薄明のカンテ - さらば、ほろ苦き初恋よ/べにざくろ
初恋―――甘く切なく美しい、その人にとってはじめての恋のこと。

 その日。タイガの初恋がマルフィ結社の食堂でプリンを食べていた。
 お昼時を過ぎて人の減った食堂で運命の再会を果たしたタイガは一瞬悩んだものの、あえて堂々と初恋の人の前の席に座る。
「 誰だ? お前…… 」
 空いているのに相席してくる見知らぬ人物を咎めたタイガの初恋の人は、デザートのプリンを食べる手を止めて低い男の声でタイガを睨み付ける。
 しかし机の上にしっかりと自分の昼食を置いたタイガは彼に睨まれても動じずにニコニコと笑って彼を見た。そして、口を開く。
「 15年振りだね、ミクリお姉ちゃん 」
「 は……? 」
 タイガの初恋の人の深青の目は「 何言ってんだ、お前 」と言っていたけれど、人の顔を覚えるのが得意なタイガが見間違えるはずなんてなかった。目の前の彼は身長も体格も顔立ちも変わっていたけれど、間違いなくタイガの初恋の人“ ミクリお姉ちゃん ”だ。まさかお姉ちゃんではなくて、お兄ちゃんだったとは予想していなかったけれど。
「 ……人違いじゃねぇの。失せろ 」
「 何言ってるのお姉ちゃん。どう見たってミクリお姉ちゃんだよ 」
「 違ぇって言ってんだろーが 」
「 オレ、言ったよね。『 ミクリお姉ちゃんのこともずっと忘れないよ 』って 」
「 うぜぇ 」
「 うざくない 」
 イライライライラ。
 ニコニコニコニコ。
 結局、折れたのはタイガの初恋の人の方だった。彼は大きな溜め息をついてからタイガを見る。
「 ……お前、名前何だっけ 」
「 タイガ・ヴァテールだよ。ここでは総務班人事部所属なんだ。ミクリお姉ちゃんは? 」
「 俺はテオフィルス・メドラーだ。その呼び名はいい加減に止めろ 」
「 えー 」
 タイガが不満の声を上げると、テオフィルスに先程以上に睨まれた。
「 止めろ 」
「 仕方ないなぁ。じゃあ、テオフィルスさん? 」
 言いながらさっさと昼食に手を付け始めると、ミクリお姉ちゃん、もといテオフィルスが溜息をついた。
「 あの呼び方じゃねぇなら何でもいい 」
 そうテオフィルスが冷たく言い放つものだから、タイガはわざとらしく肩を落とした。
「 あーあ。オレにとってはミクリお姉ちゃんが初恋だったのに。まさか男の人とは思わなかったなー 」
 15年前。家族とミクリカに旅行して、滝のような変わった形の噴水に目を奪われているうちに迷子になって、“ ミクリお姉ちゃん ”に会って。
 普通の女の子と違う不思議なお姉ちゃんに、恋に落ちたのだ。
 今思えば男の子が女の子の格好をしていたのだから、普通の女の子と違うのは当然のことだったのだけれど。
 ともかく、あれは5歳のタイガにとって間違いなく初恋だった。
「 あんなちょっとの時間で恋も何もねぇだろうが 」
「 恋に時間は必要? 」
 タイガが問いかけると、テオフィルスはタイガが汁蕎麦(ジュ・デバツ)をたっぷり掬って咀嚼して飲み込める程の時間、無言だった。
「 悪かったな。貴重な初恋が……ミクリお姉ちゃんで 」
 長らくの沈黙の後、ポツリとテオフィルスが呟く。
 さすがに『 初恋が俺で 』とは口に出すのは憚られたらしい。そして、幾分かの罪悪感というか気まずさがあるらしくて、タイガから目を逸らされた。
「 大丈夫。ずーっとミクリお姉ちゃんを想い続けてたなんてことはないから 」
 子供の初恋なんて所詮そんなものだ。初恋が男の人だったというのは衝撃の事実だったが、人生そんなこともあるかなー程度のこととタイガは軽く笑い飛ばす。
「 だから、今度は友達として仲良くしてよ 」
「 ……まぁ、少しは相手をしてやってもいい 」
 テオフィルスのひねくれた言葉にタイガは笑う。
 それが初恋が終わって、友情に変わった始まりの日だった。



 ショットグラスを一気に煽ると喉が焼けるような感覚が食道を降りていく。空になったグラスをテーブルに置いて、さあ2杯目とテオフィルスがヴォートカをタイガのグラスに注ごうとしたその手を―――やんわりと止める第三者の手が乱入した。
「 申し訳ございません。タイガはあまり酒類に耐性が無いもので 」
「 えー、大丈夫だよ。オレ、行けるよ 」
「 駄目です 」
 友情を育むことになったテオフィルスとタイガは、翌日に仕事が無い日を狙って2人で呑み会をしていた。会場はタイガの部屋。理由は先程、テオフィルスを止めた手の持ち主である機械人形のノエにあった。
「 ほら、タイガ。お酒の前に沢山食べて下さい 」
 マルフィ結社の食堂で働く優秀な機械人形がいれば、どんな料理も食材さえあればお手の物である。現に2人の前のテーブルには飲み会用のつまみに相応しい料理が用意されていた。
「 潰れられちゃ仕方ねぇんだ。ゆっくり飲んどけよ 」
 そう言ってテオフィルスも酒をストレートから氷を入れたグラスに持ち替えてロックへ変える。酒よりもノエの料理を楽しみたい気持ちが勝ったからだ。
 一方のタイガの方は渋々といった感じだったが、ノエにヴォートカにオレンジジュースを加えられたグラスを出されて大人しく飲んでいる。あまりにも甲斐甲斐しくノエが世話を焼いているから、思わず笑ってしまう。
「 そういや付き合い長いのか? お前とノエ 」
「 ううん。ノエとは結社に入ってから出会ったから、まだそんなに長くないよ 」
「 タイガに中古市場に出回っていた所を購入していただいたんですよ 」
「 うん。だって料理が得意って売ってて結社にピッタリだと思ったから 」
「 おや、僕の食事だけが目的だったと? 」
「 嬉しいくせに 」
 タイガの言葉に「是」と答えるように微笑むと、ノエは扉を隔てた先にあるキッチンへと消えていく。ノエのために、それなりにしっかりとしたキッチンが必要だったのでタイガは独身ではあるが家族寮に住まわして貰っているのだ。
 キッチンにノエが消えたことを確認して、タイガは声を潜めた。
「 オレね、昔のノエを知ってるんだ。うちの家族で行くレストランで働いててさ、たまたま他のお客さんに挨拶に行った帰りの姿を見掛けてて。あそこ、結構人気あるレストランで今もやってるはずなんだけど……何故かノエが売られてたんだよね 」
「 新型を購入したとかじゃねぇの? しかし、無駄に人の顔を覚える特技が役にたったわけだ 」
「 ムダって酷い…… 」
 ニシンの酢漬けを食べなからタイガがガックリと肩を落とす。
「 この特技があったからオレがノエに気付けて皆、美味しいご飯食べられてるのに 」
「 その点に関しては感謝してやってもいい 」
「 本当!? 」
 顔を輝かせるタイガに「 本当だ 」と苦笑しながらテオフィルスは酒を煽った。そんなテオフィルスに釣られて甘い酒を煽ったタイガが、若干の酔いを感じさせる顔でテオフィルスを見る。
( 下戸だな、こいつ )
 水割り用のペットボトルの蓋を開けグラスに注いで出すと、タイガはそれも一気に煽った。
「 水みたいで呑みやすいね、これ 」
( そりゃ水だからな )
 既に酔っ払いあるあるな状態になってきたタイガに若干の心配を覚えて最初にヴォートカを一気飲みなんてさせるべきじゃなかったと猛省した。しかし、もう後悔しても遅い。
「 ねぇ、テオ君。ヒギリ・モナルダさん、知ってる? 」
「 食堂の天使だかアイドルだろ。食堂使ってる奴に知らねぇ奴はいないだろ 」
 唐突な酔っ払いの質問にサーモンマリネを口に放り込みながら答える。
 ヒギリ・モナルダといえば『 食堂の天使 』とか『 食堂のアイドル 』と囁かれる可愛い女の子だ。当然、女に目のないテオフィルスが知らない訳はない。
「 彼女、ノエに懐いててさぁ……前、たまたま見れたんだけど、ご飯食べてる姿がすっごい可愛いの 」
 その可愛い食事風景を思い出したのかタイガの顔がだらしなく緩んだ。その後、何かを思い出したらしく部屋の本棚に近寄ると一冊の雑誌を取り出して頁を開いてテオフィルスに手渡してきた。
 手渡されては見ない訳にいかないので開かれた記事を見ると、載っていたのはテオフィルスの推しであるアニメ『 海上の青い星 』の実写版試写会の記事で、テオフィルスの顔が顰められる。
「 セーラちゃんの実写だけは認めねぇ 」
 オタクは実写化に厳しい。それが最推しのアニメだったら尚更のことだ。
「 テオ君、このアニメ好きならこのニュース覚えてないの? 電子世界でもちょっと話題になったのに 」
「 実写版の記事は全部ブロックしてたからな 」
「 そっか。でね、読んで欲しいのは左下の方なんだけど 」
 タイガに言われて左下の方に目を向けると、そこにはタイアップ曲を歌うアイドルグループの写真が載っていたが、何故かセンターの子ではない後ろの子に綺麗にピントがあった写真があった。アイドルらしいキラキラの笑顔を振り撒くその子には何となく見覚えがある。
「 これ、ヒギリちゃんか? 」
「 正解! 」
 人の顔を覚えることが得意なタイガが言うのだから間違いないだろう。
 内容が気になったので読んでみると、その記事はアイドルらしからぬ膨れたお腹でダンスを踊っていたアイドルとかいう内容で思わず笑ってしまう。
「 この記事を最初に電子世界で見た時、かわいいなーって思ったんだ。それで雑誌探して買ったんだよ 」
「 それで好きになったのか? 」
「 うん! あ、でも付き合いたいとか恋愛的なやつじゃなくて純粋に応援したいなーって気持ちだったんだけど……センターの子が抜けて解散しちゃって……まさかマルフィ結社で会えるとは思わなかったなぁ 」
 目を輝かせているタイガを見ているとファン目線というよりガチ恋勢になっているような気がしなくもないが、テオフィルスが指摘してやる筋合いはないので黙っておく。何だか黙っていた方が楽しそうな気がするし。
 ヒギリ・モナルダについて語るタイガは本当に楽しそうだった。酒が入ってテンションが高くなっているところもあるだろうが、好きな人のことを考えている人間ってこんなに楽しそうなのか、と少々の驚きすら抱く。
「 そういえばテオくんの初恋は? 」
「 初恋……? 」
「 そう。ミクリお姉ちゃんの初恋、聞きたいなー 」
 タイガがニコニコと笑って詰めてくるが、テオフィルスの眉間の皺は増えるばかりだった。
 女は好きだ。付き合ったといえる女もいる。しかし、恋と定義するとそこまでの女はいただろうか。一緒にいても全然不快じゃない。好きよりも大きな恋の相手。
 そこまで考えて脳裏に浮かんだ少女がいた。青みがかった黒髪と、青と緑が混じったような不思議な目を持った岸壁街の少女。
( いやいやいやいや、無い無い!! )
 現在は医療班にいるアンニュイな雰囲気を纏った彼女の残像を掻き消すように頭を振って酒を煽る。自分自身の若さ故の過ちというにはその感情は大きすぎて、認めたくなかった。認めたくなかったが、認めないと初恋がまだ来てない28歳男性になってしまう。女好きを公言しているくせに初恋がまだとか、それはそれで痛い人だ。
「 あー……いたにはいたが、ガキの時すぎて覚えてねぇなぁ 」
 結論として初恋相手の正体は明かさずに発言するに留めた。適当に喋ったことからタイガに女の正体に気付かれたら恥ずかしくて死ねる。今になって自分で自分の初恋に気付いて死にそうなのに、他人にまで知られたら生きていけない。
「 失礼します 」
 丁度良いタイミングでノエが部屋に入ってきた。はかったようなタイミングに驚いてテオフィルスがノエを見ると彼の目が笑っていた。どうやら分かっていて入ってきてくれたらしい。
「 やった! 作ってくれたんだ! 」
 タイガがノエがテーブルに置いた料理を見て弾んだ声を上げる。初恋の話は食欲の前にどこかへ飛んで行ったらしい。
「 茸とサワークリームのグラタンです。タイガが良く食べたがるんですよ 」
「 食堂じゃ出せない料理だから貴重だよ! 」
 一つ一つ器に入ったグラタンは確かに手間がかかって食堂では出せなそうだ。貴重なノエの料理、味わって食べなければ損だ。
 岸壁街にいたら決して食べられなかった料理らしい料理を有り難く味わう。舌鼓を打って、ふと思った。
( こいつ、いつもこんなモン食って生きてんのか )
「 あえて冷房の効いた中で食べるグラタンって最高だよねー 」と呑気に食べているタイガにちょっとだけ殺意が芽生えた瞬間だった。


「 でねー、その時、サオトメ先生がねー…… 」
 食事も酒も進み、タイガは見事な酔っ払いになっていた。この状態は良いのかとノエに聞くと「 寝ないなら、まだ大丈夫です 」と良く分からない回答が返ってきた。そんなノエは今度は片付けのためにキッチンへ消えているので、この酔っ払いタイガの相手が出来るのはテオフィルスしかいない。
 ヒギリの載った雑誌をしまったタイガが今度持ってきたのは『月刊 剣之道』とかいう随分と硬い雰囲気の雑誌だった。そこに載っていたのは前線駆除班のロナ・サオトメの高校生時代の姿で、何かの剣道大会で優勝したとか何とか書いてあった。何でもタイガがミクリカに住んでいた時に、このロナの経営する剣道教室に通っていたのだという。
「 そういえばテオ君だってミクリカに住んでたんだから、サオトメ先生見たことないの? 」
「 ある訳ないだろ。ミクリカはミクリカでも、俺が居たのは岸壁街だ 」
 雑誌を早々に閉じてタイガに突き返す。
 ロナ・サオトメ。汚染駆除班の可愛い可愛いお姫様のミサキ・ケルンティアに何故か触れても大丈夫な男。
「 サオトメ先生と何かあった? 」
 渋面をしたテオフィルスに気付いたのかタイガが酔っ払いのくせに意外と鋭い質問をしてくる。ヴォートカにカルウアを足したものを呑みながらテオフィルスは渋々答えた。
「 別に。前にB.Gー02の処理した時に会ったぐらいだ 」
「 ああ、アサギくんの。その時に何かあったの? 」
「 ……うちのミサキちゃんに触っても平気だった 」
「 へー 」
 それを聞いて、今度はタイガが渋面になった。意外な反応にテオフィルスの眉が上がる。
「 ミサキちゃんと何かあったのか? 」
「 あの子に絡んだ人が何故か辞めたりして人事的には悩みの種の子だから。それに、話し掛けても反応冷たいし 」
「 あれが可愛いんだろ 」
 テオフィルスの言葉にタイガは信じられないものを見るような目を向けてきた。
「 え……テオ君ってロリコン……? 」
「 違ぇよ。単に可愛い女の子が好きなだけだ 」
「 うわー…… 」
 胸を張って答えたら、あからさまにタイガにドン引きされた。ムカついたのでタイガの分の揚げ物も食べてやると、タイガからは悲鳴に似た声が上がったが完全に無視してやる。
「 それにミサキちゃんのコード読んでみろよ。あれを14歳が書いたとか有り得なすぎだし……天才にしろ、秀才にしろ、恐ろしい子だ 」
 如何にミサキのプログラムが無駄なく美しいか語ってやろうかと思ったが、タイガに「 オレ、プログラム分からないからね 」と先制されたので内心で舌打ちしつつ語るのを諦める。

「 あ、そうだ。ディーヴァ×クアエダムの曲聴く? 」
「 ディ……?」
「 モナルダさんが在籍してたグループ! 」
「 聴かないっていっても流すんだろ? 」
「 まぁね 」

 それから他愛のない話をして、曲を聴いたりして。
 それぞれの理由で初恋に破れた男達の夜は更けていくのだった。