せる。そんなエレオノーラを切なそうに両親は見つめていた。
「エレオノーラ、次はいつ任務に?」
「分からないわ。しばらくは休暇の予定だけど、またすぐ何かしらで呼ばれるかもしれないし」
 アナスタシアが七歳になった頃、エレオノーラは多数の部下を抱える様になっていた。アロスティア部隊の認知のされ方も定まって来ており、任務も不定期に入ってくる。エレオノーラは次家の敷居を出たら生きて帰れないかもしれないと毎回不安になりながらそれでも戦場では闘いにこの上ない喜びを感じ、そしてまたそれに落胆しながら帰ると言うルーティンを繰り返していた。
 そんな自分に飽きて来た頃、ふとした時にアルバートの事を思い出していた。
 アナスタシアの父親であると言う事を未だ言えずに居る彼。枷になりたくなくて自分から突き放してしまった。これで良いと思っていたのに、アルバートがどう思っていたか聞けた場合の「もしも」の枝分かれした未来すら最近思い描いてしまっている。
 自分は戦場が居場所だ。その筈なのに、彼の隣で妻として居たらどうなっていたかたまに考えてしまう。
「姐さん、今本国の部隊に面白い中尉が居るって話知ってます?」
「はぁ?」
 敵地に向かう為の輸送船内で部下からそんな話を聞いた。
「面白いんですよ。射撃や白兵戦はあまり得意でなさそうな動きをするのに、やたらコミュニケーション能力が高い上馬の扱いに長けていてどんな暴れ馬もすぐ大人しくさせちゃうんですって!」
「へぇ…どんな暴れ馬もねぇ…」
「馬よりヘリや戦車の方が多用されるから需要無いと思うけど、敵地で移動する時に中尉の能力が重宝されるらしいです。ゲリラ戦を仕掛けられても彼の調教した馬なら逃げられるとか、彼にかかれば他国の暴れ馬もすぐ仲間になってしまうとかって!本国の正規部隊なのに、特殊部隊の仕事も任されるくらい馬一つでのし上がった方なんですって!しかも噂では貴族の出らしいって…まあ、苗字がベネットさんだから多分そうなんでしょうけど」
「ふーん…」
「馬の乗りこなし?ねえ、馬の扱いが上手い奴は女の扱いも上手いって豪語する男いるけど本当かしら?」
「ああ、同じ『乗りこなし』だから?」
 まさか話を聞いていた別の部下がそんな低俗な首の突っ込み方をするとは思わずエレオノーラは色々と思案する。
 そして彼女にしては珍しく匂わせる様な事を口走るのだった。
「…あいつ下手よ。待てが効かないのか雑な時の方が多かったし、おまけに妙にイくの早いし…」
 彼女のその発言に部下二人が顔を見合わせる。そして目を輝かせると「やっぱり姐さんとベネット中尉が昔恋人だったって噂は本当だったんだ…」と色々聞きたそうな顔をした。
「昔の話よ」
「え!?でもベネットさん、恋人だったんですよね!?」
「恋人かどうかも分からないわ。会えて光栄とは言われたけど、好きだとは言われた事ないし」
 それも結局彼の口から聞かなかったなぁと思いつつ、エレオノーラは久しぶりに女学生に戻った様な気分で話をした。

失敗

 敵地で兵士の育成に当たって居たエレオノーラの部隊。敵地での彼女達の任務、敵地の兵士育成とは所謂仲間にする兵士すら現地調達してしまうと言う物だ。
 降り立った敵国に潜んでいる反乱分子。彼らに接触し反乱の意志に協力、そして自分達の技術を分け与え仲間とする。この任務の恐ろしいところは、元が現地の人間なので下手をすれば祖国に寝返る可能性が大きい諸刃の剣であると言う事だ。
 そしてその恐ろしさをエレオノーラは身をもって体感して居た。彼女達が今回話術で懐柔した反乱分子。彼等は最初から反乱分子では無くエレオノーラ達がこの地に降り立つ事を予期して用意されて居た工作員だった。寝返るも何もつまり最初から彼等は敵だった。しかし、すぐに始末すれば良いもののそれをしなかったのにも理由がある。エレオノーラ達から技術や戦力、物資を奪うのも目的として居た。
 それに気付いたエレオノーラの部下が慌てて上層に連絡を取ろうとした。しかし、動向がバレて殺された。部下に見抜かれた事をきっかけに「現地の反乱分子になり得る一般人」の皮を被った彼等はその本性を表す。エレオノーラは捕らえられ、部下は皆殺しにされた。
 エレオノーラは日夜激しい拷問を受けた。この世界に地獄があるならばきっと此処だ。自分達カンテ国の特殊部隊に関する事を何度も聞かれた。しかし、エレオノーラは答えなかった。代わる代わる犯され嬲られ、顔を火で焼かれようが腕や足に穴を空けられようがエレオノーラは耐えた。
 何もして居ない時は頭に麻袋を被せられ、鎖で腕と足を繋がれる。まるで斬首刑を待つ囚人の様な生活の中、意地になって口を割らずに居たエレオノーラだったが時間が経つにつれ体に限界を感じた。もう足も腕も感覚が無いし自力で動かす力もない。

 ──死ぬかもしれない。ここで終わるのかも。会いたい。会いたい。ナーシャに。アルバートに。

 何故この二人が浮かんだのか疑問だった。アナスタシアはまだしも何故ここでアルバートが浮かぶのか。ふっと鼻で笑うとエレオノーラは麻袋の中で目を閉じる。
 自問自答は愚問だ。もう答えは分かっているじゃないか。
 ずっとずっとアルバートが好きだった。きっと彼と家庭を築いて行きたかった。アナスタシアとアルバートと三人で穏やかに過ごせたら。もしかしたらそんなもの、柄じゃないかもしれないけれど。
「……良い夢」
 案外素敵な夢を持ってたじゃない、私。好きな人との間に子供が出来て、三人で生活していたら、なんて。もしそんな生活が出来ていたら今頃子供はもう一人居たのではないかと思い、エレオノーラは笑みをこぼす。
 どちらにせよここまでだ。最愛の娘アナスタシアと最愛の人アルバートを思い浮かべエレオノーラは目を閉じた。
 途端に爆風が吹き荒れ、エレオノーラの体が揺れる。熱風が皮膚を傷付けている感覚が走り、麻袋の下顔を顰めた。終わりだ、本当に終わりだ。ここに来て死の恐怖に一瞬心を乱された。
「エレオノーラ!無事か!?」
 自分を呼ぶその声にエレオノーラは耳を疑う。それはずっと聞きたかったアルバートの声だった。ばさりと麻袋を外される。しかしエレオノーラの目はこの暗がりの中で誰かの姿を捉えるだけの力はもう持っていなかった。
「さぁ、逃げるぞ!」
「アル…バート…?」
「ああ、僕だ!ここから逃げるぞ!」
 爆風で鎖が外れたのか、自由になった手足。しかし、右手と左足はもう何をしても動かなかった。
「私の手…!私の手!!足も動かないの!!」
「今は考えたら駄目だエレオノーラ!!手足の事は考えるな!ここから少しでも遠く離れる事を考えるんだ!這ってでも!!」
 左側から体を支えてくれるアルバートの温もりを感じながらエレオノーラは懸命に右足を動かした。

優しい夢、悲しい現実

 暗がりの中ひたすら進む。熱風を感じなくなった頃、エレオノーラは足を止め壁に背をもたれた。もう駄目だ。麻袋を被せられていて気付かなかったが目も見えない。腕も足も満足に動かない。混乱に乗じて抜け出せたのは僥倖だがきっと自分はここまでだ。エレオノーラは深呼吸をすると諦めた様に口を開いた。
「アルバート…私を置いて行って…」
「何…!?」
「私は…もう手遅れよ。分かるの。目も見えないし、さっきから腕も足も何の感覚もない。痛みすら感じないのよ…だからもう…」
「駄目だ!!君は生きなければ駄目なんだ!!」
 アルバートは力強く声を張り上げた。
「君はあの子の…アナスタシアの母親だろう!?」
「アルバート…知ってたの…?」
 アルバートがどんな顔をしているかはエレオノーラには見えない。しかし声の力強さは彼女を現実に縛り付ける様だった。
「例え書面上は母親でなくなったとしても…君はあの子の母親だ!あの子にとってたった一人の愛する母親だ!例えどんなに傷付いても君は帰らねばならない!!」
「アルバート…」
 久々に聞く彼の声。あの日に帰った様だった。エレオノーラはもう殆ど見えない瞳を閉じる。自力で見る力の残っていない目を閉じれば、脳裏にアナスタシアの笑顔が浮かんだ。でももう疲れた。あの子の元に戻りたいけれど、もう眠い。エレオノーラは抵抗もせず目を閉じた。
「アルバート…ずっと言いたかったの…私、貴方の事を…」
「エレオノーラ…?エレオノーラ!!」
「アルバート…私はもう……お願い…あの子を…お願い…貴方に…父親として…」
「くっ…仕方ない…!ならば──」
 不意にアルバートがエレオノーラに口付ける。エレオノーラの体を何かが抜ける様な感覚が走り、そして力が抜けた。最期の時を愛した人の腕の中でと言うのも良いかもしれない。でも、出来たらちゃんと話してアルバートとアナスタシアの三人で生きて行きたかった。
「愛しているよ、エレオノーラ」
 私も。呟く代わりに最後の力を振り絞り、エレオノーラはにこりと微笑んだ。

「気分はどうですか?ブリノヴァさん」
 目を開けたエレオノーラの耳に入って来たのは知らない男の声だった。そして充満する薬品の匂い。目を開けても瞬きをしても、まるで水の中に居るようにぼんやりする視界に軽くパニックになると全体的に色の白い人間が自分を止めに入った。そうしてようやくエレオノーラはここが病院である事を悟った。
「ブリノヴァ君、生きていてくれて何よりだ。何せあの時派遣されたアロスティア部隊は君以外全滅だったんだ」
「全…滅……?」
「そして、君も辛くも命だけは助かった。辛いとは思うが…ああ、私はカービン。階級は陸軍少将だ」
 色以外の情報が全く読めないエレオノーラは、彼の言った言葉の意味を読み取った。動かしても感覚が無いどころか、体がバランスを取れない。右腕が、左足が自分にはもう無かった。
「え……?わ、私の足は…手は…?」
 その時、壁際に佇んでいた白い影がスッとエレオノーラに近寄る。話している内容を聞くに、彼は医師だった。
「…貴女がこちらに運ばれた時は五分五分でした。しかし、傷口があまりにも深く…我々は切断と言う選択を取りました──」
 エレオノーラは最早意識を手放さずにいるのが精一杯だった。目を閉じる前まで動かずとも生えていた筈の腕が、足がない。
「──後、顔の火傷は皮膚の移植を。視力は残念ながら…それ以上は戻らないと覚悟してください」
「あ、あの…」
 話を逸らしたい、と言わんばかりにエレオノーラは口を開く。そしてカービンを焦点の合わない目で見つめた。
「べ、ベネット中尉は…今どちらに?」
「ベネット中尉?」
「私を救出して下さったのはベネット中尉だったと声で認識したんです…救い出された時、私はどんな状態だったのか聞きたいと思って…」
 嘘では無いが、本当の理由では無い。本当は彼にもう一度会ってちゃんと話し合いをしたかった。しかし、カービンは大きく溜息を吐くとしばらくしてやっと口を開いた。
「…ベネット少佐・・なら、君を助けてはいない」
「…少佐?彼は中尉では?」
「…中尉だった。君の部隊が壊滅するほんの少し前までな。功績を讃えられて特進した」
「……ま、まさか」
「そうだ…彼は殉職した。我々が君を助けに行けたのもそれが理由だ」
 エレオノーラは今度こそ話を聞ける心地では無くなった。
 その後、カービンは今回の件を詳しく話した。
 アロスティア部隊の任務は非正規。なので隊員が惨たらしく殺されても隊長が拷問を受けても表立って救出に行けなかった。しかし、少し前にアロスティア部隊と同じ国に降り立ち、尚且つ正規の任務を受けたチームもまた攻撃を受けた。現地で馬の調教と爆発物処理を任されていたアルバートの居たチームは奇襲を受け、彼はそこで殺された。苛烈な銃撃戦や爆弾による攻撃があったのだろう。増援軍が向かった先はまさに地獄であり、アルバートの死もその場に生き残っていた隊員の話から、であった。
 後に鼻から上の損傷が激しい彼の首が見つかり、歯科所見からアルバート含む隊員複数人の死が確認された。一つ分かったのは、彼は馬に乗っている時に頭を撃ち抜かれ死亡した後、爆撃に巻き込まれ体が四散したのだと言う事。彼の亡骸は首から下を見付けることが出来なかった。そして家族の怒りが軍を動かす。息子を、夫を、父を殺されたと言う怒りの声が敵国の殲滅を望んだ。そうしてやっと軍上層は殲滅の為の更なる増援を行え、正式に敵国への侵攻を許されたので同じく攻撃を受けていたアロスティア部隊の救出に迎えた。そしてエレオノーラを救い出したと言うのだ。
「君は…自力で逃げ果せたのでは無かったのか?」
「え…?」
「我々が駆け付けた時、敵の本拠地から離れたところで木の枝を支えに倒れていた君を発見したのだが」
 そんな事ない。確かにあの時、アルバートは傍に居た。自分を抱えて救出してくれた。しかし意識を失う直前彼が放った言葉を思い出す。
『仕方ない…!ならば──』

 ──今ここで腕と足だけ持って行く。

 彼の残したその言葉。
 切断された手足。
 居ない筈のアルバート。

 エレオノーラはカービンが退室した後、声を押し殺して静かに泣いた。
 あれは何だったのだろう?恋しさから見た幻?けれど確かに彼の手の温もりを感じた。本当に彼だった。
 数ヶ月後、帰国したエレオノーラは家に帰る前に軍に寄った。今回戦死した者には名誉勲章が授与されており、その中に彼の名があった。
 アルバート・ウィル・ベネット──三十一歳没。
 たったそれだけしか書かれていない、数多いる人間の一人だがエレオノーラには彼の名前だけは特別に見えた。
 ああ、死んでしまった。本当に死んでしまったのね、アルバート。
 意識も足元も覚束ないままふらふらと帰路に着く。自分も後を追って死んでしまおうか。彼がそこで待っていてくれるのなら。
「ママ!」
 その時、名前を呼んで駆けてくるアナスタシアの姿が見えてエレオノーラはすぐ正気に戻る。もうこんなに大きくなった娘。どこか彼の面影もある娘がこちらに駆けてくる。
「ママ…ママ、ナーシャとお家帰ろ?」
「ナーシャ…」
「ママ!」
「う、うん…あれ?ナーシャ、お父さんとお母さんは?ここ、駐車場から大分離れてるじゃない。一人で来たの?」
「ううん!金髪のお兄ちゃんと一緒に!」
「金髪のお兄ちゃん…?」
 しかし、辺りを見回してもそんな人間どこにもいない。アナスタシアもそのお兄ちゃんを見付けたいと言い、二人で探検がてら色々なところを探したものの結局その『金髪のお兄ちゃん』は見付からなかった。

再始動

 後日、エレオノーラの元に性能の良い義手、義足が届く。そして慰労金と言う名目で多額の支払いが彼女にあった。
 その後、アロスティア部隊のバーティゴ率いる小隊が全ての責任を負わされた事を知る。あらゆる機関の工作の失敗を表に出さない為にサンドバッグが必要だった。そしてその役割に、非正規の任務を遂行し続けた末に一人を残して壊滅した部隊の存在はちょうど良かったのだ。
 流石にもう引退するだろうと誰もが思ったが、むしろエレオノーラは闘志を燃やしコネを使ってでも戦地に復帰した。
 あの日、たとえ幻でも再会したアルバートは自分を生かした。だから前線で生死の境ギリギリのところにいたらもしかしたらまた会えるのでは無いか。
 それだけを信じてエレオノーラは戦場に戻る決意をする。
 しかしそれだけではなかった。アルバート達正規部隊の出した犠牲に人々は悲しみに暮れたが、同時にこうも言い出したのだ。
『彼らの死を無駄にしない為、人間の犠牲をこれ以上増やさぬ為』
 そう言って軍偵察用の機械人形のプロトタイプを発表した。エレオノーラは、このタイミングの良さを妙に感じた。待っていた人間は絶対に居たのだ、この機械人形を公に出せる時を。彼はその死までもが機械人形活躍の為の立役者になった様でエレオノーラは嫌だった。現にこのタイミングで発表されて以来、機械人形の実用性は認められてその活躍はめざましい。
 彼はその為に命を散らしたのでは決して無いのに。しかし、人間に代わり機械人形が参入した事で費用の面や利便性に変化が生じる。機械人形が我が物顔で台頭して行く様子をエレオノーラは濁った目で見ていた。
 幼少の頃より彼らへの理解は深かった。動きのメカニズムやより効率化する仕組みを考えるのも。ただ、いかんせん彼等の事は好きでは無かった。今では個人的に嫌悪すら感じている。

 アルバートの死から十年後。
 未だ前線での彼との再会が叶わずに居た頃。
 カンテ国でギロク博士によるテロが発生する。
 ミクリカとケンズを崩壊させた機械人形達。そしてそのテロは、十七歳になった娘のアナスタシアにも怪我を負わせた。
 機械人形への個人的な嫌悪が憎悪にすら変わりかけ、それでもエレオノーラは思案し、立ち止まる。そして「正しくありたい」と結論を出し、彼女はマルフィ結社に向かう。
 機械人形を人間の代用品になどさせない為に。
 それは機械人形の為ではなく、死んでしまったアルバートの代わりを機械が勤めたと言うのを今でも認めたく無いからだ。機械人形の地位が上がれば諦めも付く。そんな辻褄合わせの思いからだった。