薄明のカンテ - たまには無駄な時間を/燐花
 リカ・コスタ。そのバーの看板はミクリカの少し裏路地を行ったところに怪しげにネオンを煌かせていた。ロードはスーツ姿のまますっとそこに入る。今日はマルフィ結社新規勧誘課として仕事を終えた場所がすぐ近くだったのでいつも以上に寄りやすかった。
「よぉ。誰かと思えばロードか」
「どうも」
「久しぶりー。あのテロの…直前ぶり?」
 店主が声を掛ける。仮にも飲食業の店主でありながらメッシュの入った長い髪を纏めず、一見男とも女とも取れぬ身をゴスパンクな服で包んでいる彼の名はヤサカ。リカ・コスタの店主でありロードとは旧知の仲だ。
「やはりあの時の掃除屋の片割れは貴方でしたか。と言うか隠す気ないですね」
「ん?守秘義務あったっけか」
「暗黙ですがね」
「ヒヒッ、あれは良い金になったよ」
 ここ座りますね、とロードはヤサカの目の前のカウンターに座る。すると、ほれ奢りと言いながら目の前に小盛りの揚げじゃがを置いた。ヤサカはニコニコしながら頬杖を付いてロードを見つめる。食べろ、と言う事だ。ロードが溜息混じりに一つ摘み口に運ぶとまるで何かをせびる様に、寄越せとばかりに手を出す。
「…美味しいです貴方の作る料理は相変わらず最高ですこの揚げ具合たまりません私にはまだまだとても真似出来ませんどうかこの未熟な私めにまたご指導いただけますと幸いです」
 めんどくさそうに一息で言うロードだが、ヤサカは満足した様に顔を真っ赤にし、バタバタと暴れた。何度も言うがここは飲食店である。
「はぁ…本当に、相変わらずですねこの変態め。お代以上に称賛の言葉を欲しがるってなんなんですか」
「ヒヒヒッ…俺にとって一番は俺を褒める言葉だからねー。あー気持ち良いー。あの口開きゃ減らず口しか言わねーロードが人に対して褒める言葉並べて剰え媚びへつらうとこ見れるとかあー気持ち良いー」
「心の伴わない口から出まかせでも良いんですね」
「お前だって頭に本命浮かべられりゃあ別に気持ち良くなるのは右手でも誰でも良いんだろー?」
「右手は否定しませんが。利害が一致しない相手と遊ぶのは意に反します。相変わらず良い感じに歪んでますねこのド変態」
 ヤサカは十年程前、ロードの料理の師をしていた過去がある。こんな見た目でこんな感じで実は料理の腕前は結構な物なのだと言う。彼の強みは食材を無駄に使わない事だった。食材はほぼ全て余す事なく使ってしまうが故にテロ後も壊滅した岸壁街の近くで店を開けられているのだが。
「相変わらずきな臭い店ですね」
「岸壁街行き損じた奴らが主な客なんだ。まあこうなるでしょ!ところで、酒飲むかい?」
「既製品ですか、ダメな奴ですか」
「後者」
「嫌です」
「えー?お堅いのー。せっかく作ったのにー」
「どうせ出すなら普通のください」
「えっとー。好きなのは何だっけ?蜂蜜酒?」
「違いますけどそれで良いです、ロックで」
「あいよ」
 グラスに注がれたそれをロードは一口含む。甘ったるい味が口の中に広がってやっぱりワインにすれば良かったと彼に思わせた。
「ただただ酒飲みに来たわけじゃないね?」
 唐突にヤサカが呟く。
「いや?飲みに来ましたよ?」
 ロードはグラスの中を見つめたままそう返す。
「ふーん。何ならあの日ロレンツォ達どんな風にバラしたか、聞く?」
「酒が不味くなりますね」
「あ、じゃあ俺と一緒に掃除屋やってたあの美人な女の子の話でも──」
 ガタタッと音を立ててロードは立ち上がる。そしてヤサカの身長を縮めんばかりに彼の頭を押さえた。口は笑っているがその目は全く笑っていない。
「ぜひ、聞かせてくださいませんかねぇ…?」
「おーい背が縮むよー」
 やれやれ、と手が退いた瞬間から頭を払うヤサカ。ロードは蜂蜜酒をまた一口含んだ。
「何なのよー。別にヤラシー目で見てたとか何も言ってねーのにさー」
「そんな事言ってみなさい、ここで殺しますよ。と言うか掃除屋は守秘義務こそありませんが、ベラベラ喋る貴方以外ほぼ正体を隠しているんですから。仕事に関わった事で狙われでもしたら困りますし…他の人には言ってませんよね?口滑らせて彼女がコミュニティにいた事を周りにペラペラ喋らないでくださいよ?」
「あれ?ヴォイちゃんて気付いてたの?」
「当たり前じゃないですか」
「ほーんとヴォイちゃんの事になると目の色変えるね」
「ずっと好きなんで」
「いつから?当時あんなにちゃんと見てなかった癖にねー」
 ギロリと射抜く様な目でヤサカを見る。ロードは懐からタバコを取り出すとそれを口に咥えた。
「あれ?禁煙したんじゃなかったっけ?」
「してますよ、禁煙」
「じゃあ何で?火ぃ点ける?」
「いいえ、こんな場所だからただのスーツでいるよりこの方が雰囲気が出るかと思っただけです」
「どゆこと?」
 たまには意味のない事もしたいんですよ、とロードは咥えたタバコを上に下に動かす。ヤサカはそれを見てウエーと言いながら舌を出した。
「…なーんか欲求不満になりそう。見てるだけでおかしくなる」
「食べ物扱ってるのにばかすかタバコ吸う貴方よかマシですよ。舌がバカになりません?」
「これでも昔より減ったよ。…なかなか買えねぇし」
「なら貴方もこれを機に禁煙しては?」
「禁断症状出るって」
「おや、禁欲するよかマシですよ」
「相変わらずな、お前の頭ん中」
「相変わらずはそっちでしょうよ称賛欲しがりの変態め」
「変態って単語絶対お前の口からは言われたくねー」
 ヤサカはひとしきり笑うとふぅ、と一息つき、真面目な顔でロードを見た。
「…何であの時ヴォイちゃんにアス行く事言わなかったんだよ?」
「……何ででしょうね?」
「理由ないの?」
「あっても結局彼女に言えてないので一緒です」
「だんまりか。あーあ、ヴォイちゃんもこんな男の何が良かったんだか」
「…良し悪しなど無いと思いますよ?部屋に鍵を掛けてましたし出るに出られなかっただけでしょう?」
「それがあの子が傍に居てくれた理由?自分で言ってて虚しくならね?」
「それが私のやった事の結果です。仕方ないですよ」
 ロードはただ咥えただけのタバコをカウンターに置いた。それもらって良い?と言うヤサカに若干引きながらも頷く。
「今はどうなの?」
「彼女からは絶賛嫌われてます」
「ヒヒヒッ!ザマァねぇー!何?それなのに追っかけてんの?」
「ええ」
「変なとこ一途ねー」
「いずれちゃんと向き合いますよ…とはいえ今は彼女を見ると自制が効かないのでいけませんが。男女問わず推しがたくさんいるんですよ、居るんですけどねぇ。私箱推しではありますしカップリング厨でもある一方同担拒否強火独占欲過激派ガチ恋勢でもあるんで推しと最推しが一緒にいるところを見るとどうしても相反する感情がぶつかって邪な気持ちや嫉妬が沸き上がってしまうと言いますか」
「お前も色々拗れてんなー気持ち悪り」
 はい奢り、と言いながらヤサカはタラ干しをカウンターに置いた。ロードはそれに手を伸ばすと一つ口に含み、例の如くまた口先だけの称賛の言葉を並べる。ヤサカは満足そうにまたバタバタした。
「ところで、貴方ここから離れる気はありませんか?」
 ロードが言うと、ヤサカは自分もグラスに酒を注ぎ一気に煽った。
「…何で?」
「私、今マルフィ結社で新規勧誘課に配属されていましてね。腕を見込んで給食部などどうかな?と思いまして」
「可愛い女の子いる?」
「いますよ?アイドル上がりのウブっぽい子が一人」
「んー…でもやめとく。俺ここ離れたらこいつら居場所失くすし。お前は俺を傍に置いてヴォイちゃんの事周りに話さないか見てたいんじゃね?大丈夫だって、お前揶揄う目的以外で言わねーから」
「少々癪ですが、信じて良いので?」
「当たり前」
「少しでも話したら二度と称賛の言葉は述べません」
「きついー」
「禁欲するよりマシでしょう」
「俺にとっちゃ褒められない事がそれだっつの」
 ひとしきり無駄な会話をした後、ロードは店を出た。彼の言う通り、ヴォイドの事をベラベラ喋らないか見張る為に置きたかったのは本当だが、腕を見込んで声を掛けたのも本当だ。
 まあ、断られたわけだしここにはプライベートでまた来れば良いか。ぼーっとそんな事を考えながら今日はホテルにでも泊ろうかと考える。
「デリヘル嬢でも呼びますかねぇ…」
 ふとそんな事も口にする。
 しかし、一時の夢みたくくだらない会話しか交わさない本当に生産性のない底辺レベルでくだらない時間だったなぁ、ととてつもなく失礼な事を考えた。
 くだらなさに巻き込まれて一瞬ヤサカレベルまで思考が堕ちてしまった。そんなとんでもなく失礼な事を考えたのと同時刻、ヤサカは激しいくしゃみに見舞われた。
「…いや、店に行った方が色々楽か…。今からだとどこの店が近かったですかねぇ?」
 しかし、眠る前に発散したい物もある様で。
 ロードはビジネスホテルへの道はしっかり歩みつつ風俗街に姿を消した。