薄明のカンテ - とかげのしっぽをみた/燐花
 結社の建物内大広間に差し掛かってすぐ。他にもたくさん人が居たにも関わらず一目見てすぐに気付いてしまった。
 広間の自分達と反対側を歩く、伸びる廊下へ続く道を行く彼女を見たテディは、何故それ・・に気付くのがシキでは無く自分なのだと鈍感の権化たるシキに文句を言いたくなった。
 シキは変わらずユーシンと談笑している。話に夢中で彼女──ウルリッカの姿も捉えていない様だ。
 ウルリッカは、ふわふわとしたお団子頭になっていた。
 ミクリカ追悼式典は、予想以上に混戦したとは聞いていた。十代の未成年の多い調達班は安全面を考慮してこの日はミクリカ周辺に行かない様にと言われていたので現場は見ていないが、諸々の情報網から聞き込むに鬼神の如き強さを誇る赤毛の剣士が容赦無く機械人形を薙ぎ倒す様を見たとか見ていないとか。
 しかし目立った怪我人の話は聞かなかった。その代わり、人間で言う死んだフリをしていた機械人形がおり、それにあろう事か髪を掴まれるまで接触された女性が居たとは聞いていた。その後その女性がどうなったかは聞いていないが、死亡したと言う話を聞かないから無事に助かったのだろうと楽観していた。しかしそれがもしかするとそれは彼女だったのかもしれないとウルリッカの髪型とその表情を見てテディはギョッとした。
 ウルリッカは隠すでもなくふわふわしたお団子を頭に携えている。しかし、その顔に元気の色は薄い様に見えた。つまり望んでした髪型にしてはあまり気に入っていない様にテディには見えてしまったのだ。
「え……あ、あのさ……」
 ウルリッカはあまり多くを語らないが、シキとは非常に仲が良い様に思えた。むしろ分かりやすく男女の間柄では無いかとテディは傍目に見ていてそう思っていた。だからこう言う時の適任はシキなのである、と十五年生きた中で培ったテディの感性は強く推している。
 しかし一度呼び掛けたもののシキはユーシンとの話に夢中で彼女に気付いてさえ居ない。今だからこそ何だか様子の違うウルリッカのところに行ってもらいたいのに。テディはそれを見て一人イライラしていた。
 ネビロスと言いシキと言い、何でこんなにも気付けない人間に親密な関係の女の子がいるのだろう?彼女達が一番甘えたり弱音を吐いたりしたい存在であろう彼らがこんなにも気付かないのは何故なのだろう?彼女達から好意を向けられて尚のこの鈍感さはむしろ好意を向けられる安心感から来る驕りでは無いだろうか。
 それが本当に彼女達を思っての事か自身の嫉妬から来る勝手な苛立ちかは彼にも分からない。ただ一つ確かな事は、テディはあらゆる面において完璧を求めあまり妥協をしたがらないタイプだった。
 故に無茶な要求を下げる事が出来ず彼由来のトラブルが多発していた調達班にシキが当てられたくらいだ。
 その悪い癖が、今も発揮されようとしていた。
「……ねぇ」
「ん?テディ、どうした?」
「テディ!聞いてよー、もう…シキってばさー……あ……」
 ユーシンは少し苦い顔をしながらシキを窺い見る。シキもユーシンを見返し「大丈夫だから」と彼を宥めた。テディは感情が表にころころと現れるタイプだった。良い感情は勿論周りも幸せに思いながら見ていられるのだが、同じだけ表に出やすい悪い感情は別だ。
 そしてユーシンは、そのネガティヴな感情をダダ漏れにしている時のテディが少しだけ苦手だった。
 それを見越して少し強い言い方でも彼のその悪い癖を宥める。それがシキの役割だった。
「なぁ、テディ」
「……え?何?」
「何か気に食わない事あった?何か言いたい事あるならはっきり言えって」
「はぁ?何?別に何も思ってないけど?」
「いや、今『ねぇ』って呼んだじゃん、俺の事。そうじゃなくてもいい加減顔や態度で『機嫌悪いです』アピールやめろって、マジで」
「……は!?濡れ衣過ぎるんですけど。勝手な被害妄想で人の事決め付けんのやめてくれるかな!?」
「だったらお前も周りに誤解される様な態度や空気出してんなよ。何回目だよ、それ聞かれんの。テディがいくら誤解だっつってもさ、現に俺らはお前のその態度ぶつけられてモヤモヤしてんの」
「勝手にモヤモヤしてボクに罪擦り付けないでくれない!?」
「いや、『自分の事こんなにも苛つかせてくる』ってむしろこっちに罪擦り付ける様な態度取ってんのテディじゃん」
「言い掛かりだよ!!あーー!!もう最低!!シキがこんなにいい加減な奴なんて思わなかった!!だからウルの変化にも気付けないんだね!?それでウルの事放置しちゃうんだね!?ふーん!ボク絶対それじゃダメだと思うけどな!!」
 テディの浴びせる様なあまりにも一方的な文句にシキは目をぱちくりとさせる。
 ウル?ウルだって?何で今ウルが出て来たんだ?
 そう思いながらキョロキョロと見回すと、少し先の方に廊下に出た彼女の姿が見えた。シキからすればいつも通りのウルリッカだ。怪我をしているでも病気をしているでも無さそうな、いつものウルリッカだ。
「……なんだ…ウル、いつも通りじゃん…。あのさテディ、全然関係無い人の事で不安になる様な事言うなよ……」
 少し叱る様にそう言ってやる。普段は楽しく談笑する仲とは言え、年上たるもの冗談や気を引く文句に使って良いもの、いけないものは教えねばならない。
 全く関係ない他人のコンディションを引き合いに出すなど勿論後者──使ってはいけないものだ。
 しかし、「年上として言ってやった」とやり切った感の出ているシキの顔に反比例する様にどんどんどんどんテディのその一見すると可愛らしい少女の様な顔が歪んで行く。
 あ、これは本気で何か怒っているやつだ。
 その場に居たユーシンだけがテディの様子を正確に分析していた。
「………っ」
「え?テディ、何?」
「……ばーーーかっ!!!」
 言葉に詰まり、やっと押し出して出た言葉は何とも稚拙な悪口で、何だかそんな様子が微笑ましくてユーシンはへにゃりと笑った。実は彼の隣で待機していたシュオニも、そんな主人を見て微笑む。
 しかし、その稚拙な悪口を言われた当の本人であるシキは心穏やかで無いと言うのが分かりやすく顔に出ていた。
「……何だよ、『ばか』ってガキかよ。お前、ちょっと何言いたいかはっきり言えよ気分悪ィ」
 珍しくシキが完全にお怒りのモードだ。
 背の高い彼は普段『怒る』と言う事をしない。体格の良い自分が不機嫌や怒りを表に出すと周りが萎縮してしまうからと言う彼らしい理由だった。だがそのシキが、本気で怒り始めている。
 ユーシンは人知れずハラハラしていた。何でテディはテディでしっかりシキに理由を言おうとせず変にぶつかっているんだろう?
 勿体ぶらなくても良いのになぁ。そう思いながらテディの様子を見ると、テディはずんずんと踏み抜く勢いで床を踏み、ひとしきり唸り声を上げた後再度ウルリッカの居た方を向く。
 ウルリッカは足を進めて広間を過ぎて廊下の突き当たりに差し掛かっており今にも姿が見えなくなりそうだ。もーーー!!と声を上げるとテディは去り行く彼女の背中をびっと指差した。
ウル!!!髪!!短くなってるの!!何でシキが気付かないんだよ!!?
 そして責め立てる様にシキに詰め寄った。
 シキは一瞬何事か考えた様だが、一体何をテディに責められているのかを理解した瞬間見る見る青い顔になり、一言二言「あ…」だの「ごめん…」だの口にするとそのままバタバタとウルリッカの向かった方向へ走って行ったのだった。
 テディの剣幕に気圧されたのは何もシキだけでは無い。先程まで彼を否定的に見ていたユーシンも同様に圧倒されていたのだった。そしてテディの煮え切らない態度が何故引き起こされたのか、全てを知った今最早否定が出来ない自分に気が付いた。
「そりゃ……テディ、確かに言えないよね……シキが自分で気付かないとって思うよね……他の男が先に気付いたとか何か微妙だし……」
 何でも口に出せば良いと言う問題では無い。逆もまた然り。
 自分と同じ様に相手も一人の人間なのだから関係性や状況を分析し、言って良い事と言わない方が良い事、言って後悔しない事言わない方が後悔しない事。それらを的確に頭の中で選別して精査して、自分が築いてきた人間関係が崩れない様に発する。
 大人になって行くって難しいなぁ。そんな事をユーシンは思ったしそう口に出していた。
 そしてその難しさを一度に味わった様な疲労感がユーシンの身も心も包んでいた。
「そうなんだよ……あー、もう!!シキは本当鈍いんだから!!」
「……それは、うん。確かにそうだね。シキって結構ぼんやりしてるから」
 背後から年下二人にそう言われている事などどうでも良いと言わんばかりにシキは走る。ウルリッカの顔をちゃんと見ないと。その一心で彼女を追った。
 追う道すがら、ほんの数日前に追悼式典があった事を思い出した。その更に数日前に一緒に夜食を食べながら映画を観た時、ウルリッカはいつも通りでシキも特に何も気にせず「お休み」と彼女を部屋に帰していたが、終えてみた今何だかその行為にぞっとした。
 彼女といつも通りの日常を過ごして、今日も彼女の姿を見付けて。だけどその間、決して平和とは言い切れない日を彼女は過ごしたのだ。自分の当たり前の日常との間に、決して当たり前にしてはいけない平和と程遠い彼女の日常を。
 もしも当たり前の日常が彼女と過ごす最後の日になったら。自分は、彼女にきちんと思った事を伝えられているだろうか?こんな些細な変化に気付けないで、話も出来ないで、後悔する時は来ないだろうか。
「う、る………ウルっ!!」
 珍しく息を切らせながらそう呼ぶと、くるりと振り返ったウルリッカはいつもの様に黒目がちな瞳をくりくりさせていた。しかしその頭に、彼女の喜びのバロメーターの様であったともすれば犬の尾の様な結った髪は無かった。
「シキ……?」
「……ウル…おはよ…」
「お、おはよ……何?どうしたの?」
「いや…ウルの姿見えたから…慌てて追ってきて……」
「そうなんだ。ありがとう、シキ」
「あの、ウルさ、髪の毛どうしたの?」
 空気も読めず、タイミングも分からないシキはストレートに聞く他なかった。ウルリッカは一瞬キョトンとしていたが、少しだけ表情を曇らせた。
「あー……うん。短くなっちゃった」
 短くなっちゃった。少なくともこれが彼女の本意の上で起きた出来事ではないだろうと言うのはシキも分かった。
「ど、どうして……?」
 聞いて良いのか、いけないのか。
 分からないけれど気になるならば聞くしかない。ウルリッカはシキの問い掛けに特に嫌な顔は見せず、けれどやはり顔色悪く答えた。
「掴まれちゃったの。髪の毛」
「え……誰に?」
「機械人形。死んだフリ?みたいな事してて、気付くの遅くなっちゃって掴まれちゃった。で、抜け出そうとして自分で切った」
 機械人形から逃れようとして、まるで蜥蜴が尻尾を切る様な行動を取った事は自分にも覚えがある。
 シキもテロのその日に暴走した機械人形を無我夢中で相手にした事で出来た腹の傷を今一度静かにさすった。弟と義母を守ろうとして取っ組み合いになった時、後先考えず身を犠牲にしてでも止めようとした事を思い出すと、何故あんな事が出来たのか今でも疑問だ。ただ必死だった事だけはよく覚えている。
 きっとウルリッカもそうなのだ。髪を掴まれて、危険を感じて。生きる為に必死に逃げようとして無我夢中で髪を切ったに違いない。
 シキは何だかとても怖くなった。ウルリッカがそんな目に遭っていたと言う事実を改めて聞かされて、そして勝手に『彼女は変わらない』と思っていたのにその平穏を脅かされた様で。
 何も言わないシキを不思議に思ったウルリッカが下から覗き込む。シキは何かを考えたが、その内ウルリッカの頭を優しく掌で包むとその小さなお団子に触れた。
「お団子だ……」
「うん。シリルに髪整えてもらって…お団子作れるくらいには残してもらったの」
「……そっか……ねぇウル。オレ、前の髪も好きだけど、今のも好きだよ」
「そう……?」
「うん……オレは……オレは今のウルの髪の毛も、好き」
 彼女の居る『当たり前』は時として平穏無事な『当たり前』とは違う。前線駆除班は、どの班よりも待遇の面で優遇されているのだが、その理由にこうした危険の伴う事実が見え隠れしているのだとシキは納得した。
 明日迎える予定の『当たり前』が『当たり前』じゃないのかもしれない。
 今日、『お休み』といつもの様に別れたら、明日はもう会えないかもしれない。
 機械人形の暴走によりそんな日常になってしまった今、大切な人には今まで以上に全力で向き合わなければならないとそう思った。平和な日常であった頃の、のんびりとした向き合い方では大事な人を逃してしまう。彼女の髪型の変化にくらい、すぐ気付ける様な自分で居なければ。シキはそう気合を入れ直した。
「ねぇ、ウル」
「何?」
「あのさ、俺……俺さ……」
「ん?」
「その…えっと……」
「……どうしたの?」
 しかし、経験の少ないシキには、ムードも雰囲気も適切な言葉もタイミングも何もかも分からず。
 言いたい事は他にあったはずなのに、結局この日は『ウルリッカを労わる会』として二人でインスタントヌードルを啜らんと部屋に入ったは良いものの結局本当に夜食だけしっかり完食してガッツリ寝てしまったのであった。

 * * *

「シキってさ、絶対アレ・・だよね、ウルの事好きだよね?」
 ウルリッカを追いかけるシキを見届けたテディは心底呆れた表情でそう呟いた。ユーシンも常日頃彼を見ていて心当たりがあったのか、テディの言葉を肯定する様に頷く。
「本当シキってば、自覚……無さそうだよねー……」
「そうだよね……ウルリッカさんはどうなのかな…?」
「さぁ……?ウルは最初エミールと仲良かったんだけどね。朝とか二人ともうんと早起きみたいでよく一緒に庭掃除してたし」
「そう言えばそうだったね…その後普通に仕事行くんだから凄いなぁ、あの二人……」
 恋バナ好きのテディの観察眼を持ってしてもウルリッカの感情は読み取れない。そんな彼女だからこそ、シキがもし本当にその気があるならば本気で掛からないとと友達としてテディは思うのだが。
「……シキがあんなんじゃ色々遅そう……」
「色々って?」
「色々は色々だよ」
「何だよテディ、もったいぶらないでよ」
「ま、ユーシンもシキに負けず劣らずお子ちゃまだもんねー」
 テディの一言にユーシンも顔を顰め、ムッとする。彼のこのさも「自分は大人です」と言いたげな尊大な態度はどうにかならないものか。取引の場に行けばワガママ放題駄々っ子同然の、誰が呼んだか『ワガママ姫王子』と化す癖に。
「ユーシン、何考えてるのー?」
「……何でもない」
「あはっ、すっごい失礼な事考えてそーな顔!」
「………」
 どっちが失礼だ。
 テディは相手の事を慮れる性格や気質を持っている癖に、口にするのがいつも揶揄い混じりだったり冗談めかして言うのがタチの悪いところだ。今日だって、そう言うののせいで誤解を招く事があったりするのに。
 そんな風にして、各々が各々の心配をする仲の良いユーシンとテディ。
 考えてる事はそれぞれ違えど気になる事は同じな様で。次の日二人は揃ってシキに昨夜の事を聞いてみる。しかしシキは「特に何もなかった」としか言わないのでユーシンもテディも呆れ返った事は言うまでもない。
 シキよ、もう少し人間らしくあれ。
 何故こう言う時に微塵も兄貴ロードの影響を受けないのか。世の中そう上手く事が運ぶわけでもないのかと変な形で現実を見た気がした。