薄明のカンテ - そんな生活を夢見てさ/燐花

祖父母と孫

 休憩時間があと少しで終わると言う頃。ギャリーは不意に携帯型端末を取り出し通話ボタンを押した。久しぶりに電話を鳴らしたのは、兎頭国にいる彼の祖母だった。
 うるさい年寄りだ、と寄ると触ると口喧嘩ばかりだったが、ギャリーが兎頭国から離れた今連絡はめっきり減り、気まぐれとは言え掛けた今日、彼は久々に聞く祖母の声に安心した。
 良かった。離れてしばらく経つがボケちゃいない様だ。
「祖母ちゃん?元気かい?」
『全く、やっと連絡してきたの?えらいおはるかじゃん。もっと早く連絡しても良いじゃない?』
「ごめんごめん。色々あってへぇ俺も連絡出来なかっただよ」
『色々って…電話するくらい出来るじゃないだ?』
「あー…」
 言えない。遊んだ女の子に薬盛られて寝ている間に全財産も当時使っていた端末も盗られてしかもそのままテロに巻き込まれただなんて。心配を掛けるから、と言うよりは「また煩く言われるから」を理由にギャリーは口を噤む事を決めた。
「俺も色々バタついててね」
『どうせまた女の子と何かあったずら?』
「……おう」
 バレてら。流石に母の母、嗅覚が鋭い。
『っとに、お前はいつまで経っても落ち着かないで…』
「いや、俺まだ何も言ってねぇよ」
『おうって言ったずら?』
「んなもん相槌だで」
『いやいや、お前が言葉に詰まらせる時は大体都合悪い時と相場が決まってんのよ』
 ギャリーの頭を「このクソババア」と言う言葉が過ぎる。全く、心配して掛けてやったに相変わらずの減らず口じゃねぇか。とは言え、長らく聞いていなかった祖母の声。ギャリーは故郷への郷愁を覚えながらしばらく取り留めのない話をしていたが、そろそろ仕事に戻らなければ。
「…祖母ちゃん、俺そろそろ仕事戻らないと」
『へぇ今は真っ当に生きてるかい?』
「いつだって真っ当だっての」
『お前はいつまで経っても“ごた小僧”だでね』
 ごた小僧。子供の頃から悪戯をすればよくそう言われて怒られたものだ。懐かしさに包まれて少し目を細めるギャリー。ちょっと良い気分になってきた。煙管でも吹かしてから帰るか。
 そろそろ切ろうかと電話向こうの祖母に言い掛けたギャリーは、次の瞬間いきなり電話を替わり飛び出した祖父の言葉に固まった。
『おい、お前。へぇ嫁さんいつ連れて来るだ?』
「…祖父ちゃん!?」
『曽孫の顔はいつ見せてくれるだ?お前、良い人くらいいるずら?』
「え?いや、その…気が早ぇよ祖父ちゃん…」
『俺ももう歳だでいつまでも元気でいるか分からねぇぞ?』
 ギャリーはこのやり取りが苦手だった。自分の体の状態や歳を憂いて心配するのは分かる、分かるのだが、年寄りと言うものは何故こうもすぐに己の年齢を人質に脅してくるのだ。大好きな祖父母から「もう永くないかもしれないぞ」と暗に言われ、当然良い気のしないギャリーは「こっちぁテロ後だ、こんな状態で無茶な事言うな」と一言残し電話を切った。とは言うものの、祖父の発した『嫁さん』『曽孫』と言う言葉はどうにもギャリーの胸の奥に引っ掛かって離れなかった。
 だってほら、やっぱり目下深刻に考える程にはモテたい。全てを包み込んでくれる伴侶は欲しい。
「んー…嫁さんの居る生活か…」
 ギャリーは頭を一掻き二掻きすると経理部に戻った。ちなみに電話が長引いた事もあり十分程遅れて部屋に入ったのだった。

 * * *

 いつもより呆けるギャリーを不安気に横目でチラチラ見るアルヴィ。ギルバートもギャリーの呆けっぷりに気付き、溜め息を吐くと若干イラついた顔で彼に目をやった。
 そう言えば、自分が来たのは年越し前後だがそれまでこの二人の仲ってどうだったのだろう?アルヴィはかつて彼が来てからギルバートが少し苛立つ回数が減ったと巷で聞いていた。確かに見ている感じ、生真面目過ぎるギルバートと要領は良いがそれ故にサボる事に情熱を注ぐギャリーの相性はお世辞にも良いとは言えない気がした。ただ、今その話を下手にするだけ藪蛇になるか。
「何をそんなに呆けてる?」
 アルヴィよりも先にギルバートがギャリーに声を掛ける。ギャリーはふうと息を吐くと遠くを見ながら呟いた。
「嫁さんのいる生活って何だろな…」
「よよよよ嫁ぇ!!?」
「ギルバート、何その動揺の仕方…」
「よよよ嫁と言う事はつまり、伴侶と言う事だよな…?」
 赤い顔のギルバートは誰を想像したのか赤い顔を更に赤くさせると首をぶんぶんと振り、その後何かに行き着いたのかいやに冷静な顔を見せた。
「いや…?それともギャリー、もしかして何か沼ったのか…?嫁とはその…そう言う事か?」
「何だよ沼るって。ってか何うずうずしてんの二次元の話はしないよ?俺は三次元しか興味無いから。って言うか『嫁』って単語も二次元ならあっさり使えるお前何なの?」
「で、では…」
「…文字通りの嫁さんだよ?」
「き、貴様白昼堂々不埒な事を考えるなぁぁぁあ!!」
「いや、何でだよ」
 ギルバートの照れるツボがちょっと面白い。アルヴィも少し噴き出すのを堪えて仕事をしていた。ギルバートがかなりのオタク趣味と言うのは知る人ぞ知るところだが、こうも反応が面白いと流石に笑えてきてしまう。
「っつうかもう何でも良いから乳を揉みたい」
 ちなみにアルヴィはこのギャリーの発言で噴き出した。
「やはり不埒な理由じゃ無いか!?全く何なんだ!?」
「えー?だって色々考えるの急に面倒臭くなって来たし…何で嫁さん欲しいんだろ?って色々考えて考えて疲れちゃった」
「ならば仕事に頭を使え!!」
「良いよなぁ…家に帰ればそこに好きな子が居るって……俺も癒されてぇ…」
「い、いや…それには僕も全面同意と言うかその感覚は物凄く憧れるものもあるが…」
「俺別に胸にこだわり無ぇし…巨乳は巨乳で目で見て癒しだけどちっぱいはちっぱいで背徳感あってとても良い…」
「ファンさん…?ウルをそんな目で見たら許さないですからね…?」
「ちっぱいがウルちゃんだなんて一言も言ってねぇだろ?もー嫌だこの拗らせオタクと重度のシスコンに挟まれんの…」
 ギャリーは楽しそうに頭を抱える。拗らせオタクと言われたギルバートが横を見ると、重度のシスコンと言われたアルヴィと目が合った。ギャリーを挟んで少しだけ取り乱した二人。改めて目が合うと、何だか急に恥ずかしくなった。
「あ…やぁ、アルヴィ…き、今日も元気か?」
「あ、うん…ベネットさんも、元気…ですか?」
「…何繰り広げられてんのこれ?獣の見合いみてぇだなぁ…」
 二人はボヤいたギャリーをキッと睨むと、声を揃えて「誰のせいだ!?」と怒声をあげる。結局この後、ギルバートは機械班の彼女の事が頭から離れず、アルヴィはアルヴィで愛しの妹がもしも彼氏なんて連れてきた暁にはと各々仕事に身が入らない午後を過ごした。

専門家でも判別しづらい

 茸と言うものは。
 奴らは菌から出来ている。一般的に高級な茸と言われているマツタケは、名の通り松の木から生えてくる。松の根に寄生する種類の菌で、その菌糸が地面より上に伸びる事で茸となる。故に松の木無くしてマツタケは生えない。有名なのはそんなところ。
 カラフルだから有毒、地味だから無毒かと言うとそうでもなく、期待を裏切る茸の代表格はタマゴタケでは無いかと思う。生食も可、とても美味だが色はとてつもなく鮮やかだ。
 恐ろしいのは、このタマゴタケによく似た毒茸が死亡事故も報告される程の毒を有していると言う事。タマゴタケモドキ、ベニテングタケ辺りが注意すべきところだが、特にベニテングタケは雨によりあの独特な白いイボが落ちてしまったりすると、その姿はタマゴタケと瓜二つだ。
 だから、山を登る事を趣味としている人に一番注意喚起したいのは「山の茸に御用心」と言う事だ。
 そもそも茸と言うのはサバイバルに向かない。
 無毒・有毒種の見極めがプロでなければ難しい食べ物な癖に、そのカロリーは凄く低く、エネルギーに変わりづらくそう言う意味で非常に扱いづらい食べ物と言える。

「でもぉ…セリカがお勧めするのはちゃんと市販で売ってるモノですし、ここは戦地じゃないですよぉ…」
 長々と言ったバーティゴに少し困った様なセリカの呟き。バーティゴは苦い顔を彼女に向けた。
「とにかく、私はそう言う理由で茸は食べないわよ、今日も!」
 そもそも何でお茶請けに茸のホイル包み焼きなんてあるのよ、とぶつくさ文句を言いながら茸の乗った皿をセリカに押しやる。セリカは唇を尖らせながら茸を口に運んだ。
「こんなに美味しいですのに…」
「美味しく食べれる人が食べてやりゃあその菌も本望だわ」
「…でも、美味しいものって分かち合いたくなりませんかぁ?」
「まぁ、そうねぇ…」
 代わりにナッツを口に運んだバーティゴの頭に浮かんだのは、赤茶色の色合いの男。正直顔はよく覚えていない。よく見えないし。しかし何だか少し前からやたらセリカにベタベタしている感はあった。
「もう…この間の茸の饅頭くれたあの男と食べりゃ良いじゃない…」
「え…」
「くれたくらいだから食べれるんでしょ?あいつも。私に食べさせようとするよりよっぽど有意義だわ」
「そうかもしれませんけどぉ…」
「何?」
「だってファンさん、たまに茸を下ネタに使うんですものぉ…」
「そりゃダメだわ」
 あっはっはと大笑いするバーティゴだが、セリカにとっては笑い事で済まして良いのか複雑な気持ちだった。ただ、おそらく自分の為だけに、彼が用意した甘い甜点心の中に一つ普通の点心を敢えて入れてくれたと言う事だけは少し自惚れて良いのだろうか。
「あんなに甘いものばかりの中にね。一つだけ肉と茸なんておかず的なもの入れるなんて用意の仕方がやるわねアイツも」
「本当に私の為に入れたんでしょうかねぇ…?」
「茸もらって喜ぶ人間なんてセリカしか知らないわ」
「そんな事ないですぅ…茸は結構な人間に愛されてますぅ…」
「ここに愛して無い人間がいるの忘れてない?」
 バーティゴはぼんやりとした目でセリカを見る。自分とはまた違う男絡みの苦労を一生懸命乗り越えてきたセリカ。自分は主に嫉妬を向けられた記憶があるが、彼女は彼女で理想通りの妻の姿を散々求められたと聞いた。形は違えどマイナス過ぎるそれを向けられた身としては、どちらもこの上なく卑しい情念に他ならなく見える。しかもセリカの場合、それを向けて来たのは本来一番味方であって欲しいと思う旦那だと言うのだから。
 まあ、そう言う目で見ない男も居るのは知ってるけど、と言う言葉とともにバーティゴはお茶を飲み干す。自分には絶対向かない。近い他人と言うのは厄介だ。一個ボタンを掛け違えて拗れたとして安易に離れる事が出来ないのが夫婦と言うもの。だからバーティゴも、かつて娘を産む選択はしたがその後も結婚には踏み切らなかった。男に囲まれて闘って、戦友と言う意味で愛した人はたくさんいた。体を許した男もたくさん居た。だけど、紙一枚で縛る気はなかった。と言うより彼女は彼女で一応理想の家族、理想の妻の姿があったはあったのだが、その理想通りに他人に愛情と優しさを注ぐ余裕も無かったしする気もなかった。長らく戦場のみが居場所であり、腕と足と視力の殆どを失くしてもそこに戻る事を渇望したのだから。普通の生き方、暮らしに憧れはしたけども。
 だけどセリカは、つい少し前まで歪であってもそれでも普通の主婦だった。だからついついその暮らしに身を委ねて穏やかに暮らしてくれたら良いのにと願ってしまう。
「…嫌ぁね、私もなるまいなるまいと思ってたのに歳とったもんだわ」
 親から結婚を望まれた時は突っぱねた。戦場が居場所だからと。そう言う人間も居るのだと。
 だが、いざ自分が誰かを慈しむ立場になると、その時突っぱねた若い自分の思い出を呆気なく忘れ、「誰かに愛されて幸せに生きて欲しい」と望んでしまう。
「お姉様…?」
「とにかく、茸は分かち合える人と食べなさいよ」
 それが誰を指すのか、と言う事よりもバーティゴがまた茸を拒否したと言う事の方が重要だったセリカは特に深く受け止めずただただ残念そうに頬を膨らませた。

 * * *

「どう?美味しいでしょ?」
「うん」
 もっもっ、と音を立てて包子を頬張るヴォイドをデレデレしながらギャリーは見つめる。
 やっぱり美味しそうに食べてくれる女の子って良いなぁ。スタイルの良い女の子が美味しそうに食べ物を頬張る姿なんてただただ眼福じゃないか、色々想像しちゃって。
 ──後ろから殺気を放つスーツ姿の死神さえ居なければ。
 ギャリーがチラリと背後に目をやれば、そこには瞳を三日月に歪ませたロード。ヴォイドは気付いて居ない様だが、ギャリーは居た堪れない雰囲気に苦笑いを浮かべた。
「ありがと。じゃあ私戻るね」
「あ、行っちゃう?じゃあこれ…アキヒロにもあげてくれや。後、ミアちゃんにも。それからアペルピシアちゃんとスレイマンが塩っぱいのと甘いのどっちが好みか今度こそ忘れずに聞いといてよ」
「あ、忘れない様に頑張る。忘れたらごめん」
「…次忘れたら流石にミアちゃんに頼むから良いけどね」
 医療班の部屋に戻るヴォイドを見送った後、ギャリーは背後に居たロードをチラリと見た。
「……良いじゃんお茶くらいしたってさ…」
「うふふふ、ええそれは勿論。すみませんねぇ、余りにも貴方が食べる彼女をエロい目で見ている気がしたのでついつい声を掛けるタイミングを見失ってしまいまして」
「…うそつけ、確実に牽制してたろ、俺の事」
「まあ、『もしもここで手を出したらどうしてくれようこの男』くらいには思いながら見てましたが」
「本当穏やかじゃないんだから…」
 嫁さんと言われた時、スタイルが好みのヴォイドを頭に浮かべてすぐ消去した理由にこの男の存在があった。彼女のセキュリティかと思わんばかりのこの男。見事に片想いを拗らせているこの男の目に一度射抜かれて以来彼の目を盗んでヴォイドとお茶をするのが日課になっていたが今日は運悪く見つかってしまった。
「そんな事より、貴方仕事はどうしたんです?」
「ん?休憩…かな?」
「…ここは経理部からかなり遠い休憩所じゃないですか。全く、さてはまたサボりましたね?」
「いやぁ、まあ」
「……そろそろベネットさんとアルヴィさんの胃に穴が空きそうなのでそう言う意味でもあんまり見過ごせないんですが、私としては」
 色々拗らせてる癖に仕事は出来る男なのでギャリーはロードが少し苦手だった。女の子関連で牽制と殺気を含んだ目を向けられて仕事関連でお小言を言われて、つまり会うと彼から食らうのってお小言ばかりなのだ。それはもうたまったものではない。
 だからギャリーは何とか彼の目線を逸らそうと話題を変える。
「それよりさ、俺今日実家の祖母ちゃんとこ電話掛けたらえらいけんまくで怒られちまって」
「…偏に貴方がちゃらんぽらんだからでは?」
「それアンタが言うかね。まあ、祖父ちゃんまで珍しく代わって『嫁はまだか』って言われちゃったわけ」
「ほう…」
「ロードは?年齢的にも結婚とか考えてたりするの?」
 ロードは一瞬何かを考えたがすぐににこりと笑うと「片想いを成就させなきゃ有り得ない話です」と口にした。
「いっそ凄ぇわ…」
「うふふふ…何年片想いしてると思ってるんです?」
「そんな長く一人の子好きで居られるもん?」
「少なくとも私はいられますね。と言うか彼女以外で好きだと思う人に会った事ありません」
「え?風俗行くのに?」
「それはそれ、これはこれですよ」
「まあ、それも分かるけど。生理現象と恋って割と別だもんねー。フリーで居ると尚更さ」
「うふふ、世間ではそんな私達をクズと呼ぶらしいですよ」
「え?フリーで居ても?別に特定の人居る訳じゃないんだからそのくらいは好きにさせて欲しいよ」
 煙草を取り出したロードを見てギャリーも煙管を取り出す。火を点けるついでにこっちも、と煙管を咥え、少し斜めに倒し丸めたたばこを彼の方に向けると、ロードは無言でライターの火を点けてくれた。
「んー、結婚…ですか…」
「あれ?気になる?」
「そりゃあ…私もいずれはと思ってますし…」
「でもヴォイドちゃん以外考えられないんでしょ?」
「うふふ、なので彼女と添い遂げられなければ一生独身で居るでしょうね」
「…その状態であの癖の強い弟と妹の面倒見るの?控え目に言って地獄だなぁー…」
「まあその時はひたすら遊んで暮らしますよ。彼女以外の誰かに人生を捧げたいと思えませんし」
 不思議なもので結婚を考えると何故か束縛の二文字がちらついていたのはロードも同じだったらしい。ロード曰くヴォイドとする以外の結婚は「法で縛られた契約」としか見えない様だ。確かに結婚とはそう言うものだが、それではロマンもへったくれもない。
「…漠然と束縛にしか思えないのって、俺がまだ遊んでたいって思うからかねぇ…」
「そもそも、何で急に結婚を意識したんです?」
「…祖父ちゃんが急に言ったから?」
「お祖父様の為に結婚したいと思ったのですか?」
「そんな殊勝な事は考え付かないけどね。でも、遠く離れてただただ心配させるよりかは、心配のタネは少ない方が良いでしょ」
「そうかもしれませんけど…この場合何が正解か私にも分かりませんねぇ…」
「……俺ロードの事エロフェッショナル寄りの博識だと思ってたけど、ロードにも分かんねぇ事あんだな」
「失礼な。誰彼構わずな貴方よりは節操ありますよ。故に分かりませんねこのテの話題は」
「本当、何だかなぁ。あ、愛の日俺休みだからオススメの店教えてよ」
「うふふ、良いですよ。ヘルス、ソープ、イメクラどれが良いです?」
「…何かもう全部網羅してる勢いじゃん」
 まだ遊んでいたい、縛られたくないとは思うもののただいまと言っておかえりと返される生活に憧れても居る。
 本当に明確に「結婚」が見えて来たのなら印象はまた変わるのだろうか。
 色々と判別が難しいなぁ、とギャリーは無言で煙管を吹かした。

人に優しく

 バーティゴは目の前に現れたテオフィルスに心の中で謝罪をする。先日自分がセリカの地雷を踏み抜いたが為に、全然関係ないテオフィルスを見る目が彼女の中で変わってしまったからだ。
「えっと、エレオノーラちゃん?そんなじっと見られると流石の俺も照れるぜ?」
 その声にバーティゴは現実に戻される。テオフィルスの表情こそ見えないが、何となく彼を困らせてしまった事は察した。
「あら、ごめんなさいね。それより貴方も機械班に用があったのね、メンテナンス?」
「ああ、まあね。俺のはそんな性能良いもんじゃないからさ。定期的にメンテナンスしねぇと動きが悪くなるんだ。ミサキちゃんに頼んで少し抜けさせてもらったんだけど…エレオノーラちゃんは?」
「壊したわ。だから修理ね」
「…相変わらず無茶な使い方してんなぁ…」
 女の子は体労った方が良いぜ?とは思いつつ、バーティゴの欠けた腕、足、視力の弱い目、顔に残った傷痕を見てその言葉は飲み込んだ。きっと彼女はそんな次元に生きていないから。バーティゴはそんなテオフィルスに特に遠慮もせず、彼の足に手を伸ばす。コツンと義肢に手が当たると、彼女はフッと微笑んだ。
「…幻肢痛は無いの?」
「んー…まだちょっと…かな…」
「ふーん?義肢のメンテナンスだけじゃなく体のメンテナンスもしに行ったら?医療班の青っぽい先生が泣くわよ?」
「い、良いだろ何だって…」
「ふふ、分かりやすいわね」
 しまった。急に逃げたくなった。そんなテオフィルスがキョロキョロ目線を動かすと、廊下の端にセーラー服が立っていた。
「あれ…クロエちゃん?」
「ああ…テオフィルス氏…と、バーティゴ氏?珍しい組み合わせですね」
 うふふふ、と笑いながら近付いてくるクロエ。何だか最近ますますロードに似て来たな、とは思うがそれを言うと恐ろしく機嫌を損ねるのでテオフィルスは言わずに飲み込む。
「ああ、紫っぽいの。相変わらずスラっとしてるわね」
「どうも。でもそれ褒めてんスか?」
 クロエは眉間に皺を寄せながら二人を見る。どうにも義肢が少し調子悪いのか歩きにくそうな二人の様子を見てクロエはどこからともなく杖を取り出し二人に差し出した。
「…使います?杖。今歩きにくいんじゃないですか?二人とも…」
 商魂逞しい彼女の良いところは、利益が絡まない時はただただ痒いところに手が届く存在となるところだ。二人は有り難そうにクロエの差し出した杖を受け取った。
「本当は松葉杖でもありゃ良いんですが…」
「いいえ、助かったわクロエ」
「本当気が利くよなー、クロエちゃん」
「…テオフィルス氏、義肢のメンテナンスついでに医療班行ったらどうです?あまり放置するとヴォイド氏が泣きますよ?」
 そんなところまで気を利かせなくて良い。
 クロエにまで出されたヴォイドの名にテオフィルスは言葉を詰まらせた。それをぼんやり見てバーティゴは溜息を吐く。
 やはり、髪色が似ていると言うだけで多分テオフィルスはセリカが思う様な人間では無いのだろう。何だか悪い事をしたが、まあ直接的な関わりはそんなに多くないから良いか、時間に解決して貰えば。
「…そう言やさっきからどうしたんだ?エレオノーラちゃん」
「ん?ああ、この間私が不用意に言った言葉でセリカがちょっと元気無くしちゃってね」
「セリカちゃんが?何でまた?」
「理由は言えないけどね。まあ、要は地雷踏み抜いちゃったのよ。そしたら嫌な事思い出しちゃったのか元気無くなっちゃって」
「…そんなセリカ氏におすすめなものがここにありますが」
 クロエは何処から取り出したのか茸栽培キットをチラチラとエレオノーラに見せ付ける。流石クロエ、セリカの好物は把握済みだが、栽培まで望むだろうか。
「本人に聞いてからね。流石に栽培までしたがるかは分からないわ」
 その瞬間。ガタタッ!と音がして何かが走り去って行った。バーティゴの目ではそれが何なのか判別が出来ない。ただ、状況から何かが自分達の話を聞いてそして去って行ったのだと分かった。
「…今、誰かそこにいた?」
「悪ィ…俺も完全に死角だったな…」
 クロエは顎に手を当てると少し何かを考え、
「そう言えば…さっきから兎頭国らしい服がチラチラ見えてたんですよねぇ…」
 と興味無さげに呟いた。

 * * *

 男なんて皆同じ。どうせ淑やかで三歩引いて歩いて常に男を立ててやるような女が好きなんだ。
 セリカは少し前のバーティゴとのやり取りを考えて少し眉間に皺を寄せた。もしもギャリーもそんなタイプだったらどうなのだろう?バーティゴは「多分違うんじゃない?」と言っていたが、ギャリーみたいな見た事ないタイプから想像するのはいまいち上手くいかない。まあ、どちらにせよ自分には関係無いが。
 前線駆除班の待機室でそんな事を考えながら一人女性誌を読んでいたらいきなり地鳴りの様な音が響き渡った。バーティゴはこんな走り方をしない。こんなに急いで来るとしたらどこの誰だろう?
 ゆっくり入り口に目を向けるセリカ。飛び込んで来たのは酷く慌てた様子のギャリーだった。
「セリカちゃん!!」
「はい?」
「セリカちゃん!へぇ痛ぇとこ無いだ!?」
「はい…?」
「本当に!?本当にどこも痛くねぇ!?」
 まさかもう義肢だったりしない!?そう言っていつものさり気なくする触り方でなく、思い切り真正面から抱きしめて来た上でわしわしと確かめる様に体に這わせるギャリーの手をぺしぺし叩き、生身ですからそんなに触らないでと言った上で彼の顔をまじまじ見た。
「私、至って元気ですけどぉ…?」
「え?本当…?ってか生身?あれ?…まぁず、おどけたぁ…!」
 訛り全開で大慌てに飛び込んで来たギャリーにセリカは疑問符を浮かべる。彼はどこの誰から何を聞いたんだろう?
「ファンさん?何をお聞きになってのこれですかぁ?」
「いや…俺もしっかり聞いたじゃねぇが…へぇセリカちゃんが元気ないとか、地雷踏み抜いたとか聞こえたもんでせ…そんなん聞きゃあ普通とんでくずら!?」
「えー…?それ多分、違うと思いますぅ…」
 地雷を踏み抜いた。それは多分、言葉通りの意味では無いし何か中途半端に立ち聞きした上で部分的に拾い上げた単語を聞いて血相を変えて飛んで来たのか。何となく、普段はペシペシ叩いて離すように促すギャリーの手を今日は好きにさせてあげようとセリカは思った。
 ギャリーは何となく考えた。自分が気持ちを注いで、注いだ分だけ返してくれる相手がいたら確かに幸せだなぁ、と。よくよく考えれば祖父母も若い頃そんな経験を経て今しわくちゃな顔で一緒にいる訳で、それは奇跡の様な事なのだろうな。
 腕の中のセリカの温もりに少し顔を緩めながら、ギャリーは口煩くも自分にそれを求める祖父母の気持ちが分かった気がした。
『誰に教わったでもないのにね、人を好きになると言うのは子供の成長で一番嬉しい事だでね。だからちゃんと、そう言う気持ちにさせてくれた人を大事にしましょ』
 自分の愛する子がそう言う人を見付けてくれたら。それは親と言う立場にしてみれば一番望む幸せかもしれない。まあ、それでも小さな反抗心が「まだ早いんじゃないか?」と少し不機嫌な顔を見せる事もあるが、それでもそれを望む側の気持ちも少し分かった気がしたから、次に電話する時は祖父母の言う事に「そうだね、そうだね」って、肯定してあげるのも良い孝行かもしれない。
「あの、ファンさん」
「ん?」
「先日はありがとうございましたぁ。美味しかったですよ、茸とお肉の包子」
「え…?」
 腕の中、至近距離でセリカが何を言うかと思ったらまさかの先日彼女の為だけに用意した包子の味の感想。改めてこんな呑気に会話出来ている人がそんな大怪我を負っている訳がないと認識し、ギャリーは少しずつはやる心臓を落ち着かせて行った。
「あの茸、肉厚で…厚めに切ってあったので肉汁も染みてて美味しかったですぅ…敢えて食感を残す感じの切り方が素晴らしいですねぇ…餡自体の味も甘辛くて、少し控え目な味になりがちな茸に上手く相性よく絡まっていて…中に入ってた筍も美味しかったです。私も作ってみたくなりましたぁ。ファンさんから貰ったあの包子、本当全部美味しかったんですよ」
 腕の中で微笑むセリカ。彼女の事でここまで心を乱されたり安心させられたりしたのかと思うと何だか嬉しい様な悔しい様な、でも安心した様な。
「セリカちゃん…」
「はい?」
「そんな頬染めて茸だ筍だ連呼しなんでくれねぇ?何かやたら卑猥に聞こえて来た…!!」
「あ、ファンさんへの好感度が最大百だとしたら三になりました、今」
 発想が変に偏って子供ですねぇ、と言いながらギャリーの腕からするりと擦り抜けるセリカ。ギャリーはしばらく何とも言えない顔で彼女の事を見つめていた。

ごたこいてまぁ

「はぁ……」
『これ、お前。お祖母ちゃんとこ掛けて来たと思ったら溜息しか吐かないでどしただい?』
「いや…祖母ちゃん…もし俺が年上の未亡人とか連れて来たらへぇどうするだ?」
『何言ってるだ?ンな一度でも誰かと夫婦生活送って苦労知ってる様な大人の人がね、お前みたいなごたくそ相手にする訳ないずら?』
「クソババア」
『へぇ夢みたいな事言ってなんで仕事しましょ』
 意外に祖父母孝行が充実しているギャリーは今日も祖母に電話を掛けていた。相変わらず掛ければ口喧嘩にはなるものの、不意に聞いた事を否定されなかったのは嬉しかった。そうか、年上の未亡人紹介しても特に何も言われない…のか…?
「ファンさん?何してるんですかぁ?」
「セリカちゃん!?」
「もしかしてまたサボりですかぁ?ダメですよぉ?あんまりサボってベネットさん怒らせたら…」
「ちょ、セリカちゃん、しーっ!!」
 時既に遅し。突然現れたセリカの言葉が聞こえたのか電話向こうで祖母の怒声が響き、ギャリーは慌てふためいた。
「…今さ、田舎の祖母ちゃんと電話繋がってるもんで…」
「あらあら…」
 意外と「お祖母ちゃん子な良い孫」と言う姿のギャリーを少し微笑みながらセリカは見つめる。電話向こうからは彼の祖母と思しき女性の声が響いていた。
「祖母ちゃん、もう仕事戻るでへぇ切るでな。え?何?セリカちゃん?ああ、結社で知り合った同僚さんだよ。挨拶?要らね要らね、どうせ祖母ちゃん余計な事言うずら?良いから体に気を付けましょ。はいはい切るでな」
 セリカの目の前でギャリーは力を込めて端末を切る。セリカはやけに疲れた様子のギャリーを微笑みながら見つめた。
「はぁ…変に疲れた…何か祖母ちゃんとの電話って楽しいけど疲れんだよなぁ…」
「ふふ…お祖母様の事大事にされてるんですねぇファンさんは」
「…ただの年中反抗期な孫と年中怒りまくりのオババの会話だよ…」
「そう言う何気ないものが善いんじゃないですかぁ?」
 そう言えば、セリカに代わりたいかの様な事を言っていたようだが本当に挨拶もせず切ってしまって良かったのだろうか。そうギャリーに聞いてみるが、ギャリーは空を見つめ数秒考えるとしどろもどろ「別に大丈夫…」と繰り返し呟くだけだった。

『だらしのないごたくそな孫ですが末長く仲良くしてやってください』
 だなんて、そんな何の関係にも至ってない女の子に言う事じゃねぇだろ祖母ちゃん。

「ふふっ。お祖母様と仲がよろしくて、羨ましいですぅ…」
「…そんなに?」
「ええ、はい」
「んー…まあ、俺も祖母ちゃんの事は大事だけどさ…」
「良いですねぇ、互いに気兼ねなく言い合える仲と言うのは」
「…俺はもうちょいお上品な関係を夢見てた気がするけどね…」
「え?お上品?ファンさん…ファンさんにお上品なんてそれは無理がありますよぉ?」
「あれ?これ俺ちょっと泣いて良い事セリカちゃんから言われてない?」
 そんなやりとりを経て、なかなか戻らないギャリーはやっぱり今日もセリカを巻き込んでサボりに勤しんでいた。彼女を買収するかの如く目の前にサッと包子を差し出す。中身は茸と肉だ。買収される気はないが、茸は好きなので貰っておくと言って受け取るセリカ。
 そんなセリカの手に繋ぐ様に自分の手を伸ばし掛け、ハッとしたギャリーは気付かれないようにそれを引っ込めた。

 * * *

 休憩に出たギルバートは珍しくボーッとしていた。ギャリーが変な話題を振るから先日から集中出来なくなったぞどうしてくれる。
 嫁さんなんて単語を持ち出すから一瞬沼ったかと期待したのに。
「全く妙な事にばかり頭を使いおって…あいつはそう言う事しか頭に無いのか…!?女性みたく上品な顔してる癖に中身がとんでもないからな…」
ボーッとする頭をリセットさせようと休憩室まで足を伸ばす。何か飲み物でも買おうかと自販機の前に立つと、背後からだだだだっと音がした。
 気付いた時にはギルバートの尻に何かがもの凄い勢いでぶつかって来た後だった。
「い、痛ぁっ…!!」
 あまりの衝撃に尻を押さえるギルバート。涙目になりながら振り返ると、そこにはひっくり返ったマジュがいた。
「マジュ、危ないだろう!?前を見て歩かないとダメじゃないか!?」
 言ってからギルバートはハッとした顔をする。以前こんな物の言い方が高圧的で嫌だとテディに言われたのを思い出したのだ。怒鳴っているつもりは無いが、どうにも自分の言葉には棘があるらしい。気を付けてはいるのだが。
「よ、よそ見をして走り回ったら怪我をするだろう?」
 つとめて優しく言い直してマジュに手を伸ばす。ひっくり返ったマジュは泣くでもなくじっとギルバートを見つめると、彼の手を取る事なく起き上がり、そして口を開いた。
「おっちゃん、だれ?」
「おっ……」
「知らないおっちゃんについて行くなってアン姐言ってた」
 おっちゃん。
 おっちゃんか。
 おっちゃんなのか?僕。
 まあ、マジュからしたらおっちゃんみたいなものか。
 え?でもおっちゃんなのか?

 頭の中でおっちゃんがゲシュタルト崩壊したギルバートは涙目になりながら立ち尽くす。マジュみたいなお転婆な子の事なんて言うんだっけ?ああ、そうだ。ギャリーは確か「ごたくそ」とか呼んでいたなぁ。

 ちなみに、アンから聞いてほぼ一方的にマジュの存在を聞いていたギルバート。五回くらい顔を合わせていても覚えないマジュに当然存在の認知をされている筈がなく、ギルバートは途方にくれた。
 この日、いつもの様にサボり気味なギャリーだったが、ギルバートの怒声はそれはそれは小さい物だったようだ。