薄明のカンテ - あまりにも遠い昔の話。(前編)/燐花
ネビロスは父、母と共にラシアスに住んでいた。幼い頃から働き者の両親の負担を少しでも減らしたいと思い、休日は家族と共に家事をこなす事を好んだ。幼い、拙い手付きで母と料理をし、父の機械技術を学び、 ネビロスは家族で外に出掛ける事こそ少なかったが充実していた。
ある日、長期出張が決まった両親はネビロスをケンズに住む祖父母の下に預けた。
「迎えに来るからね」
「お土産は何が良い?」
ネビロスは答えた。
「家族皆で楽しくご飯が食べたい」
両親は微笑んで領くとネビロスに手を振った。それがネビロスが見た両親の最後の姿だった。 二人は出張先で事故に遭い、還らぬ人となった。祖父母は何も言わず残されたネビロスを抱きしめた。
ネビロス、僅か七歳の事だった。

三年の月日が流れた。ケンズの街にもすっかり慣れたが、彼は以前にも増して達観した性格になっていた。祖父母に負担を掛けないようにと自ら家事をし、機械技術も学んだ。友達と遊ぶより祖父母と家の事をこなす方がネビロスは幸せだった。
「根暗ネビロス!」
「根暗根暗一!」
近所の子供の冷やかしなど虫の羽音と同じだった。くだらない。そう思いながら無視をして歩いていると、 どこかから紙飛行機が飛んでくる。 一体誰が飛ばしているのだろう?
好奇心にかられ歩いていくと、 小さな病院に辿り着いた。そ こに居る女の子が窓から飛ばしているのだと分かった。
「え!?誰!?」
「あ、ごめん…紙飛行機が見えたから…」
「えへへ…よく飛ぶでしょ?」
「うん。でも、もっと遠くへ飛ばす折り方があるの、知ってる?」
「本当!?教えて!最近入院したんだけど…ここ友達もいないしつまらなかったの。私ルミエル。あなたは?」
「僕はネビロス…ネビロス・ファウスト」
孤児の少女ルミエル。 儚さの中に仄かに灯る強さを秘めた少女にネビロスは出会った。

ルミエルの話はネビロスの見聞を広めた。ルミエルには名字がない。産まれてすぐ、母親が誰とも分からず施設の前に寝かされていたらしい。最初こそ他の子供と大差なく育ったルミエルだが、後に胸を患っている事が発覚する。 それ以来ずっと入院しているのだと。
ネビロスは生い立ちを聞き、「普通とは何か」を自問自答する様になった。自分が当たり前の様に名乗っていた名字をルミエルは持っていない。自分は当たり前に動けるが、点滴で繋がれているルミエルには難しい。
ルミエルは両親が誰か分からないが、まだ生きている可能性もある。しかしネビロスは、両親を亡くしている。
普通とは、何だろうか。

「ルミエル」
「何?ネビロス」
名前を呼んだ時、ルミエルは嬉しそうにこちらを振り返る。
その姿にどうしようもなく惹かれ、ルミエルに抱く感情は祖父母へのそれとは違うと十二歳になったネビロスは少しずつ自覚していた。
「ルミエルは…僕のこと好き?」
「うん!好き!施設の先生も、病院の先生も、年下の子達も皆大好き!」
「…そっか」
だがルミエルはそうでは無かった様で。ネビロスはそれを聞くたびに少しモヤモヤした気持ちを抱える様になる。だけど子供だから、お菓子の話をすれば忘れてしまう。
「あ、この間おばあちゃんからクッキーの作り方教わったんだ。ケンズで取れる果物は美味しいからドライフルーツにしてもクッキーにしても良いって」
「前フルーツケーキ持って来て看護師さんに怒られたもんね」
「…だからクッキーにしたんじゃないか」
「さすがにホールのケーキはダメかもしれないね。でもすごい!ネビロスって何でも作れるのね!」
「何でもは作れないよ…お菓子なんてケーキとクッキーしか分からないし…」
「でも私、ネビロスの作るお菓子も好き!」
その言葉に、また忘れていた感情を思い出す。クッキーを類張るルミエル。類にはカスが付いてしまっている。 取ってあげると言う名目なら、その頬に触れても良いだろうか。
「ルミエル、焦り過ぎ」
「だってクッキー美味しいもん」
「ほら、食べカスが付いちゃってる」
ペロリと頬に舌を当てる。即座に冷静になったネビロスは、 自分でも何をしているのか分からなくなりルミエルの反応を伺った。気持ちが悪いと思われたろうか。
「ル、ルミエル…?」
「 …ゲホゲホッ!ゴホッ!!」
「か、看護師さん!」
「あ!またお菓子持ち込んだの!?ネビロス!」
「それよりルミエルが…!」
「喉に詰まらせちゃったのね、 大丈夫よ。 こうやってまずは落ち着かせてあげて…」
とりあえず、むせたらしい。
気恥ずかしさもありその後しばらくルミエルの見舞いに行けなかった。

その間、ネビロスは考えた。 そして学ぶ事にした。目的は分からないが、お菓子作りと医療知識は絶対に人並み以上の技術を付けたいと思った。
それから――祖父母にも目を遣る。
足腰を痛めて畑での仕事が難しくなってきた祖父母。愛を込めて育ててくれた二人に負担をかけぬ様、 農作物の知識も付けておこう。それらをこなすのに必要な体力も。後々の為にと父が教えてくれた機械技術も抜かりなく。
学校に通いながらお菓子作りや勉強、畑仕事の手伝いをするのはとても充実した生活だった。勿論、ルミエルの見舞いも忘れずに。
この時初めてネビロスは祖父母にねだった。強くなりたいから体術を教えてくれるところに通いたい、 と。 祖父母は普段物静かなネビロスがねだって来てくれた事を心から喜んだ。

十五歳になったある時、 ネビロスは鏡を見てふと気が付いた。何だか変に髪が傷んでいる気がする。祖父母も気にしないし自身が無頓着なのもあって適当に切っては伸ばしてしまっていたが…流石にその繰り返しのせいかバサバサし過ぎていて清潔感が無い。
「…ルミエルに変な目で見られても嫌だし…」
あまりにも傷んでいる部分が目に余るので切ってみる事にした。


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