薄明のカンテ - くろねこのたんご/べに
きみはカワイイ ぼくのくろねこ




LaLaLaLaLaLa LaLa...

前編

「バートンさんはぁ、今日はお休みですよ?」
 「知らなかったんですかぁ?」を言外に滲ませながら、対応に出たユリア・ベルがふわりとした柔らかなローズブラウンの髪を揺らした。彼女が動く度に良い匂いがするような気がするのは香水かそれとも柔軟剤か、はたまたルーウィンの気の所為か。
「マジっすか。いや、俺、アイツのシフト知らねーんで」
「えー。前にぃ、バートンさんとお話してるの見かけたのでお友達なのかと思ってましたけどぉ、シフトも知らない仲なんですね。じゃあ連絡先も知らないかぁ……」
 ユリアのグロスでぷるぷるの艶やかな唇から放たれた何気ない言葉がグサリとルーウィンの胸に刺さる。ショックで手にしていた袋を落としそうな気分になるが、中身がルーウィンの実家のイノシシ印の牛乳瓶であることを思い出してすんでのところで思いとどまった。
「い、居ねーなら諦めるんで大丈夫っす。仕事、邪魔して悪かったっすね」
「バートンさん、見つかるといいですねぇ」
 可愛らしく手を振るユリアと、そんなユリアと話していた事での男たちからの嫉妬の視線を背に受けながらも、そんなものは気にも止めず(そもそも男達の視線には気付いてもいない)ルーウィンは総務班の部屋を後にした。
「どーすっかな……」
 部屋を出て思わず独りごちる。
 実家から牛乳が届いたが一人で飲み切れる量ではなかったので仕方なく・・・・クロエに分けてやろうと思っていたのに。
 そんなクロエの友人であるミアに連絡をとろうかとも思ったが、そこまでしてクロエを探すのも何だか気恥ずかしくて無理だ。恋愛話恋バナが好きなミアは、ルーウィンが「クロエに用がある」と言うたびに締まりのないどうしようもない顔でルーウィンを見てくるので実はルーウィンとしては、あまり頼りたくない。
 ミアを除外すると他のクロエの交友関係でルーウィンが知っているのはシキ・チェンバースとロード・マーシュであり2人が頭に浮かぶのだが、彼等に頼むのは余計に嫌だった。理由は良く分からないが、2人がクロエの予定を知っていて自分が知らないのは面白くない。
「ルー!!」
 廊下で思案していると脳天気な女の声が自分を呼んだ。
 振り向けば、モップを片手に手を振りながら近付いてくる機械人形が一体。普段下ろしているピンク色の髪をアップにしたシニヨンヘアにしているが、ルーウィンがある意味では良く知る機械人形のマナキノだ。
「ねえねえ、ルー!見て見て!」
 髪型を自慢したいのだろう。ルーウィンと少し距離をとって立ち止まったマナキノがクルリとその場で一回転する。
「バカ、お前! 回るならモップは放せって!」
 マナキノが手にしていたモップはよりにもよって水を含んだものであり、そんなものを持って一回転すれば水が飛ぶのは必然である。
 髪型の感想を言わずに叫ぶルーウィンにマナキノは不機嫌そうな顔を見せた。
「マナ、かわいい?」
「作業しやすくて良さそうだな」
「かわいい?」
「あー……かわいいんじゃねーの?」
 ルーウィンの口から「かわいい」が聞けてマナキノは満足したようで、不機嫌な顔を改めて機嫌の良い顔になる。その顔は確かに可愛い。
「シリルがねー、やってくれたのー!今度ルーもやろー?」
「止んねーよ!」
「あらあらマナちゃん、急に走ってったと思ったら」
 そんな声とニマニマした顔でルーウィンとマナキノを交互に見ながら現れたのはザラだった。明らかに恋愛的な関係の男女を見る目をして自分達を見てくるザラにマナキノは何も察することも無く「ザラだー!」と明るく言うばかりだが、ルーウィンはそうでは無かった。
「ザラおばさん! マナキノは機械人形っすよ!」
「おやおや、機械人形だからって差別は良くないよ」
「よくないよー!」
 そうは言われても機械人形と恋愛をするなんて酷い機械人形偏愛症ヴィニズムではないか。機械人形に悪い感情は無いものの、無機物と恋愛する人間だと思われたらたまったものではない。ただでさえ、ルーウィンはマナキノ関係によって「怖いものが苦手な男」として結社内に知られているというのに、更にそこにそんな噂が加わったらただの変態だ。
「まあ、冗談は置いといて」
 当然ながらザラの言葉は冗談だったらしい。
 ホッとするルーに、カラッとした顔で笑ったザラはマナキノに視線を向ける。
「マナちゃん、モップを持って走ったらマナちゃんが転ぶかもしれないし、他の人を転ばせてしまうかもしれないし危ないよ。次からはモップは持たずにルー君の元に走りなね?」
「うん!マナ、次からそうするね!」
 あ、走るのは良いのか。
 ルーウィンはザラとマナキノの会話にそんな事を思う。
 しかし、機械人形であるマナキノは見た目の割に重くて、飛びつかれると大変な目に遭うルーウィンとしては此処で黙ってはいられない。
「走るのも危ねーから止めよーな」
「うん! 次は走らず急ぐね!」
 素直に頷くマナキノはやっぱり可愛い。
 可愛いが、かつての『お野菜のレポラさん家のマナキノ』を少しだけとはいえ知るルーとしては何とも言えない思いも湧き上がる。

『嬉しい! 私もまたルー君に会えるの楽しみにしてるね!』

 かつて、そう言ってルーウィンの頬に触れるか触れないかのキスをした大人びた性格のマナキノ。
 あのマナキノには、もう会えないのだろうか。
 しかし、元々の性格のマナキノに会えた時には今の『キセキノカドーのマナキノ』には会えなくなる訳で、それはそれで寂しいものがある。
「ばーか。走らず急ぐってどうやるんだよ?」
 そう言ってマナキノのピンク色の髪を角のように生えた枝に気をつけつつ、今日は髪型も違うため崩さないように撫でた。機械人形の髪は人間の髪と違う人工の素材で出来ているがサラサラで気持ちがいい。
「うんとねー、その時考える」
「本当危ねーから、気をつけろよ」
 マナキノが前傾姿勢で突っ込んできたら猛牛が突進してくるようなものだ。人によっては本当に怪我をしかねない。
「それじゃ、マナちゃん。サンちゃんとノーマン君だけに掃除して貰うのも悪いし戻るとするかね」
「うん。ばいばい、ルー!」
 こうしてマナキノとザラが仕事に戻っていくのを見送ったルーウィンは、クロエに会えずにモヤモヤしていた心が少し晴れていたことに気付く。どうやらマナキノの明るさに救われたものがあったのかもしれない。
 晴れた心になったルーウィンは今日、クロエを探すことは諦めることにして部屋に戻って牛乳を冷蔵庫に入れにいくことにした。その後に空いた時間は買い物に行こうか、それとも誰か居れば訓練場で遊んでもらおうか。
 寮までの道程をショートカットしようとルーウィンは廊下を歩かず、中庭へと足を向けた。中庭を突っ切っていけば少しは距離が短いからだ。
 中庭には誰もおらず、ルーウィンは黙々と歩く。
 しかし、その軽快な足取りが中程まで来て唐突に止まった。

――誰もいない中庭で、視線を感じる。

 それは気のせいだと笑い飛ばすことを絶対にさせないとばかりの刺すような強い視線だった。それとなく周囲に視線を巡らすが、やはり誰もいない。
 晴天の空の下、ルーウィンの背筋を暑さからではない汗が一筋流れる。
 一歩、歩く。
 視線はまだルーウィンに刺さっている。
 もう一歩、歩く。
 やはり視線はルーウィンに向いている。
「ふざけんな、誰だよ!?」
 それが人間か機械人形の誰かであると信じてルーウィンは声を上げて振り返った。
 しかし、誰もいない。
 それでも感じ続ける何かの視線がルーウィンを射続ける。
「き、きき、気の所為か」
 何もいない事実に顔を青くしたルーウィンは現実から目を逸らすかのように呟いたが、途端にそれを否定するかのように近くの低木が風も無いのに揺れた。
 そして恐怖から悲鳴も何も出ない金縛りにあったかのようなルーウィンの前にそれ・・は姿を現した。
「猫……?」
 絞り出すような乾いた声でその生き物の種族名を呟く。
 茂みから出てきたのは正しく猫だった。黒猫なのだろうが光の加減で何処か紫めいて見える不思議な毛皮を纏い、ルーウィンを見上げる目も珍しいことに美しい紫色だ。
「ピリツの……友達か?」
 マルフィ結社の敷地内で日向ぼっこをする姿が良く目撃される猫の名前を呟く。
『そんな訳ないだろ』
 黒猫がそんな顔をした。
 猫の表情なんて分かる訳がないのだが、何故かその瞬間ルーウィンは猫の気持ちが伝わってきたような気がした。
 視線の正体がルーウィンの苦手なアレではなく、この黒猫だったことに安堵したルーウィンは屈みこんで黒猫へと手を伸ばす。実家が酪農を営む男、ルーウィン・ジャヴァリーは動物は何でも好きなのだ。
「ほらほら、猫ー。こっちへ来いって」
 手を伸ばして「ちっちっ」と舌を鳴らす。
 目の前にいるのは紫がかって見える綺麗な毛並みの猫で、きっと触ったら気持ちが良い事だろう。あれだけ毛並みが整っているのなら誰かの飼い猫なのかもしれない。部屋の中で飼っている室内飼いの猫が逃げ出したというなら保護して飼い主に返してやらないとな、と理由をつけつつルーウィンは猫を呼んだ。
 しかし、猫は紫の目に妙に冷めきった色を浮かべてルーウィンを見つめるだけだった。猫は気儘な生き物であって呼んでも来ない事は珍しい事ではないのだが、その猫は何だかルーウィンの事をバカにしているような顔をしているように見える。
 猫を呼ぶために丁度いい餌でも持っていないかとポケットを漁るが、猫の嗜好品なんぞを都合良く持ち歩いている訳も無い。ルーウィンが持っているのは猫によっては上手く消化の出来ない牛乳くらいだ。
「おーい、猫ー。牛乳あるぞー」
 一か八かとばかりにルーウィンは袋から出した牛乳瓶を猫に見えるようにして猫に声を掛けてみる。効果は当然のように無いはずだった。
「マジかよ」
 思わず呟く。
 何故か効果は抜群だった。『仕方ない』という顔をした黒猫がルーウィンに近寄って来るではないか。
「お前、牛乳好きな猫なのか? 変わったヤツだなー」
 言いながらもルーウィンの頬は緩んだ。牛乳が好きというだけで猫の可愛さが上がった気がするし、そのおかげであと少しでこの艶々の猫を触れるのだ。
 意外なことに黒猫は近付いてくると距離を詰めるのが早く、ルーウィンの地面についていた片膝に前足をかける程接近してきた。
「何だ。意外と懐っこいのか、お前」
 そう言ってルーウィンは黒猫の頬を撫でようと手を伸ばすが、その手は『触るな』とばかりに猫パンチに払われた。爪を立てないだけマシだが、だったら何で近付いてきたんだとも思う。
 唖然とするルーウィンの顔を黒猫が綺麗な瞳でじっと見上げた。どうやら逃げるつもりはないらしいが、触らせる気もないらしい。
「どーしろって言うんだよ……」
 猫に問い掛けるように呟くと、猫が「にゃあ」と短く鳴いた。
 その鳴き声が『抱いて連れてけ』と言っているように聞こえた気がして、ルーウィンは自分の頭がおかしくなったかと思う。思うが、そう聞こえるのだから仕方ない。
「まぁ、そうだよな。ここじゃ牛乳飲めねーもんな」
 ルーウィンが手にするのはあくまでも牛乳瓶だけ。
 まさか瓶に猫の顔を突っ込む訳にもいかないので、猫に飲ませてやるなら皿が必要だ。
 どうやら、こちらのお猫様は可愛がるために撫でるのは許さないが動く為に抱き上げるのはお許してくださるらしい。
「よーし、じゃあ俺の部屋行こうな。クロ・・
 抱き上げて立ち上がると黒猫の身体がピクリと揺れた。
 急に視線の高さが変わって驚いたのかもしれない。
 それでも暴れ出す様子を見せなかった黒猫に安心しながら、ルーウィンはさりげなく触れた猫の毛並みの良さに笑みを浮かべて歩き出した。

中編

 黒猫を抱いて中庭を抜け、再び建物内に入ったルーウィンの足が暫くしてピタリと止まった。
「やべ……」
 そして誰に言うでもなく呟く。
 ルーウィンの視線の先に居たのはこちらへ向かって歩いてくるロードとシキの姿だった。どうやら見る限り談笑しているらしく2人はまだルーウィンに気づいていないようだ。
 クロエを探すのを諦めた今、2人に会うのは何も問題は無い。
 しかし、何故だか知らないがこの黒猫を2人に見せるのは何だか嫌だった。ロードもシキも悪い奴ではない。猫を見せても虐めることはしないだろうし、むしろ誰かを彷彿とさせる・・・・・・・・・黒猫を見せたら黒猫が喜ぶかもしれない。
 それは分かっているが、ルーウィンは理由も分からず嫌だった。胸の中がモヤモヤとする。
「痛っ……クロ?」
 立ちすくんでいると、黒猫がルーウィンの腕に爪を立てていた。
 それが『2人には会いたくない』というアピールのように感じられたルーウィンは目を瞬いて黒猫を見るが、黒猫は爪を立てたことに微塵も罪悪感を抱いていない顔でルーウィンを見るどころか『早く動け』とばかりに更に爪をたててきた。
「分かった、分かった。仕方ねーな」
 猫が嫌がったから2人には見せないように部屋に帰ろう。
 自分に都合の良い結論を導き出したルーウィンは身を翻すと廊下を別の方向へと歩き出す。元々、寮への最短ルートのために中庭を通ったはずなのに、これでは全くの遠回りだが仕方ない。

 * * *

「ルー君?」
 ロードとシキとのエンカウントを避けて別の道を行くルーウィンを呼び止めるのは可愛らしい女の子の声だ。
 その声には聞き覚えがあったルーウィンが声のする方を見れば、そこには目を丸くしたヒギリが立っていた。
「あー……モナルダさん」
「どうしたんよ、その猫」
 どうやらヒギリはルーウィンに声をかける前に彼が胸に抱く猫の存在に気付いていて、それでルーウィンに声をかけてきたようだった。ヒギリになら隠さなくても良いかと判断したルーウィンは黒猫を見せるように彼女へと向き直る。
「中庭で拾ったんすけど、誰かの飼い猫とかで聞いた事ねーっすか?」
「うーん……黒猫の話は聞いた事ないかも。『足早の黒猫シャノワール』なら知ってるけど」
「何すか、その『足早の』って」
「第六小隊のユウヤミ・リーシェルさんの異名」
 ヒギリの答えにルーウィンはガックリと肩を落とした。
 言われてみれば日に当たってないのかと言いたい不健康な肌に対称的な黒い髪と目をしたユウヤミを動物に喩えるなら「黒猫」は似合いそうだが、今ルーウィンが知りたいのは本物の猫の情報である。人間の情報はどうでもいいし、男の情報なんぞ尚更どうでもいい。
「エミールさんなら動物情報詳しいかも。たまに知り合いの飼ってるペペローネちゃん預かったりしてるから、そこから結構ペット界隈の輪が広がってるみたいなんよ」
「マジっすか。じゃあ“ アニキ ”に聞いてみるか」
 ルーウィンの言葉に、ヒギリが目を瞬く。今の話の流れではルーウィンの言う“ アニキ ”が指すのはエミールのことに他ならないだろうが、当然の事ながらルーウィンとエミールは兄弟ではない。しかもヒギリがエミールの姿を想像しても、どう考えても“ アニキ ”の雰囲気はなかった。
「何でエミールさんが“ アニキ ”?」
「え? 何かそれっぽくないすか?」
「いやいや、それっぽくないから聞いてるんだけど!?」
 ヒギリのツッコミに対してもルーウィンは「そーっすか?」と逆に分からないヒギリが異常だとばかりの顔をしていたが、ヒギリとしては良く分からない呼び方をしているルーウィンの方が異常だ。
 おそらくルーウィンの中にあるヤンキー心がエミールの過去の姿を感知した故のことなのだが、真実は今のところ誰も知らないままである。
「アニキの件は置いといて。今日、私もエミールさんも仕事だから聞きに行くとしても猫ちゃんと一緒だとダメなんよ。ノエさん、普段は優しいけど衛生管理には余念が無いから食堂に動物は禁止」
 ヒギリとエミールは給食部の人間だ。確かに動物の毛が服にでも付いたり、はたまた食事に混入なんてしてしまったら大事件になりかねない。
 そう言えば先程からヒギリの距離が今日は遠いなと思っていたルーウィンだったがヒギリは猫の毛が付着しないように気をつかっていただけで、自分が嫌われていて距離をとられている訳ではないと知って密かに安堵する。
「クロを部屋に置いてから……いや、部屋でコイツが何するか分かんねーしな……」
「クロっていう名前なの?」
「こいつ、黒猫なんで。『猫』って呼ぶのも悪いんで仮の名前っす」
 黒猫だから「クロ」。
 安直極まりないルーウィンの名付けに「名付けセンス無いんだなぁ」と密かに思ったヒギリの笑みが強ばる。そして、これ以上名前について語ることは諦めて先程から気になっていた猫に関する別の話題を口に乗せることにした。
「この猫ちゃん、目の色紫なんだね。珍しいね」
「人間だって紫の目って珍しいっすよね」
 そう言ってルーウィンは黒猫――クロを撫でたそうにキラキラとした目で眺めているヒギリの目の色を改めて見つめて気付く。
「ていうかモナルダさんが綺麗な目してんじゃねーっすか」
「褒めても何も出んよ?」
「牛乳プリンの食券が良いっす」
「本当に物狙いなんかーい!」
 ビシッと漫才師のノリで手を動かすヒギリ。
 本当はルーウィンにツッコミを入れたいが、クロがいるので触れないヒギリは空中にツッコミを入れていた。ヒギリのこういうノリの良さは本当に楽しい。
「いや、マジで綺麗っすよ。モナルダさん」
「よ、よせやい。マジトーンで言うのはナシナシ!」
 照れたように顔を赤くするヒギリは本当に可愛らしかった。学校に通っていたなら学年的には2つ上なため、ヒギリは立派に先輩な筈なのだが同級生のような……更に言うなら後輩のような可愛さがある。
「さっすが食堂のアイドル! かわいいっすねー!」
 だから、ついついヒギリをからかうのが楽しくなってルーウィンは調子に乗った。ヒギリは照れまくりで「よせやい」と制止の言葉を言うのが精一杯だ。
「痛ッ……クロ!?」
 調子に乗ったルーウィンを止めたのは、まさかの腕に抱いたクロだった。猫らしい靱やかさで身体を捻りルーウィンの腕によりにもよって噛み付いてきたのだ。それは引っかかれるよりも、ずっと痛い。
 痛がるルーウィンの腕から口を離したクロは相変わらずツンとした態度でいるばかりで、それを見たヒギリが笑った。
「クロちゃん、嫉妬したのかもしれんね」
「は? 猫がっすか?」
「だってクロちゃんだって綺麗な紫の目をしているのにルー君が私ばっかり言うから嫉妬したんよ。きっとクロちゃんは女の子なんだね」
 クスクスと笑うヒギリに、ルーウィンは改めてクロへと視線を落とす。クロは『噛みましたが何か?』とばかりの顔でルーウィンを見つめていた。
 紫の目。ヒギリの丸くてパッチリして可愛らしい目とは違う猫らしい吊り上がった目は、ルーウィンに今日会いたかったのに会えなかったセーラー服姿の彼女を思い起こさせた。
 そのせいか緊張のあまり口の中に溜まった唾を飲み込み、ようやく口を開く。
「き、綺麗……だよ……」
「何で猫に言う方が緊張してるんよ!?」
「し、仕方ねーっすよ!」

――クロが、バートンに似ているのが悪いんすから。

 さすがにそれは口から飛び出させることなく、ルーウィンは思うだけに留めた。
「あ! もうこんな時間! ごめんね、ルー君もう行くね!」
 ルーウィンが新たな言い訳を作る前にヒギリの就業時間が迫っていたらしく、ヒギリが声を上げる。
「仕事頑張ってください」
「うん! 今度、クロちゃん撫でさせてね!」
 手を振って廊下の先に消えていくヒギリ。
 その姿がコンサートを終えて舞台袖へと捌けるアイドルのような華麗さがあるな、と以前強制的にタイガに観させられた「ディーヴァ×クアエダム」のライブコンサートの映像を思い浮かべながら思う。
 さすが「食堂のアイドル」。
 実際のアイドルと被って見えるとは。
 その「ディーヴァ×クアエダム」の「ローズ・マリー」がヒギリ・モナルダ本人であることは露知らず、ルーウィンは1人納得したように頷いた。

後編

 今の部屋の様子、どーなってんだっけ?
 黒猫のクロを腕に抱き寮の自分の部屋の前に帰ってきたルーウィンは、ポケットから鍵を取り出しながらふとそんな疑問を抱いた。
 整理整頓がキッチリしているという性格では無いため、部屋が綺麗とは言い難いのは分かっているがに見られてマズイものはなかっただろうか。
「いや、人じゃねーし」
 腕に抱いているのはどこかの誰かを彷彿とさせる・・・・・・・・・・・・・ものの黒猫だ。人間では無い。しかし、何故か彼女・・に部屋を見られるようで緊張してしまう。
 気まずい気持ちを抱きながらクロを見ると、クロは「早く入れろ」とばかりにルーウィンをその綺麗な紫の目で見上げてきた。
 上目遣いの可愛いお願いだ。
 瞬時にルーウィンの頭から「NOいいえ」が消えた。
 電子キーではない旧来の鍵を刺して回すタイプの扉を開けると、当然ながら何の変哲もない自分の部屋が広がっている。テーブルの上に清掃班に頼んでいた洗濯物の山が置きっ放しになってはいるが、洗濯されたものであるし綺麗に畳まれている(畳んでくれたのは清掃班である)ので大丈夫だ、問題ない。
「お、おいっ、クロ!?」
 スルリとルーウィンの手から滑り落ちて優雅に床に着地したクロが軽やかに家に入っていく。カンテ国は土足の国であるから問題は無いが、その足でベッドに上がられては流石に困るルーウィンはクロに慌てて手を伸ばすが靱やかな猫は「猫は液体」と言われるだけあってなかなか捕まらない。
 しかし、クロは部屋に侵入してもベッドに上がり込むこともせず床の上でルーウィンを振り返って見つめるだけだった。否、その目が見つめているのはルーウィンが手に下げているビニール袋だ。更に言うなら、その袋の中に入っている牛乳だろう。
「あー、はいはい。ちょっと待ってろよ」
 そう言ったもののクロに牛乳を飲ませる皿に丁度いいものはあっただろうかとルーウィンは戸棚に目を走らせる。すると大きさ的にも深さ的にも丁度良く、今までもこれからも使わない自信のある皿が目に入ってこれで良いかと手に取った。
「うちの牛乳は牛も他所と違って特別なんだからな。良く味わえよ」
 そう言ってクロに皿を差し出すと、クロは味を知っているかのように警戒することなく皿の中の牛乳に舌を伸ばした。
 クロがぺろぺろと牛乳を味わうのを、じっくりと緩んだ笑顔で見つめるルーウィン。その顔にどことなく悪戯を仕掛けたクソガキの色が浮かんでいることに、一所懸命に牛乳を舐めるクロが――そもそも猫なのだから――気づくはずもない。
 そして、牛乳は飲めば無くなるものである。
 牛乳が残り少なくなってきた時、それ・・は唐突にクロの目に飛び込んできた。瞳孔が真ん丸になり、思わず舌を止めたクロを見てルーウィンは腹を抱えて笑う。
「猫も驚くかと思ったけど、やっぱり驚くんだなコレ!」
 ルーウィンがクロに差し出した「これからも使わない自信のある皿」は、友人のタイガ・ヴァテールに貰った『Don⭐︎Dokosho』デザインの何故か網タイツを履いた足の綺麗なヒヨコが描かれた皿であった。タイガの部屋にあるブサイクなオッサンだかタヌキだかのプリントがされたマグカップのデザインよりマシではあるが、妙に勝気な表情のヒヨコと目が合うのが辛いだろうと判断して戸棚に仕舞いっぱなしであった皿なのである。猫なのだからクロは気にしないだろうと思っていたが、さすがに人間でなくても衝撃を感じてしまうデザインだったようだ。
 恨みがましいジットリとした目をクロが、笑いすぎて目に涙すら浮かべているルーウィンへと向ける。その目がおかしくてルーウィンは更に笑った。
 そんなルーウィンを存分に睨みつけた後、食欲なのか、はたまた人間のように残すことを嫌がったのかクロは大人しく『足長ひよこ』のプリントされた皿に残った牛乳を舐めとる。
 そして、全て舐め終わった後に。
「痛ッ!? マジかよ!?」
 ルーウィンの顔にはクロの爪によって新しい傷がついたのであった。

 * * *

『今現在、ペットの黒猫がいなくなったという届けは出ていませんね』
「そーっすか……」
 クロの存在を総務部へと連絡しようと電話をかけたルーウィンは、応対したフィオナ・フラナガンの答えに肩を落とした。
『ジャヴァリーさんがこれから先も飼うのでしたら……そちらの物件はペット可なので問題ないですが、届けが必要ですのでお願いします。または飼い主を探すようでしたら総務の方でデータを作成しますので、写真等を送っていただく形になりますね』
 手馴れた様子でフィオナが語るが、ルーウィンはクロの今後を決めかねていた。
 クロは紫がかって見える綺麗な毛並みの猫だ。誰かの飼い猫なのかもしれないと思い、ここまで連れてきたが違うとなると今後に悩んでしまう。
 飼えるものなら飼いたいが、ルーウィンは前線駆除班。支部勤務となれば数日部屋を空けることもあるため、ペットを飼うのに良い環境とは言えないだろう。
 電話口で思わず黙ってしまったルーウィンの心を読んだかのように、再びフィオナが口を開く。
『わたしの方で黒猫を飼っている届けを出している方に連絡を取ってみますので、それまで預かっていていただいて良いですか? どうされるのかは、その後……数日かかるかもしれませんが、その時に伺います』
「了解っす」
 おそらく、本来は数日かかることなく終わる作業なのだろうがフィオナはあえて「数日かかる」と言っていた。ルーウィンはそんなフィオナの心遣いに感謝しながら応える。
『あの、ジャヴァリーさん』
「はい?」
 そんな折、フィオナの声のトーンが急に弾んだものに変わってルーウィンは訝しげな顔になりつつも返事をした。
『その黒猫、“くろいの”に似ていたりしますか?』
「“くろいの”……?」
『ご存知ないですか? 4年くらい前にドラマもやっていた「大きなナラの木の下で」に出てくる黒猫なんですけど!』
 どうやらフィオナは、その『大きなナラの木の下で』が好きなようだが、ルーウィンはあいにくドラマに興味がなく言われて「そういえば、昔流行ってたような……」のレベルの男であった。
「いやー、ちょっと知らねーっす。ていうか黒猫で“くろいの”って安直な名前っすねー」
 黒猫に“クロ”と名付けている男の発言とはとても思えない発言だが、フィオナはその事を知らない。「“くろいの”は確かに安直なネーミングではありますけどもそれは……(以下、長文でのオタク的考察が延々と続く)」と脳内でのみ言葉を発したフィオナは今が仕事中であり、相手は非オタのルーウィンである事に気付いて表向きは「そうですね」とだけ言うに留めた。
『好きなドラマの猫ちゃんに似てたら良いな、なんて思っただけなんですよ。黒い毛並みに更に黒い瞳の猫ちゃんなんですけどねっ』
「あー、じゃあコイツと、そのくろいのは似てねーっすよ。すっげー綺麗な紫の目ぇしてますもん」
『紫だなんて変わってますね!それなら探している人がいれば直ぐに見つかりそうです。では、わたしは捜索してみますので』
「宜しく頼むっす」
『はい、承りました』
 電話を切ったルーウィンは、クロとまだ一緒にいられて嬉しいような、クロの飼い主が見つからなかったことに対する残念感と混ぜこぜになった息を吐く。
 そうして電話の間中は放置してしまっていたクロはどうしているだろうかと首を巡らすと、サッと顔色を変えた。
 ベッドに前足をかけているクロを発見してしまったからだ。
「あ、クロエ・・・! それはダメだって!」
 携帯端末を放り投げてルーウィンはクロをすんでのところで抱き止める。
「お前、ヤンチャだな……ベッドはダメだって言っただろ、クロ」
 クロに言い聞かせるように顔を見ると、きょとんとしたような顔をしたクロの紫色の目と目が合った。「今、お前違う名前で呼んだよな?」と目がちゃんと言っているような気がしてルーウィンは思わず噴き出して笑う。
「ははっ、凄いなクロ。ちゃんと呼び方違うの分かるんだな」
 そう言って頭を撫でると、唖然としたままのクロは大人しくルーウィンに撫でられていた。
「別に黒いから“クロ”って呼んでた訳じゃねーんだ。お前みたいな……知り合いが居て、実はそいつの名前からとったんだよ」
 クロエとの関係を何て言ったら分からず「知り合い」と言ってみたルーウィンだったが、自分で言っておいて傷ついたような顔を見せる。クロエに会いに行った総務部ではユリアに「シフトも知らない仲なんですね。じゃあ連絡先も知らないかぁ」と言われてしまったが、自分とクロエの関係なんてそんなものだ。精々が、お裾分けをするご近所さんレベルだ。
「ま、クロはクロエと違って可愛いけどなー」
 大人しく撫でられていたクロが不満そうな顔(ルーウィンには確かにこう見えた)をしてルーウィンを見上げた。
「クロエはかわいい系っていうより綺麗系なんだよ。本人には絶対に言わねーけど」
 相手が人間ではないルーウィンの口は饒舌だった。
 クロがどことなくクロエに似た黒猫というのが大きいのかもしれない。
「うちの小隊に居るゼンさんはさ、クロエのこと『ゴボウ娘』とか言うけど別にゴボウだって何も悪くねーし別に良いよな。意見をしっかり言えるのだって言えねーでモゴモゴしてる奴の何倍も良いし」
 クロは黒猫である。
 故に顔色が変わったとしても毛並みに防がれてそれを見ることは出来ない。仮に猫の顔色を見ることが出来たならば、今のクロはルーウィンの言葉に自分の事のように・・・・・・・・赤面していたかもしれない。
「本当、強い女で良い奴だよ。クロエは」
 そこまで言ってルーウィンは話の流れからすると違和感のある大きな溜め息をつく。
「だからさ、そんな強いアイツが頼りたくなるのって……あのパパ活やってそうな人なんだよな。完璧な大人の男みたいな奴じゃなきゃ、クロエが寄りかかれない」
 ルーウィンの言う「パパ活やってそうな人」とは人事部のロード・マーシュのことに他ならない。
 ロードと、それとシキ。クロエが親しい男性達。
 今日、クロエの居場所が分からなかった時も、クロを抱えて彼等に会いそうだった時も、彼等に頼るのもクロを見せるのも「理由もなく」ルーウィンは嫌だと思った。否、理由もなくというのは己の感情を認めたくなくて目を背けていたからだ。
 その感情の名前は、嫉妬。
 クロエと親しい彼等が羨ましくて妬ましい。
 そんな事を考える自分の人間性の小ささに情けなくなってくるし、それを考えてしまう段階で既に自分はロードやシキに劣った人間であると思う。
 つまり、自分はクロエが寄りかかろうとしない程度の人間。
 認めたくはないが、そういうことなのだ。
「……クロエとマーシュさん、付き合えばいいのに」
 思ってもいない事を口に出すと、余計にそれが胸に重く伸し掛る。
 余談であるがロードが医療班のヴォイド・ホロウに心底惚れていて彼女にのみ愛を捧げていることをルーウィンは知らない。それを知るのは結社でも限られた人間だけであり、比較的ロードと親しい人物と愛を捧ぐ瞬間を目撃した事がありそうな医療班の人間位だ。ロードはロードで結社内での自身の立ち回り方を理解しており、日頃は「良き大人の男性」としての仮面を綺麗に被って動いている。それを見破る事のできる人間は余程の勘に冴えた者くらいであり、結社内に見破っている者が現在居るのか怪しい程の完璧な擬態振りだ。
 凹むルーウィンにクロは何とも不服そうな鳴き声を出す。その声から滲み出る不機嫌の音色が面白くてルーウィンの顔は心に反して緩んだ。
「クロ、そんな嫌そうに鳴くなって」
 更にもう一声、それはそれは嫌そうにクロが鳴く。
 少なくともルーウィンには、そう聞こえた。
「そうだよな。うじうじ言っても何も変わんねーよな」
 クロの頭を撫でながら、この黒猫をやっぱりどうにかして自分が飼えないかとルーウィンは真剣に考えることにした。
 例えばルーウィンが勝手に「アニキ」と呼んでいるエミールは、知人の飼う犬のペペローネを時々預かっているようだが、同じようにクロを預かってくれる人間を探すとか。
「一緒にいような、クロ」
 ルーウィンが、そうやってクロに声をかけると。
 クロは冷めた目でルーウィンを見て、「仕方ないですね」とばかりの声音で「にゃあ」と返事をするのだった。

完結

 6:00マルロクマルマル
 ルーウィンはパチリと目を開ける。起床ラッパの音が聞こえなくても未だに本能的に起きてしまう自分に苦笑しつつも、やはり軍警学校の寮での癖で手早く毛布を畳んでしまう。
 基本的には「家事なんて死ななきゃ良くねー?」の雑な精神のルーウィンではあるが、マルフィ結社に来る前に居た軍警学校でそれは許されるものでさなかった。更にいうならここから手早く身支度をして外に飛び出しての訓練もあったのだが、今は無いのでそこはのんびりと朝を楽しむことにしている。
 そんないつもと変わらない朝。
 ルーウィンはベッド下の妹達が贈ってきた「いつ使うんだ?」と首を傾げたくなるような可愛くデフォルメされた猪のついたブランケットを覗き込む。くしゃっと丸めたそこは黒猫のクロのための簡易ベッドだ。
「クロ……?」
 しかし、そこに黒猫の姿は無く、ルーウィンは辺りを見回す。しかし部屋はシンと静まり返っていてルーウィン以外の生き物が居る気配はない。
 ベッドから降りてブランケットを触ると冷たい。
 つまり、クロは大分前にここから離れたということだ。
「クロー。どこだー?」
 ルーウィンの部屋は何の変哲もない結社の独身の人間に与えられるワンルーム。隠れられるような場所はないのに、クロが見当たらない。
 窓は鍵がしっかりかかっている。
 バスルームやトイレのドアを開けて覗いてみるが、やはりクロはいない。
 部屋の中をもう一度時間をかけて細かくチェックしても、動物が居る気配はない。
 クロが、居ない。
「どうなってんだ?」
 呟きながら最後にチェックすべき玄関ドアへと向かう。
 しかし鍵はかかっているし、ルーウィンの家には猫用のドアはない。
 煙のようにクロが消えてしまった。

――ピンポーンッ

 ドアの前で思案しているタイミングでインターフォンが鳴り、驚いたルーウィンは目を丸くして肩をビクリとさせる。
 こんな時間に誰だ?
 怪訝に思いながらもルーウィンはドアを開けて、更に驚いた。
「ク……バートン!?」
 ドアの前に居たのは、昨日ルーウィンが探していたクロエ・バートンに他ならず何故彼女がここにいるのかとルーウィンは混乱する。
 そんなルーウィンを見てクロエは眉をひそめた。
「早朝からの大声は近所迷惑です。そして、その格好は女子に対して見せる格好ではないと思うのですが」
 言われてルーウィンは自身の格好を思い出す。
 今の彼は寝起きのままであり、その出で立ちはTシャツにボクサーパンツといった確かに人前に出てはいけない格好である。そんな事を考えたら妹達にも「そんな格好で家の中うろつかないでよ!」と怒られた記憶が甦って、余計に何とも言えないモヤついた気分になった。
「いや、お前こそ何時だと」
「それともあれですか。私と分かった上での対応がそれですか」
「ちょっと待てバートン、話を聞」
「随分と舐めた態度をとってくれやがりますね」
 クロエは朝から絶好調に強かった。勝てる気がする筈もないルーウィンはこのまま玄関先で会話を続けるのも本当の近所迷惑になってマズイと思い、ドアの前から身体を半分ずらす。
「入れよ」
「ええ、お邪魔します」
 招いておいて何だが、ここは曲がりなりにも男の部屋である。しかし、クロエは何の感情も抱いていないのか平然と身体を滑り込ませて部屋へと入っていく。男として意識されていないのだなとルーウィンはクロエの後ろ姿を見ながら密かに肩を落とした。
 そんな部屋主の凹んだ様子を知ることも無くクロエは知っている部屋・・・・・・・のような態度でベッド下まで進むと丸めてあったブランケットを手に取ってルーウィンを振り返る。
「随分と愛らしい柄ですね」
「妹が猪柄だからって送って来たんだよ」
「ああ、成程。妹からの贈り物だから、部屋にコレがあったと」
 納得したようにクロエは呟いた。そして、彼女は更に言葉を続ける。
「では、あの網タイツを履いたヒヨコ・・・・・・・・・・・の皿もですか?」
「あれはタイガが……」
 言って気付く。
 何故、クロエが昨日のクロに出した皿を知っているのだろう。
 キッチンへと目を走らせるが、その皿は柄のある面が下を向いていて今目にしたという訳ではないし、当てずっぽうで言うには的確すぎる。
 クロエを見ると彼女は紫色の瞳に悪戯めいた色を浮かべ、微かに挑発するように微笑んでいた。
「お前がクロ……?」
「まさか。人間が猫になる訳ないでしょう」
 鼻で笑われるが、ルーウィンはクロエの言葉に力が抜けて床に座り込んだ。
 「クロ」が「猫」であることを知る人間は限られている。
 そして、その人間の中に昨日会っていないクロエは含まれて居ないはずなのだ。
「嘘だろ……」
 ルーウィンは頭を抱える。
 クロが人間ではないのを良いことに自分がクロに何を話したのか思い出してしまった。人間が猫になるのか、なんて非科学的なことをあっさりと信じるくらい湧き上がってきた羞恥心が何よりも勝る。
 床で羞恥心で死にそうになっているルーウィンを無視して、ブランケットをベッドの上に畳んで置いたクロエは流れるように冷蔵庫へと向かうと部屋主の許可もとらずに開けて中から牛乳瓶を取り出した。
 それは昨日、クロに飲ませた分減っている牛乳だ。わざわざそれを取り出すということで、チラリとクロエの様子を窺ったルーウィンは「クロがクロエ」ということを真実として信じ込んでしまう。
「し、新品持って行けよ」
「いえ、これで結構です。これ・・は私が貰うはずだったものですから」
 どうやらクロエが早朝からルーウィンの部屋に来た理由は牛乳を取りに来ただけのようだった。クロエに牛乳を渡そうとしていたことはユリアが知っているので、彼女から連絡が行ったとすればその点に関しては何もおかしな所はない。「クロという黒猫をルーウィンが保護した」とフィオナから聞けば、クロエが知っていても何ら不思議はない。
 しかし、もはやルーウィンの中で「クロはクロエ」が真実となっていた。
 覚悟を決めたルーウィンは顔を上げると、早々に玄関へ向かっていたクロエの背中に向かって声をかける。
「クロエ」
 呼ばれたクロエが振り向く。
「返事は『にゃあ』ですか?」


La la la la la la La la (meow)