Twitter創作企画「薄明のカンテ」のまとめ。世界観の説明に始まり、小説・イラスト・漫画・音楽その他、創作企画で生まれた作品を掲載する場所。

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 酸味が強くフルーティな浅煎りのコーヒーはカンテ国で親しまれるものだ。それを喉に流し込んでリアム・シュミットはほっと息をつく。
 かつてセキリュティエンジニアとして勤務していた時と、総務で働く今では業務内容の相違があり未だになかなかに慣れない部分があった。そうはいえども、かつての仕事内容に近い汚染駆除ズギサ・ルノース班を希望してしまえば定時にしっかりと帰ることは出来まい。
 全ては愛娘、リリアナのため。
 脳裏に浮かんだ愛くるしい娘の姿にリアムの唇が思わず薄く上がってしまい、誤魔化すように慌ててコーヒーを再び一口。とはいえ、慌てるも何も昼の時間を過ぎた休憩室にリアム以外は居ないため、誰にその姿を見られる訳では無いことを思い出して落ち着きを取り戻す。
 静かな環境で味わうコーヒーは良い。
 香り高いコーヒーの蒸気が鼻をくすぐり、心地良い温かさが喉を通り抜けていく。
 窓辺に立てば柔らかく射し込む陽の光と風に揺れる木々が美しい。
 平和だ。
 この瞬間、リアムは平穏の中に居た。
 しかしその平穏を壊すように上着のポケットに入れていた携帯端末が着信を告げるために震えた。休憩時間を邪魔されたと形の良い眉を顰めつつ、携帯端末を手にしたリアムの薄茶の目が驚きに見開かれる。
 画面には電話をかけて来た者の名前が出るのであるが、そこには実兄のノエル・ミカナギの文字が輝いていた。
 何故、兄からの電話が今かけられてきたのだろうと思いながらリアムは素早く着信に応えるために画面をタップする。
 このご時世だ。いつ何が起きてもおかしくはない。
 何か悪い報せではないことを願うリアムの声は自然と固くなっていた。
「ノエル、どうした?」
「元気か?」
 ノエルの声がリアムの耳に届く。
 その声が兄らしい柔らかで朗らかな口調なままであることに緊急の事態が起きたわけでないと密かに安堵した。自然と声も和らぐ。
「ああ、元気だ。急に電話してきて何か用か?」
「パンチャ・ピエーナに行ったんだって?」
 しかし、兄の口からラシアスにある飲食店の名前を言われて次に何を言われるのか予想したリアムの表情が途端に渋くなった。
「確かに行ったが、そちらに行く時間までは無かったんだ」
「店で聞いたアリオンが悲しんでたぞ」
 ノエルの予想通りの言葉にリアムの眉間に皺が寄った。先程までのコーヒーに癒された思いはとっくに吹き飛び思いきり溜息をつきたい気分になったが、大人としての自尊心が辛うじてそれを止めさせる。
 ノエルの言うアリオン・ミカナギはノエルの息子だ。
 年齢は奇しくもリリアナと同じ5歳。リリアナが大人びた子供ゆえに忘れがちだったが、本来の5歳児とはこういうものであったと思い出させてくれる歳相応の子供でもあるといえば、どんな子供か分かるものだろう。
 そして、そんなアリオンが「悲しんでいた」となれば理由は一つ。
「……リリアナに会いたいと泣いたか」
「完全にアリオンはリリアナちゃんを気に入ってしまっているからね」
 突然にリアムの娘だとして現れたリリアナを受け入れてくれた両親や兄家族には感謝しているリアムだが、甥っ子がリリアナに恋をしたことはパパとして許せる事態ではなかった。
 娘に恋愛ごとは、まだ早い。
 なお、そう思っているのは父親だけだが、リアムは未だそのことを知らないのはお約束というやつだ。
「また行けるように善処はする」
「そうしてくれるとアリオンもカリナも喜ぶよ」
 カリナはノエルの妻の名だ。
 そしてリアムの叶わなかった初恋の相手。
 その名を聞くと苦しくなるような、それでいて胸が温かくなる。
「カリナもセリカさんへ連絡しているけれど、リアムからもセリカさんにも宜しく伝えといてくれないかな」
「其方も善処はする」
「セリカさんが元気にやっているみたいで良かったよ」
「それはそうだが……元気すぎてアレでは“セリちゃん”に戻ったようでな」
 セリちゃん、の呼び名に力を込めて言うと兄には見事に意図が伝わったようで電話越しにも笑い声が上がった。
 セリカ・ミカナギが昔は男の子と見まごう様なガキ大将気質で、今も似非エセヤマトナデシコであることをマルフィ結社内で知るのは若い頃から付き合いのあるリアムだけだ。結社の中で「清楚な女性です」とばかりの顔をしているセリカの本性・・を理解する兄の反応が楽しくなり、リアムもついつい彼らしくもなく饒舌になる。
「ピンカートンさんは随分とアレの手綱を上手く握っていたようだったが、今のセリちゃんは野に放たれた肉食獣だな。セリちゃんに捕食される男が哀れになるくらいだ」
 もしもセリカが聞いていたならばリアムの首が胴体とお別れすることになりそうな言い草であるが、セリカの所属する小隊は本日は支部勤務であり絶対に聞かれることはないことを狡猾なリアムは知っていた。
 そして、それを聞いているノエルは当然のことながら義妹であるセリカのやんちゃっぷりは知っており、また、そのセリカに下僕の如く扱われていた泣き虫な弟の姿も良く知っている。そんな弟が言うようになったなぁと彼の成長を喜ぶ気持ち半分、未だに子供の時の事を根に持つリアムに呆れる気持ち半分でノエルは弟の愚痴に電話越しに頷きを返していた。
「――ああ、ではまた」
 やがて、散々“セリちゃん”への過去の恨み辛みも込めた現在の愚痴を実兄に語り終えたリアムは満足感を胸に抱いて電話を切った。
 電話を切った後には心なしか窓の外に見える空の青さがいつもよりも澄んだ青に見えるような清々しさすら感じる。
 最高の気分だ。
 そう考えたリアムの最高の気分は、振り返った瞬間に失われることとなった。
 絶叫しなかった自分を褒めてやりたい、とリアムは思う。
 誰もいなかった筈の休憩所にはいつの間にか一人の男が居た。
 彼が物静かな男であることは時々、医療班にお世話になる身としては知っていたが部屋に入ってくる気配も悟らせないとは恐ろしい男である。
 そんな恐ろしい男――灰色の髪と同色の目に呆れたような色を浮かべてリアムを見つめている男の名前をネビロス・ファウストという。
「あ、あー……聞いていたな?」
 言い訳を考えようとしたリアムであったが下手な言い訳をする方が情けない姿を晒すことになるだろうと判断し、まずは状況確認をする事にした。
 ネビロスの目を見れば聞かれたことは火を見るより明らかだが確認は大事だ。案の定、ネビロスはリアムの言葉を肯定するために首を縦に振る。
「どこからだ?」
 重ねるように問いかければネビロスは少し考えたような顔を見せ、静かにリアムを見つめた。
「恐らく貴方が聞かれたくないと思っている部分は」
 リアムが他人に聞かれたくなかった部分。
 “エセヤマトナデシコ”の“セリちゃん”は隠しておかねばならぬことである。彼女自身が他人に話すなり、ボロを出すなりして他者が知る分には問題がないが、リアムの口から他人にバレるというのは大変に宜しくない自体だ。
 幸いにも聞かれた相手はネビロス・ファウスト。
 詳しく彼のことを知る訳では無いが周囲に言い出すような口の軽い男では無いことは知っている。
 ならばリアムに出来ることは――口封じだ。
 緊張しつつも平然を装ってリアムは動き出す。
 動き出した先はネビロスの元へ、ではなく自動販売機だ。
 ボタンを押せば先程までリアムに癒しの時間を与えてくれていた珈琲が再び姿を現す。それを手にして、リアムはリアムとしては大変に珍しい作り物の笑みを浮かべてネビロスへと差し出した。
 それに視線を向けた後、リアムへと特に感情の読み取れない視線を向けてネビロスが口を開く。
「口封じ、といったところでしょうか?」
「理解しているなら黙って受け取って貰えないだろうか」
 コーヒーの深みのある独特な芳香が立ち上り休憩所を包んでいた。
 この香りにはリラックス効果があると以前どこかのニュースか記事で読んだことがあるが、今のリアムには残念ながらその効果は及びそうもない。
 黙って見つめていると、ネビロスの表情が動いた。
 リアムが望んでいたような快諾をしてくれるような表情では無い、どう断ろうかと悩んでいるかのような重い表情だ。
「申し訳ないのですが――」
 案の定、彼の口から出たのは断る言葉。
 口封じと思いつつも彼の性格上、断るとは思っていなかったリアムはネビロスの意外な言葉に目を見張りつつ彼の言葉の先を待った。
 もしかしたらリアムが知らないだけでセリカとネビロスには何らかの接点があるのかもしれない。前線駆除班と医療班ならば仕事柄、関わることも多い故に実は親しい関係だとか。
 ネビロスの沈黙の時間、リアムの脳内では様々な思考が巡る。
 それは、ほんの数十秒だったのかもしれない。
 しかしリアムにとっては非常に長い時間が流れたような気がした。
「私はブラックは嗜まないもので」
 ようやく聞こえたネビロスの声が耳に届いた時、リアムは最初彼の言葉の意味が分からなかった。聞き間違いをしたかと珈琲よりは紅茶のような色の目を瞬くとずり落ちそうになった眼鏡を上げて、リアムは口を開く。
「今、何を?」
 リアムに聞き返されるとは思わなかったのかネビロスは端正な顔を歪ませる。眉を寄せて不快そうに、それでいてどこか羞恥の色を含ませて。
「だから私は珈琲には砂糖と牛乳は絶対に入れるべきだと思います」
 それ故にリアムの持つブラックコーヒーは受け取れないということか。
 ようやくネビロスの言いたいことを理解したリアムは思わず笑みを零してしまう。
 随分と見た目の印象と違うことを言い出す男だ。
 まさかこの外見でブラックコーヒーが飲めないなんて。
 『人を見た目で判断してはいけない』と日頃は娘のリリアナに躾的な意味で語ってはいるが、それを自分に言い聞かせなければ行けない日が来るとは思わなかった。
「ま、まぁ、嗜好は、人によるからな」
 笑いを堪えつつ唇の端を震わせながらも言いきると、今購入した珈琲は自分のものにすることにしてリアムは自動販売機へ向き直る。
 購入するのは砂糖とミルクの入った自分では買うことの無いコーヒーだ。
 これならば問題なく口封じの品になるだろうと自信満々にそれをネビロスに差し出す。
 すると、直ぐに受け取る訳でも無くネビロスは困ったように眉を下げた。
 やはり彼はこの程度のことで口封じをされるような安い男ではないのだろうか。
 リアムがそんな不安を抱きつつ、次の策を考えようとしていた時だった。
 沈黙を保っていたネビロスが口を開く。
「今日は紅茶の気分だったんですが」

――知るか、そんなの。

 思わず口から飛び出しそうになる言葉をすんでのところで飲み込んで、引き攣りそうな笑みでリアムが今度は紅茶を買う羽目になったのは言うまでもない。

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