薄明のカンテ - それはのろいのぱじゃまです/べにざくろ
お話の中にびーえる、な要素ともとれる展開があります



 退屈。
 密かに出てきそうなアクビを周囲に悟られないように噛み殺して、カクテルグラスの縁を指でなぞる。
 フロア中に大音量で響き渡るEDMもナタリアの心を弾ませてくれなかった。
「ねぇ、ナタリア。合コンの彼とはどうなってるの?」
 友人に声をかけられてナタリアは目線をカクテルグラスから友人達へと向けた。今夜の仲間は2人。その2人が興味津々とばかりの目でナタリアを見ている。
 ナタリアは彼女達と、さらに別の友達とで半年程前に他大学の人間と合コンをした。その時に「成立」した彼とのことは隠すことでもないので、ナタリアは平然と答える。
「別に、まだ続いてるけど?」
「マジで? あ、めっちゃ金持ってて貢がれてる的な?」
「うっわー、悪女じゃーんっ」
 勝手な事を言ってゲラゲラ笑う友人にナタリアは眉を顰めた。不快だとばかりの表情をナタリアがしていても2人は微塵も気にすることもなく、更にナタリアに問い掛ける。
「何ヶ月?」
「半年」
「半年記念に何買ってもらったの?」
 友人達はナタリアがハイブランドのバッグや宝石を貢がれたと言う事を嬉々として話すことを期待しているような顔に見えた。しかし、残念ながらナタリアが貰ったものは違った。
「百合の花束を貰ったわ」
 一度も花束を貰ったことがないと何となく言っただけのナタリアに「半年記念だ」と言って彼は百合の花束を贈ってきたのだ。嬉しくて部屋に飾りたかったが部屋に花瓶なんてなかったため、結局花瓶も買ってもらったのも良い思い出だ。そして彼が百合の花を選んだ理由も、これまた何となく好きな花は百合だとナタリアが言ったからに他ならないが、それは恥ずかしいので黙っておく。
 そして、ナタリアが花束を貰ったと聞いた友人達の反応はある意味でナタリアが予想していた通りの爆笑だった。「ありえない」「マジないわ」とゲラゲラと笑う友人達の、「男から花束程度・・しか貢がれない女」になったナタリアを見る目には嘲りの色が含まれていて、ナタリアは彼女達の中で自分のランクが下がったことを理解する。
 所詮、友人なんてそんなものだ。誰が女として一番か、いつも水面下で張り合っている存在にすぎないのだから彼女達に言うべきではなかった。
「マジでウケるよねー。くれるなら換金出来るもの寄越せって感じなんだけど」
 内心を押し殺して、ナタリアは笑って彼女達が望みそうな言葉を紡ぐ。
 しかし、思ってもいないことを並び立てるのには限界があってナタリアが言葉に詰まりそうになった頃、同年代の軽そうな男が声をかけてきて会話は強制的に終了となった。
 相手が二人組だったのを幸いにナタリアは帰ることにした。ナンパしてきた男達は友人達の好きそうな顔立ちだったので友人達からも異論はない。
「なんかゴメンねー」
「またねー」
 罪悪感の欠片もない友人達の謝罪を背に、ナタリアはクラブを出る。
 帰り道、思い出すのは百合の花束とそれをくれた彼のことだ。
 付き合って半年はナタリアの歴代彼氏の中で最長で、彼は大学のレベルからして将来有望だし、偉そうに喋るところは腹が立つときもあるけれど結婚してやっても良いと思う。結婚したら勿論、子供は欲しい。名前は何にしようか。出来るなら一緒にお洒落が楽しめる女の子が良い。
「バカみたい……」
 思わず虚空に呟くが帰路を進むナタリアの妄想は止まらない。
 百合は藤語でリリー。
 そして、ナタリアと彼の名前には共通で「リア」という部分があった。この共通点から合コンで話が盛り上がったのだから、是非とも子供にも入れてやりたい。
 彼の名前の文字数と合わせるなら「リリア」なんてどうだろうか。
 いや、折角ならば自分と同じ文字数が良い。
 ナタリアの中に一つの名前が浮かび上がる。
 そうだ。
 娘が出来たら「リリアナ」と名付けよう。

 * * *

「ねぇ。今日はもう泊まっていけば?」
 部屋の主人であるナタリア恋人の申し出に、リアムは喜ぶ顔ではなく呆れたような顔を見せた。ナタリアもリアムも大学進学に合わせて一人暮らしをしている身であり、互いの部屋を行き来することは珍しくなかったが、ナタリアの申し出に何故彼は呆れたような顔を見せるのか。
「生憎、着替えを持ってきていない」
「大丈夫よ。買っておいてあげたから」
 なるほど。着替えを持ってこないことを気にしていたらしい。
 ナタリアは部屋の端に寄せておいた紙袋を取りに行くと中身をリアムに見えるように広げた。下着は新品、パジャマは彼女が良く行く古着屋でいい感じのパジャマがあったのでそれを買ってきた。
 無地で色も派手じゃないパジャマなのでリアムが嫌がる要素は無いはずなのだが、何故か彼は嫌そうな顔を止めてくれない。
「何が不満なのよ?」
「……いつの男のものだ?」
「失礼ね! 中古でも店で買ったものよ!!」
 リアムはそれでも不服そうな顔だったので、その顔に向かってパジャマと下着を投げつける。適当に投げたものの怒りのおかげか、見事にリアムの顔にそれらはクリーンヒットした。
「ナタリア……物を投げるな」
 つまらないくらいド正論のリアムの顔からはパジャマと一緒に眼鏡もずり落ちていた。眼鏡がとれたリアムは物がよく見えない為に眉間に皺が寄って目付きが悪くなる。人によっては「睨まれている」と不快に感じる顔であるが、ナタリアとしてはこのリアムの顔も嫌いではない。
「あーら、ごめんなさい?」
 全く謝罪の気持ちのない口だけの謝罪を唇に乗せて、ナタリアはリアムに近付くと落ちた眼鏡とパジャマ達を拾い上げた。
「返せ」
 そう言って手を出してきたリアムの手にパジャマ達だけ乗せるとリアムの眉間の皺が増えた。彼が「返せ」と言っている眼鏡は自分の手に持ったまま、ナタリアは空いた手の指でリアムの眉間を軽くつつく。
「知ってる? 眉間に皺を寄せてると癖になって取れなくなるのよ?」
「別に困ることではないだろう」
「困るわよ。あなたの不機嫌な顔が余計に不機嫌顔になっちゃうじゃない」
 そう言うとナタリアの予想通りリアムの眉間に更に皺が寄って、ナタリアは楽しくなってケラケラと笑った。
「全く。何が楽しいのか理解に苦しむな」
「あなたの顔が楽しいに決まっているじゃない」
 ナタリアの言葉に呆れたようにリアムが溜息を吐く。それは「もー、君は馬鹿だなぁ」なんて甘い雰囲気でなく「馬鹿か、貴様は」とばかりの態度なのだが、それでもナタリアがリアムを嫌いにならないのは不思議なことだ。
 額の皺をからかう様に撫でつつ、さり気なく甘えるようにリアムの身体に擦り寄ると、いつもなら何だかんだと言いながらも応えてくれるリアムの眉間の皺が深まった。
「……何が不満なのよ?」
「いや、次は何を頼みたいのかと思ってな」
 裸眼のリアムの目はハッキリと見えていないであろうが、テーブルの上に乗っている資料達に向けられていた。それはボーデンリヒト連邦共和国のとあるマイナーな短編小説のコピーであり、今日リアムがナタリアの部屋に来た理由である。
 ナタリアは外国語文学専攻の学生だ。授業の課題で出されたボーデン語の小説を原書で読むことを求められたが、ナタリアは楽をしようと翻訳版を探した。しかし、そこは教授の方が上手うわてだ。課題作品にはカンテ語の翻訳版の出回っていない作品を選んであり、ならばと藤語版を探しても存在しない。ではラシルム語版は、と探しても当然存在しない。過去に誰か同じ課題を受けた学生が翻訳を載せているサイトが電子世界ユレイル・イリュのどこかにはないかと必死に検索をかけても存在しない。
 結局、辞書を引きながら読まなくてはならなかったが、それにはもはや残された時間が少なかった為にナタリアはリアムを召喚した。学部が違うが、リアムは地頭が良い。クドクドと文句を言いつつも彼はナタリアの思っていた以上の速さで課題を手伝ってくれたのだ。
 要するにリアムはナタリアが他意なく甘えたというのに「まだ手伝う課題があるのか」と言っていた訳だ。ナタリアが甘えてあげたのに、だ。
「もう頼むものは無いわよ!」
 怒りを露にするナタリアを「どうだか」とリアムは鼻で笑った。
 そんなリアムに向かって暴言を吐き出したい気持ちになったナタリアだが、上手い言葉がなかなか出てこない。
 そして、ようやく飛び出してきた言葉は。
「せいぜい今夜は悪夢を見るといいわ!」

 * * *

 眠るリアムの身体に触れてくる人がいる。
 犯人は同じベッドで寝ているナタリアだろう。
「ナタリア……止めろ……」
 眠くて開かない目のまま、どうにか絞り出すように声を発するがナタリアは手を動かすのを止めてくれない。
 とりあえず抱きしめてしまえば止めてくれるのではないかと思い、彼女を抱きしめて頭を撫でる。彼女の良く手入れされた髪は艶々で撫でると気持ちが良い。
 しかし、何か違和感があった。
 抱き締めている身体が硬いような気がする。
 背中まで長く伸びているはずの髪が、短いような気がする。
 それでも自分と一緒に寝ているのはナタリアしかいないのだから、これはナタリアに違いない。何か違う気がするのは気の所為だ。
 睡魔に負けているリアムはそう結論付ける。
「うふふ……」
 ナタリアを抱き締めたまま眠りの世界に旅立とうとしたリアムの身体が聞こえてきた笑い声に固まった。それはナタリアの声ではない。艶がある美しい声ではあるけれど低くて、間違いなく男の声だ。
 では、今自分が抱いているのはナタリアではない・・・・・・・・
 リアムは非科学的なことは信じない人間だ。
 しかし、今自分の身に非科学的な事が起きている。そう感じていた。
「愛していますよ、■■■■」
 再び男の声がした。明瞭に聞こえている筈なのに、男が「誰かの名前」を呼んだとリアムの脳は理解しているのにその名前は言語化されない。
 抱き締めている身体を突き飛ばしたかった。
 目を開けて正体を確かめたかった。
 しかし、思うだけでリアムの身体は何一つリアムの思い通りに動いてくれなかった。歯痒い思いをしていると男が動く。衣擦れの音一つさせず、手を動かしてリアムの頭をそれはそれは愛しい者のように撫で始める。
 撫でる手から痛い程に男の愛情が伝わってきていた。
 それはきっと「■■■■」へ向けた愛情をリアムが何故か体験している状態なのだろう。
 甘い甘い優しい手。
 それを受けたリアムは。
「いい加減にしろ!!」
 ブチ切れて目を開いた。
 目の前には驚いた表情をした綺麗な顔の男が横になっている。
 黒い髪、黒い目。端正な顔立ちの男だ。それらは理解できるのに、顔全体がボヤけたように見えてどんな顔か細かく記憶することは出来ない。
 驚いた顔をしていた男だったが、やがて困ったように微笑む。
「起こしてしまいましたか? 申し訳ないですね」
「貴様、何者だ」
「おはようございます、■■■■」
 残念ながら会話は通じていないようで、この黒い男にはリアムが「■■■■」という名前の――おそらくは黒い男の恋人だろう――に見えているのだろう。
 男にばかり注意が行ってしまっていたが、見回してみると部屋もナタリアの部屋ではなかった。ただ、こちらも「ナタリアの部屋とは違う部屋」と脳が理解はするが、何が違うということは不思議と理解できない。
「■■■■」
 黒い男が恋人の名前を呼んで太腿を足で挟む様に絡み付く。
 当然、絡みつかれているのはリアムの脚であってリアムは黒い男が情欲に染まっていることを、男の生理現象・・・・・・から理解せざるえなくなってゾワリと鳥肌をたてた。
「や、止めろ、馬鹿」
「うふふ。もう止まりません」
 何でさっきは会話にならなかった言葉が今度はちゃんと会話になっているのかとか、自分の声が黒い男には■■■■の声に聞こえているのかとか、そもそも身体付きが違うだろうとか、ツッコミたいことは沢山あった。
 しかし、それに対してツッコミを入れる前に自分がナニを突っ込まれそうな危機だった。

――嗚呼、悪夢だ。早く目覚めてくれ。

「――パ! パパ!?」
 ペチペチと小さな手が頬を叩いている。
 目を開ければ、そこには不安そうに自分を覗き込んでいる愛娘のリリアナがいた。
「リリ、おはよう」
「おはよう、パパ。ねぇ、とっても苦しそうだったわ」
 不安そうな顔をするリリアナをリアムは安心させるように頭を撫でる。
「少し悪い夢を見た気がしたが、リリのおかげで助かった」
「悪い夢……?」
「ああ。だが、もうリリのおかげで全部忘れて大丈夫だ」
 嘘である。
 しかし、その優しい嘘に安心したのかリリアナが「良かった」と笑うのでリアムは数年ぶりに見てしまった悪夢を、その瞬間だけは忘れることが出来たのであった。


悪夢は続くよどこまでも

 缶コーヒーを一口飲んでカフェインを身体に染み渡らせると、リアムは盛大な溜息をついた。休憩所には誰もいないので気を遣う必要も無い。
 今日の夢見は最悪だった。
 かつて恋人のナタリアが買ってきたパジャマ、あれを着て寝ると夢の中で「謎の黒い男」に迫られるのだ。最初は偶然だとも思ったが、あのパジャマを着て寝た日にだけ「謎の黒い男」が自分を「■■■■」と愛し気に呼んでくる。尚、当時、ナタリアに過去の男かと聞いて怒られたのは言うまでもない。
 そのパジャマは捨てた事で怨念が深まったりしたら怖い為、不要品を集めていた寄付に出した。おそらくは慈善事業の一環として岸壁街にでも送られていることだろう。
 つまり今のリアムはあの呪われたパジャマを着ていないにも関わらず、夢に見てしまったという訳で。もはや自分には逃げ道はないのであろうか。
「非科学的な……」
 本来は霊魂や呪いの類を信じていないリアムは思わず呟いてしまう。しかし、あの夢を毎日見るようになってしまったら安眠どころの話ではない。リリアナに余計な心配をかける前に何か方法がないか探らなければ。
「お、リアム? 何か疲れてるな」
 床を見つめて解決方法を模索していたリアムに男の声がかかる。顔を上げると汚染駆除ズギサ・ルノース班のテオフィルス・メドラーがいて、彼も自動販売機でリアムと同じ缶コーヒーを買うと近くにドカリと座った。その彼の顔を見たリアムはある事に気付く。
「そういうメドラーも随分疲労が蓄積しているようだが」
 二人は時々休憩所で顔を会わせれば会話をする程度には顔見知りだった。お互いにハッカーという共通点があり――会話をするうちにブラックとホワイトという敵対関係にある事に気付いてお互いに深掘りするのは止めた――何となく会話をする仲である。
 そんな訳で一応は相手の体調を気遣い合うくらいのことはする。
 リアムもテオフィルスも、寝不足のような顔であったからだ。
「今日は昔見た変な夢を久しぶりに見て最悪な気分なんだよなー」
 夢。
 テオフィルスの言葉にまさかと思ったリアムは思わず反射的に問い掛ける。
「それは黒い男の出てくる夢か?」
 テオフィルスの目が丸くなる。
 その驚愕の表情に、リアムは自分の勘が当たってしまったことを悟った。
 どちらともなしにリアムとテオフィルスはお互いに悪夢の話を語り合う。語れば語る程、それは奇妙な程に一致していた。
「なぁ、その夢見る時ってパジャマ着てなかったか?」
「就寝時ならば着ているものだろう……?」
 そう言いつつもリアムも、おそらくテオフィルスも嫌な予感がしていた。
 見ている夢が一緒ならば、着ていたパジャマももしかして――?
「俺がそのパジャマを手に入れたのは――」
「私は悪夢が辛くて早々に手放して岸壁街の寄付に――」
 時期はピッタリと合っていた。
 恐る恐る二人はパジャマの特徴を呟き合う。
 言えば言う程、恐ろしいことにパジャマの特徴は一致していった。平凡なパジャマであったが、これだけ一致すると同じものだとしか考えられなくなる。
「メドラー、あのパジャマはどうした?」
「俺だって持ってたくなかったから仕事仲間の男にくれてやった……今は瓦礫の下かもな」
 岸壁街はテロによって瓦解している。テオフィルスも脚を失って仲間に連れられて上に避難して以来、岸壁街の面子とは顔を合わせていないので他の仲間の生死も何も知らないままだ。故にパジャマどころかくれた男の安否すら不明である。
「……すまない」
「別に謝ることじゃない。岸壁街で人が死ぬなんて日常茶飯事だからな」
 こともなげにテオフィルスは言うが、リアムは気まずくなって話題を打ち消すようにコーヒーを飲んだ。
「おや、珍しい組み合わせですね」
 二人の会話の沈黙を破ったのは新たな登場人物であるロード・マーシュだった。休憩所の入口から声をかけてきた彼を何となく見つめたリアムとテオフィルスだったが、ある事に気付いて徐々に顔色を青くしていく。
 黒い髪、黒い瞳。
 ロードの持つその色は決して珍しい色ではないが夢の中の黒い男と一緒だと思った瞬間、夢の中のハッキリしないでいた黒い男の顔にロードがピタリと嵌ってしまったのだ。
 リアムもテオフィルスもロードという人間を深く知っている訳では無い。
 しかし、何故か妙に夢の「黒い男」に当て嵌めるとしっくりと来てしまう。不思議な一致もあったものである。
「いやー、たまたま会ったんだよな……リアム?」
 顔色の悪いままロードへ適当に誤魔化すように笑ったテオフィルスは同意を求めるようにリアムを見て絶句する。そんなテオフィルスにつられてリアムの顔を見たロードも同じように言葉を失った。
 リアムの顔色は青色を通り越して白くなっていた。そして、顔色を心配するテオフィルスとロードの前でリアムが大きく目を見開くと薄茶色の目がありえないほど上を向いた。
「おい!?」
 リアムの手から缶コーヒー(これは幸いにも空だった)が零れ落ち床でカランと音をたてた頃、リアムの身体は力を失い後ろへ倒れそうになる。すんでのところで近くにいたテオフィルスと休憩所の入口から素早く駆け込んだロードが彼の身体を支えて床に頭を強打することは避けられたが、白目を剥いたままのリアムの顔は本気で怖い。
「……生きてはいるな」
 テオフィルスの言葉に素早く脈を確認していたロードが頷く。
医療ドレイル班へ運びましょう。私が背負いますよ」
「悪い」
 義足のテオフィルスは他人を背負って運ぶことは出来ない。手伝いとしてロードにリアムを背負わせることが精一杯だ。
 素早くリアムを背負ったロードに付いて、テオフィルスは医療班へと向かう。
「ヴォイド、急患です」
 医療班にはヴォイドがいた。そんなヴォイドにロードが手早くリアムの容態を話す。しかしながら彼女と話すことに喜びを感じてると思わしきロードを見ていると、リアムを連れてきたのは最初からこれが目的だったのかとテオフィルスは思わざる得ない。
 現に今、ベッドに寝かされたリアムを診察するアキヒロ達の傍にいることなくロードはヴォイドに話しかけ続けているのだから、テオフィルスの考えは間違っていないだろう。テオフィルスだって男を見ているより女を見ている方が良い。しかし、一応は今はリアムの方を心配しておくことにした。
「血管迷走神経反射性失神ですから安静にしていれば問題ないでしょう。転倒の際に怪我がなくて何よりです」
 診察をしたアキヒロの言葉にテオフィルスは胸を撫で下ろす。リアムも診察しているうちには意識を取り戻していたので、これで一安心だ。
「総務部にはフユが連絡を入れましたから、今日は早く帰って休んでくださいね」
 そう言ってアキヒロはベッドから離れていく。そんなアキヒロの後ろ姿に会釈をするように頭を動かしたリアムは、次にテオフィルスを見た。
「気を失っている間はあの夢を見なかった」
「そうか……」
 そう言われても「じゃあ毎晩、気を失うようにして寝よう」とは思えないためテオフィルスの返事は鈍いものだった。言ったリアムも別にこの方法を推奨したい訳ではなかったためテオフィルスの反応にさしたる反応も見せない。
「目を覚まされたようで何よりです」
 その時、ロードがそう言って二人の元にやって来た。彼は、ヴォイドと満足する量の会話が出来たらしく何となく浮かれているような空気をまとっていて、テオフィルスは密かに嫉妬するが顔には出さぬように気をつけながらロードを見る。
「安静にしてれば問題ないってよ」
「そうですか。良かったですね、シュミットさん」
「そ、そうだな」
 ロード親衛隊だったら歓喜の悲鳴を上げそうなロードの煌めく笑みを向けられて、リアムは再び悪夢の黒い男を思い出したのか少し良くなった顔色がまた少し悪くなった。
 それを見たテオフィルスとしてはまたリアムが気絶するのではないかと気が気でなかったが、浮かれているようなロードはそれに気づく様子もなく上機嫌そうに「では仕事に戻りますね」と去っていく。
「今日からあの夢の男の顔がアイツになりそうな気がする……」
「同感だ」
 テオフィルスが嫌そうに呟いた声に、リアムも嫌々ながら頷いた。

 * * *

 リアムはいつも通りの夢の中にいた。
 いつも通り・・・・・であるから、黒い男の出てくる夢である。
「■■■■」
 相変わらず男の言っている名前らしきものは言葉として認識されないのは変わらない。しかし、今夜の夢はある意味では想像通りというべきか劇的な変化があった。
 黒い男の認識できなかった顔が、ロード・マーシュになっていたのである。
 当然、声もロードのものである。
「最悪だな……」
 ロードにベッドへ組み敷かれていたリアムは虚無の顔で呟く。
 相手が知っている顔になると余計にこの状況が辛い。辛すぎる。
 愛おしそうにリアムの頬を手で撫でるロードの目は柔らかく蕩けていて、マルフィ結社の中で見るロードよりも幾分幼くも見えた。ロードは結社内でも優しく微笑んでいるが、それが作り物の仮面なのではないかと錯覚する程に今のロードは本当に微笑んでいて――まぁ、結局は全部リアムの妄想にすぎないわけであって真実はどこにもないのであるが。
 一頻りリアムの顔を堪能していたロードが、ふと真剣な顔になる。
 その顔で見つめられたら女性ならば恋に落ちても仕方ないだろうと思える顔立ちだが、リアムは女性でもなければ男性に恋愛感情を抱くことの無い異性愛者なので変わらず虚無の顔でロードを見上げるだけだった。
「■■■■、私は行かなくてはなりません」
「行く?」
「ええ。少し遠くへ行かなくてはならないのです」
 愛しい■■■■と離れるのが辛いと目が訴えているのに、それを押し殺すようにしてロードは微笑みながら言う。それは自分が離れるのが寂しいと■■■■に悟られないように無理をしている顔で、おそらくはロードが悲しめば■■■■が悲しむからと感情を隠しているのだろう。
「そうか」
「ええ。また、いつか会えると信じていますよ。■■■■」
 ロードはそう言ってベッドから降りる。
 自分の上からロードが退いたのでリアムが上半身を起こすと、この夢の部屋にはドアがあることを始めて認識する。もしかしたら夢の展開上、たった今都合よく生えてきたのかもしれない。
 そんなドアの前に立ったロードがドアノブを握って回そうとして、しかしその動作を止めてリアムへと振り返った。
「■■■■」
 ロードがもう一度名前を呼ぶ。
 「また会える」と言っていたのに、もう二度と会えないとその目が言っていた。
「お元気で」
 そして、しっかりとリアムを見つめてからリアムが何か言うよりも早く意を決するように部屋を出ていく。
 その後ろ姿を見て、リアムはロードに自分の姿が■■■■にしか見えていないことを願うしか無かった。これは全て■■■■に向けた言葉なのだから、自分が受けるものでは無い。
 ロードと■■■■の今生の別れ。
 それを追体験させられたような気分だった。元々は黒い男はロードの姿をしていなかった訳だが、ロードのように結社内でもモテる男ならばこういう別れをした女の一人や二人いたところで何らおかしくはない気がするから違和感はない。
 何はともあれ男は去った。
 リアムは悪夢の終焉を予感していた。
「疲れたな……」
 疲れを取るはずの睡眠なのに夢の中で酷い疲労感があった。
 疲労感に導かれるまま、リアムは起き上がった身体を再びベッドに沈める。
 瞼が重い。身体が重い。夢の中なのに、とおかしな気分だ。
 それでもどこか開放感を胸に抱いて、リアムは夢の中に訪れた睡魔へと大人しく身を委ねた。 

 * * *

「夢がアイツだった」
 昼食時。
 たまたま時間が合ったのか出会ったテオフィルスは開口一番リアムに告げてきた。
「奇遇だな。私もそうだ」
 『アイツ』が誰かなんて聞く必要もなくリアムは頷く。テオフィルスも不思議とその反応を予想していたらしく、苦笑いに似たものを浮かべた。
「じゃあ、アイツいなくなったよな?」
「……ああ」
 もはや夢の内容が被っていることを疑いもしないテオフィルスの問いだったが、一笑に付すこともなく再びリアムは頷く。
「後でロードに感謝の品を送らないとな」
「珈琲ギフトでいいだろうか」
「じゃあ、シュミット。手配はよろしくな。俺も半分金は出すし」
「任せておけ。高級なやつ・・・・・を贈る」

 後日、ロードの元には御礼として「コピ・ルアク」が届けられ、嬉しさと微妙な気持ちになるロードがいたとかいないとか。