マナキノを連れてレポラ家から自宅へと軽トラを走らせてきたルーウィンは、家の前に大型のピックアップトラックが止まっているのを見て「おや?来客か?」と思う。近付くにつれてピックアップトラックの車体が、やたらと磨かれてワックスのかかった黒光りする車体であることに気付くと車が誰のものかルーウィンは理解した。
トラックが帰る時に邪魔にならない位置に軽トラを止める。
「マナ、着いたぞ」
「取っていい?」
軽トラを降りて荷台に回りマナキノに声をかけると、今度はずっと大人しくシーツを被っていたままのマナキノがシーツの下から問いかけてくる。「良いぞ」と言おうとしたルーウィンだったが、ピックアップトラックに目を向けると一つ思いついたことがあってニヤリと笑い、言葉を変えることにした。
「今は取ってもいーけど、部屋ん中入ったらまた被ってくんねー?」
「いいよ」
マナキノは二つ返事でシーツを取りながら頷く。
「じゃ、ちょっと静かに行くからな」
「しーっ!だね。マナ、ちゃんと静かに行くよ」
口の前に人差し指を立ててマナキノが言う。これが人間だったならばアイドルにでもなれただろうという可愛さだ。
そんなマナキノが静かに荷台から降りるのを手伝いながら、ルーウィンはニヤニヤと笑うのが止められなかった。
ルーウィンは怪談が苦手だ。
しかし、今ジャヴァリー家の中には
もっと苦手な人間がいるのだ。
* * *
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁっ!!!」
かつて
ルーウィンがホラー映画を観て絶叫した時のような、否、それよりも大きな野太い男の叫びがジャヴァリー家の客間に響き渡った。
予想通りの反応にルーウィンはニヤニヤとした笑いが止まらない。
シーツを被っただけの似非お化けに、こんなに驚いてくれるとは予想以上だ。
「ヴィドさん、良い反応あざまーすっ!」
態とらしく礼を言えば絶叫した熊のような見た目の男――ヴィドクン・ビョルンソンは我に返ったのか、じとりとした目でルーウィンを見た。
「ルー、お前って奴は」
「ヴィドさんなら良い反応してくれるって思ったんで期待通りで嬉しいっす」
ヴィドクンはマルフィ結社に入ったものの
機械人形と戦う恐怖>?に負けて故郷に戻っていた年上の旧友であった。尚、家の前に停車していたピックアップトラックはヴィドクンの大事な愛車である。
「ルー、もう取っていい?」
「おう、ありがとな。マナ」
ルーウィンの言葉にマナキノがシーツを外す。その姿を見たヴィドクンの表情が強ばったのを見てルーウィンは密かに笑った。何ヶ月も見ているだけあってルーウィンはマナキノの姿に耐性がついているが、そうではない人間ならばヴィドクンのような表情になるのは到しかないことだ。初見から平然としている人間の方がおかしいのだ。
「――で? ヴィドさんは家まで来て何で
クロエと喋ってるわけ?」
マナキノで驚いたヴィドクンを見て満足したルーウィンは、ようやく本題へと入る。「クロエ」という呼び方に、同じ客間にいながら応接用ソファに座ったまま黙って牛乳を飲んでいたクロエの髪と同じ濃い紫の目がルーウィンを射るが、ルーウィンはそれを見なかったことにした。
「メリー嬢ちゃんが興奮した様子でお前んところの客の話をして回ってるから、どんな子かと思ってなぁ……で、そっちが髭のじーさんのところの機械人形か」
恐怖から恐る恐るといった探るような目をマナキノへと向けるヴィドクンにルーウィンは大人しく頷く。
「あのじーさんが、こんな可愛い機械人形買ってたなんて噂になりそうなモンだけどな」
イコナは田舎故にカンテ国の中では珍しく「ご近所付き合い」が濃い街であり、何かあればすぐに近所の人の知るところになることが往々にしてある。それをもってしてのヴィドクンの言葉だったが、ルーウィンは鼻で笑う。
「少し前までは機械人形なんて珍しくもねーモンだった訳だし、マナキノだって普通の……まぁ、ちょっとは綺麗な機械人形かもしんねーけど……とにかく、機械人形なんて普通だったじゃねーっすか」
何気ないルーウィンの言葉にヴィドクンが目を瞬く。
「そうだよな、機械人形があるのが“普通”だったんだよな。まだ1年前のことなのに、すごい昔みたいに感じちまうな」
たった1年前には当たり前のように隣人であったはずの機械人形。
それが今は人間に牙を剥く危険な存在になるとは誰が想像しただろうか。
「また“普通”に戻る生活来るんじゃねーっすかね。な、クロエ!」
ルーウィンに声をかけられたクロエは冷え冷えとしたミクリカの冬の海のような目を向けつつも、ポツリと呟く。
「ええ、その為にマルフィ結社が存在しているという部分もあるのでしょう。他の団体は機械人形に友好的であったとしても、今はどこも機械人形を排斥しているようですから」
軽い同意程度で終わると思ったクロエの言葉にルーウィンは内心舌を巻く。賢しい彼女は他所の団体についても知識があったらしい。目の前のことにだけ精一杯な自分とは違う彼女に尊敬の念を抱きつつも、賢いクロエに追いつけそうにもないと焦る心も生まれて苦しい。
「結社には頑張って欲しいよ。俺は、頑張れなかったから此処で頑張るしかないけど」
「ヴィドさん……」
「なんてな! じゃ、俺は今日はそろそろ帰るけどバートンさん? クロエちゃん?またね」
「またね」って何だ、「またね」って。
ルーウィンがヴィドクンの言葉にツッコミを入れようとした時だった。
「ええ。また宜しくお願いします」
クロエが薄らと微笑んで――少なくともルーウィンにはこう見えた――ヴィドクンに向かって頭を下げたのだ。
え? 何で?
頭に沢山のハテナマークを浮かべるルーウィンを他所にヴィドクンとクロエは何だか分かりあったような顔をして――重ねて言うが、ルーウィンにはこう見えた――会釈をかわし合うとヴィドクンはどこか勝ち誇ったような顔をして客間を去って行った。
残ったのは訳が分からないままのルーウィンと、牛乳を飲み干すクロエと、何も考えてなさそうなマナキノの二人と一体だ。
ルーウィンが何かを言う前に、最後の一滴まで牛乳をしっかりと胃に収めたクロエが応接椅子から立ち上がる。そして、ルーウィンへと近付いてくると。
「痛ぇ!?」
ルーウィンが思わず声を上げる勢いで彼の脛を蹴り上げた。
「な、何すんだよ!?」
避難の声を上げるルーウィンにクロエは冷たい目を向けた。
その目を見れば何となく言わんとしていることは分からないでもない。
「別に……パパ活の人とかチェンバースとか、お前のこと呼び捨てなんだし俺だって呼んでも良くね?」
ついでに言うならクロエを勝手に「激辛仲間」と認識しているルーウィンの友人であるタイガ・ヴァテールもちゃっかり「クロエちゃん」呼びなのだが、その事実をルーウィンは未だに知らない。
「ルーはマナのことは『マナ』って呼ぶよねー」
客間の中を好奇心旺盛に見回っていたマナキノが唐突に言う。
確かにマナキノのことをルーウィンは名前で呼んでいるが、機械人形には苗字が無いためにそう呼ぶしかないからという理由があるので何の助け舟にもならない。
「マナ、空気読んでくれ……」
「空気はねー、吸って吐くものー」
「そーだな、俺が悪かったからちょっと静かにしてよーな」
「うん!」
マナキノに話の腰を折られて空気が何だか変なものになってしまった。
気まずい沈黙が流れ、更にルーウィンが口を開こうとした時だった。
「おにーちゃーん! お客さーん!」
「すっごい格好いいお兄さんが来たよ!」
ノックもせずに客間の扉を開いたのはルーウィンの妹達だ。
その目を輝かせて緩んだ表情を見れば2人の言う「お客さん」が本当に「すっごい格好いいお兄さん」であることが容易に分かる。
「客?」
「そう! クロエちゃんに!!」
訝しげに問いかけたルーウィンに妹達がはしゃいだ声を上げるとクロエへと目を向けた。「すっごい格好いいお兄さん」の来客があればルーウィンの妹達のように喜ぶのが女子の常というものであろうが、クロエは何か思い当たることがあるのか露骨に嫌そうに眉をひそめて歪んだ顔をしていた。その反応でルーウィンも来客の正体を悟る。
「……バートン。女子としてやべー顔になってっけど?」
「元々こんな顔です」
“ クロエ ”呼びを諦めて以前通り苗字でルーウィンが話しかけると、忌々しいとばかりの顔でクロエが吐き捨てるように答えた。
「ふふふ。勝手に付いてきて申し訳ないですが失礼致します」
ルーウィンの妹達が勢い良く開け放ったままの扉を軽やかにノックして微笑む若い男の声が客間に響いた。
「あ、お兄さん!」
「ごめんなさい、案内しなくて!」
振り返って謝るリヴとメルに客人――ロード・マーシュはにこやかに微笑む。
「いいえ、2人ともここまで案内ありがとうございます。こちら、つまらないものですが」
そう言って何食わぬ顔でロードが差し出した紙袋に書かれた店名を見た妹達が歓声を上げた。ルーウィンは知らなかったが、それはソナルトにある有名な洋菓子店のものであり、さり気なく女の子にウケそうな人気の品を用意してくるロードの用意周到さが出ているものなのである。
「ありがとうございます!」
双子ではなく年子のはずなのだが双子のようにハモらせてリヴとメルはロードにお礼を言うと「ママに見せてくる!」と元気に客間を飛び出して行った。後に残るのはマルフィ結社の面々だ。
「外出許可はちゃんととったでしょう、くそ兄さん」
会話の幕を切って落としたのは臨戦態勢のクロエだった。静かな声音ではあるものの怒りが滲み出ており眼光は鋭い。
「保護者役としてクロエの無事を確認に来ることに何か問題でも?」
そのクロエの刺殺しそうな眼光を受けてなお、ロードは軽やかに何事もないかのような顔で答えた。
「ねぇ、ルー。ロードはクロエのお父さんなの?」
空気を読む機能が付いている筈もないマナキノが首を傾げてルーウィンを見て来る。先程のルーウィンの「ちょっと静かにしてよーな」の「ちょっと」の時間はどうやらマナキノの中で経過してしまったらしい。
「お父さんっていうかパパっていうか……」
「“ お父さん ”も“ パパ ”も同じ意味だよ?」
「そーなんだけど
違ーっていうか」
見た目は大人、頭脳は子どものようなマナキノに対してパパ活とも言い難くルーウィンの言葉は歯切れが悪くなる。
「謂れ無き風評被害を吹き込むのは止めていただけませんか、ジャヴァリーさん?」
更にルーウィンがパパ活と言いたいのを理解して、その口を縫い止めるかのようにロードが笑顔で釘を刺してきた。そうなれば、さすがにルーウィンも口を開くことはできず、そんなルーウィンを見たロードは満足そうに口を開く。
「青少年は健全に清らかに夏休みを満喫しなければいけませんからね。良いですか? 健全な夏休みですよ? 健全な」
「歩く猥褻物が何を言うんですか」
やたらと爽やかに「健全」を強調するロードにクロエが吐き捨てるが、ロードの表情は一切曇ることはなかった。むしろ何だかキラキラしい爽やかさが増しており、更には何故かそのキラキラがチクチクと棘のようにルーウィンに刺さってくる。それに居心地の悪さを感じつつも、ルーウィンは口を開いた。
「別にアンタが気にするようなこと、何もねーっすから……」
ルーウィンの言葉にロードは安心して笑うのかと思えば、意外にも鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしてルーウィンを見てくるものだから、つられて訳が分からないルーウィンも同じような顔をしてしまう。
健全にといわれたから「何も無い」とちゃんと答えたというのに予想外の表情を見せないで欲しい。
「それは何よりです」
取り繕うように笑顔を貼り付けてロードが微笑む。
「そんなくだらない事を言うために此処まで来たとでも言うんですか。時間と人件費の無駄すぎやしませんか?」
「いえいえ、まさか。これでもちゃんと
仕事でイコナまで来てますよ」
「仕事?」
ロードの仕事といえば人事に関わることである。
イコナなんて田舎でロードの仕事が発生するようなことがあるのだろうかと、ルーウィンは内心で首を傾げる。
「これ以上は個人情報に関わりますからね」
人差し指を立てて「内緒」とばかりの顔をするロードは、おそらく先程までロードにきゃーきゃーしていたルーウィンの妹達が見たならば更にきゃーきゃーと喚いただろうとばかりのイケメン振りを発揮していた。
しかし残念ながら部屋にいるのはルーウィンとクロエであり黄色い声が上がることはない。
――後日、このロードの仕事によりマルフィ結社に新たな仲間が増えることになるのだが、それはまた別の話であった。