薄明のカンテ - お月見の話/燐花
 月が綺麗なある夜、工具の図解説明書を読んでいたギルバートは珍しく夜更かししたと同時にどうしようもなくその淡い光に目を奪われた。何となく、切ない気持ちになっていた。
「月が綺麗だな…」
 経費で落とせる物かの確認と銘打てば、確かにアンに会える。だが、自分の無知で確認の為とアンの仕事時間を奪ってしまうのはいただけない。
 ある程度知識があれば、何の用途で使ったか等目星を付けられる。アンと顔を合わせる時間も大事だが、アンを煩わせず且つアンと知識を共有出来る方が嬉しい。そう思い始めた自習だった。チーズねじの事を忘れてはいけない。
 いつもはもう少し早く終わらせられるのに、何故か今日は一時間程押してしまった。今からシャワーを浴びて明日に備えて…とも思ったが、直前まで頭を働かせていたせいかまだ寝れそうにない。
「…少し歩くか」
 月も綺麗だし。何だか月を満喫しなければ損な気がした。
 だが廊下に出ると一瞬だけ後悔した。思いの外暗い。何だか人ならざるものでもいそうな暗さだった。
 そんな事を考えていたら、視界の端に何かが動いた。
「ヒィッ!!」
ついつい驚く声も裏返る
「おや?今の素っ頓狂な声はベネット君かい?」
「うわぁ…」
「ユ、ユウヤミにヴォイドか!驚かすな!後、素っ頓狂とか言うな、そして引くな」
 前線駆除班のユウヤミと医療班のヴォイド。所属している班も違うのに、仲が良いのだろうか。こんな暗がりで一緒にいると言うだけで、ギルバートは思考を巡らせ、ハッとした顔で二人を見る。
「しかし二人とも…こんな遅い時間に一体何を…?まさか…!?」
「何か艶っぽい事態でも想像したかい?残念ながら、ヨダカをからかって撒こうとしてたところを偶然会っただけなんだけどねぇ」
「な、何だ…僕はてっきり二人して何かよからぬ事でも企んでるかと…」
「ははっ、そっちか」
「まあ、ヴォイドはともかく、ユウヤミはそんな事はしないだろうが…」
「ん?ふふ…ベネット君はもう少し観察眼か猜疑心を養わなきゃいけないなぁ、足元掬われないようにね。ところで君こそどうしたんだい?」
 眠れなくて、そして月が見たくて歩きに来たとギルバートは伝えた。予想外の平和な答えにユウヤミは微笑み、ヴォイドは安心しきったのかお腹を鳴らした。
 結局二人ともまだ部屋に戻らないと言うので話しながら歩く事にした。普段あまり喋らないメンツと歩くのは何だか新鮮だった。他愛もない話をしながら歩いていたが、ふいにユウヤミの目が何かを思い付いたように輝いた。
「せっかくの月見日和だし、どこか屋外に行かないかい?そうだな…一番近いところから屋上に出ようか」
「構わないが…ヴォイド、改めて君何て格好をしてるんだ…」
「私服だけど」
「あ、あまり明るいところでは目のやり場に困りそうだな君の私服は…」
「ジロジロ見ないでくれる?…アンに言い付けよ」
「まあまあホロウ君、誤解を生む様な事は言わないでおこう。彼女と揉めたら流石に可哀想だ。面白そうだとも思うけどねぇ」
 ホッとした次の瞬間サッと血の気が引いた。二人とも迷わずアンの名前を出したがやっぱりバレバレか?バレバレなのか?

 屋上に続く階段を昇り、ドアを開ける。
 静かな空間が広がっていると思いきや、予想外に人がいた。
「あれ!?ユウヤミにヴォイドだー!」
 前方から飛んで来た象牙色の髪の持ち主は、ユウヤミとヴォイドを視界に入れた途端二人に飛び付いて来た。
「やあ、トンプソン君」
「テディ、苦しい」
「ボク月が綺麗過ぎてついつい出て来ちゃったのー!もしかして二人もー?」
「そんなところかな?たまたま会っただけだよ。ベネット君もね」
テディはギルバートの方をちらりと見る。二人とは違う、少し冷たい目を彼に向けていた。
「ふーん、まあ良いや。ロナー!アサギー!三人増えたよー!」
 しかし次の瞬間にはひらりと向き直り、別の人間の名前を呼んだ。呼ばれたロナとアサギは何かをやっているようだった。
「三人?今ここにある個数は何個だ?アサギ、足りるか?」
「おいおいロナ、そんな心配しなくても多目に作ってたから大丈夫じゃねえ?」
 よくよく見ると結構な人数がすでに集まっていた。一体何をしていたのかと目を凝らす。月明かりに照らされたそこには、白く丸い物が積み上げられていた。
「おや?それは…」
「ロナ発案、ユーシン材料調達、ミアとシリルが調理手伝い、ミサキが角度調整、結社の精鋭が英知を結集したその名も「とても良い月見団子」でーす!」
 茶目っ気たっぷりにテディが答える。どうやら錚々たるメンバーがここに居るらしい。
「若い子が多いと活気があって良いねぇ!ネビロス、気晴らしに歩いてみるもんだろ?」
「まあ、ミアの団子も食べれますし」
 ジークフリートがネビロスを連れて来た様だ。ネビロスはミアに視線を送ってはコロコロ変わる彼女の顔色に微笑んでいる。
「余ったらイオにあげよ」
「き、今日あげなきゃ駄目ですの!穀物から作るお団子は時間が経つと硬くなるんですの!」
 ユリィとヘレナもそこにいた。
「ユウヤミ先輩!お疲れ様です!」
 エドゥアルトはユウヤミを見付けて駆け寄る。
「エドゥちゃん待ってやー!」
「あ、隊長…」
 後に続くのはガートとウルリッカ。
「おや?第六小隊集合かい?」
「そうですね、私もいますから」
 殺気を放つヨダカがユウヤミの背後についた。
「あれぇ?ヨダカ?」
「全く妙な遊びに精を出してくれましたね?主人…」
「でもこんな賑やかな場に来れたじゃないか」
「まったく、貴方はいつもいつも…」
 とても賑やかな屋上で、ギルバートも意外な人間を見付ける。テディもその存在に気付いた様で、少し慎重に声を掛けた。
「君もいたのか、サリアヌ・ナシェリ…」
「あら?居てはいけませんの?」
「そんな事ないけど、サリアヌがいるのはちょっと意外ー…」
「月が綺麗だったから見に来ましたの。こんなに賑やかだと思いませんでしたが、これはこれで楽しくて良いものですわ」
 皆、月の魔力に引き寄せられたらしい。もっと言うとこの状況をシェアしたかったのだろう。普段顔を合わさない人間が多く居るのは不思議ではあったが、何だか居心地が良かった。
「おや?カヤ、見てごらん。皆居るね」
「本当だー!」
 こちらも同じ理由か、アキヒロがカヤを連れて現れる。
「アン姐早く早く!」
「マジュ、転ぶからゆっくり走れ!」
 そして続いてアンとマジュが現れた。
「ア、アン!?」
「ギルバート。珍しいなこう言う場にいるなんて…」
「君こそこんな時間に…」
「あーしは見て分かるだろ?ミサキがアサギとロナに誘われて行ったらマジュも行きたがったからお守りだ、お守り」
 そう言いながら、強い風に煽られて結った髪を靡かせるアンにギルバートは陽の下とはまた違う美しさを見た。
「その、君が居ると思わなくて…」
「ん?あーしが居たら都合悪かったか?」
「いや…素直に嬉しくて、驚いただけだ」
 ギルバートは少しだけ口ごもりながら呟く。言われたアンの表情は見えない。
「そろそろ集まって!お団子食べるわよ!」
 シリルの声で現実に引き戻されると、そこには綺麗な団子が鎮座ましましていた。
「へぇ、ケルンティア君なかなか綺麗だねぇ」
「わざわざ角度計算して置いたから。当たり前」
「一人何個ですの?」
「ミア、合計いくつ作ったかしら?」
「シリル数えてなかったの!?」
「俺オプションで飲食付いてるだけだから外してくれて良いぜ?」
「アサギ、そんな遠慮しなくて大丈夫だ。こんな事もあろうかと少し多めに作れる量を出しといたからな」
「ユーシン!ボクもう早く食べたいー!」
「テディ、ちゃんと人数分あるから大丈夫だよ」
 賑やかなものだ。
 たまにはこんな日も良いもんだとギルバートはアンを見る。相変わらず表情は見えないが、きっと微笑ましいと思っているのではないだろうか。
「その…アン」
「何だ?」
「本当に…月が綺麗だな」
 一緒に見れて良かった。その呟きは、過ごし易い空気の中に溶けていった。溶けて溶けて、皆同じ気持ちで受け取ってくれれば良いと思う。そんな夜だった。