薄明のカンテ - それいけ!出稼ぎ料理人/燐花

ダブルワークを始めましょう

「──では、週に数度調理をお願い致します」
 スキンヘッドと言う出立ちながら威圧感が無くパリッと真面目そうにスーツを着込んだ男性を前に、つい今し方やっと質問責めから解放されたからか「へいへい…」と疲れ果てた豆腐の様な男は手をヒラヒラと力無く動かす。
 スキンヘッドの男性は、そんな豆腐男の事をじっと見つめると一つ咳払いをした。
「……何だよ、まだ何かあるのかよ……」
「いいえ……ただ……」
「ヒッヒッヒッ……分かってんよ、俺の事信用ならねぇんだろ?皆まで言うなよー」
 男も自覚はしている。自分は上層とは言え岸壁街の出であり、普段はこのテロによって事情を抱えざるを得なかった人間達の集まる拠り所の様なバーを経営しているからだ。
 流石に裏稼業の事や反社会組織との繋がりは一切口にして居ないが、それを引いても自分が信用に足る人間では無いと言う事を男は理解していた。
 おまけに自分の格好。男は今日、この男性と顔を合わせるからと一張羅で彼を出迎えた。少しお洒落に立てられた襟、胸元にはところどころ大きなボタンが散見し、ベルトやチェーンの付いた所謂ゴスパンクな衣装に合わせて軽く化粧もして。それが世間一般に『よく見る』格好では無いと言うのも分かっていながら、それでもこれが自分の原点だからと言わんばかりに。
 しかし、男性はキョトンとした顔を見せると首を横に振る。
「いえ、貴方が信用に足る足らないは今はまだ判断出来ないよ」
「あ?」
「少なくとも第一印象はクリアしてるんだ。俺は貴方と話してて印象としては悪くない物を抱いているよ。それに、試しでいただいたスープも美味だ。ただ……同じ飲食の者としてソレ・・だけは気になって、ね?」
 ソレと指差されたのは男の顔である。男はさわさわと自分の顔を触ってみるが、今ひとつ男性に何を指摘されたのか分からない。すると男性は、茶目っ気たっぷりに自らのスキンヘッドを撫でた。それによってやっと男は指摘されたのが自分の暖簾の様に長い前髪だと気が付いたのである。
「あ……コレか」
「そうそう。君の店では良かったかもしれないけどね。結社の厨房に立つならソレ、切るか纏めるかしてくれないか?」
 どっちにしろ、それは男にとって容易に飲み込める条件では無かった。彼は自分のその目と髪の色で今まで理不尽な目に遭わされて来たのだ。しかし、そんな事目の前の男性には何ら関係がない。自分が被った理不尽と、整った治安と衛生観念から髪を上げる事が基準になっている事など。
「……もしかしてジェレミー、その為にスキンヘッドにしてるわけ…?」
「いやいや、コレはただの趣味だよ。喫茶店のマスターのビジュアルとしてはお洒落かと思ってね」
 男はそれについても了承し、書類にサインを記載する。スキンヘッドの男性──ジェレミーはそれを受け取ると、にこりと笑って手を差し出した。
「ようこそ、マルフィ結社へ」
「ま、俺週二、三回程度の臨時調理だけどね」
「それでも有難いさ。ウチは慢性的に人手不足だから」
「そーかい」
「給食部は特に、機械人形も一緒にやってくれてるとは言え人が一人でも欠けると大変でね。君が手伝いでも来てくれたら嬉しいよ。よろしく、ヤン」
 差し出された手を握り返すと、男はニヤリと笑いながら独特な笑みを浮かべた。
「……実はさぁ、俺自分の名前に馴染みが無ぇのよ」
「え?どう言う事だ?」
「まぁ、俺に変なあだ名が付いた辺りが俺の転換期って言うか。このあだ名で呼ばれる前の俺は、あんまり俺が好きじゃなかったのよね」
「あぁ、なるほど。では、君の事は何と呼べば?」
「……ヒヒヒッ、気軽に『ヤサカ』って呼んでくれたら嬉しいぜ」
「あぁ、よろしくな。ヤサカ」
 豆腐男──ヤサカはジェレミーと談笑しながらふと思いを馳せる。マルフィ結社への出稼ぎの契約をしたのだが、そんな彼には下心があった。
 連絡をすれば結社の新規勧誘課が面接に向かうと言われたのだ。あの碌に連絡も寄越さず自分の誕生日も忘れる薄情な七三男がやって来て、出稼ぎに行くと言う自分の発言に驚いて目を剥くのではないか。ほんの少しそんな事を期待したのだが。
「……来ねぇーでやんの……」
 代わりに来たのはスキンヘッドの男性であり、風貌に若干『裏の者』感があったのでヤサカは一瞬「ここが墓場か!?」と覚悟したのだが杞憂に終わり、ジェレミーとは飲食を経営する者同士話も合ったので良しとする。
 斯くしてヤサカはマルフィ結社の通行手形を手に入れた。
「あ、ヤサカ。出来たらシンプルな格好で来てくれ。その大きなボタンの服、襟が大きいしダメだ。と言うかその服高いだろう?食堂だと匂いが付くぞ。それからその髪も纏めて前髪は上げてくれ。後それから、メイクもするなとは言わないがするなら薄くしてくれ。頭に巻いてる包帯も、理由が『怪我』ではなく『お洒落』ならば外す事。後その耳の安全ピンも……」
「わーわーわーわー!!何だよジェレミー!!急に注文多くなりやがって!!」
「いや、君の出立ちがあまりにも飲食業でないものだからさ。こちらはそのくらい注文するよ。さて、君は本当に結社に来てくれるかな…?」
「……おぅ。まぁ良いよ。普通の企業に勤めてたらね、きっとそうなった筈だしね」
 彼のあまり得意でないシンプルな格好で来いと言われたので、ヤサカはとりあえずとくたびれたTシャツの中でもまだ綺麗な物を漁り始める。ジェレミーは彼の出してくれたお通しの味に満足していたからか、少し嬉しそうに「じゃあ、頼んだよ」と呟いた。
 ヤサカは箪笥を漁る手を止めると厨房に戻り、用意しておいた次の小皿を持って来る。そこに盛られたのはキャベツだが、何やら油で和えられているのか少しだけ黄色に輝いていた。
 ジェレミーはそれを受け取ると、フォークを手に取り口に運んだ。
「……おぅ。人目に付かせるのは慣れないけど、シンプルな服で行ったろーじゃん」
 ヤサカがそう呟くと、ジェレミーはちょうど小皿のキャベツを口に運んだところだった。
「ああ。君のこの副菜はとても美味しいな。この味付けならキャベツが無限に食べられる。塩とこれは…兎頭の調味料を使ったアシューアの味付けだね。だけどアヴルーパの人間の味覚に沿っていてとても食べやすい。きっと野菜嫌いの子供も喜んで食べるだろうな。是非この腕を結社で震って欲しいな」
「……もっかい言ってくれる…?」
「え?何をだい?あ、君のこのキャベツの副菜の事かな?あぁ、今まで自分でも喫茶店マスターとして色々開拓してはいたがこんなに美味しいキャベツは食べた事がないからね。さっきのスープもだ。普段捨ててしまう野菜の切れ端だと聞いて驚いたよ。余すとこなく使える君の手腕も是非頼りたい」
「ヒヒ……ヒヒヒッ…ヒーッヒッヒッ!!!」
 ヤサカには妙な癖がある。彼は褒め言葉に弱く褒められると普通の人間よりも異常な程の快感でもって受け取るのだ。
 普通に喜ぶと言うよりは、何と言うか、『悦ぶ』の方が近いかもしれない。
 悶える様にもんどり打って悦ぶ彼の姿を見てジェレミーは少しだけ判断を誤った気がした。この姿は子供の教育には悪い気がする様な。
 しかし彼の手腕を褒めた言葉に嘘偽りはない。だから様子を見る事にした。
「ヒヒヒッ……あー気持ちいー…」
「……良いけど、それ子供の前では出さないでくれよ」
「いやはや何ともエクスタシーだよね」
「だから出さないでくれよソレ」
イきそう
言っとくけど厨房でそれやったらクビ切るからな
「え!?マジ!?」
「褒められていちいちそんな悶えられてたら仕事が進まないだろ?時には我慢だよ、我慢」
 やはり上層とは言え岸壁街の人間。
 一癖も二癖もありそうだなとほんの少しジェレミーはげんなりした。

食堂の皆と仲良くしましょう

「──で、そん時そいつがさー、もう大変で大変で!」
「あはは!ヤサカさんっておもしろーい!」
 マルフィ結社に来て数日でヤサカは受け入れられた。ジェレミーの計らいで『岸壁街出身』と言う部分は人事部が把握しているのみで特に公にしなくて良いと言う話になり、給食部メンバーには伝えられなかった為スムーズに受け入れられたと言う部分はあったのだと思われる。
 何せ給食部には岸壁街出身者を未だ目の敵にしているジュニパー・モンクスフッドが在籍しており、彼女は結社入社直後に医療班の女性とトラブルになっていたからだ。
 この騒動はジュニパーが一方的に敵意や嫌悪を剥き出しにしていたと言う事や、嫌悪を向けられた女性メンバーが意にも介して居なかったと言う事から大事にこそならなかったものの、同僚の給食部メンバーには一部嫌な思い出として残ってしまってはいたのだ。そんなジュニパーが、ヤサカが『岸壁街出身』だと聞いてまた不機嫌になる事を避けようと「明かさない」と言う選択肢を取ったのだった。仲が良くなった後に明かすか明かさないかはヤサカ本人に任せると言う形だ。
 目論見通りジュニパーは『岸壁街出身』と言う肩書が無ければ相手に対して親切なもので、むしろ女性の扱いも話も上手く料理の腕に長けたヤサカに初日から分かりやすくハートを飛ばしている。曲がりなりにも接客が本職なのでこの空気は当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
 同じくエミールもヤサカの兄貴然とした空気感に安心しているのか(はたまた同じ空気を感じてか)いつも以上に朗らか且つ楽しそうに彼を交えて仕事をしており調理場の空気は明るい。
 ただ一人。ヤサカと苦い思い出とを重ねて見ているヒギリを除いて。
「よ!ヒギリちゃん!!」
「……はい…」
「んー?どうしたー?元気無いー?」
「いいえ…」
「俺がヒギリちゃんの元気引き出せる様に頑張っちゃおっか?」
「だ、大丈夫なので!お気遣い無く!!」
 ヤサカの雰囲気から発せられる言葉全てがいかがわしく思えてならない。そんなこんなで突っぱねてしまうヒギリ。突っぱねられたヤサカは理由も分からずポカンとしていたが、そんな彼に寄ってきたジュニパーはヒギリの事を放っといて良いとそう言った。
「あの子、気分屋なんですよー!ゆったりやってたと思ったら急に慌てたり、振り回されるこっちは大変なんですよー!」
「なるほどねぇ」
 ジュニパーの方が相当気分で振り回すタイプに見えるが、まぁ黙っておこう。本当の事を言ってここで本当の意味での『気分屋』がそれを遺憾無く発揮してしまうのも良く無い。
 しかし、このままよく分からない避けられ方をしていては自分の仕事に対するプライドもきっとそれを許さない。
 ヤサカはヒギリとの微妙な距離感を感じながら、過去にロードに結社に誘われた時、『可愛い女の子いる?』と聞いたところ彼曰く『アイドル上がりのウブっぽい子が一人』と返された事を思い出してヒギリに当たりを付ける。
「なるほど…アイドルって何かの比喩かと思ったけど、本当にアイドルな訳ね」
 タイガの様な特殊な性質と違い、ただただ一般より得意と言う程度のレベルだが人の名前と顔を一致させやすいヤサカ。彼はその特技でもってヒギリが過去にアイドル雑誌で見た少女、ローズ・マリーであると悟った。
 しかし、同時に彼女がその事実をひた隠しにしているのでは無いかと言う事も悟ってしまう。彼女の過去を知ったところでこれからどうすれば距離を縮められるか分からずしばし考えた。
 先程も元気を引き出す為に彼女の好きそうな野菜や果物をブレンドしたスムージーでも頑張って作ってやろうかと思ったのだが、どうも彼女には別の意味に聞こえてしまった様だ。
 自分のシンプルだが程々にだらしない格好と、化粧する事が前提の様な顔立ちとを見ればそう言う男性が苦手な女性からは警戒をされるのもまた然りだと分かってはいるのだが。
「……ヒッヒッヒ……想像力逞しい子なのネ。エッチだなぁ」
「何が丁稚なんです?」
 急に声を掛けられ振り返ると、そこに居たのはエミールだったのだが彼は訳の分からないことを言っていた。
「は?デッチ?でっち?ダッチ?ビッチ?何?」
「え?今丁稚どうこうと聞こえたのですが…奉公のお話ですか?」
「ミリもしてねぇよンな話」
「そ、そうでしたか……」
 しゅんと萎む様に落ち込むエミール。それにヤサカは少し違和感を感じる。彼がエミールに抱いた印象だと、こう言う時に反発して来る様な気がしたのだが。
「いや、そんな話はしてねぇけどさ……ってかそのダッチだかリッチだかって何なの?」
「あ、はい!ええとですね…有り体に言えば修行の一環です」
「ほうほう。んで?」
「東國では昔盛んに行われていた制度なのですが、幼い子供がよその家に仕えて勤める事を言うのです。私は、それも修行の一環と思っていますが」
「へー!!ガキの頃なんて鼻垂らして適当に生きてるくらいしか記憶無ぇのになー!エミールは?そう言うのやった事あるの?」
「……いいえ、私がこの道を目指したのは本当に最近の話なので。若い頃は…どうですかね、『仕える』なんて言葉も縁遠く『勤める』なんて意識も無い、手の付けられない大莫迦者でしたから」
 あ、やっぱり。
 ヤサカは何となくエミールの耳に沢山のピアス穴がある事に目敏く気が付いた時から何と言うか、同じ荒れ方をした人間の匂いを感じ取っていた。とは言え実際には超能力では無いので何となくその様なアタリを付けて発せられる言葉からそう推測したに過ぎないが。
「ふーん……エミールの過去ってどんななの?」
「私ですか?私は本当に大莫迦者でした……きっと私のせいで要らない傷を負った人も居たでしょう……。わ、私の事は良いんです、それよりヤサカさんこそ、昔どんな感じだったんですか?」
「え?俺?」
 自分の過去こそおいそれと人には言えない。
 そう思ったが為に結局ヤサカもこれ以上言う事ができず、二人揃って内に秘めた物を抱えながら表面上和やかに流すしかなかった。
「いや、まぁ…やっぱ過去より今よ今!!」
「え?」
「エミールが昔どんな奴だったかなんて俺はこの際良いのサ!」
「ヤサカさん……」
「今俺が出会ったエミールがどんな奴かって事が重要なわけでさ!!過去にヤンチャしてても少なくとも俺には関係ないのサ!!」
 誤魔化す様に、空気を吹き飛ばす様にむしろから元気を飛ばす。
 エミールはキラキラした瞳をしながら「流石です!」とヤサカに向けて来る。その挙動から「おそらくヤンチャしてた」であろう事が丸わかりなのだが、そんなに分かりやすくてこの男大丈夫だろうか。
 その時、ヤサカは自分の発言にはたと気が付く。そうだ、過去は関係無い。今その人がどんな人間か、それだけが重要だ。
 そうだ、ヒギリにも同じ様に接すれば良いのだ。
「……良し!待ってろよヒギリちゃん…!!」
 絶対に距離を詰めてやる。
 そう息巻く気配を感じてか、ヒギリは別室でゾワっと鳥肌を立てた。
「うぅ……あのヤサカって人絶対チャラ男だよぉ……!」
 彼の薄い眉毛は整えられていて、あれは描く事で完成されるタイプの眉毛であろうと思う。彼の肌のきめ細やかさも、普段からケアしているであろう事が伺えるし、多分そうなのだろう。年齢の分かりづらいケアの仕方をしている人は凄いとは思う。思うのだが、ヤサカがヒギリの思う通りの人間だとしたらそれはつまりヒギリにとって苦手なタイプの人間だと言う事だ。
 金髪だし、かつて好きになったエルッキを彷彿とさせてしまうから。

食堂の皆と更に距離を詰めましょう

 トトトトトトトン。
 リズミカルにまな板を叩く音と共に、ヤサカの目の前の根菜は綺麗に細かく切れていく。
 ただいまの時刻は午前七時。昼に提供する野菜スープに入れる為の野菜を仕込んでいるところだ。
 朝が早いので泊まる部屋を用意すると言われたのだが、断ったヤサカは普通に店からやって来た。
 断った理由はただ一つ。前日に『オトモダチ』である女性と会う約束をしていたからだ。一晩中彼曰く『プロレスごっこ』に勤しみ、少し休む。どうせこうなると明け方に中途半端に目覚めてしまうのでむしろその時にしっかり起きて、眠る彼女を部屋に残してそのまま出て来たのだった。まぁ、店と自室は繋がってはいるがレジだけは用心して鍵も掛けているしその鍵も金庫に隠しているので特に不利益を被る心配はしていないのだが、それ以上に彼が少し後悔しているのはほぼ徹夜状態で来てしまった事である。
「ふぁあぁあっ……」
 マスクの中であくびを一つ。それでも流石に手慣れていると思うのは、こんな状況でも彼は手元を狂わさずに切っている事にある。
「おはようございます、ヤサカさん」
「おぉ。エミールおはよーさん」
「随分と眠たそうですね」
「まーね。徹夜しちゃったもんでさ」
「え!?徹夜ですか!?何をされていたのです?」
「え?あぁ…オトモダチを呼んでベッドでプロレスごっこだよ」
 何となく濁してみたが、案の定エミールは察しなかった。どころか、目を爛々と輝かせ始めた。
「プロレスごっこ!?懐かしいですねー!私も昔は学友とよく巫山戯合ったものです!あまりにも白熱して燃え上がってしまったから相当煩くしたのだろうなぁと、烈火の如く怒る父を思い出すとそう思いますね!」
「………」
「あまりにも声が煩かったのでしょうね!『おい!オメェら煩ぇぞ!もう少し声抑えろ!』なんて怒られても私は中途半端に反発してしまって、その内父もこの騒ぎに加わってしまったので終いには母に怒られて……」
「……ごめん」
「え?何がです?」
 ごめん。勘違いさせた上に変な妄想してごめん。
 そんな事をヤサカが思ってるとは露知らず、エミールはにこにこしながら卵を溶いている。
 結局エミールは本当に「プロレスごっこ」だと思ったまま話が噛み合わず昼になった。昼になると今度は調理と同時に食券の受付も業務に加わる。それはヤサカも例外では無く、ジュニパーが横に付きながら受付の流れ、食券の処理、そして食事の出し方を教えて貰った。
 あんなにハートマークを飛ばしていたジュニパーだが一変、仕事中はある程度の厳しさも見せた。なるほど、常に一定の厳しさがあるからある程度誤解されやすいタイプでもあるのか。
 そう思いつつ結局その厳しさもジャンルが分かれており、且つ気分と対峙する人間で変わる辺りやはり彼女は「職場に居ると厄介なタイプ」と言わざるを得ない。
「ちょっと、モナルダさん!何でそこのゴミ捨てしてないの!?」
「え…ゴミ捨てって…この人数捌いてたら出来るわけないよ!それに私ゴミ捨てなんて言われてないし!」
「はぁ?言われてなかったらやらないわけ?気にして見て判断するなんて常識でしょ!?そんな事も分からないの!?」
 ヤサカはじっとその様子を眺めて思った。それは絶対にヒギリの仕事では無いと。
 ヒギリは今日受付の中でも一番忙しい入口側をポジションにしていた。当たり前の様にメインの業務は受付になり、他の事まで手が回らない。おまけにジュニパーの言う「そこのゴミ」とは入口側に居るヒギリからは一番遠い位置にある。むしろそれで言うならばそのゴミから一番近いのはエミールであり、彼はちょくちょくゴミの前を通っていたのでうっかりで忘れてしまっていたと咎めるならばエミールの方だ。
 人によって求めるレベルを上下させる。なるほどこれは厄介だ。
「まぁまぁジュニパーちゃん!気付けた人がやれたら一番良いわよね!?私も忘れてたわ!気付き次第私も片付けるわね!ごめんね!」
 若干空元気に見えなくも無い元気さでモリーが上手く間に入る。ジュニパーも慕っているモリーに言われたからかバツが悪そうにそっぽを向いた。ヒギリはヒギリで特に落ち込みもせずに人知れずそっぽを向いているジュニパーに『白目を剥いて鼻を膨らませながらロバの様に前歯を剥き出しにして挙げ句の果てには舌を出してベロベロ動かす』などと言う、およそ年頃の女性が他人においそれと見せてはいけなそうな変な顔を向けていたのでその強さを垣間見たヤサカは「まぁ、ぶつかるべくした二人がぶつかってんなァ…」とそんな感想を抱いた。
「ヤサカ君ごめんなさいね、ジュニパーちゃん悪い子じゃ無いんだけど、ちょっとヒギリちゃんに厳しいところあるから」
「い、いやまぁ…ヒヒヒッ…。にしてもリーシェールさん凄いね…見習いたいわ、その厭味無く上手く間に入るやり方」
「ほほほっ。おばさんは若い乙女の小競り合いなんて気にしないからよっ。後で何言われたとして全く気にしないからそんな無茶な入り方出来るの。年取ると図太くなるのよ!でも若い子達はそうはいかないじゃない」
「いやいや年齢関係ねぇよ。マジそれリーシェールさんだから出来る事だって。尊敬の念を込めて『モリちゃん』ってお呼びして良い?」
「あらやだ!そんな風に呼ばれる歳じゃないわよー。そうね…モリおばちゃんなら良いかな」
「おばちゃん……レディをおばちゃん呼びって慣れねぇなぁ、ヒヒッ」
 岸壁街は劣悪な環境だ。
 年寄りらしい年寄りが居ないのは、皆平均寿命より若い頃に病気や事故で死ぬからだ。
 だからある程度の年齢を重ねると自ずと知り合いは皆同年代か年下ばかりになる。モリーくらいの年齢だと手入れや自己研磨の習慣を持つ人間の少ない岸壁街では実年齢より二十歳くらい上に見えてしまう。そして気付いた時には海神の子となって海に還ってしまうのだ。こんなに若々しく充実した年の重ね方をする人間と言うのはヤサカから見ると新鮮だった。
「サコーさん、キャベツの千切りもお願いします」
「サコーさん、魚もお願い出来ますか?」
 モリーと話を終えると同時に話し掛けて来た二人にヤサカは驚いた。そこに居た二人は髪の色からしてどうにも人間では無いのだ。確かノエとネリネ。メンバー一覧の中に居た機械人形の二人だ。二人の髪色はまるでお揃いなのかと思わんばかりの綺麗な薄緑だった。
 機械人形には少しだけ良く無い思い出がある。それは他でも無い、自分がそう呼ばれて苛烈な嫌がらせを受けた思い出だ。
 だから今まで避けて生きて来たところもある。そんな機械人形と対峙した事で一瞬だけヤサカの目から光が消えた。
「…サコーさん?どうされました?」
「もしやサコーさんも魚が苦手ですか?」
 そうだ。ここはマルフィ結社。郷に入れば剛に従えと言う心掛けが無いとやっていけない。機械人形に友好的なところに居る以上は、彼等とも仲良くしなければ。
「あ、あのさ……」
「はい?どうされました?」
「魚が苦手な方なのですか?」
「いや、その…『サコーさん』ってのやめて!?何かこそばゆい!!」
 しかし、ヤサカにとって機械人形の存在よりもゾワゾワしてしまったのは慣れない名字呼びであった。
「…なるほど、皆さんが『ヤサカさん』と呼んでいたのは存じておりましたが…私どももそう呼んで良いと?」
 ノエは給食部の人間には名前呼びをしていた事を考え、彼の求める愛称で呼ばないと言うのは仲間外れにされた様に人間は考えるのか?と理解した。
「……サコーさんはサコーさんでは?」
 ネリネはクーデレ故に淡々と丁寧に、人間で言うところの分からなそうな声を上げた。しかしそれは致し方ない事で、ネリネは主人に求められてクーデレになったのだ。そうプログラムされている為、基本的には塩対応である。
「……俺は可愛い女の子には『ヤサカさん』か『ハニー』か『ダーリン』って呼ばれてぇの。それが女の子のみならず女の子の形してりゃあ機械人形も対象だってのに今気付いた。おっぱいと穴さえあるなら俺はモテたい」
「おやヤサカさん、それはセクハラ案件になりかねませんので気を付けなければならないものですよ?」
「え?マジ?ンだよ、皆さん随分お上品なのね」
「多分、サコーさんの思考回路が一等下品なだけかと」
 機械人形の二人とも打ち解け、とりあえずノエからは愛称呼びを賜ったヤサカは先程可哀想にジュニパーの責め苦を食らったヒギリの下へ向かった。
 一足先に休憩に入っていたヒギリは誰とも会話を交わす事無く静かに休憩に入り、外のベンチに座ってぼーっと端末を眺めながらスープを口にしていた。
 ロードから断片的に聞いた前情報の所為で一瞬特別視してしまいそうになるが、こうして見ると普通の女の子だ。
 そして普通の女の子だと言う事は、先程のジュニパーとのやり取りは堪えているに違いない。少なくとも、自分が思っていた程「平気」と捉えて居ないだろうと思うのだ。
「よ!ヒギっちゃん!」
「……どうも…」
 いきなり声を掛けてきた上愛称呼びなヤサカにあからさまに迷惑そうな顔をしたヒギリだが、そんな事は気にせずやってきたヤサカは彼女の隣をトントンと指差すと「座って良い?」と尋ねた。
 この流れで断るわけにも行かずヒギリが少しだけ躊躇いがちに頷くと、意外にも少し隙間を空けてヤサカは隣に腰を下ろした。
「んー……ここ気持ち良いねー!ヒギっちゃんいつもここで食ってんだ?」
「いつもじゃ無いけど……まぁ、ちょっとした時とか…」
「ちょっとした時って例えば?あー…嫌な事があった時とか?」
 ヒギリはヤサカが何を言いたいか気付いた様で、口に運ぼうとしていたスプーンを止めた。
「…別に、関係無いんよ……」
「……まぁね。確かに話に俺は直接関係無いけどさ。でもほら、目の前で女の子が辛そうな顔してたら誰だって気にはなるじゃん。特に俺は女の子だーいすきだからね、こう言う時余計に思うんだよ、『良いとこ見せなきゃ!』ってさ!もしかしたらそれでワンチャン惚れてくれる可能性あるかもじゃーん?」
「………はぁ……」
「ま、良いとこ見せようとするならさっきみたいな時に止められたら一番良かったんだけどネ。ごめんなヒギっちゃん、見てたのに庇ってやれなくてさ」
 ヒギリが何を辛いと思っていたのか、気付いたヤサカがそれを口にした瞬間今まで耐えてきた力が抜けたヒギリの大きな瞳からボロボロ涙が零れ落ちた。
 ボロボロボロボロ、溢れ出た涙はヒギリの頬を伝い、一部スープの中に落ちていく。
 ヤサカはそんな彼女の涙を指で掬ってやると、彼女の頭を優しく撫でてやった。
「べ、別にっ……!いつも、いつも辛いんじゃ無い、もんっ……!」
「おう」
「さっきはちょっと、びっくりしただけだもんっ…!」
「おう……まぁ、俺って言う新入りも居るし環境変わってジュニパーちゃんもいつもより余計激しく詰ったんだろうな……人の興奮ってそう言う時も起こるからねー。なんて言うか、気合い入れなきゃ!みたいな時にさ」
「うん……」
 ヒギリの頭を撫でていた手を、ゆっくりそろそろと彼女の肩に、そして背中に回してみる。嫌がるでもなく受け入れたのでヤサカはそのまま今度は背中を撫でてやった。
「でも…」
「ん?」
「何で私なの…?エミールさんが一番近くて、エミールさんがやってなかったじゃんどっちかって言うと…!」
「……」
 この場に居ないのに乙女の心をざわつかせるなんて罪な男ねー。と、一瞬ふざけてそう考えたが、ジュニパーからヒギリへ、ヒギリからエミールへと不満の矛先が変わるこの状況は岸壁街でもよく見るがやはり良いものでは無いなぁとヤサカは思った。
 そうなるとやはり、大元たるジュニパーをどうにかしなければいけないか。
「モナルダさん!どこ!?」
 その時、少し慌てた様子のジュニパーの声が響いてヒギリは慌てて目を擦って涙を誤魔化す。分かる人には分かってしまうその行動の可愛さを眺めつつ、ヤサカは席を立った。
「……どこ行くの?」
「ん?俺ちょっとトイレ」
 ジュニパーと二人にされるのかと不安そうな顔をするヒギリだが、勿論わざとである。ジュニパーのあの様子を見るに、自分が居たらおそらく拗れる。
 案の定、ヒギリ一人でベンチにいる所を見たジュニパーは一瞬ほっとした様な顔になると辺りを見回し誰も居ないか確認していた。
「モナルダさん……あの…」
「何…?」
「その、さっきは…ごめんね……」
 それはヒギリも驚いて目を剥く程のストレートな謝罪だった。
「言い方…本当強くなっちゃって……そりゃあ、やってくれたら嬉しかったけど…モナルダさんにだけ求めるのは違うでしょって、リーシェールさんにも言われたから、さっき……」
「ふーん……」
「も、勿論人に言われたからだけじゃないわよ!?自分でも考えて、やっぱりちょっと無理言っちゃってたかな?って思ったんだから…!」
 二人の会話を少し小耳に挟みながらヤサカは咥えたタバコに火を点ける。
 岸壁街でも同じ様にトラブルを起こしている人間と言うのは目にする。しかし、紆余曲折あっても『和解する』と言う結末を迎える事がある辺り、ヤサカが思う程嫌な人間と言うのはこの場には居ない様だ。
「ヒッヒッヒッ…青春じゃーん…」
 ふぅっ、と肺で大きく息を吸い、煙を味わう。鼻から口から、たっぷり吸った煙をしっかり吐き切ると吸殻をどうしようかとキョロキョロし、何も無かったのでとりあえず紙コップに突っ込んだ。
「──だから!何で私なんよ!?」
「普通社会に出たらそのくらい気を遣うもんでしょ!?」
「だったらエミールさんにも言えば良いじゃん!私よりよっぽど!動いてないんだから!!」
「エ、エミール君は良いのよ!ってか、動いてないって彼への悪口じゃない!?」
「悪口って何で!?事実を言っただけでしょ!?私は言われるのにエミールさんは許されるとか贔屓だよ!!」
「贔屓じゃないわよ!」
「贔屓じゃん!!」
「あれー…?」
 ちょっと目を離した隙にまた元気に喧嘩を始めた二人。やれやれとヤサカが間に入っていくとキラキラした目のジュニパーがヤサカに気付いて矛を収め、近くに寄ってくる。
 その背後で文句を言いながらまた一人、他人に見せられない様な変顔をかますヒギリ。
 ヤサカはジュニパーの手を取りつつそっとヒギリに近付くと彼女の背中に手を回し、努めて彼女の反応しそうな色気のある声を思い浮かべて耳元で囁いた。
「ヒギっちゃん、あんまりそんな顔してると可愛い顔が台無しだぜ?」
「え!?」
 アダルトな雰囲気に耐性が無いだろうと踏んで少しだけ揶揄う気持ちもありながらヒギリにそう呟くと、ヒギリは赤くなるどころかむしろ青い顔をした。
「えー、何だその顔」
「ヤ、ヤサカさん!!まさか私の顔、ずっと見てたの……!?」
「おう。朝のゴタゴタの時からネ」
「ひ、ひぃっ…!!」
 あの顔を見られてたなんて…!
 そう言いたげに今度は赤くなるヒギリ。一点赤くなった頬を手で覆い、涙目でヤサカを見つめる。
 その顔を見てヤサカは思わずニヤリと笑みを浮かべた。揶揄うつもりが、ころころ変わるヒギリの表情に惹き込まれたのはむしろ彼の方だった。
「……ぷふっ…!可愛いなー!ヒギリちゃんは!!」
「え!?」
「ジュニパーちゃんも可愛いよ!!」
「な、何よー!ヤサカさんってばー!」
 本当二人とも可愛い。
 何か俺、保育園の保父さんになったみたい。
 岸壁街にいる、妙に成熟した女と違ってまるで子供の喧嘩の様なものを繰り広げた二人に保護者の様な慈しみを覚えながら、二人の肩に手を回し食堂に戻るヤサカ。
 戻って来た三人の表情を見て、少なくとも問題のひと段落を悟ったモリーは嬉しそうに微笑んだのだった。
「何だか昔雑誌の後ろの方にあったいかがわしい広告みたいね!」
「え?モリおばちゃん、微笑ましい顔してると思ったらそんなとことダブらせてたの?」
「私はこれでモテました!みたいな事書いてあったじゃない!?」
「やめてくれよー!せめて親と子にしてくれよー!」

意地悪な王子様と見目麗しいお花様と毒吐き様と妹様とお兄様

「ヤサカ君、お疲れ様!お昼大変だったわねー」
 そう言ってとんと肩を叩くモリーににこりと笑い返しつつヤサカは疲れからもう言葉すらも発せられなくなっていた。
 正直、普通にまともな職場で仕事をすると言う事を舐めていた。いや、舐めていたと言うと語弊があるが、もう少し楽だと思っていた。
 自分が営業時間も何もかも管理し、夕方から夜に掛けて仕事をし時に暴力的な酔っ払いの相手もするいつもの仕事の方が大変でそれさえ経験しているのだから大丈夫だと高を括っていたが、実際に結社で仕事をしてみたら自分の今までがあくまで「その仕事と相性が良かったから」こなせた事なのだと気が付いた。
 自分にはやはり適当な働き方の方が合っているのかもしれない。そう思いながらモリーの顔を見ると彼女はにこりと微笑み返した。
「……ヒッヒッ…やっぱモリおばちゃんは俺の癒しだなぁ」
「あらあらお上手」
「ヒヒヒッ!本心よー」
「残念ね、私が後三十歳若くてぴちぴちだったら良かったかもね」
「……いやいや、俺が後二、三十歳年上だったらモリおばちゃんとようやく釣り合えるのサ。俺は今のモリおばちゃんが好きだからね」
 いつもの暖簾の様な前髪を上げたヤサカの端正な顔立ちが、普段隠れている色素の薄い瞳がモリーを捉える。モリーは不覚にもどきりと胸を高鳴らせると「……やだこの子、慣れてるわ」と呟いた。
「全くもう。気持ちは嬉しいけど私には愛する旦那が居ますのよ」
「ヒヒヒッ……残念ー。俺の出る幕なんてねぇってか、本当可哀想な俺……」
 ぶつぶつ呟きながら席を立つヤサカを注意深く観察していると、彼は小さな鍋を取り出しそこに何かを入れ火を掛け始めた。
「そんな残念可哀想な俺ですが、ちょっとあるモノを作りますのでモリおばちゃんもいかが?」
「あら、何だか知らないけどいただいて良いの?」
「勿論」
「何作ってるか分からないけど、何か変なもの入れないでちょうだいよ?」
 冗談でモリーがそう言うと、ヤサカはようやく笑顔を浮かべた。そして一言、
「俺、あらゆる事に不誠実だけど食に関しては本当誠実だからね!」
 と元気よく答える。モリーも『だから内容も聞かずにちょうだいと言えたのだ』と言わんばかりに首を振って肯定した。岸壁街の自分が出すモノ、それが何か分からないのに疑いもせず受け取ろうとしてくれる人。何だかそんな治安の良い当たり前が嬉しくて、多少のしんどさはあれどやっぱりここでの仕事を続けたいとヤサカは思った。
「ところで本当に何を作るの?ヤサカ君は悪くないんだけど、もしも苦手なモノだったら食べたり飲んだり出来ないから嫌だわって思って」
「あぁ、聞くの忘れてゴメンネ。チャイだよ、飲める?」
「あら!むしろ好きかもしれないわ!」
「本当?じゃあちょっと多めに作ろっと」
 スパイスをパラパラと水の入った鍋に入れ、ぐつぐつと火で沸かす。湯が茶色になるまで煮出すとスパイスの香りも強くなる。そうしたら茶葉を加え、牛乳や砂糖も加え茶こしでこしたら出来上がりだ。
「まぁ!良い香りね!」
「ヒッヒッヒッ……モリおばちゃんの美貌に乾杯…!!」
「全くもう、ヤサカ君ったら。でも本当に美味しそう!ありがたくいただくわね!」
 モリーと二人、チャイを味わっていると思い出す。そう言えば、チャイと言えばあの女の子・・・・・は元気だろうか?と。
 たまたま出会ってたまたま店に連れ込んだ、花の様に笑う少女の顔を思い出す。ビスケット色の手入れの行き届いた長い髪の毛を可愛くセットした彼女。空色の綺麗な瞳は真っ直ぐ自分を見据えていて、こんな風に髪を上げた自分の隠したかった目を見て「綺麗」と言った無垢の化身の様なそんな彼女。
「すみません!お昼お願いします!医療班立て込んじゃって遅くなっちゃって…!」
 そうそうこんな感じの。
 昼過ぎて落ち着いた時間になってやっと食券片手に駆け込んできた女性の外見がかなり近い。ビスケット色の長い髪の毛に空色の瞳。
 ……いや、かなり近いと言うかこれは、彼女そのものではなかろうか。
「……ミアちゃん?」
「へ?」
「やっぱりミアちゃんだー!!ほら!この顔見覚えござんせん?」
 いつかの時と同じ様にスッと前髪を下ろすと、ミアは何かに気付いた様に口をはわわわと震わせた。それがおやつを前に「待て」を命じらせて口を震わせている子犬の様で可愛らしいと思ったのは内緒だ。
「や、や、や……」
「うん」
「ヤ……サカさん……?」
 正解。
 少したどたどしく確認する様に口にしたミアはヤサカの頷きに安堵する。ヤサカはそんなミアを久しぶりに年下の親戚に会った時の様な目で見つめていた。
 ミアとヤサカが初めて出会ったのは彼女が大好きな人と初めてお酒を飲みに行った日だった。たまたまミアが一人になる瞬間があり、その時にぬるりと入り込んで少しの時間楽しく話をしたのだ。
 その後、ミアと旧岸壁街付近で再会?し他愛もない話をした。あの時の幸せそうなミアそのままな姿に嬉しく思いつつ、偶然とは言えこんなにも会えるなんて本当に運命じゃないだろうか?と思った矢先、ヤサカは彼女の隣に立つあまりにも不機嫌な顔の男に気が付いた。
「…よぉ!ハンサムが台無しな顔してんね」
「………いいえ」
 おそらく愛するミアが横にいる手前、気に入らないから無視をすると言う大人気ない姿を見せたくないのかぽつりぽつりと挨拶だけ返す男。ヤサカは一方的にこの男を知っていた。岸壁街でミアと再会した時に、彼女を迎えに来ていた男──つまりミアの王子様・・・だ。
「おいおいそんな構えんなって!!俺は求められりゃ彼氏居ても食っちまうタイプの男だけど自分から手は出さねぇからさ!!」
「……そうですか」
 興味の無さそうな返事。一向に目を合わせようとしない愛想の無い顔色。しかしミアの彼を見つめる目は恋する乙女そのもので、ヤサカは思わず心の中で「コイツのどこが良いんだ?」と呟いたくらいだ。
「…ねぇミアちゃん、この人が彼氏で間違いないね?」
「は、はい!!彼氏……彼氏かぁ…えへへ…」
 ふにゃりと蕩けそうな笑顔を浮かべるミアと対照的に警戒の色を一層強める男。少なくとも現時点でミアに手出しする予定の無いヤサカからしたら一刻も早く警戒を解いて貰いたいものだが。
「はぁ……?何でアンタがこんなとこに居ンすか……?」
 一際ドスの効いた女性の声で投げ掛けられてそちらを向けば、そこに居たのはクロエだった。普段なら可愛い可愛い妹分だが、今この瞬間の彼女の存在は果たして吉と出るのか凶と出るのか。
「よぉ!クロちゃん!」
「また一体何を企んでるんですかアンタ……」
「企むなんて人聞き悪いゼ。強いて言うならお賃金欲しくて」
 それと運が良ければ可愛い彼女も欲しい、と言い掛けてそれはやめておいた。ただでさえ深く刻まれたクロエの眉間の皺が更に濃くなる気しかしなかったからだ。
 しかしクロエも正義感の強いものである。ミアに絡んだ事で、恋人であろうネビロスが不機嫌になるのは分かるが、同じ女であると言うだけでこんなにも警戒心を剥き出しにするものだろうか。
「ミア、何もされてないです?その男は埒外人間の筆頭格の様なものなので」
「え!?大丈夫だよ!全然!何も!」
 ミアの砕けた喋り方はまるで仲の良い友達の様だ。つまり、ミアとクロエとの仲は自分の思っているよりも深いものだと思って良いのだろうか?
「……クロちゃんとミアちゃん、仲良いの?」
 おずおずと聞いてみると、ミアが嬉しそうに頷いた。クロエも少し眉間の皺を緩めながら頷く。ヤサカはそんな二人を微笑ましく見つつ、思わず本音が溢れてしまった。
「見事に正反対だよネ」
「……ンだと?」
「えへへ、クロエちゃんは私が知らない事いっぱい教えてくれるんです!」
「……ふふっ」
 ドスを効かせて凄むクロエ以上にヤサカが反応したのはその直後に噴くように笑ったネビロスだった。
 あれ?この人、笑うの?
 極めて失礼な事を思い浮かべながらネビロスを見つめる。ネビロスは視線が注目した事で居た堪れなくなったのか一つ二つ咳払いをすると何食わぬ顔でそっぽを向いた。
「…ネビロス氏、何が面白いんすか」
「い、いえ……」
「まぁ、確かにミアと私では女らしさも顔の系統も生き方も全てが違うと思ってますけどね」
「いや…悪い意味で笑ったわけでは無いですよ…少なくとも微笑んだだけで嘲笑はしてないです……」
 そして可哀想な事にクロエの矛先が彼に向いた。そう言えばクロエはこう言う女性だった。自分と違うタイプの女性と比べて自分は醜女だ女らしく無いだと、聞いた人間が反応に困る様な自虐をよくする。同じ様に、とは言え彼女のいたところよりも遥かに治安の悪いところではあるが、孤児院で更に侮蔑の対象の様に扱われ一時期性格のひん曲がったヤサカとしてはクロエの気持ちが分からなくはなかった。
 これは彼女なりの身の守り方なのでは無いのか、と。クロエも少しばかり変な方向に幼い時から早熟で、孤児院で大人と衝突をしたらしいからおそらく自己肯定感を低くなるまで削がれる様な事を言われた経験もあるのだろう。
 そんな事を言われて傷付いた記憶と、傷付いたところで得るものは無いから事実として受け入れてしまう事で身を守ろうとする気持ち。だけど受け入れたく無い気持ちとが雁字搦めになっているのだろう。
 そう思うと、ヤサカは無性にクロエが愛おしくなった。
「まあまあクロちゃん、あんまそこのドS王子に噛み付きなさんな」
 そっと手を伸ばしクロエの頭を宥める様にぽんぽんと優しく叩いてやる。
 たった今「ドS王子」とヤサカに命名されたネビロスと、同じくヤサカに触れられたクロエが各々不服そうな顔でヤサカを見つめた。
「………触らないでくれます?」
「ひでぇ、慰めてんのに!」
「慰め?はぁ?誰が?誰を?」
「俺が、クロちゃんを」
お笑い種ですねこのクソが
本当に酷くね!?
「私に何か施したいなら株券の一つでも持ってきてください」
「まさかの同情するくらいなら金くれってか!?」
「当たり前でしょう。って言うか、同情の意味も分かりません。別にネビロス氏は当たり前の事しか言っていませんし。ただ、微笑みだろうが何だろうが笑われるのは舐められた様で腹立つんですよ」
「クロちゃん…発想が不良のソレじゃん…」
 ネビロスに向いていたクロエの矛先がヤサカに向いたところでネビロスはさしてヤサカに感謝するでも無く。何だかタダ働きの様な気持ちになりドッと疲れていると、視界の端で長いポニーテールが揺れた。
 そこに居たのは背の低い女の子であり、ヤサカは瞬時に子供と言う理由で守備範囲から外したのだが、「後五年も待てば良い女になりそう」と同時に品定めをする。ここまで一秒足らずであった。
「あの、食券……」
「はいはいはい!おぉっ!お嬢ちゃん赤スープね!ちょっと待ってなー!」
 おそらく十代前半くらいの育ち盛りの女の子、少し多めに盛ってやるかと思いつつここが自分個人の店ならそれもありだが結社となるとどうだろう?とブレーキが掛かる。
 おそらくジュニパーに聞けば良い顔はしないだろう。エミールも、自分の想像通り・・・・の経歴の持ち主なら今は真面目一徹だろうから融通は利かなそうだ。そうなると程々に融通を利かせてくれそうなのはモリーかヒギリ、今頼みやすいのはモリーだろう。
「モリおばちゃん、あのさこの子…」
「ん?あら?ウルちゃんお疲れ様!今お仕事終わり?」
「うん。今日は大変だったの」
「あらあら!じゃあいつも通り多めに盛っちゃうわ!!」
 聞くまでもなくポニーテールの少女は多め盛りらしい。何だ、時と場合とで分けて良いのかと頭の中で対応の仕方をアップデートしたところで、そう言えば体力の入りそうな彼女の仕事は何だろうか?と気になった。
「……ん?誰?」
「あら、ウルちゃん初めましてだったかしら?この方はね、ヤン・サコーさん。この間から臨時で給食部に入ってくれているのよ」
「ふーん……私、ウルリッカ・マルムフェ。前線駆除班第六小隊だよ」
「へー!ウルちゃんか!俺はヤン・サコー、まぁしがない料理人だネ。気軽にヤサカって呼んでくれたら嬉しいねぇ」
「うん、分かった」
「ウルリッカ氏、コイツは性別女なら何でも良い男なのでお気を付けて」
 クロエの余計な一言にヤサカが「あ」と声を漏らすと、ウルリッカは既に納得のいかない顔でヤサカを見つめていた。
 これにはヤサカも相当慌てた。自分は女好きを自称してはいるが、幼い子供の年代の子に手を出す様な輩では無い。
「いやいやいや!俺流石にお子ちゃまに手ぇ出す程飢えてないっつの!!ちょっと風評被害もそこまで行くと大概だぜクロちゃん!」
 しかし、ヤサカがそう弁明するとウルリッカの眉間の皺は更に深まってしまったのだった。
「……私、大人だよ」
「え?ウルちゃんってまさか成人してんの?」
「…してるもん」
 カンテ国と言えば女性は平均百六十五センチ程あるのが一般的で、ウルリッカはそれよりも十五センチは低く同様に小柄だった。しかし、混乱するヤサカに追い討ちを掛ける様にウルリッカが更に口を開く。
「私、もう成人して四年も経ってるよ」
「ま、マジか…二十四歳なの…?」
「ヤサカ氏。アンタ口開く前に一般常識を身に付けてくださいよ。カンテ国の成人は十八じゃ無いっすか」
「あれ?そうだっけ?」
 ボケてはみたものの、ウルリッカの機嫌が治るわけでもなく。ヤサカはどうしようかと迷いに迷った末にネビロスに白羽の矢を立てた。
 それは自分と言う、先程クロエの毒牙から救ってやった恩人がいるにも関わらず我関せずでミアとラブラブな空気を放出している彼への恨み辛みを込めた上でと言う私怨まみれの理由だった。
「そ、そう言やさー!!そこのドS王子はミアちゃんの彼氏さんだったよね!?」
「……ネビロス・ファウストです」
「あ、ネビロス…うん!ネビロスね!ネビロス!ネビロスっていくつなん?随分と落ち着いてるって言うか大人っぽいと言うか何と言うか……」
 ただ逃げの為に話を逸らしたわけではない。ヤサカの思惑はこうだ。
 ミアと一緒に居るネビロス、ちょっとやつれて見えるが彼女と付き合っているのだしきっと見た目によらず若いのだろう。
 大人っぽい、からの、「思ったより若い!」からの、「人は見掛けじゃない」からの、ウルリッカの可愛らしさはむしろ若く見える魅力だと褒めちぎる。勘違いを素直に詫びる上に褒める算段だ。きっと上手くいく。
 しかし、ヤサカのそんな苦し紛れの姑息な思惑は、ネビロスの発した一言で露と消えてしまうのだった。
「私ですか…?今年三十歳になりますが」
「……え?」
 ヤサカは困惑した。ミアと付き合っているのだからせいぜい行って二十四、五歳くらいだと思っていたのだが、まさかの三十歳。自分より二つ程しか違わない彼が十八歳の成人したての女性の恋人と聞いてヤサカは珍しく思考回路がショートした。
「は!?何それ!?年の差カップルかよそこ!!」
「えへへへ…照れちゃいます…!へへへ…」
「俺も色んなカップル見て来たけど十二歳差は初めてだぜ……」
 ウルリッカのご機嫌を取る為に、程良い年齢を答えてくれると想像していたネビロスがまさかの思った通りくらいの年齢を挙げた為ヤサカは八方塞がりになっていた。
 どうしたら良いんだ、ここからどう発展させればこの場の収拾が付くのだろう?
 ミアにネビロスと言う思った以上の年の差カップル、クロエと言う何を言っても裏目にしか出なさそうな強敵、ヤサカが見て来た中でも群を抜いて見た目と年齢にギャップがあるウルリッカ、これを一体どう調理すれば正解だと言うのだ。
「あ、あの……すみません…食券を……」
 その時、おどおどと少し探る様に声を掛けて来た青年が。ヤサカはとりあえずこの空気から脱したいばかりに彼の注文に飛び付いた。受け取った食券には赤スープの文字が書かれており、そんな食券を持って来た彼の髪も同様に燃える様に赤く綺麗なものだった。
 長い前髪であまり顔が見えないが、少しだけ髪の隙間から覗いた顔付き、そして少しあどけなさの残る手入れ感の眉毛、髪型もそうだが全体的に考えるとおそらくまだ若いと見た。
「ほいほい。赤スープねー!今同じの頼んでた子居たしすぐ出せるぜー!待ってなギークボーイ!」
 ヤサカとしては親しみを込めてとりあえず呼んだだけに過ぎなかったのだが、青年は何に引っ掛かったのか一瞬びくりと大袈裟に反応した。
 あれ?俺なんかまずい事言った?
 そう思いながら赤スープの支度をしていると、ウルリッカがぼそりと「同じ…」と呟く。その言葉が聞こえたのか、青年は嬉しそうに顔を綻ばせると少し焦りながらウルリッカと話し始めたのだった。
「あ……ウルちゃん!一緒だね、ウルちゃんも赤スープなんだ?」
「うん」
「そ、そっかー!あ、どうする?足りる?な、何なら僕の分も食べる?」
「ううん、大盛りしてもらうから大丈夫」
「あ、そうなんだねー…ははは…」
 お?何だ何だ?ギークボーイに恋の予感か?
 随分おどおどとした応対でウルリッカに声を掛ける青年。予想通りなのだとしたら、いわゆる恋バナに敏感そうなミアが輝いた顔をしているはずだ。
 しかし、そう期待して彼女を見たのだが、彼女は何とも言えない微笑ましい顔をしているばかりでありその顔色から恋バナの進展に期待しているかどうかは測れなかった。
 店を構え岸壁街の住人、地上の住人と色々な人間に接して来て人を見る目に少なからず自信のあったヤサカはこの数分の間に伸びに伸びた自信がぽきりと居られるくらいには衝撃の体験だった。
 岸壁街の出で、岸壁街の人間と接して、ありとあらゆるイレギュラーなものを見てきた気がしたのだが。ネビロスとミアは一周り違うし、真逆なタイプのクロエとミアは良い友人の様だし、ウルリッカは成人しているし。
 改めて外の世界の広さを実感していると、ウルリッカが今し方おどおどした態度を取っていた青年に一言「お兄ちゃん」と呟いた。
「お兄ちゃん、お仕事大変なんだからしっかり食べなくて良いの?」
「うーん…そ、そうなんだけどねぇ……結構ファンさんが包子パオズをくれるものだから気になっちゃって……彼は背も高いしちょっとやそっとじゃ外見に出なさそうだけど、僕はそんな自信無いから……」
「あー…ギャリーいっぱい食べるんだね」
「ううん、逆にファンさんは昼食はサボって寝てるんだよ……」
「うわ、食券勿体ない」
 待て待て待て。お兄ちゃんだと?
 ヤサカからの視線に気付いた青年は一瞬びくりとしながらも、彼の垂れ下がった長い前髪を見て「お揃いですね」と精一杯はにかんだ。きっとこの青年にとったら「敵意はありません」とコミュニケーションを取るのはとても勇気がいったろう。しかしヤサカはそんな事を気にする余裕はなかった。
「ま、待て待て……彼、お兄ちゃん…?」
「あ、うん。私のお兄ちゃん。あ、お兄ちゃん、この人何か給食部に来たヤサカ」
「ウルちゃん……説明がふわふわ過ぎてよく分かんないよ……えっと、アルヴィ・マルムフェです。以前火山研究をしておりまして、今は経理部に所属しております」
「あ、あぁ…ミクリカでリカ・コスタって店のオーナーやってます…ヤン・サコーっす……」
 度重なる衝撃に、不自然に腰が低く敬語で謎の礼儀正しさを見せたヤサカにアルヴィはテキパキと挨拶をする。妹であるウルリッカに見せたもたつきが嘘の様にキリリとした好青年然とした挨拶だった。
「サコーさん……」
「あ、ヤサカで良いっす…」
「ヤサカさん、不躾な質問ですけど恋人の方はいらっしゃいますか?」
「へ?」
 これがアルヴィからの牽制であると気付かなかったヤサカは即座に「居ないっす。欲しいんですけどね」と呟いた。それを聞いた時のアルヴィの纏う空気の修羅な事修羅な事。それを感じ取り「まさかウルリッカを狙わない様に探られているのか?」と察したヤサカは少しごにょごにょ言いながら何とか最適解を搾り出した。
「で、出来たらこう、大人の色気満載なおっぱいの大きいお姉さんが彼女になってくれたら幸せなんだけどねー……」
 ウルリッカと真逆の人物像。
 そう言うとアルヴィはにこりと笑い、きっと出来ますよ!是非見つけてください!と口にした。
「しっかし……ウルちゃんにお兄さんねぇ……ギークボー……いや、アルヴィ。ウルちゃんと仲良さそうだけど年近いの?」
「あ、僕は三十三歳になります」
 アルヴィの年齢を聞いてヤサカはあまりの驚きから比喩ではなく本当にずっこける。
 甘かった。甘く見てたぞ俺。地上の人間は怖いぞ。皆こんなにも年齢を隠し欺くのが上手過ぎる。
 ネビロスはともかく、まさかのアルヴィの年齢が自分より上だった事に動揺するヤサカの背後で全員分の食事の調理を終えたモリーが声を上げた。
「あ!全くお喋りばっかりして!ヤサカ君!仕事よ仕事!みんなー!お昼食べて午後も頑張ってねー!!」
 あ、この人自分の価値観で見たところの年齢不詳ぶっちぎりだった。
 密度の濃い午後二時過ぎ。ヤサカは新たな知り合いを作った事で外の世界の広さを思い知ったのだった。

to be continued.