薄明のカンテ - あったようでなかった話/べにざくろ
 元締めに騙されてウナギのゼリー寄せを食べさせられた時のような眉間に深い皺を寄せた顔で、テオフィルスはパソコンのディスプレイを見つめていた。
「 何やってんだい? 」
「 あー、いや…… 」
 テオフィルスにしては珍しく歯切れの悪い返事だったので、とことこと近付いてきたナンネルは彼の脇から覗き込むようにして水色の瞳でディスプレイを凝視する。そこには電子書籍でとある漫画が表示されていた。
「 『 この世界に有終の美を 』? アンタ、また新しい漫画買ったのかい!? 」
「 仕方ねぇだろ。電子世界ユレイル・イリュですっげー推されてたんだよ 」
「 ああ、アイツにかい?」
「 ……そうだよ 」
 ナンネルの言う“ アイツ ”とはテオフィルスの電子世界ユレイル・イリュ内の友人の1人のことだ。とはいっても性別も年齢も居住地も知らない。何も個人情報は知らないが特撮やアニメにかける情熱の熱量の凄まじさにテオフィルスは常に圧倒されていた。その人物がお勧めする漫画だったので、心を踊らせてテオフィルスは電子書籍を1巻だけ購入した。購入したのだが。
「 ……この子が 」
 テンションの低い声で、ディスプレイにツンと指をあてて映るキャラクターの1人を示す。そこには1人の女の子がいた。
「 この子が? 」
 オウム返しするナンネルをテオフィルスは見つめた。
 見つめられてもナンネルには恋愛感情のプログラムは入ってないので、ナンネルは別にドキドキすることもなく静かに見つめ返すだけだ。
「 ロリバ……痛っ! 」
 テオフィルスが“ ロリババア ”と言う単語を発声する前にナンネルの鋭い手刀打ちが頭に落ちた。困ったことに『 機械人形マス・サーキュは人間に危害を加えてはならない 』という機械人形マス・サーキュ法は、この機械人形マス・サーキュにはインストールされていないのだ。それ故に容赦ない(もちろん殺人にならないよう加減された)暴力をテオフィルスはたびたびナンネルからいただくこととなっていた。
「 何すんだよ 」
「 聞き捨てならない単語が予測されたからねぇ。事前予測で動いただけさ 」
 悪びれもなくナンネルは言い放つ。
 大陸で昔、実在したとされる美少女『 ロリータ・ニンフェット 』から生まれた少女性を意味する“ ロリータ ”と、年取った女を意味する“ ババア ”を合体させた単語“ ロリババア ”はナンネルには禁句だった。
 理由は至極簡単。
 ナンネル自身が“ ロリババア ”だからだ。
「 それで? 何でそれでアンタがそんな変な顔になるんだい? 」
「 ……その設定思い出すたびにお前がチラ付いてストーリーに集中出来ないんだよ!! 」
 ヤケクソのようにテオフィルスは叫んだ。たとえナンネル相手に恋愛感情を抱いてなくても『 お前を思い出す 』なんて言葉をいうのは恥ずかしい。
 ナンネル以外なら人間にでも機械人形にでも女相手に、いくらでも言えるのに。
「 ほほー、そうかい 」
 羞恥に震えるテオフィルスに、ニンマリとナンネルが笑う。
「 アタシみたいな美少女を思い出してちゃ、そりゃあ話が入ってこないよねぇ 」
 ツンツンとテオフィルスの頬を指でつついて、ナンネルは彼をからかった。
「 美少女って……ナイジュの方が可愛い―――!!! 」
「 そういうこと言う口はこうだよ!! 」
 むにーっとテオフィルスの両頬を引っ張って悪いことを言う口にお仕置をする。
 ……そもそもテオフィルスもナンネルも悪いことだらけの犯罪者であるのだが、ここでは無視されているのは言うまでもない。
「 テーオー! 生きてるー!? 」
 2人がじゃれあっていると玄関方面から男の声がかかった。
「 この声は…… 」
行ってくれいっへふへ
「 あいよ 」
 あっさりとテオフィルスから手を離してナンネルは玄関に向かっていく。
 両頬を撫でて労りながらテオフィルスも直ぐにその後を追った。
 玄関の鍵をナンネルが解除すると、入ってきたのは声で予想した通りの同僚兼友人だった。そいつはナンネルの顔を見てへにゃりと崩れた笑みを浮かべる。
「 あー、ナンネルちゃんの顔見ただけで癒されるわー 」
「 何の用だよ。またヴォイドにアイスピックで脅されたか? 」
「 えっ、テオってば見てたの!? 」
「 見てねぇよ 」
 この友人もテオフィルスに負けず劣らずの女好きだが、彼が今狙っているのは最近、医療行為で岸壁街下層で活躍中のヴォイド・ホロウである。誘ったところで当然、全戦全敗中。最近では断られる時のヴォイドの冷たい瞳で見下されるのが気持ち良いとすら言い出し変態街道まっしぐらの友人だ。
( こいつが変な性癖持ちになりませんように )
 そうなったらヴォイドに責任をとってもらおう。
 テオフィルスはそんなことを考えていた。
「 今日は何のご用ですの? 」
 テオフィルスと元締め以外の前では猫被りモードのナンネルが、あざとく小首を傾げながら友人に問い掛ける。友人はナンネルの可愛さに騙されて再びだらしない笑顔で2人に言った。
「 仕事もないから遊びに行こうよ 」

 * * *

 喧騒、熱気、怒号、嬌声。
 連れてこられた闘技場の観客席で、テオフィルスは元締めに騙されてバロットを食べさせられた時のような顔をしていた。
 珍しく岸壁街を出て普通の街に出たかと思えば、裏通りから合言葉やら何やらを駆使して入り込んだ先が闘技場だった。当然、正規のものではない非合法の。
「 あれっ? テオってば、こういうの苦手ー? 」
「 何故お前が平気なのか理解に苦しむ 」
 歓声が一際大きくなったので、すり鉢状になった観客席の底に設置された舞台へと目を向ける。今回の試合の勝負がついたらしく一体の機械人形マス・サーキュが首を落とされて転がっている光景に、友人の目は輝き、テオフィルスの目は反比例して死んでいった。
 ここは機械人形マス・サーキュ闘技場。法の目を掻い潜り、プログラムの書き換えや、パーツの組み換えを行なって作り出された対戦型機械人形マス・サーキュが戦い、散っていく場所だ。
「 別に男の機械人形マス・サーキュが壊れるのは構わねぇけど、女はなぁ…… 」
 たった今、首を落とされた機械人形マス・サーキュも女性体だった。機械人形マス・サーキュでも女が痛め付けられているのを見るのは気分が悪い。
「 ふーん。所詮、機械人形マス・サーキュなんだから別に良いと思うけどなー 」
 友人は至ってドライな反応だった。
 人間は人間、機械人形マス・サーキュ機械人形マス・サーキュの線引きがしっかりしている側の人間なのだろう。ナンネルを与えられて彼女と生活しているテオフィルスには真似出来ない。
「 あ、ほらほら。次の試合が始まるよ!! 俺、この試合には賭けてるんだよねー 」
 ほら、と友人に賭けた画面を表示した携帯型端末を見せられてテオフィルスは絶句する。
「 お前……賭けすぎじゃねぇ? 」
「 いやー、あまりに可愛い機械人形マス・サーキュだったから賭けてあげないとかなーって思って 」
 その時、闘技場にその“あまりに可愛い機械人形マス・サーキュ”が登場して、歓声と罵声と困惑の声が上がった。
 小柄な姿に戦闘に不釣り合いなフリルのワンピース。機械人形マス・サーキュらしい薄緑の髪には、猫の耳を模したらしき耳まで付いていて戦闘用というより愛玩用のようだ。しかし手に持つ巨大な剣が、それが戦闘用であると辛うじて示していた。
 可愛らしい機械人形マス・サーキュの対戦相手は大柄な筋肉質な体型をした男性型の機械人形マス・サーキュで、見るだけで決着のついてしまう組み合わせの対戦に会場からはブーイングの声が上がる。それでいて少女型の機械人形マス・サーキュが惨たらしく壊れるのを期待しているような熱気がそこにはあって、テオフィルスは眉を顰める。
「 そういや、お前はこれ見ても平気な訳? 」
「 アタシかい? 別にそういう感情は入ってないしねぇ」
 大人しく付いてきてテオフィルスの隣に座っていたナンネルは平然としたものだった。騒がしい闘技場内では友人に声が聞こえないことが理解出来ているナンネルは、すっかりいつもの調子だ。
「 わざわざ苦しむ感情をプログラムするなんて下種のやることさね。ほら、あれ 」
 ナンネルが指さしたのは一般席より上に設置された防弾ガラスの貼られた豪華な特別室の一角。そこには扇情的な服を着せられた長い桃色の髪をした機械人形が辛そうな顔で舞台を見つめていた。
「 アンタの視力じゃ見えないだろうけど泣いてるね、あの子 」
「 ……可哀想だな 」
「 仕方ないさ、機械人形マス・サーキュ主人マキールには逆らえないモンなんだから 」
 そう言われてはテオフィルスは何も言い返せなくて無言でナンネルの頭を撫でることしか出来なかった。普段なら「 子供扱いするんじゃないよ! 」と文句を言うナンネルもテオフィルスの気持ちを汲んだのか大人しく撫でられている。
 その時、試合が開始された。大量の賭け金を失うことになる友人には悪いが、猫耳機械人形マス・サーキュはそんなに破損しないうちに試合が終了して欲しい。そう願いながらテオフィルスは試合の行方を見守ることにした。
 結果として、それは叶わない願いになるのだけれども。

 * * *

「 ははは……やった……勝った…… 」
 試合終了後、友人は放心していた。
 周囲は猫耳機械人形マス・サーキュへの歓声と、四肢を切り落とされて転がる男性型機械人形マス・サーキュへの怒号に満ちていて異様な熱気に包まれている。
「 たいしたモンだねぇ、あの機械人形マス・サーキュ
「 そうだな…… 」
 感嘆の声を上げるナンネルに、素直にテオフィルスも頷く。
 試合が始まってみれば、終始、猫耳機械人形マス・サーキュの優勢だった。
 多少はショーであることを意識したのか、それなりに追い詰められているかのような劣勢な場面も作られていたが体躯の差を軽々覆すだけの力が猫耳機械人形マス・サーキュにはあったのだ。

――猫耳機械人形マス・サーキュはそんなに破損しないうちに試合が終了して欲しい。

 そんなテオフィルスの願いが無駄になるくらい彼女は強かった。
 歓声に応えるように会場に手を振る猫耳機械人形マス・サーキュは、先程までの戦闘が嘘だったかのように可愛く笑っていた。よくよく見れば服装が赤を基調としているから気付かなかったが、テオフィルスの大好きなアニメ『 海上の青い星 』の主人公・セーラの服に似ているようにも見えて、余計に猫耳機械人形マス・サーキュの可憐さが増す。
( あんな可愛い機械人形マス・サーキュでも、あれだけの力があるんだもんな )
 もしも、あの力が機械人形マス・サーキュ相手でなく人間に向いたとしたら呆気なく人間は死ぬだろう。そんなことを考えると、可愛い機械人形マス・サーキュを見ているのに薄ら寒い気持ちになる。
「 なんだか俺、今日は勝てそうな気がする!! 」
 調子に乗った友人はまだまだ賭けを続ける気だった。
 ちなみに、こうやって調子に乗った友人はいつもこの後失敗するタイプの人間である。
「 ……折角だから俺は周りを見学してくるかな 」
「 まきーるっ! 私も行くですの! 」
 機械人形マス・サーキュが壊れる所を見ても楽しくないので、テオフィルスは一旦友人と別れて散策をすることにした。腕に巻き付くようにしてナンネルも付いてくる。
 観覧場を出て通路に行けば少しは静かかとも思ったが、次試合の推定展開を語る予想屋が声を張り上げていたり、賭けに負け続けた客がヤケ酒ついでに喧嘩を始めたりと別の騒がしさがあって静けさとは程遠い状態だった。
( 出てきたのは失敗だったか )
 少しでも喧騒が少なそうな場所を探そうとすれば、そこは女が春を売っていたり、怪しげな違法ドラッグが売買されていて―――見知った岸壁街の光景と何ら変わらなかった。
「 どこも変わらないモンなんだねぇ 」
 ナンネルも同じ感想を抱いたようで彼女の言葉に頷く。
「 あっち行ってみるか……っと 」
 静かそうな場所、と適当に足を進めると念願の静かな場所があった。そこは先程までの無法地帯振りが嘘のように、誰も彼もが口を噤んで通路の端に寄っている異様な静けさが辺りを包んでいた。
( やべぇ……失敗したな )
 静けさの原因は直ぐにテオフィルス達の前に現れた。先程、特別室にいた桃色の髪の機械人形マス・サーキュを引き連れた人物が倨傲な態度を隠そうともせず歩いてきたのだ。
 どうやら静けさを求めるうちに、特別室へと続く通路近くへ来てしまっていたらしい。本来ならば、一般人と特別室を使う人間が同じ場所に立つことはないように通路はしっかり分けられている。それなのに特別室を使う彼が此処を通る理由は簡単だ。庶民へ己の財力を見せつけて優越感に浸りたいのだろう。
 金持ちの考えそうなことだ。吐き気がする。
「 ……手を出すんじゃないよ 」
「 そんな馬鹿なことはしねぇよ 」
 嫌悪感を隠そうともしないテオフィルスを、小声でナンネルが止めた。
 男を見ても腹が立つだけなので桃色の髪をした美人の機械人形マス・サーキュへ目線を向ける。先程、会場で遠目に見えた辛そうな表情の時から美人だとは思ったが、間近で見るとより一層美人な造形をしていた。一挙一動足が扇情的ですらあって彼女の用途が容易に想像される。
 そんな彼女の用途を想像して劣情にかられた者が、触れてはならない彼女へと思わず手を伸ばす。
 その瞬間、空気の斬れる音がした。
 愚かに手を伸ばした男の首に人間が目で追えない速さで抜刀された切っ先が突き付けられていたのだ。
 それは誰もが桃色髪の機械人形マス・サーキュに目を奪われていたために気づかなかっが、彼女とは別に影のように控えていた緑髪の男型の機械人形マス・サーキュの仕業だった。こちらも綺麗な造形の顔をしているが抜刀している姿を見る限り護衛用であることは明らかだった。
「 B.G-02 」
 男が男型の機械人形マス・サーキュの名前らしきものを呼ぶと機械らしい感情の籠らない目をした彼は刀を納める。
 一瞬で空気が機械人形マス・サーキュと、その主人マキールに支配された。圧倒される庶民を鼻でせせら笑って主人マキール機械人形マス・サーキュ二体を引き連れて立ち去っていく。
 彼等が見えなくなって十分な時間が経過した後、人々はようやく恐怖から解放されて動き出した。緑髪の機械人形マス・サーキュに刀を突きつけられたものの無事だった男は武勇伝を語るように、周りに少々誇張した表現をつけて声高に語り出していた。今日の夜には「 機械人形マス・サーキュの刀をギリギリで躱した俺 」の話にでも進化していることだろうが、テオフィルスやナンネルの知ったところではない。

――この日、出会った二体の緑髪の機械人形マス・サーキュ
 ナンネルを喪うことになるテオフィルスが再会することになるのだが、今の彼に想像なんて出来る訳もなく。
 記憶の片隅に留め置かれることも無く、忘れられて行くのであった。