薄明のカンテ - いつかのお話/燐花
 何となく癪ではあるが世話になったと言わざるをえない男がいる。ネビロスはその男との待ち合わせ場所に向かう。そこは酒屋で今日は自分もその男もオフ。昼間から飲みとはいいご身分である。
「え?まだ手ェ出してないんです?」
 ブカブカしたスウェットに身を包み、いつもと違いピッタリとセットしていない髪。完全にオフの状態のロードは少し幼くも見える。彼はいつもの調子でタバコを口に咥えた。
「……と言うか、飲むか吸うかどっちかにしません?」
 少しだけ話題を逸らしたくなったネビロスはロードにそう指摘する。ロードは特に気に留めるでもなく一言、「おや、失礼」と持っていたライターを下ろした。
「しかし貴方、オフの時は本当だらしないですねぇ…」
「えー。貴方がいっそ髪乱してろとか言ったんじゃないですか」
「人のせいにするんですか?」
「全部が貴方の所為ではないですが貴方は一因です」
 ロードはそう言ってヴォートカを一口含む。ネビロスを見ているとどうしても一人、頭に浮かぶ女性がロードにはいた。その女性の姿を思い浮かべる様に遠くを見つめながら呟いた。
「ミアさん…成人したくらいからでしょうか…前よりやたら色っぽく見えるんですよねぇ…」
 ネビロスは射抜く様な目線をロードに向けた。
「それ私の前で言うとは良い度胸ですね…」
 ミアはネビロスの恋人だ。マルフィ結社で出会い、彼女の一目惚れから始まった二人の恋はネビロスが彼女に同じだけ想いを向けた事で成就した。ほんの少しだけではあるがこの男が関わっている。癪だけれども。彼に焚き付けられてより一層彼女を意識した時もあった為、そう言う意味でネビロスは少し弱みを握られた気持ちではあった。
「言うくらいなら良いじゃないですか。個人の感想です。愛を知った女性はより一層美しくなるもんだとは昔から言われてますよ」
「はぁ…」
「しかし意外ですねぇ。まだなんでしょう?貴方驚く程手ェ早そうなのに」
 ぽつりと呟くロード。ネビロスは大層驚いた顔 で彼を見た。一応それもぼやくつもりで来たのだが何だろう。この手の話題は彼には見透かされている気がしてならない。
「……自分でも驚いてますよ」
「恋人になってどのくらい経ちますっけ?まさかキスまでで止まっているとは」
「まあ…確かに…」
「本っ当…ロリコンの癖に」
「水掛けますよ」
「しかし私の見立ても甘かったですかね、彼女の成熟が五年どころかもっと短いなんて」
 過去にロードはミアを見て「五年後が食べ頃」だと言った。が、五年も経っていない今現在彼の目にはミアが相当魅力的に見えるらしい。ネビロスは酒を飲みながら文句を垂れるロードを見て一瞬眉間に皺が寄ったが、携帯端末にミアからのメッセージが入ったと表示されすぐに顔が綻ぶ。
「…愛しのあの子からですか?」
「ぶっ」
 まさか背後から覗き込まれたと思わなかったネビロスは酷く動揺して酒が気管に入る辛さを知った。むせて真っ赤な顔になりながらやっとの思いでロードを制止する。
「や、やめてくれませんか……?」
「おやおや、顔真っ赤にしちゃって。まあ、浮かれる気持ちは分かりますよ」
 浮かれる。周りからはそう見えているのか。
 一瞬思いを巡らせてネビロスはふっと暗い顔をした。ネビロスの思いを知ってか知らずか、その顔を見たロードはロードで険しい顔になる。
「…でも、代わりにしているなら怒りますよ。別にミアさんと私は何の関係もありませんが、ミアさんの幸せを願う者としてはそれは見過ごせませんからね」
 静かに怒気を含んでロードは言った。
「まあ、私に言えた義理じゃないですけど」
 少し雰囲気が似ているんでしょう?亡くなった奥様と。そのロードの言葉を飲み込む様に、ネビロスはヴォートカを流し飲んだ。公言はしていないが、テロで亡くなったルミエルの雰囲気とミアは少し似ていた。茶色いふわふわした髪の毛。纏う雰囲気。性格も何もかも凄く似ていると言うわけではないのに、雰囲気が似ている気は確かにしていた。
「妻は…ミア程明るく朗らかではありませんでした」
 ついつい口にした二人を分ける言葉。二人は全く別の人間だ、と自分に言い聞かせている様にも見えなくはなくて、それでいて必死に忘れようとする意図が見えなくもなかった。
「…奥様を忘れろ、だなんて彼女は思っていませんよ」
「分かってます。妻の思い出ごとミアは受け入れようとしてくれている。私よりよっぽど大人です」
「なら、もうその時点でミアさんはミアさんじゃないですか。一度結婚していた、初めての相手じゃないと言うのが引っ掛かります?」
「違う。私がまだ家族を乗り越えられていないだけです。これは私の問題です」
 ダンっと音を立ててグラスを机に置くネビロス。それを見たロードは溜息を吐きながら席を立った。
「それは、どうでも貴方一人きりで性急に越えなければならない事なのでしょうか…過去を乗り越えるのもミアさんと一緒にゆっくりじゃダメなんですか?二人で一緒にゆっくりと。それとも、どうしても一人でこなさなきゃダメな事なんですかねぇ?」
 外で吸います。そう言ってロードは店を出た。
 分かっている。ミアは多分、それすらも受け入れてくれる。でもどこまで甘えて良いのか分からない。彼女を一人の女性として想うのに、未だに上手く形にして愛せないのはそう言う事だとも分かっている。そしてそれでおそらく不安にさせているのも。
「ミア……」
 画面の向こうの彼女の名を口にする。
 誰も聞いていない。ネビロスの声は喧騒に紛れた。
「愛しています…。ミアは…私の事──……」
 その先はまだ、本人に聞けずにいた。



──これは、五年以内のあるかもしれない未来。
もしかしたら、この未来は迎えないかもしれないし、これはそんな泡沫の夢の様なひととき。