薄明のカンテ - お疲れ様、私達!/燐花

十人並み誤用オヂサン、飛ぶ。

 後数日で今年も終わる。急にそんな年の瀬特有の空気を感じつつ運ばれて来たつまみを口にする。居酒屋ノスタルジァの安定の味は一瞬だけ怒りの感情を払拭してくれたが、矢張り三人揃えば愚痴を吐かずにいられなかった。
「もー!!本当こんな大変だった年の締めにどうしてあんなオヤジと飲まなきゃいけなかったのよー!!」
 エーデルが雄叫びを上げながらスプモーニを煽る様に飲む。そこにそーよそーよ!と続けるのはヴィーラだ。
「本当はタイガが行く筈だったのに…!急遽外せなくなったからって私達ってどう言う事!?」
 同じ様にスプモーニを煽って恨めしそうに天井を見つめるヴィーラ。更に続けてシーリアがスプモーニのグラスをぐいっと、良い飲みっぷりで空けてしまう。
「しかもあのオジサン!私達見て『十人並みなお嬢さんだねぇ』ってどー言う意味なのよ!!」
 百人力の間違いなのか本当に十人並みと思ったのかどっちなのよ!?とシーリアは文句を言った。
 言葉のニュアンスだけを覚えて意味を全く勘違いしていると言うのはよくある問題で、こう言う時相手は褒めたつもりで間違えてる事もあるし意味を知ってて皮肉として言っている事もあるし、どちらにせよその後の人間関係を円滑にしたいのならば「指摘しない」が正解だ。しかし言われた側は得も言われぬモヤモヤが残るものであり、三人もまた例に漏れずモヤモヤしていた。
「もうこうなったらタイガを呼ぶしか無いわ」
 ヴィーラの言葉を皮切りにエーデルがタイガにメッセージを送る。もうこうなったらタイガを巻き込んで四人で忘年会をしてやる。
 テロが起き、結社に来る事になったこの年。色んな人に出会い、色んなものも見て来たこの年の仕事の締めが「十人並み誤用オヂサン」と言うのは些か残念過ぎる。せめて弟の様に扱っている(もとい、下僕とも言う)タイガを呼ばずしてこの年は終われない。
「あ、タイガから返事!」
「何て!?」
「『良いけど、今やっと仕事終わって皆で居るからその人達も一緒に合同の飲みで良い?』ですって!!」
「合同!?誰と!?」
「聞いてみる!!」
 エーデルが再びメッセージを送ると、タイガは光の速さで返事を返した。
「一言、『人事部』だって」
「えー…他の人も一緒じゃ気を遣っちゃって楽しく飲めないかもしれないじゃない…」
「まあ、社内人事課で忘年会だと思えば良いかしら…正直同じ課にいてもまだあまり話せてない人もいるし、皆で落ち着いて労い会みたいなのもしてなかったし…」
「しかしタイガもぶっきらぼうね。誰が来るかくらい教えてくれても良いじゃない。ねえ、誰だと思う?」
「んー…タイガと今まで一緒に仕事してた人でしょ?あ、あの子の隣の席のケレンリーさんとか?」
「ああ、あのオタクっぽい人?」
「彼が来ても盛り上がるのかしら…?」
「じゃあ、意外性を突いてナシェリさんとか?」
「ナシェリさんがそんな下々の者とお酒なんて飲みに行くかしら?本当に来たら面白いけど」
「きっと一緒に居てもつまらないと思わせちゃうわよ。あーあ、こんな時のお酒くらい楽しく飲みたいなぁ…」
 はぁ、と三人揃って溜息を吐く。そんな三人の頭の中に浮かんでいるのは同じ人物だった。黒くてサラサラした髪、切れ長のセクシーな目元。気を遣っているのか男性ながら唇は艶々で、手もハンドクリームを愛用しているのかいつも爪まで綺麗で潤った肌をしている。少し細身だけれどそれなりに鍛えているのが分かるそんな体を黒いスーツで包み、よく映える赤いネクタイで首元を飾っている彼。
「ロード様…」
 誰ともなく吐息と共にその名前を漏らせば、三人揃ってまださして酔ってもいないのに酔っているかの様にとろんとした瞳になる。
「ロード様が来てくれるなら嬉しいのに…」
「こんな年末に…きっと忙しくしてるわよ…」
「ロード様の事だし、もしかしたら接待とか…まだ仕事してるかもしれないわよ?」
 誰一人として「恋人と過ごしているかも」と言わないのは、何だか言ったら負けた気がするからだ。ただでさえ楽しく無い気持ちをこれ以上盛り下げる必要はどこにも無い。余計な事は言わないに限る。
 とりあえずタイガを待つ事にした三人。幸い頼んだのは食前酒としても有名なスプモーニを一杯ずつだからまだまだ全然飲める。仮に誰が来るにしても同じ部署の同僚、今後の仕事の為にも仲良くしておいて損はないだろう、こんな機会だし。
 その時、ぞろぞろとした人の気配を感じる。他の客を掻き分けて此方に近付く気配がある事に三人は気が付いた。「あ、あそこの三人がツレです」と店の主人に言うタイガの能天気な声も聞こえる。「あらあら、職場の外でも三人でいらっしゃって本当に仲がよろしいのね」なんて、意外に思っていた鈴を転がした様な上品な声も耳に入った。
「え?この声って…?」
「タイガとナシェリさん…?」
「おー!本当だー!本当に三人揃って飲んでたんだねー!」
 その後ろから人の良さそうな丸っこいシルエット。よく食べ終わった弁当を洗っている愛妻家のベンもやって来た。
「本当に女の子がいる…嫌だなぁ…」
 そんなベンと対極の存在感を放つボサボサと伸びた髪。分厚いレンズの眼鏡を指でくいっと押し上げながらブツブツ文句をこぼしているのはつい先程三人の『あまり良く無い』話題に上がっていたケレンリーだった。尚、あまりにも普段話さないので三人は彼のファーストネームを知らない。
「ほ、本当に予想してた二人が来たじゃない…!」
 ヴィーラは少し青い顔で二人を見た。エーデルもシーリアも同じ顔色で互いを見る。
 サリアヌ・ナシェリ。彼女は曲がりなりにも貴族であり、人事部でも一際緊張感のある空気を醸し出している人物である。日々の所作からも自分達の様な『普通の女の子』とは違う雰囲気を纏っており、こんなところに来る人だとは思えなかったのに。
 そして隣のベン・レッヒェルン。彼はまあ、このメンバーなら来ても問題なし。常日頃全く悪気も無く悪意も無く発揮される「ベンのハニーハント」は少々冷や汗ものだがタイガにサリアヌ、そしてケレンリーと言うメンバーなら特に発揮されても自分達に痛手はない。
 しかし、ケレンリー(ファーストネーム不明)。彼がこんなにも陰鬱な気配を放っているとは思わなかった。確かに常日頃タイガの隣の席て鬱々しい空気を発しているが、それはタイガが明る過ぎるからこそ出てしまうものと勝手に思っていた為本人がこんなに鬱蒼とした人間だと思わなかったのだ。しかもさっき聞き間違いでなければ、彼は自分達を見て「女の子がいる…嫌だなぁ…」と口にした。全く腹の立つ話である。タイガから聞いて飲みのメンバーは把握しているだろうに。なら何故来たのかと小一時間は問いたい。
「ちょっと。ちょっとちょっとタイガ!!」
 エーデルはぐいとタイガの服の袖を引っ張った。バランスを崩したタイガと頬がくっ付くのではないかくらいの距離まで近付くと、周りに声が聞こえないくらいのボリュームでこそこそと話す。
「ん?何?オレ早く席に着いて飲み物飲みたいんだけど…」
「どうもこうも無いわよ!あんなぶっきらぼうな返事寄越して…おまけに何て人選で連れて来たのよ!?」
「そうよそうよ!どう言う口説き方すれば庶民の感覚の飲み会にナシェリさん連れて来れるのよ!?」
「ちょっと違うでしょヴィーラ!そっちじゃ無くて…ケレンリーさんの方よ!!」
 三人はちらりと後から来た面々を見る。ベンとサリアヌは比較的和やかに談笑しているが、手入れのされていないボサボサ頭に分厚い眼鏡を掛けた彼は携帯端末をいじりながら二人と少し離れて自分の世界に浸っている。
「……オタクじゃない!!」
 シーリアがタイガにそう抗議するとタイガは少し面倒臭そうに唇を尖らせた。
「そうは言ってもさぁ…ベンさん達に手伝って貰って一緒に残業してた中に彼もいたんだよ。彼抜きにして飲みに誘われた話するわけにいかないでしょ?」
「そ、それはそうだけど…」
「それに、オレが『こう言う話あるから行きますか?』って誘ったらケレンリーさん行くって返事したんだよ?だから心底嫌だった訳じゃ無いと思うけど…」
「それは違うわ!タイガ!」
「オタクはきっと誘われたら断れない生き物なのよ!」
「全部言葉通り受け止めて嫌なものも甘んじて受け入れちゃうもんなのよ!!」
 そんな偏見が飛び出たところで、タイガは疲れた様にはぁと溜息を吐いた。
「最初こそそう言ったかもしれないけどさ、まだ慣れないだけで多分座ってお酒頼んだら楽しく飲んでくれるよ。馴染みない人に警戒してるのはきっとケレンリーさんも三人もお互い様でしょ?」
 その言葉に三人はぐっと声を詰まらせる。タイガの言い分は尤もだ。ケレンリーが自分達を見て「嫌だなぁ」と漏らした意図は不明だが、自分達も普段馴染み薄い彼が来た事で身構えたのも確かな訳で。先に警戒の姿勢を見せたのは自分達なのだからその空気を感じ取って彼が嫌な言葉を漏らしたのだとしたら確かにお互い様である。そんな反論をしてくるなんて、タイガの癖に生意気だ。
「…良いけど、あんなぶっきらぼうな返事ばっかしてたら彼女なんて出来ないからね!」
 先程メッセージで「合同の飲みって誰と?」と聞いて「人事部」と単語だけしか返してもらえなかったのをまだ引っ張っているのか、エーデルがつっけんどんな態度をタイガに見せたところで店主に案内されてもう一人やって来た。
「すみません、やっと片付きました」
 それはエーデル、ヴィーラ、シーリアの三人の時を止める声だった。夜だからか、朝よりも少し乱れている様にも見える髪。細身のスーツの上によく似合うお洒落なガーズ・コートを羽織った珍しい姿。おまけに青と緑と言う地球カラーのタータンチェックがあしらわれたマフラーを首に巻いた彼が遅れて登場した。
「あら、マーシュさん。お疲れ様です。お電話は済みまして?」
「ええ何とか。申し訳ありません、未成年で無いとは言え色々と心配の多い子達でして…」
 サリアヌに挨拶すると彼──ロード・マーシュはタイガとロード親衛隊(非公式)の方を見、「おやおや皆さんお揃いで」とにっこり笑う。
「すみません。女性だけで楽しく飲みたかったでしょうに、急遽私達までご一緒させていただく事になりまして…」
 そう言いながらチラリとベンを見るロード。何となく強引に話に割って入り、飲み会参加まで漕ぎ着けたのはどうやらベンだったらしいと三人は察する。
 そして思った。「ベンのハニーハント、無意識にやっているとしたら破壊力があり過ぎる」と。三人揃って互いに牽制を掛ける程にはロードのファンである。しかし、彼に振り向いてもらえるかと言うところまではあまり考えていない。あったら良いなと言う願望はあるが悲しいかなそこまで現実的な話では無いからだ。そんな絶妙なファン心まで嗅ぎ付けているのだとしたらベンの嗅覚は相当なものだ。
「い、いいえ…むしろご一緒出来るなんて嬉しいです…」
 誰とも無く、赤い顔をしながらやっと絞り出した言葉。ロードはそれを聞くとにこりと笑い「そう言っていただけると嬉しいです」と、着ていたコートを脱ぎ始めた。

飲み会の始まり

「よーし!じゃあ今年一年お疲れ様でしたってのと、改めて仕事仲間だしきちんと自己紹介しよっかー!!」
「レッヒェルンさん、まずは座るところから始めませんこと?」
 何故か途中参加の筈のベンが仕切り始める。しかし、早くもここでトラブルが発生。ロード親衛隊三人はその頭脳をフル回転させた。
 先ずは座席問題。ロードが座る席がどこだか分からないが、彼の隣、そして彼の前の席に座ると言う事はそれすなわち「抜け駆け」を意味する、同志として恥ずべき裏切り行為である。
「ロード様の隣にはタイガを座らせるのが安パイね…!!」
「前の席も男性の方が良いわ…!!レッヒェルンさんかケレンリーさん…!!」
「でもどうやってそんな風に誘導する…!?下手したら男女で交互に座ろうとか誰か提案しちゃったりしない…!?」
 三人は顔を寄せて静かに話し合う。今し方サリアヌに指摘されたベンは「先走り過ぎちゃいましたねー!」と笑っていた。早く、これから座らんと言うこの空気の流れる内にどうにか早く策を練らねば。
「…男女の比率が同じだし…交互に座ります…?」
 ケレンリー、お前。
 まさかの根暗オタクなケレンリーからそんなアイディアが飛び出すとは。その瞬間、男女交互に座るならと三人の頭を同じ案が過ぎる。
 そうだ、ロードには真ん中に座ってもらって、その周りを自分達三人が囲む形にしたらどうだろう?それならばそれなりに皆平等に席に着ける。横と真っ正面の感覚の差はこの際目を瞑ろう。それが一番平和だ。
「あ、じゃあ私は一番端に座りますよ。下手したらまた電話が掛かってくるかもしれないんで頻繁に席を外す可能性がありますし」
 まさかのロード本人からの「端が良い」との申し出に三人の練りに練った策がガラガラと音を立てて崩れる。人が集まれば予想外の事が起きると言うが、これは予想外過ぎる。
「ロード様、端っこ!?」
「なら尚更男で囲まなきゃダメじゃ無い!」
「どうするのよ!?何て言えば自然!?」
 三人が再び座る席に思考回路をフル稼働させていると、タイガが屈託のない笑みで手を挙げた。
「あ!オレ、ロードさんの隣が良いです!!」
 タイガぁぁぁぁぁあっ!!!
 あ、いや良いのか。元々想定していた事態に収まっただけだ。すると、ベンが「あ!」と声を上げ、タイガに重ねる様に提案した。
「じゃあ、こっちの列に俺、タイガ君、ロードの三人で、向かいの席にサリアヌさん、エーデルちゃん、ヴィーラちゃん、シーリアちゃん、クロードウィッグ君ってどうかな?」
「あら?何故此方が五人、そちらは三人ですの?」
「え?だって俺はこの通り横幅が大っきいでしょ?俺一人で女の子二人分、クロードウィッグ君は超痩せてるから女の子の半分でも通用しそうだし!」
 いや、クロードウィッグ誰?
「…どうせ自分は痩せてますよ…」
 ケレンリー、お前なのか
 ファーストネームがやたら格好良いな。しかし、どうにも名前負けしてそうな感じがしてしまう。
 しかしそれならば願ったり叶ったりだ。ロードの周りを男で囲うのもそこまで難しくなく出来る。結局ベン、タイガ、ロードの三人がその順番で席に着き、テーブルを挟んだ向かいの長椅子にサリアヌ、エーデル、ヴィーラ、シーリア、ケレンリーことクロードウィッグの五人で座った。
 ロード親衛隊の三人は何だかどっと疲れた心地がした。やっと飲み会が始まったところなのに一仕事終えた様な疲労感だ。
 とりあえず生で!のベンの一言で男性陣の目の前にはビールが運ばれて来る。サリアヌはモヒート風紅茶カクテルを頼み、エーデル、ヴィーラ、シーリアの三人もカルウアを一杯ずつ注文した。年末特有の労いと乾杯の音頭をベンが取り、何だかんだあったが「人事部お疲れ様飲み会」は無事スタートを切ったのだった。

 * * *

「居酒屋ノスタルジァ、実は初めて来たのですが…結社にも近いですしお酒の種類も豊富だしお料理は美味しいし、良いお店ですね」
 馴染みのゴスパンク店主が聞いたら嫉妬で卒倒しそうな言葉を口にするロード。そこにすかさずタイガが応答した。
「ロードさん、ここ初めてなんですか?んー…オレ想像つかないんですけど、ロードさんみたいな人って、普段どう言うところでお酒飲んでるんです…?」
「ああ…ミクリカに昔からよく行く飲み屋がありましてね。店主は変態…いえ、変人ですが料理の味は美味しいんですよ。そこと、後はカミナリですかね。意外な理由かと思われるかもしれませんが、私『大きなナラの木の下で』を愛読してまして。その舞台と聞きついつい足繁く通ってしまって居るんですよ」
 なるほど、机の上に置いてあったからそうかな?と予測を立てては居たが、ロード様はやはりナラ下が好き。
 二人の会話を聞き、そう頭の中でロード様情報を三人で書き換えて居ると、意外なところからブツブツ声が聞こえた。
「ナラ下は原作は神、ドラマは神リスペクトが止まらない良作、番外編の特別ドラマもしろいのくろいの論争こそ巻き起こしましたがアレこそがトーリ・クラヴィエの出世作と言っても差し支えない神作でしたゆえ…」
 それは、まさかのクロードウィッグから早口で発せられていた言葉だった。
「え…?ケレンリーさん…?」
「何でそんな詳しいの…?」
 シーリアとエーデルがおずおずと声を掛ける。ロードはそれに気付くと、少し興味深げに彼の方を見た。
「おや?まさかケレンリーさんがそんなに反応してくださるとは…もしかしてケレンリーさんもナラ下ファンなんですか?」
 クロードウィッグはぐいっと一口ビールを口にし、その瓶底の様な厚いグラスの眼鏡を指でクイっと持ち上げる。そして「はぁ」と一つ溜息の様な吐息を吐くとまたしても早口で捲し立てる様に声を上げた。
「ナラ下ファンと言いますか拙者ただただナラ下を神と崇めるその下僕に過ぎないと言いますか最早ぬこたその下僕と言いますか、前々から目を付けていたトーリ・クラヴィエの活躍を喜ぶただのマニアックなファンであって拙者はオタクではござらんのでデュフフ」
 いや、キャラ濃いな。
 まるで言葉に何かが生えていそうな喋り方をするクロードウィッグ。草とか生えていそうだ。
 エーデル、ヴィーラ、シーリアの三人は正直引き気味にそんな彼の話を聞いていたが意外にもロードは慣れた様に話を聞いていた。実際彼の友人に同じ様な熱量でナラ下を語るフィオナ・フラナガンが居るのでこのくらいの語りを受け止めるのは造作もない事だ。
「ああ、分かります。分かりますよ。私はドラマから入ったタチなのですが後から原作を読んでドラマスタッフのリスペクト具合に感動しましてねぇ」
「なんと!?マーシュ氏、ドラマからとな!?」
「ええ。モニカ役のエリザベス・ヘイワースが美人で好きですね」
「デュフフ、ソフィアを演じたネルシャ・レイレントのクーデレキャラもたまりませんぞ!」
「番外編のあれは冒険でしたねぇ。くろいの、しろいのの擬人化と言う難しい題材が許されたのもあのドラマスタッフならではとは思いますけどね」
「デュフフ!ネージュたそ演じるしろいのは正に理想のしろいのだった訳ですな!ネージュたそのイメージだとむしろSF作品と言う目線で観てもしろいの萌えキタコレでして──…」
 三人も、ナラ下に関してはそれなりに当時流行っていたし欠かさず観ていた。だから正直ナラ下の話題をロード様と共有出来るのならばしたかった。ロード様の好きな作品が一緒に話せる共通の話題だなんて滅多に無いのだから、話題が新鮮な今正にこの場でロード様とナラ下で盛り上がりたかった。
 ──が。
「…どうやって話題に入るのよ」
「約一名キャラが濃過ぎて割り込めないわ…」
「…もう!ロード様がどんな女優が好きかだけでももっと聞きたいのにー!!」
 タイガはいつのまにかベン、サリアヌと楽しそうに談笑しているし。よくよく見たら大して代わり映えしない飲みの席、ロード親衛隊の三人は盛り上がる両サイドを観て各々盛大に溜息を吐いたのだった。

抜け駆け

エーデルの場合

「だから…今日は忘年会みたいな感じでまだ飲み中なの!」
『こんな時間まで!?大体ねぇ、アンタ危機感って物が足りな過ぎるのよ!母さんの若い頃なんてねぇ──』
「もう『母さんの若い頃』は良いから!時代も違うし状況も違うの!煩いなぁ!もう!」
 席を離れ、携帯端末相手に文句を飛ばすエーデルはピッと音を立てて電源ボタンを押す。今の今まで話していた電話の相手は実家の母だ。年末年始はどうするのか、仕事はあるのか、ウチでゆっくりするのか、そもそも今日はこんな遅くまで何をしているのか、機械人形の脅威も去ったわけではないのにまだ遊び歩いているのか。
 色々と問答になり最終的に質問攻めにされ電話を切る頃にはエーデルはぐったりと疲れてしまった。確かにヒートアップしてしまった感は否めないけれど、自分だってもう社会人だし良い大人なのだから一人の人間だと言う事を認めてそっとして欲しい事もある。とは言え、それを言うと「親からしたらいくつになっても子供だし、認める認めないに関わらず心配するものなの!」と至極当たり前の怒り方をされそうなのでこれ以上は言わないでおく。
 ただお手洗いに行こうとしただけなのにどうしてこんな事になったのか。不用意に母に連絡を入れなければ良かった。せっかくロード様も来てくれて良い気分だったのに、こんなモヤモヤするなんて。
 電話越しに母と喧嘩をしてしまった罪悪感から「いっそ今日は電話しなければ良かった」と少しだけ泣きそうになる。鏡にはそんな顔をした自分が映り、エーデルは慌てて頬を叩くと化粧を直し始めた。
 クロードウィッグと「ナラ下」話に花を咲かせていたロード。しかし彼の勢いに押されていまひとつロードと満足に話が出来ず、それもまた胸をモヤモヤさせた。
 友情は大事。だからロードを三人で追い掛けている瞬間は本当に楽しい。しかし、ふとした時にどうしようもなく募らせる憧れの気持ちを思い出してしまう。彼が自分だけを見てくれたら良いのにと言う焦燥。
 今日だって、酔っていなきゃ出来ない様な話を彼としたかった。酔っていて気が大きくなっている時だからこそもっと踏み込んだプライベートな話が出来ると思ったのに。蓋を開けたら何も出来ていない。例えば友達や他の人と趣味が合ってしまって周りの友人と同じ人を好きになってしまったとしたらお母さんはどう行動していたのだろう?若い頃、どうやって憧れの人と距離を詰めたのだろう?
 そう思い、つい先程喧嘩した事を思い出す。
 上手く行かない。せっかく仕事以外の時間で一緒に居られるのに。
 そう思いながらもしっかり化粧を直してトイレを出たエーデルは、何やら声が聞こえる事に気が付いた。普段ならそんなもの無視してしまうのについつい誘われる様にそちらに向かう。それは、自分達の居た席ではなく反対方向にある店の勝手口の方から聞こえてきた。そこからロードの声が聞こえた様な気がしたのだ。
「はい…はい…合ってますよ、それで。ええ、大丈夫ですからそれで進めてください」
 携帯端末を手に電話をしているロードの姿。彼も手洗いに来たのだろうか。良くないと思いつつつい聞き耳を立てる。すると、その内いつもより余裕の無さそうな声が聞こえて来た。
「だから──!…はい、そうです。そのお皿の物が温めて食べてくださいと入れておいた物です。全く…メッセージを見れば分かるでしょう…!?え!?見てない!?ちゃんと読んでくださいよ…」
 一瞬仕事の連絡かと思ったが、こんなに余裕のない彼を見るのは初めてだし、「お皿の物」と言う言葉から仕事ではない電話だと察した。更にエーデルが聞き耳を立てていると次の瞬間ロードの口から、普段の彼からはイメージし辛い言葉が飛び出した。
「…だから、五百ワットで一分も温めれば大丈夫ですよ。仮に少し冷たかったとしてそんなんで死にはしません。え?レンジボタンを押せばワット数が表示されるでしょう?そしたら何分か打ち込んでスタートを押してください。全く、貴方そのレンジ使うの初めてじゃないでしょうに」
 五百ワット…?
 そう言えば温めて食べてとか何とか言っていた様な…まさかの電子レンジの話なのだろうか。電子レンジの使い方をレクチャーしなければいけない様な子供と彼は電話向こうで話をしている…?
 まさか彼は、子持ち…?
 憧れのロード様にはまさか既に奥さんが居て彼には可愛い子供が居るのだろうか。
 酔いもあって極端な方向に思考を向けているとロードは通話を切った。小さな声でぶつぶつと文句を言っている珍しい姿。普段仕事であまり見ない姿だった。
「おや?どなたかいらっしゃいます?」
 声を掛けられエーデルはびくりと体を揺らす。居ないフリをして立ち去ろうか?と言う考えも頭を過ったが、何だか彼は「そこに人が居る」と分かってて声を掛けて来た様な気がして、嘘を吐かずに素直に出て行こうと思った。
「あ、あの…すみません。立ち聞きしようと思ったわけでは無いんですけど…」
「おや…カルンティさん」
 名前覚えててくれたんだ、と言う感動もそこそこにエーデルはたった今彼のしていた電話の内容が気になってしまった。電子レンジ、温めるご飯。一体誰と電話していたのだろう。
「あ、あの…。ロー……マーシュさんは今どなたとお電話を…?」
 おずおずと慎重に尋ねるエーデル。ロードは一瞬ポカンとしたが何かに気付いたのかすぐににこりと微笑んだ。
「ああ、私が結社以前から世話を焼いている子です。私の子供ではありませんよ、私はまだ独身です」
「え…!?あ、あの…」
「おや?私が独り身かどうか気に掛けてくださったのではないので?」
 そう言われてエーデルは慌てて首を縦に振る。物は言い様で、言い方次第で何とでもなる。独り身かどうか、憧れからそれを気にしていたと言うと下心がある様で良い風に見られないかもしれないが、『ご結婚されてるかもしれないからもしかしてお家に帰りたいのかと心配になった』と世間話の中で言えば伝えたい事、聞きたい事は同じでも相手の受け取り方が変わってくる。
 憧れの人が結婚しているかどうかも聞ける。相手は相手で気遣ってもらった事を一番最初に受け止められるので返すのにも嫌な気はしない。
 まあ、先回りして実践してくれたのはロードではあるが。
「は、はい…もしお子さんとかいらっしゃったら、もしかしたら早く帰りたかったりするかなー?って…」
「うふふ、お気遣いありがとうございます」
「あの…マーシュさんって凄い気配りなさる方だなって思ってたので…小さいお子さんとかいらっしゃっても全然不思議じゃ無いなぁって…」
「うふふ、そんな評価を私にしてくださってるんですか?嬉しいですね。そんな事無いんですけどね、実際のところ」
「え?そうですか?何でも卒なくこなされている感じして…」
「いいえ、格好付けてるだけですよ。格好良いところを見せたいだけです」
「……ロー、マーシュさんはその、いつでもスマートでいらっしゃると…思うんです、けど…」
「…おやおや。カルンティさんにそんなに褒めていただけるとは。頑張って日頃格好付けてた甲斐がありました。ところで、カルンティさんはこんなところでどうしたんです?」
 言いたい様な言いたく無い様な気はしたが、ロードと二人きりで世間話が出来るチャンスなど滅多に無いだろう。そう思ったエーデルは話を膨らまそうと頑張った。母親から連絡が入っていたので折り返し掛けた事。掛けたは良いがまたお小言を言われてしまい少し喧嘩っぽくなってしまった事。ロードはしばらくそれを聞いていたが、何か思い出したのかふっと笑った。
「ああ、すみません。私はお母様の気持ちが分かるなぁと思ってしまって」
「え?母の気持ち…ですか?」
「ええ、心配で心配でたまらないのでしょうね」
 私もう大人なのに。度が過ぎた心配は煩わしく思うのだけど。
 そうは思ったがロードが母の気持ちが分かると言うので彼まで否定する様な事は敢えて言わないでおこうと口を噤む。しかし、心配され過ぎもまた煩わしいと言う思いは顔に出ていたのか、エーデルの顔を見たロードは優しく微笑んだ。
「うふふ、カルンティさんはお母様が思う以上に自立心が強くていらっしゃるのでしょうね」
「自立なんでしょうか…もう大人なんだからとは思ってしまうんですけど…」
「大人として認められたいと言うカルンティさんの気持ちは分かりますよ。けれど、私は同時にお母様の気持ちも分かりますね。こんなに可愛らしい娘さんなのですから、きっと幾つになっても可愛くて心配で堪らないのでしょう」
 そう言ってロードがその手をエーデルに伸ばす。エーデルが突然の事にぽかんとしていると、ロードは微笑みながら彼女の髪に触れた。
「あ、の」
「うふふ、ゴミが付いてましたよ」
 彼の手が髪に触れた。何だかプライベートな事を全てはぐらかされた気もしなくも無いが、先に戻りますねとにこやかに笑う彼の顔もさり気なく髪に触れた手も、何より母の気持ちを代弁した様な形になったとは言え「可愛らしい」と言う彼からの言葉はエーデルを夢見心地にさせるのには充分過ぎて、結局彼が独り身だと言う事以外何も分からないけれどそれでも良いやと思えてしまった。
「あ。そうだ写真…写真撮ってもらおう…!」
 そして今日の内にどうにか一緒に写真を撮って残させてもらおう。そんないつもなら持たない勇気が湧いて来た。そして、それならもっとバッチリ化粧を直したいとエーデルはもう一度化粧道具一式を持ってトイレに逆戻りした。

ヴィーラの場合

 エーデルはトイレに行って、シーリアは少し外の空気を吸ってくると言って出たきり戻らない。ヴィーラは心底疲れた顔でクロードウィッグの言葉にうんうん頷いた。
「いやいや矢張り拙者、エリザベス・ヘイワース以上のヒロイン属性キャラは居ないと思うのでござるよ。モニカたそだからこそ汚部屋すらキタコレと言うか最早床に転がっている靴下すらハスハスと言うか、デュフフ!ついついネット用語が飛び出してですね!決してエリザベス・ヘイワースの事もモニカたその事も性的な目で見てるわけじゃないですしおすし。むしろ普遍的な、形而上学的に彼女達は萌えでありまして」
「は、はぁ…」
「オウフ!ついマニアックな話題になってしまいましたなぁ!ですが拙者オタクではありませぬしそもそも紳士でありますゆえヴィーラ女史が聞いても萌えまでしか感じない話題提供に努めますぞ!ロースピードにはなりますがヴィーラ女史が聞きやすい様決して下ネタ混じりに致しませぬ!下ネタで話を盛り上げるのは邪道ですわー!」
「…はぁ…」
 靴下や汚部屋にすら魅力を感じるとかむしろそっちの特殊な内容をどうにかして欲しいしそれならいっそ彼曰く邪道の下ネタを言ってくれた方がまだ聞いていられるしそうして話をハイスピードに終わらせてくれそして帰りたい。
 ヴィーラは素直にそう思った。せっかくロードと一緒の飲み会なのに何が悲しくてクロードウィッグこのオタクの話し相手にならねばならないのか。おまけに下ネタとかそうじゃないとか関係なく着眼点がマニアック過ぎて話がつまらなくて辛い。タイガの顔を見れば大分酔った顔をしているし、彼は「大人」として一目置いているサリアヌと普段課が違いそこまで話した事の無いベンの二人と楽しそうに話をしている。せっかくタイガとも少し話そうと思ったのにそれは叶わず、おまけにロードが席を立ちエーデルもシーリアも続々席を立った今、クロードウィッグと共に置いて行かれたヴィーラは生贄に差し出された心持ちだった。
「ドプフォ!モニカ、マテオ、ジョアンのですね!圧倒的トライアングルが最高にうましでございましてね!まあ拙者としては?もう少しジョアンの活躍を増やしても良い気がするのでござるよ。ドラマ版ナラ下に?何の文句も無いですよ?無いですけどね?スタッフの圧倒的マテオ贔屓が透けて見えるのは萎えですわー。駄菓子菓子マテオの脳内の再現度が最の高でして!そうなるともう憎いですわー!あの力の入れ様憎いですわー!アレじゃマテオ推しになりますわー!デュフフ!おっと、拙者パラドックスの塊が過ぎますなぁ!フォカヌポウ!」
「はぁ……」
 私は下ネタそんなに好きじゃ無いからマテオよりジョアンが好きだけどな。そうは思っても、多分この感じそれを言ったらクロードウィッグが不機嫌になるのは目に見えている。仕事でも周りの顔色をそれなりに伺って、折角の飲みの席でもそんな事をしなければならないと言うのは大変苦痛だ。
 早くエーデルかシーリアのどちらか一人でも帰って来てくれればと思うが、その願いはなかなか叶わない。クロードウィッグの一方的な話を聞いているのにも飽きて来たヴィーラ、何か上手く言って席を外そうかと思案し始めたその時、クロードウィッグが「あ!」と声を上げた。
「マーシュ氏!遅いでござるよー!!」
「すみません、中々用事が終わらなくて」
「貴様はー!さては電話を掛けに行くフリをしてナラ下成人向けでも漁ってたでござるなー!?」
「えー…?何でそうなります?うふふ、残念ながらそんな事していませんよ、本当に電話が長引いただけですって」
「拙者だけでヴィーラ女史を盛り上げるの中々骨だったんでござるからなー!!」
 ヴィーラが苛ついたのは言うまでも無い。どうしても無視出来ない電話が掛かってきたと席を外したロードに変な絡み方をしたのは勿論、そんな彼の首元に掴み掛かってアイロン掛けも糊付けもされたその綺麗なシャツを乱す様にぐいぐい引っ張るのも腹が立った。
 これだからオタクは嫌なんだ。加減と言う言葉を知らず、周りで見ている一般人が引くくらい力を入れて戯れるから。おまけにそれの餌食になっているのが憧れの人だと言うのも、自分は全然楽しく無いのにさも「ヴィーラを楽しませるのは大変だった」とやり遂げた顔で言われるのも腹が立った。むしろこちらが興味も無い話に合わせて相槌を打ってあげていただけなのに、どうしてこちらが恩恵を受けた側の様に恩着せがましく言われるのか。
 ヴィーラが思わず顔に苛立ちを浮かべていると、そんな事気にも留めないクロードウィッグは溜息まで吐き始めた。
「さて、拙者も一仕事終えましたのでお花摘みに行って来ますわ」
「ええ、どうぞ。私も戻って来ましたし行って来てください」
 やれやれと言いながら席を外すクロードウィッグ。彼の姿が少し遠くに行った時、ヴィーラの耳元に顔を近付けたロードが困った様に呟いた。
「すみません。シリッシュさん、ずっと彼の相手をしてくださったのですよね?」
「え…?」
「席を外した方が多かったから自然と残ったシリッシュさんが話し相手になってくださったんですよね。すみません、助かりました。彼の肩を持つ訳ではないですが、お酒も入っているし普段喋らない人ばかりですし、彼なりに興奮して何とか話をして職場の人間と距離を縮めようと頑張っていたみたいです。荒削りな部分は少しだけ目を瞑ってやってくれませんか?」
 そう言って席に戻ったロードは、クロードウィッグに掴まれてヨレてしまった襟を手でピッと引っ張り整えた。そして目が合ったヴィーラににこりと微笑んだのだった。
 ヴィーラはその瞬間、自分の耳まで赤くなる音を聞いた気がした。
 普通に接してしまったけれど、今何をされた?あんな至近距離まで顔を近付けられるなんて今まであっただろうか。エーデルやシーリアが見ていたら絶対後で文句を言われる。それ程までには抜け駆け染みている。そして今も。声の届く範囲に二人きりでいるなんて。
「あ、あの…マーシュ、さん…」
「はい?」
「ナ…ナラ下で誰が好きですか!?」
 そんな良い雰囲気をしっかり良い雰囲気に出来ないのが辛いところだ。混乱した頭で何とか絞り出したのは、ナラ下で誰が好きかなんて完全にクロードウィッグの顔がチラつく質問。それしか出来なかった。
「んー…好みなのはモニカですかねぇ。あ、でも私はマテオにシンパシーを感じます」
「え!?マテオですか!?」
「おや?そんなに驚かれます?」
「だ、だって…マテオのモノローグってクセがあると言うか…い、いやらしいと言うか…」
「うふふ…シリッシュさんは彼の頭の中、苦手ですか?あそこまでどぎつい事は考えないかもしれませんが、男は意外と単純でやらしい事ならふとした時にぽっと浮かんでしまうのですよ」
「……マーシュさんも、なんですか?」
 ヴィーラがおずおずと下から見上げる様にロードに尋ねると、ロードは酒も入っていたからか少し頬を染め照れた様に口元を抑えてにこりと微笑んだ。何故かその仕草を見ると、クロードウィッグのせいか先程まで苦手意識のあったそう言う・・・・キャラすら魅力的に見えてしまうと言うのだから驚きだ。
「おっと…すみません、また電話が掛かって来てしまったので席を外します…が、シリッシュさんお一人にしてしまいますかね…?」
 チラチラとヴィーラと、人一人分くらいの距離があるタイガ達を見る。人が一人座れる程度のものとは言え、グループが分かれてしまうと中々その距離は大きい物で、そこに後から合流するのは難しい。それを気に掛けてくれたのがヴィーラは何より嬉しかった。
「大丈夫です。多分そろそろエーデルかシーリアが戻って来ると思うので」
「うーん…もしかしたらケレンリーさんが先に戻ってくるかな?と思ったので。先程のやり取りでシリッシュさんが疲れてしまったかと…」
「お気遣いありがとうございます、でも、ちょっと考え方が変わったのでもしそうなってももう少しだけなら楽しくお話出来そうです」
 そう言って、また席を立つロードを見送るヴィーラ。入れ替わる様にクロードウィッグが戻って来たのだが、先程までの疲れた顔はどこかへ仕舞い、ヴィーラは頬を叩いて己を鼓舞した。

シーリアの場合

 ちょっとだけ酒を飲むペースが早かったかもしれない。そう思った頃にはもう遅かった。シーリアは今日に限って仲の良い二人よりも酒の回るペースが早く、かれこれ数分程外の空気を吸っていた。物凄く具合が悪い、みたいな事にならなかったのは良かったが、せっかくロード様と飲みの席に着けたのに早々に一時休戦状態になるとは。
 いや、むしろ彼も含めた飲みだったから緊張からペースが早まったのかもしれないが。それでもこの忙しい時期にやっと湧いたプライベートで一緒に飲めるチャンスだったのに。
 シーリアはボーッとする頭で端末を操作し、エーデルとヴィーラからのメッセージを見る。エーデルからは母親から連絡があったので自分も席を離れる事、ヴィーラからはクロードウィッグに捕まってしまい助けを求めるメッセージが入っていた。どちらも十数分前なのでもう解決したかもしれないが。とりあえず二人のどちらもロードと何かある訳では無さそうだと言う事に少しだけほっとする。
 確かに、二人と共に彼の一挙手一投足にキャーキャー言うのは楽しい。それは間違いなく。だけど、もしも彼が二人の内どちらかを選ぶ様な事があったらその時に飛び出すのは間違いなく「おめでとう」よりも先にモヤモヤした気持ちだと思う。嫉妬の様な悔しい様な、それでいて寂しい様な。だから自分達は決して抜け駆けをしない、が暗黙の了解になっていた。誰が言い出したでも無いが、自分がされたら嫌な事をしないと言う簡単な物。勿論彼から求めてくれたならそれはそれでまた別だが。
 この楽しい空気が続いて欲しいと願う一方、この淡い想いが叶ってくれないかなとも思う。片方が叶えば片方が終わる、どちらかしか求められない想いを抱えていると自覚する。
 色々思うところはあるが酔いも気持ち悪さも覚めてきたし、そろそろ戻ろうかと思っているとガラリと音を立ててドアが開いた。ドアに凭れる様にして立っていたシーリアはびくりと肩を震わせ「もしかしたら出ようとしてた人の邪魔になっていたのかも」と青い顔になった。
「す、すみません!私ドアを背凭れにしてたから開けづらかったかも…」
 頭を下げたシーリアの目線の先にあったのは綺麗に手入れされた革靴。そのまま目線を沿わせるように上に上げると、いつも糊付けもアイロンも掛けられびしっとしているのに何があったのか少し乱れた様な襟元。そして彼の目と目が合った。
「おや、レイレントさん」
「ロー…マーシュさ、ん…」
「ああ、先程からお姿が見えないと思っていました。外にいらしたんですね。もしかして具合でも悪いです?」
 心配する様にこちらを見るロード。今この目は自分だけに向けられている物だ。そう思うと、何だか二人に対してとても悪い事をしている気分になってしまった。
「ぜ、全然!いや、ちょっと早く酔いが回ってしまって…外の空気に当たりに来たんです」
「え?それはいけませんね。でしたらこれ、宜しかったら」
 そう言ってロードが、酒に酔った時にあると嬉しい栄養剤を一本取り出す。シーリアがその用意の良さに目を丸くしていると、「飲みの席に行く時は念の為数本用意しているんです」と微笑んだ。そう言う手際の良さを見るに、飲み会に参加する経験が多いのだろうか。
「ありがとうございます…!何か、一気に元気になった気がします!」
「そうですか…レイレントさん、もう戻られます?」
「ええ、もう落ち着いたのでそろそろ戻ろうかなー?って…」
「そうですか、それは良かった。でも無理しないでくださいね。何かあったらすぐ仰ってください」
 もう戻る、とは言ったがせっかくロードと二人きりの今、そんなに早く引き上げるのも勿体無い気がした。これは抜け駆けになってしまうのだろうか。そうは思ったが、それでももう少しロードと二人で話がしたかった。
「あ、あの…そう言えばマーシュさんはどうされたんですか?」
「私ですか?私はちょっと電話を。飲み会の参加が急遽決まったは良いですが、情けない事に私が居ないとご飯が食べられないと連絡があったものですから指示を出していたんです」
「お、お子さんですか?」
「いいえ。…ああ、もしかしたら彼はレイレントさんにも普段お世話になっているかもしれませんね」
「結社の方ですか?」
「ええ、調達班のシキ・チェンバースってご存知です?」
 その名前を聞き、シーリアの脳裏に一際大きな彼の姿が浮かぶ。
 調達班と言えば元々年齢の若い子が多く在籍しているのが目立っていたが、その中でも良い意味でも悪い意味でも目立っていたのはセオドア・トンプソンだ。テロ前はまだ学生、趣味が女性っぽく見目麗しい「お洒落な女の子」なその実正体は男の子。おまけに割と強引で荒っぽい手段を取るので同じ班のユーシン・リンの疲弊した顔を見兼ねたタイガが「分かりやすい圧」として、経験も考慮した上で別のグループからあてがったのがシキ・チェンバースだった。
 あまり多くを語らず静かな男の子。体も大きいからか少し怖く感じる。そんな印象を抱いていた為、まさかのロードからその名前が出てシーリアは分かりやすく驚いてしまった。
「チェンバース君!?え!?お知り合いなんですか!?」
「うふふ、随分驚かれますねぇ」
「あ、あんまり彼とマーシュさんが結び付かなくて…」
「そうですか?実は、私とシキは結構長い付き合いなんですよ。彼を結社に連れて来たのも私ですし」
「そうだったんですね!あれ?それで何でご飯…?」
「ああ…彼、実は──」
 その時のロードの顔は、シーリアが思わず目に焼き付けてついでに写真も撮っておけば良かったと思うくらいに見た事のない困った顔だった。
「──とんでもない機械音痴なんです…」
「え」
「おまけに生活力もそんなに無く…放っておいたら転がっているお菓子だけで生活してしまうんで私が定期的に世話を焼いているんです…。あの子の為にならないと思いつつ、仕事で成果を出せない健康状態にさせるのも周りにご迷惑かと思いまして…」
 本当に苦悩しているのが見て取れるロードの顔。シーリアは失礼かとは思ったがまじまじ見てしまったし、彼に聞きたい事が沸々と湧いて来てしまった。
「あの…マーシュさんってご飯とか作られるんですか?」
「うふふ、ええ実は。それなりに家事は得意です」
「私最近ドラッグストアデラックスで売っている…ジョニー・ヘルスケア社の泡クリーナーでお掃除するのが好きなんですけど、あれ便利なんですよね。どこに使っても良い素材を使われているからキッチンとかリビングとか場所に縛られず本当にどこでも使えるので…」
「え?レイレントさんも愛用されてるんですか?実を言うと私もなんです。デラックスで売ってるんですね。元々徳用サイズを買っていてそれがそろそろ無くなりそうで…でも頻繁に買いに行かなかったせいで今どこに売っているか分からなかったんですよ。まさかそんな近くにあったとは」
 シーリアは見えないところでグッ!とガッツポーズを取る。良かった、親にそろそろ花嫁修行をしろとうるさく言われたから渋々掃除から始めてみたが、それがまさかロードの関心を引けるとは。
「ありがとうございます。今度デラックスに買いに行ったら見てみますね」
「あの…意外と棚の奥まったところにあるかもしれないです…それから、オールマイティーにどこでも使えるから分かりにくいですけど、一応キッチン用品コーナーにあったと思います」
「そうなんですか?ではその辺りを重点的に確認してみますね」
 二人きりで話をした挙句共通の話題で盛り上がれると、思わず得をした様な二人の事を思うと罪悪感の様な物も感じるが「ロード・マーシュがイメージ通り家事も自炊も出来る人間であった」と言う情報を共有出来れば二人も喜ぶだろう。そうシーリアは思った。
 ただし、シキの事を話す時のあの普段見せない少し困った様な顔、そして彼の厚意で貰ったこの栄養剤の存在は自分だけの思い出として二人には内緒にしておこうと思いつつシーリアは一足先に店の中に戻って行った。

ロード、かんぱい!

 店に戻るシーリアを見送った後ロードは携帯端末を取り出し、電話帳から一人の名前を呼び出すと発信ボタンを押す。最早名前を見ただけで笑みが溢れてしまう。プルルル、と言う呼び出し音にすら逸る気持ちを抑えつつ繋がるのを待った。その内プツッと音が鳴り、部屋の中に居るのか籠る様な音も交えながら彼女・・は電話に出る。
 ロードは嬉しさを抑えきれずニヤリと笑った。
『……もしもし?』
「こんばんは、私です」
『悪戯なら切るね』
「ああ、切らないでください。大丈夫ですよ変な電話じゃありませんから。貴女の声が聞きたかっただけなんです。それから聞いて欲しい事がありまして」
『何それ改まって…医療班に人事部から仕事?多分エルならしばらく忙しいから私が伝言出来るのもう少し経ってからになると思うけど』
「いえいえ、仕事ではありませんが決して悪戯でもありません。だから『今何色のパンツ履いてます?』なんて聞きませんよ、知ってますし。うふふ」
『やっぱ切れば良かった…。って言うか何?お前、酔ってるの?』
「うふふ、バレましたか。今人事部で飲み会だったんですよ。年末だからですかね。お疲れ様会と言った方が良いんでしょうけど」
 そう言いながらロードは空を見上げる。冬の澄んだ空気は空の色を濃い藍色に染めていた。夏とまた違う、肌を刺す様な冷たい空気。
 空の藍を見る度に貴女を思い出す。肌を刺す空気に触れる度「辛かった」と貴女が責めてくれている気がする。そうして貴女を感じた気になって自分を納得させていた。
 でも自由になった今、組織と切れた今ならもうどこにだって行ける。結社の仕事だなんて理由を付けずとも、この飲み会だってこっそり抜け出してでも、そうやって貴女に会いに行く事ももう決して叶わぬ夢ではない。
 でも自由になったからこそ慌てて無理に距離を詰めずゆっくり貴女に歩み寄りたい。何気ない会話を貴女と交わす事が出来るならそれ以上の喜びは無い。
 自分が属していた組織のしがらみを、貴女の知らない話をまだ貴女は知らずにいて欲しい。私の事は貴女に擦り寄る馬鹿な男とだけ見て居てくれたら、今はそれが良い。
 貴女に命を賭した事を知ってもしも貴女が私に同情から歩み寄らざるをえなくなったら。虚ろを自認する貴女が心に愛情ではなく同情を満たして男と一緒になるなんて、それは貴女があまりに可哀想だから。
 だから今は私を『貴女に骨抜きにされた馬鹿な男』とだけ見て欲しい。そうしてもしも私を憎からず思ってくれるなら、その時は貴女に全てを打ち明けます。
『ふーん、楽しいの?色んな人と飲むのって』
「ええ、それは勿論」
『そこどこ?ご飯美味しい?』
「ええ。居酒屋ノスタルジァですよ。ご飯は大変美味しいです。ですが、貴女と一緒だったらもっと美味しかったと思いますよ」
『…メニュー、何が美味しいの?』
「そうですねぇ、おつまみとして出されたものはどれも。塩加減が私の舌によく合いまして」
『……ふーん…』
「うふふふ、そうなんですよ。私の舌と相性が良くてですね、うふふふ。あーあ、何かエロい気分になって来ました」
『切るね』
「うふふ、すみません。ああ待ってください。聞いて欲しい事があって電話したのも本当です」
 ロードはもう一度空を見上げる。年が明けたらきっと挨拶回りにも行かねばならないだろうし、年を新たに違う事を始めようと結社の門を叩く者も多いだろう。だから、忙しくて節目にそれらしい事が出来ないと思う。だから彼は、意を決して口を開いた。
「…テロが起きて、日常が一変した大変な数ヶ月でしたね。貴女もお疲れ様でした。生きていてくれて嬉しいです」
『あー、うん…』
「明けたらまた、貴女に新年の挨拶をさせてもらえますか?」
『…良いけど』
「うふふ、ありがとうございます。では、もしかしたらこれから年明け前後は忙しくて顔も見に行けないと思うので電話で失礼しますね。…良いお年を。貴女を誰より愛していますよ、ヴォイド」
 そう言うと、少し言葉を詰まらせ黙ってしまった。きっと電話向こうで彼女は難しい顔をしているのだろう。何となく予想通りの反応にロードは困った様に笑う。この『愛している』が、一体どれだけ彼女の心に届いているのだろうか。そう思うと少し切ない気持ちになるけれど、とりあえず今はそれを懲りずに言い続ける空回り気味な馬鹿な男と思って欲しい。例え道化師ピエロと思われても今度は伝え続けると決めたのだから。
『あ、そうだ。お前、さっき適当言っただろ』
「ん?え?はい?」
 だから、物思いに耽っていたところに急に声を掛けられロードは少し驚いてしまった。まさか電話を切られると思っていたので彼女から再度声を掛けてくるとは思わなかったのだ。
「て、適当とは…?」
『最初の方で。私のパンツの色知ってるだの何だの』
「ああ…すみません、そこは適当言いましたねぇ。うふふ、是非知っている様な仲でありたいものですが」
『ふん…私今履いてないし。適当言ってるのバレバレ』
「………はい?」
 は、履いてない?履いていないとはこれ如何に?
 どうもシャワーを浴びた直後に電話に出たらしく、そう言ってヴォイドは勝ち誇った様に鼻を鳴らした。ちょっとドヤるところがズレている。そんな話をしてしまうのも、迂闊なのは可愛らしくて結構だがまさか他の男にも無頓着にこんな暴露をしているのかとロードは密かに頭を抱えた。
「あの…これから部屋に行って良いですか!?」
『何でだよ。顔見れないくらい忙しくなるから電話したとか言ってたのに。だから私も付き合ったんだけど』
「履いてないなんてそんな誘惑をされたらですね、疲れて這ってでも行くのが礼儀と言いますか!!朝までコースなんていかがです!?」
『そんな礼儀いらないしもう寝る』
 ブチっと音を立てて今度こそ電話を切られてしまった。ロードはしばらく色々と悶々と考えていたが、その内吹き出す様に笑った。
 全く、これは惚れた弱みか。彼女が愛しいと思えば思う程そんな彼女に翻弄されている気しかしないし、色々と敵う気がしない。最後の最後にこんな面白い爆弾発言を投下されるなんて。
 今日、少しは自分が彼女の心を揺さぶれたかな?とは思ったが、なんて事はない。いつも通り、完敗だ。
「お!?ロード、何やってんの?」
 しゃがみ込んで居たら店からベンが顔を出した。外に出たきり戻らない彼を心配して来たらしい。
「おや、レッヒェルンさん」
「あれ?何?お前赤い顔してんじゃん…飲み過ぎ?」
「あー……いや、ちょっと興奮しただけです」
「あはは、何があったんだよ。ところでシキ君との連絡終わったなら改めて乾杯しようって」
「はい?今からまたですか?」
「それがねー、今タイガ君が面白いくらい酔っ払っちゃってさー!冗談で乾杯の音頭取ってくれる?って聞いたらすっごい一所懸命スピーチ用の台本書き始めちゃって!」
 可愛いなー!あの子は!と笑うベンにロードも頷く。せっかくタイガが酔った勢いとは言えこの年の終わりを綺麗に締め括ろうと一生懸命頑張っているのだ。今日は最後までこの空気に浸らせて貰おう。頭の中に愛しの彼女の顔を浮かべてニヤけつつロードはベンと共に席に戻って行った。
 酒が入りいつもより積極的になっているロード親衛隊(非公式)は彼の姿を見てきゃあきゃあ声を上げる。微笑みながらも、同じ年代の人間に歓迎される空気に慣れていないロードは嬉しそうに、しかし少し恥ずかしそうに会釈した。

「えー……本日はまことに好天に恵まれまして…」
「ヴァテールさん、見かけによらず渋いスピーチしますね…」